決定的な何かといえば、あの一言だった。
アン・サヴィーネの調子がすっかり元通りになり、それまで、滞在していた友人のイサベラは、自分の職場である宮殿へ戻って行った。
宮殿に戻ったイサベラは、体調が戻ったという安堵の報告に加え、根掘り葉掘り訊ねられしゃべった。どうやらテオドールが新妻に夢中の様子と判断される内容に、安心させられた皇后から、直々にイザベラにと、ご褒美まで出た。
イサベラの実家の紹介で、アン・サヴィーネに付く、信頼のおける侍女も確保でき、もとからのローズは、年齢的にも経験的にも、後から入った娘たちの教育係的立場で、公爵家のメイド頭となった。
妹のロザリー・アベルは、侍女が補充されると、家に戻っていった。
学院時代のもう一人の親友、ユーフェミアが、忙しい公務の合間をぬって、アン・サヴィーネに会いに来てくれたころには、テオドールとアン・サヴィーネの間にとげとげした緊張感はなく、ユーフェミアは安心して、祝いの言葉をのべて帰って行った。
驚いたのは、祖母だ。
ちょうど、アン・サヴィーネを心配したレザン伯爵家のサブルとレミー兄弟が、こちらへ来るのをどこで情報を得たのか、便乗し、押しかけてきた。
いつも、礼儀の見本みたいな祖母が、アン・サヴィーネの姿をみるなり、抱きついて、号泣したのは、彼女を本当にびっくりさせた。
その時、テオドールも在宅中で、いきなりな、このお年寄りを唖然としてみている。
彼女の祖母に先をこされた、レザン兄弟は、文句のひとつも言えなくなり、積もる話をしている間、対応に困り顔のテオドールを誘い、中庭で、剣術の稽古となった。
サブルは、もちろん、レミーも、かなり、全力でぶつかり、相手を負かし、溜飲をさげるつもりが、結構、いい勝負で、まかされてしまい、力と力の勝負で、相手の本質を見極めたのか、何故か、最終的にテオドールと仲良くなってしまっていた。
二人は、殴り込みをかけようとしたレザン伯爵夫人を夫の伯爵と部下が抑えているうちに、この結果を報告し、一先ず、落ち着かせるために、とんぼ返りすることになっていた。
二人とも、男らしく、テオドールを認め、アン・サヴィーネに祝福の言葉をおいていった。 祖母は、そのまま、こちらに残った。
なんと、自分の握る財産を処分し、こちらに、移り住んだのだ。
処分し得たお金で、自分の家だけではなく、借家も数件手に入れ、アリンガムにいた頃にくらべれば、収入は減ってしまったが、アン・サヴィーネに帰る場所をつくってやるのだと、自分の持てる人脈を駆使し、行動を起こしたのには、アン・サヴィーネ本人だけではなく、この屋敷の執事まで、びっくりさせられた。
テオドールは、老いて猶かくしゃくとした、祖母の手腕に感心しきりで、あのノワール侯爵の母ということは、気にならないらしく、アン・サヴィーネも、ほっとしている。
飛行便の仲間が、一人、皆の代表でようすを見に来てくれ、受け取った手紙は、騎士団の人たちのもあり、返事を書くのも一苦労するほどだ。アン・サヴィーネは、それでも、手紙を綴るごとに、新しい生活を受け入れていく自分を感じている。
アン・サヴィーネは、テオドールとともに、帝国の西方の、アベル家の領地へ行くこととなった。
テオドールの警備上と、日程上という理由で、空から、行くことになり、アン・サヴィーネは飛行箒で、騎士団の人たちと共に、西方へ、向う。
飛行箒に乗るのに、ドレスというわけには行かず、飛行便士の衣装に似せた服を新調し、それを着る。飛行便士のに比べれば、無用なひらひらやリボンがついて、随分華やかだ。
騎士団の制服の青に比べると薄い青だが、テオドールと並ぶと、対で、映える。
何より、いつもより、輝いて見えるアン・サヴィーネに、テオドールは、ぼっと見とれ。
「そうしているのが一番、君らしく見える。こんな君が見られるなら、たまに、こうした機会を設けるか。」
花が開いたような笑みが、テオドールに向けられた。
侍女は、あちらで、用意してもらうので、図らずも紅一点だ。
