goo blog サービス終了のお知らせ 

時の泉庭園

小説は、基本、ハッピーエンド。
話は、最後まで出来上がってからUPなので、全部完結済み。

(^◇^)・・・みん兎

エピローグ

2016-04-28 12:16:35 | I Think I‘m Lost
 決定的な何かといえば、あの一言だった。
 アン・サヴィーネの調子がすっかり元通りになり、それまで、滞在していた友人のイサベラは、自分の職場である宮殿へ戻って行った。
宮殿に戻ったイサベラは、体調が戻ったという安堵の報告に加え、根掘り葉掘り訊ねられしゃべった。どうやらテオドールが新妻に夢中の様子と判断される内容に、安心させられた皇后から、直々にイザベラにと、ご褒美まで出た。
イサベラの実家の紹介で、アン・サヴィーネに付く、信頼のおける侍女も確保でき、もとからのローズは、年齢的にも経験的にも、後から入った娘たちの教育係的立場で、公爵家のメイド頭となった。
 妹のロザリー・アベルは、侍女が補充されると、家に戻っていった。
 学院時代のもう一人の親友、ユーフェミアが、忙しい公務の合間をぬって、アン・サヴィーネに会いに来てくれたころには、テオドールとアン・サヴィーネの間にとげとげした緊張感はなく、ユーフェミアは安心して、祝いの言葉をのべて帰って行った。
 驚いたのは、祖母だ。
 ちょうど、アン・サヴィーネを心配したレザン伯爵家のサブルとレミー兄弟が、こちらへ来るのをどこで情報を得たのか、便乗し、押しかけてきた。
 いつも、礼儀の見本みたいな祖母が、アン・サヴィーネの姿をみるなり、抱きついて、号泣したのは、彼女を本当にびっくりさせた。
その時、テオドールも在宅中で、いきなりな、このお年寄りを唖然としてみている。
彼女の祖母に先をこされた、レザン兄弟は、文句のひとつも言えなくなり、積もる話をしている間、対応に困り顔のテオドールを誘い、中庭で、剣術の稽古となった。
サブルは、もちろん、レミーも、かなり、全力でぶつかり、相手を負かし、溜飲をさげるつもりが、結構、いい勝負で、まかされてしまい、力と力の勝負で、相手の本質を見極めたのか、何故か、最終的にテオドールと仲良くなってしまっていた。
二人は、殴り込みをかけようとしたレザン伯爵夫人を夫の伯爵と部下が抑えているうちに、この結果を報告し、一先ず、落ち着かせるために、とんぼ返りすることになっていた。
二人とも、男らしく、テオドールを認め、アン・サヴィーネに祝福の言葉をおいていった。 祖母は、そのまま、こちらに残った。
なんと、自分の握る財産を処分し、こちらに、移り住んだのだ。
処分し得たお金で、自分の家だけではなく、借家も数件手に入れ、アリンガムにいた頃にくらべれば、収入は減ってしまったが、アン・サヴィーネに帰る場所をつくってやるのだと、自分の持てる人脈を駆使し、行動を起こしたのには、アン・サヴィーネ本人だけではなく、この屋敷の執事まで、びっくりさせられた。
テオドールは、老いて猶かくしゃくとした、祖母の手腕に感心しきりで、あのノワール侯爵の母ということは、気にならないらしく、アン・サヴィーネも、ほっとしている。
飛行便の仲間が、一人、皆の代表でようすを見に来てくれ、受け取った手紙は、騎士団の人たちのもあり、返事を書くのも一苦労するほどだ。アン・サヴィーネは、それでも、手紙を綴るごとに、新しい生活を受け入れていく自分を感じている。
アン・サヴィーネは、テオドールとともに、帝国の西方の、アベル家の領地へ行くこととなった。
 テオドールの警備上と、日程上という理由で、空から、行くことになり、アン・サヴィーネは飛行箒で、騎士団の人たちと共に、西方へ、向う。
 飛行箒に乗るのに、ドレスというわけには行かず、飛行便士の衣装に似せた服を新調し、それを着る。飛行便士のに比べれば、無用なひらひらやリボンがついて、随分華やかだ。
 騎士団の制服の青に比べると薄い青だが、テオドールと並ぶと、対で、映える。
 何より、いつもより、輝いて見えるアン・サヴィーネに、テオドールは、ぼっと見とれ。
「そうしているのが一番、君らしく見える。こんな君が見られるなら、たまに、こうした機会を設けるか。」
 花が開いたような笑みが、テオドールに向けられた。
侍女は、あちらで、用意してもらうので、図らずも紅一点だ。
騎士団の人たちといっても、テオドールの直属の部下で普段警備をしている者のみなので、ほんの一部だ。だから、そこに、女騎士が混じっていることはなく。
もともと、それくらい、騎士には女性が少ない。
 だから、他所で所属していたとしても、アン・サヴィーネのことを知っている人たちはいた。彼らの感想は、なんだ、殿下、女騎士を選んだのか、だ。