騎士団の人たちといっても、テオドールの直属の部下で普段警備をしている者のみなので、ほんの一部だ。だから、そこに、女騎士が混じっていることはなく。
もともと、それくらい、騎士には女性が少ない。
だから、他所で所属していたとしても、アン・サヴィーネのことを知っている人たちはいた。彼らの感想は、なんだ、殿下、女騎士を選んだのか、だ。
女らしい淑女に餓えている彼らからしたら、女騎士の経験アリ、飛行便士であるというだけで、外見は、二の次になり、男らしい印象をもたれてしまう。
護衛される対象となっていても、アン・サヴィーネへの扱いは、仲間的なそれになった。
悪い印象をもたれていなかったのは、意外で、アン・サヴィーネをほっとさせた。
正直に感想をもらしたら、テオドールに、頭をぐりぐりと撫でられてしまう。
最近は、テオドールの彼女への扱いに、こんなコミニュケーションも増えていた。
そんなのも、悪くないと思っていたからだろうか。・・・・・。
まず、アベル伯爵家を訪れると、テオドールは、普通の家の青年のように、彼女の父に、求婚の許しを願い出た。
アベル伯爵は、娘のようすに目をとめる。
「アニーは、前と少し変わったな。」
目を細めた後、実直そうなその面をテオドールにむけ。
「アン・サヴィーネが、無事な姿を家族の前にみせてくれたのは、貴方様の機転のお陰です。この子は、子供の頃、大変な目にあってきているから、誰のそばが危険で、誰のそばが安全か、見極める力も備わっています。ですから、今、警戒を解いている、その姿が、雄弁に物語っています。許可しないのは、野暮というものでしょう。テオドール殿下、どうか、娘をよろしくお願いします。」
頭を下げて、伯爵は、テオドールに、先を託した。
アベル伯爵は、アン・サヴィーネに、テオドールが、帰国するアリンガムのハリー王子に要請し、彼女のノアール侯爵家からの除籍を願ったことを教えてくれる。
嫁入りしたからには、家長として、彼女に頭から干渉はできないだろうが、それでも、何かの折に、アン・サヴィーネが不利にならないようにと、持ちかけると、ハリーも思うところがあったのか、快く引き受けてくれた。
以前は、どうにもならなかった法律の問題が、今回は、アリンガム王の鶴の一声で、超法規的措置をとられ、アン・サヴィーネは、母方の伯父夫婦の娘と正式に登録され、そこから、アベル家に養女となったことにされている。
今後は、アン・サヴィーネの記録から、一切、ノワールの名は記されることはない。
しかし、大国の皇子の妻である、アン・サヴィーネと血がつながるという一点だけを頼りに、自分の願望を叶えた者もいる。
コンスタンシアを晴れて、妃にしたアリンガムの王太子だ。
彼は、周囲に対し、かなり、ごねまくったらしい。
王も王妃も最終的には、折れたが、盟主と仰ぐ大国に恥をかかせるところだった、コンスタンシアの父、ノワール侯爵の隠居と、臣下の総意による王の後継者の交代という自体を招いた。
王太子は、もともと窮屈に感じていたその地位をあっさり手放したらしい。
愛する人と、中央から遠い領地に篭り、幸せそうにはしていると他国にもその恋の顛末は、聞こえてきている。
ノワール侯爵だったその人も、大人しく、親戚にその地位を譲り、同じく、愛する人と別人のように、穏やかに隠居生活を送っているらしいので、今後、アン・サヴィーネと、接触することは、万に一つもないだろうが、と。
教えてくれた、アベル伯爵の表情が、少し、苦々しげなのは、自分の妻が昔、彼にされた仕打ちを思い、その相手が安穏な生活を手に入れていることには、やはり、複雑な感情が浮んでくるからだろう。
そんな恨みはもう、一切係わらないでいいことだと、アン・サヴィーネの母が口にし、
「やっと、手放した娘を取り戻した気がします。私が、早くに、勇気を持って、ノワール家を出て実家へ戻っていたら、あの人も、意地になって、鬼の仕打ちをするようなことはなかったでしょう。アン・サヴィーネに、負担をかけることは無かったと思います。私は、いい母親ではなかったけれど、娘の幸せは、願っております。」
幸せになるのよと、アン・サヴィーネを抱きしめて、泣く母親。
アン・サヴィーネは、生まれて初めて、無条件の親からの愛情を受け取った。
前世の記憶をひっぱりだし、代償にすることもこれからは、必要ないかもしれない。
あの時、消えたと思っていた自我は、ぶわりとアン・サヴィーネの中に広がり、主成分として、その後の生活で得た自分も融合していく。
それでいい。
人は、成長し、その経験から、自分の人生を紡いでいくのだから。
前世は前世。アン・サヴィーネはアン・サヴィーネの人生だ。
納得が得られ、完全には消えないが、はっきりとした記憶が、うっすらと隅に追いやられても、どちらも充足感を得ていた。
どちらも、精一杯、その日を生きて来たアン・サヴィーネでもあるのだから。
アベル家訪問から、帰る途中、テオドールが。
「アン・サヴィーネは、母親似だな。」
という言葉に、驚き、息をつめて、彼を見つめ返し、しまいには、あまりに彼女が呼吸を忘れて、立っているので、不安になったテオドールが、アン・サヴィーネの肩をゆする。
「お、おい。どうした?しっかりしろ、息をするのを忘れてしまっているぞ。とりあえず、息をはけ。」
吸って、吐いて・・と、間抜けなコント。
呼吸が、もとに戻ると、今度は、ぼろぼろと涙を流す。
「あ・・ありがとう・・ごじゃいまひゅ・・・」
いつもの、きちんとした令嬢の台詞にはならない。
その時、その一言が、アン・サヴィーネの心につきささっていた最後の氷の棘を、溶かした。努めて自分を落ち着かせると。
「私、金髪に青い瞳でしょう?ノアール家の特徴を引き継いでいて、それが、母をいつまでも、苦しめるのではないかと・・距離を置いていました。」
子供の頃は、確かに、顔立ちは祖母に似ていた。アン・サヴィーネは、祖母が嫌いではなったし、母には、彼女も普通に接してくれていたから、嫌な気にはならないだろうが、それでも、苦しい思い出を思い出させるようなことにはならないかと、ずっと悩んでいた。子供の顔は、二転三転と、最終的に誰似るかはわからないという。思い込みもあって、ずっと、母に似ていないと彼女は思っていたのだが。
「髪や瞳の色はともかく、アベル伯爵夫人をもっと、意思を強くしたような、顔立ちは、母親似だぞ?・・いや。たとえ、違ったとしても、アベル伯爵夫人にとってはかわいい我が子の特徴くらいのものではないかな。今日の様子を見たから、思うのだが。違うか?」
「いいえ。その通りだと思います。・・でも、私は、これまで、思い違いをしておりました。頼るべき時にも、自分から手を離すようなことをして・・母以外にも、私を思ってくれる人達に、悪いことをした・・と思います。どこかで、見失ってしまっていた事柄を正す機会を、テオさまは、与えてくださいました。ありがとうございます。」
「アン・サヴィーネ・・しかし、それは・・・。」
不本意な結果に巻き込まれたからではないのか・・と、言いかけたテオに、首を横にふった彼女は。
「人生に起こりうることなんて、良いことばかりではございませんでしょう?でも、その後で、吉とすることができるかは、人それぞれだと思います。私は、テオさまとなら、信頼しあって、先にすすめるかもと思いました。これも、よくある男女の出会いだったのだと、思うことにします。」
アン・サヴィーネは、ドレスの裾をつまみ、精一杯、良家の令嬢らしい、お辞儀をする。
「私の誠実を捧げ、この先の人生をあなたに委ねます。・・・いつか、この手をとることを、貴方が心から望んでくださるように。」
テオドールは、呆けたように、彼女を見つめている。
今は、帰途なので、当然、外野である、護衛の騎士たちはたくさん、まわりにいる状態だ。彼らは、
「すげ~っ!逆プロポーズ・・??」
「さすが、もと女騎士!」
「というか、今更?」
「なぜ、殿下の気持ちが伝わってないんだ???」
口々に、ほぼ、面白おかしく、野次っていたが、テオドールに睨まれて、しんと静まり返る。
「なぜ、私の思いは伝わっていないんだ・・アン・サヴィーネ。」
「テオ様。どうか、アニーと。」
親しい者が呼ぶ、その愛称を許され、テオドールは、挙動不審なまでにゆっくりとかみ締めるように、その名を呼ぶ。
「アニー。」
「はい。」
返事が返って来、テオドールは頬を赤くし、もじもじと、言葉を探っていたが、見つからず。とりあえず、互いのGoサインはでたなと、心の中でつぶやき、一つ、深呼吸をすると、ひょいと手を延ばし、アン・サヴィーネを抱え上げる。
「私も同じ気持ちなのだが、どうも伝わっていなかったようだ。なので、行動で示すことにする。」
「え・・あの・・?」
テオドールは、護衛のなかから、伝令を選び。
「しばらく、休暇をとるから、副団長にその間のことを任せると伝えろ。これから、領地の館へ急行し、滞在する。必要な使者は、随時送ってきてもかまわん。と。」
「はっ。」
伝令が、先に、発ったあと、テオドールは、アン・サヴィーネを放すことはなく、飛行箒に二人乗りで、無駄な魔力を浪費しつつも、元気に、自領の館にたどり着いた。
奇しくも、そこで、また、アン・サヴィーネは、自分の思い違いを正されるはめになるのだが、その詳細は、この話とは趣旨を違えてしまうので、語らないでおこう。まあ、・・適当に。想像にお任せいたします、ということで。
彼らが、首都に戻り、お披露目の宴が行われることには、すっかり馬鹿ップル・・もとい、おしどり夫婦が、出来上がっていた。
危機感から、前世の記憶を取り戻した時に感じた自我の喪失。この時、アン・サヴィーネは、たくさんのモノを失くし、暗い生を背負ったと思う。諦めとは違う、ありのままを静かな気持ちで受け止める。その時の、怒りや身を切るような悲しみは、今は、消え薄れ、アン・サヴィーネは、ようやく、憂いを失くすに至った。
おわり
アン・サヴィーネの調子がすっかり元通りになり、それまで、滞在していた友人のイサベラは、自分の職場である宮殿へ戻って行った。
宮殿に戻ったイサベラは、体調が戻ったという安堵の報告に加え、根掘り葉掘り訊ねられしゃべった。どうやらテオドールが新妻に夢中の様子と判断される内容に、安心させられた皇后から、直々にイザベラにと、ご褒美まで出た。
イサベラの実家の紹介で、アン・サヴィーネに付く、信頼のおける侍女も確保でき、もとからのローズは、年齢的にも経験的にも、後から入った娘たちの教育係的立場で、公爵家のメイド頭となった。
妹のロザリー・アベルは、侍女が補充されると、家に戻っていった。
学院時代のもう一人の親友、ユーフェミアが、忙しい公務の合間をぬって、アン・サヴィーネに会いに来てくれたころには、テオドールとアン・サヴィーネの間にとげとげした緊張感はなく、ユーフェミアは安心して、祝いの言葉をのべて帰って行った。
驚いたのは、祖母だ。
ちょうど、アン・サヴィーネを心配したレザン伯爵家のサブルとレミー兄弟が、こちらへ来るのをどこで情報を得たのか、便乗し、押しかけてきた。
いつも、礼儀の見本みたいな祖母が、アン・サヴィーネの姿をみるなり、抱きついて、号泣したのは、彼女を本当にびっくりさせた。
その時、テオドールも在宅中で、いきなりな、このお年寄りを唖然としてみている。
彼女の祖母に先をこされた、レザン兄弟は、文句のひとつも言えなくなり、積もる話をしている間、対応に困り顔のテオドールを誘い、中庭で、剣術の稽古となった。
サブルは、もちろん、レミーも、かなり、全力でぶつかり、相手を負かし、溜飲をさげるつもりが、結構、いい勝負で、まかされてしまい、力と力の勝負で、相手の本質を見極めたのか、何故か、最終的にテオドールと仲良くなってしまっていた。
二人は、殴り込みをかけようとしたレザン伯爵夫人を夫の伯爵と部下が抑えているうちに、この結果を報告し、一先ず、落ち着かせるために、とんぼ返りすることになっていた。
二人とも、男らしく、テオドールを認め、アン・サヴィーネに祝福の言葉をおいていった。 祖母は、そのまま、こちらに残った。
なんと、自分の握る財産を処分し、こちらに、移り住んだのだ。
処分し得たお金で、自分の家だけではなく、借家も数件手に入れ、アリンガムにいた頃にくらべれば、収入は減ってしまったが、アン・サヴィーネに帰る場所をつくってやるのだと、自分の持てる人脈を駆使し、行動を起こしたのには、アン・サヴィーネ本人だけではなく、この屋敷の執事まで、びっくりさせられた。
テオドールは、老いて猶かくしゃくとした、祖母の手腕に感心しきりで、あのノワール侯爵の母ということは、気にならないらしく、アン・サヴィーネも、ほっとしている。
飛行便の仲間が、一人、皆の代表でようすを見に来てくれ、受け取った手紙は、騎士団の人たちのもあり、返事を書くのも一苦労するほどだ。アン・サヴィーネは、それでも、手紙を綴るごとに、新しい生活を受け入れていく自分を感じている。
アン・サヴィーネは、テオドールとともに、帝国の西方の、アベル家の領地へ行くこととなった。
テオドールの警備上と、日程上という理由で、空から、行くことになり、アン・サヴィーネは飛行箒で、騎士団の人たちと共に、西方へ、向う。
飛行箒に乗るのに、ドレスというわけには行かず、飛行便士の衣装に似せた服を新調し、それを着る。飛行便士のに比べれば、無用なひらひらやリボンがついて、随分華やかだ。
騎士団の制服の青に比べると薄い青だが、テオドールと並ぶと、対で、映える。
何より、いつもより、輝いて見えるアン・サヴィーネに、テオドールは、ぼっと見とれ。
「そうしているのが一番、君らしく見える。こんな君が見られるなら、たまに、こうした機会を設けるか。」
花が開いたような笑みが、テオドールに向けられた。
侍女は、あちらで、用意してもらうので、図らずも紅一点だ。
騎士団の人たちといっても、テオドールの直属の部下で普段警備をしている者のみなので、ほんの一部だ。だから、そこに、女騎士が混じっていることはなく。
もともと、それくらい、騎士には女性が少ない。
だから、他所で所属していたとしても、アン・サヴィーネのことを知っている人たちはいた。彼らの感想は、なんだ、殿下、女騎士を選んだのか、だ。
女らしい淑女に餓えている彼らからしたら、女騎士の経験アリ、飛行便士であるというだけで、外見は、二の次になり、男らしい印象をもたれてしまう。
護衛される対象となっていても、アン・サヴィーネへの扱いは、仲間的なそれになった。
悪い印象をもたれていなかったのは、意外で、アン・サヴィーネをほっとさせた。
正直に感想をもらしたら、テオドールに、頭をぐりぐりと撫でられてしまう。
最近は、テオドールの彼女への扱いに、こんなコミニュケーションも増えていた。
そんなのも、悪くないと思っていたからだろうか。・・・・・。
まず、アベル伯爵家を訪れると、テオドールは、普通の家の青年のように、彼女の父に、求婚の許しを願い出た。
アベル伯爵は、娘のようすに目をとめる。
「アニーは、前と少し変わったな。」
目を細めた後、実直そうなその面をテオドールにむけ。
「アン・サヴィーネが、無事な姿を家族の前にみせてくれたのは、貴方様の機転のお陰です。この子は、子供の頃、大変な目にあってきているから、誰のそばが危険で、誰のそばが安全か、見極める力も備わっています。ですから、今、警戒を解いている、その姿が、雄弁に物語っています。許可しないのは、野暮というものでしょう。テオドール殿下、どうか、娘をよろしくお願いします。」
頭を下げて、伯爵は、テオドールに、先を託した。
アベル伯爵は、アン・サヴィーネに、テオドールが、帰国するアリンガムのハリー王子に要請し、彼女のノアール侯爵家からの除籍を願ったことを教えてくれる。
嫁入りしたからには、家長として、彼女に頭から干渉はできないだろうが、それでも、何かの折に、アン・サヴィーネが不利にならないようにと、持ちかけると、ハリーも思うところがあったのか、快く引き受けてくれた。
以前は、どうにもならなかった法律の問題が、今回は、アリンガム王の鶴の一声で、超法規的措置をとられ、アン・サヴィーネは、母方の伯父夫婦の娘と正式に登録され、そこから、アベル家に養女となったことにされている。
今後は、アン・サヴィーネの記録から、一切、ノワールの名は記されることはない。
しかし、大国の皇子の妻である、アン・サヴィーネと血がつながるという一点だけを頼りに、自分の願望を叶えた者もいる。
コンスタンシアを晴れて、妃にしたアリンガムの王太子だ。
彼は、周囲に対し、かなり、ごねまくったらしい。
王も王妃も最終的には、折れたが、盟主と仰ぐ大国に恥をかかせるところだった、コンスタンシアの父、ノワール侯爵の隠居と、臣下の総意による王の後継者の交代という自体を招いた。
王太子は、もともと窮屈に感じていたその地位をあっさり手放したらしい。
愛する人と、中央から遠い領地に篭り、幸せそうにはしていると他国にもその恋の顛末は、聞こえてきている。
ノワール侯爵だったその人も、大人しく、親戚にその地位を譲り、同じく、愛する人と別人のように、穏やかに隠居生活を送っているらしいので、今後、アン・サヴィーネと、接触することは、万に一つもないだろうが、と。
教えてくれた、アベル伯爵の表情が、少し、苦々しげなのは、自分の妻が昔、彼にされた仕打ちを思い、その相手が安穏な生活を手に入れていることには、やはり、複雑な感情が浮んでくるからだろう。
そんな恨みはもう、一切係わらないでいいことだと、アン・サヴィーネの母が口にし、
「やっと、手放した娘を取り戻した気がします。私が、早くに、勇気を持って、ノワール家を出て実家へ戻っていたら、あの人も、意地になって、鬼の仕打ちをするようなことはなかったでしょう。アン・サヴィーネに、負担をかけることは無かったと思います。私は、いい母親ではなかったけれど、娘の幸せは、願っております。」
幸せになるのよと、アン・サヴィーネを抱きしめて、泣く母親。
アン・サヴィーネは、生まれて初めて、無条件の親からの愛情を受け取った。
前世の記憶をひっぱりだし、代償にすることもこれからは、必要ないかもしれない。
あの時、消えたと思っていた自我は、ぶわりとアン・サヴィーネの中に広がり、主成分として、その後の生活で得た自分も融合していく。
それでいい。
人は、成長し、その経験から、自分の人生を紡いでいくのだから。
前世は前世。アン・サヴィーネはアン・サヴィーネの人生だ。
納得が得られ、完全には消えないが、はっきりとした記憶が、うっすらと隅に追いやられても、どちらも充足感を得ていた。
どちらも、精一杯、その日を生きて来たアン・サヴィーネでもあるのだから。
アベル家訪問から、帰る途中、テオドールが。
「アン・サヴィーネは、母親似だな。」
という言葉に、驚き、息をつめて、彼を見つめ返し、しまいには、あまりに彼女が呼吸を忘れて、立っているので、不安になったテオドールが、アン・サヴィーネの肩をゆする。
「お、おい。どうした?しっかりしろ、息をするのを忘れてしまっているぞ。とりあえず、息をはけ。」
吸って、吐いて・・と、間抜けなコント。
呼吸が、もとに戻ると、今度は、ぼろぼろと涙を流す。
「あ・・ありがとう・・ごじゃいまひゅ・・・」
いつもの、きちんとした令嬢の台詞にはならない。
その時、その一言が、アン・サヴィーネの心につきささっていた最後の氷の棘を、溶かした。努めて自分を落ち着かせると。
「私、金髪に青い瞳でしょう?ノアール家の特徴を引き継いでいて、それが、母をいつまでも、苦しめるのではないかと・・距離を置いていました。」
子供の頃は、確かに、顔立ちは祖母に似ていた。アン・サヴィーネは、祖母が嫌いではなったし、母には、彼女も普通に接してくれていたから、嫌な気にはならないだろうが、それでも、苦しい思い出を思い出させるようなことにはならないかと、ずっと悩んでいた。子供の顔は、二転三転と、最終的に誰似るかはわからないという。思い込みもあって、ずっと、母に似ていないと彼女は思っていたのだが。
「髪や瞳の色はともかく、アベル伯爵夫人をもっと、意思を強くしたような、顔立ちは、母親似だぞ?・・いや。たとえ、違ったとしても、アベル伯爵夫人にとってはかわいい我が子の特徴くらいのものではないかな。今日の様子を見たから、思うのだが。違うか?」
「いいえ。その通りだと思います。・・でも、私は、これまで、思い違いをしておりました。頼るべき時にも、自分から手を離すようなことをして・・母以外にも、私を思ってくれる人達に、悪いことをした・・と思います。どこかで、見失ってしまっていた事柄を正す機会を、テオさまは、与えてくださいました。ありがとうございます。」
「アン・サヴィーネ・・しかし、それは・・・。」
不本意な結果に巻き込まれたからではないのか・・と、言いかけたテオに、首を横にふった彼女は。
「人生に起こりうることなんて、良いことばかりではございませんでしょう?でも、その後で、吉とすることができるかは、人それぞれだと思います。私は、テオさまとなら、信頼しあって、先にすすめるかもと思いました。これも、よくある男女の出会いだったのだと、思うことにします。」
アン・サヴィーネは、ドレスの裾をつまみ、精一杯、良家の令嬢らしい、お辞儀をする。
「私の誠実を捧げ、この先の人生をあなたに委ねます。・・・いつか、この手をとることを、貴方が心から望んでくださるように。」
テオドールは、呆けたように、彼女を見つめている。
今は、帰途なので、当然、外野である、護衛の騎士たちはたくさん、まわりにいる状態だ。彼らは、
「すげ~っ!逆プロポーズ・・??」
「さすが、もと女騎士!」
「というか、今更?」
「なぜ、殿下の気持ちが伝わってないんだ???」
口々に、ほぼ、面白おかしく、野次っていたが、テオドールに睨まれて、しんと静まり返る。
「なぜ、私の思いは伝わっていないんだ・・アン・サヴィーネ。」
「テオ様。どうか、アニーと。」
親しい者が呼ぶ、その愛称を許され、テオドールは、挙動不審なまでにゆっくりとかみ締めるように、その名を呼ぶ。
「アニー。」
「はい。」
返事が返って来、テオドールは頬を赤くし、もじもじと、言葉を探っていたが、見つからず。とりあえず、互いのGoサインはでたなと、心の中でつぶやき、一つ、深呼吸をすると、ひょいと手を延ばし、アン・サヴィーネを抱え上げる。
「私も同じ気持ちなのだが、どうも伝わっていなかったようだ。なので、行動で示すことにする。」
「え・・あの・・?」
テオドールは、護衛のなかから、伝令を選び。
「しばらく、休暇をとるから、副団長にその間のことを任せると伝えろ。これから、領地の館へ急行し、滞在する。必要な使者は、随時送ってきてもかまわん。と。」
「はっ。」
伝令が、先に、発ったあと、テオドールは、アン・サヴィーネを放すことはなく、飛行箒に二人乗りで、無駄な魔力を浪費しつつも、元気に、自領の館にたどり着いた。
奇しくも、そこで、また、アン・サヴィーネは、自分の思い違いを正されるはめになるのだが、その詳細は、この話とは趣旨を違えてしまうので、語らないでおこう。まあ、・・適当に。想像にお任せいたします、ということで。
彼らが、首都に戻り、お披露目の宴が行われることには、すっかり馬鹿ップル・・もとい、おしどり夫婦が、出来上がっていた。
危機感から、前世の記憶を取り戻した時に感じた自我の喪失。この時、アン・サヴィーネは、たくさんのモノを失くし、暗い生を背負ったと思う。諦めとは違う、ありのままを静かな気持ちで受け止める。その時の、怒りや身を切るような悲しみは、今は、消え薄れ、アン・サヴィーネは、ようやく、憂いを失くすに至った。
おわり