女らしい淑女に餓えている彼らからしたら、女騎士の経験アリ、飛行便士であるというだけで、外見は、二の次になり、男らしい印象をもたれてしまう。
護衛される対象となっていても、アン・サヴィーネへの扱いは、仲間的なそれになった。
悪い印象をもたれていなかったのは、意外で、アン・サヴィーネをほっとさせた。
 正直に感想をもらしたら、テオドールに、頭をぐりぐりと撫でられてしまう。
 最近は、テオドールの彼女への扱いに、こんなコミニュケーションも増えていた。
 そんなのも、悪くないと思っていたからだろうか。・・・・・。
 まず、アベル伯爵家を訪れると、テオドールは、普通の家の青年のように、彼女の父に、求婚の許しを願い出た。
 アベル伯爵は、娘のようすに目をとめる。
「アニーは、前と少し変わったな。」
 目を細めた後、実直そうなその面をテオドールにむけ。
「アン・サヴィーネが、無事な姿を家族の前にみせてくれたのは、貴方様の機転のお陰です。この子は、子供の頃、大変な目にあってきているから、誰のそばが危険で、誰のそばが安全か、見極める力も備わっています。ですから、今、警戒を解いている、その姿が、雄弁に物語っています。許可しないのは、野暮というものでしょう。テオドール殿下、どうか、娘をよろしくお願いします。」
 頭を下げて、伯爵は、テオドールに、先を託した。
 アベル伯爵は、アン・サヴィーネに、テオドールが、帰国するアリンガムのハリー王子に要請し、彼女のノアール侯爵家からの除籍を願ったことを教えてくれる。
嫁入りしたからには、家長として、彼女に頭から干渉はできないだろうが、それでも、何かの折に、アン・サヴィーネが不利にならないようにと、持ちかけると、ハリーも思うところがあったのか、快く引き受けてくれた。
以前は、どうにもならなかった法律の問題が、今回は、アリンガム王の鶴の一声で、超法規的措置をとられ、アン・サヴィーネは、母方の伯父夫婦の娘と正式に登録され、そこから、アベル家に養女となったことにされている。
 今後は、アン・サヴィーネの記録から、一切、ノワールの名は記されることはない。
 しかし、大国の皇子の妻である、アン・サヴィーネと血がつながるという一点だけを頼りに、自分の願望を叶えた者もいる。
コンスタンシアを晴れて、妃にしたアリンガムの王太子だ。
彼は、周囲に対し、かなり、ごねまくったらしい。
王も王妃も最終的には、折れたが、盟主と仰ぐ大国に恥をかかせるところだった、コンスタンシアの父、ノワール侯爵の隠居と、臣下の総意による王の後継者の交代という自体を招いた。
王太子は、もともと窮屈に感じていたその地位をあっさり手放したらしい。
愛する人と、中央から遠い領地に篭り、幸せそうにはしていると他国にもその恋の顛末は、聞こえてきている。
ノワール侯爵だったその人も、大人しく、親戚にその地位を譲り、同じく、愛する人と別人のように、穏やかに隠居生活を送っているらしいので、今後、アン・サヴィーネと、接触することは、万に一つもないだろうが、と。
教えてくれた、アベル伯爵の表情が、少し、苦々しげなのは、自分の妻が昔、彼にされた仕打ちを思い、その相手が安穏な生活を手に入れていることには、やはり、複雑な感情が浮んでくるからだろう。
 そんな恨みはもう、一切係わらないでいいことだと、アン・サヴィーネの母が口にし、
「やっと、手放した娘を取り戻した気がします。私が、早くに、勇気を持って、ノワール家を出て実家へ戻っていたら、あの人も、意地になって、鬼の仕打ちをするようなことはなかったでしょう。アン・サヴィーネに、負担をかけることは無かったと思います。私は、いい母親ではなかったけれど、娘の幸せは、願っております。」
 幸せになるのよと、アン・サヴィーネを抱きしめて、泣く母親。
アン・サヴィーネは、生まれて初めて、無条件の親からの愛情を受け取った。
前世の記憶をひっぱりだし、代償にすることもこれからは、必要ないかもしれない。
あの時、消えたと思っていた自我は、ぶわりとアン・サヴィーネの中に広がり、主成分として、その後の生活で得た自分も融合していく。
それでいい。
人は、成長し、その経験から、自分の人生を紡いでいくのだから。
前世は前世。アン・サヴィーネはアン・サヴィーネの人生だ。
納得が得られ、完全には消えないが、はっきりとした記憶が、うっすらと隅に追いやられても、どちらも充足感を得ていた。
 どちらも、精一杯、その日を生きて来たアン・サヴィーネでもあるのだから。
 アベル家訪問から、帰る途中、テオドールが。
「アン・サヴィーネは、母親似だな。」
 という言葉に、驚き、息をつめて、彼を見つめ返し、しまいには、あまりに彼女が呼吸を忘れて、立っているので、不安になったテオドールが、アン・サヴィーネの肩をゆする。
「お、おい。どうした?しっかりしろ、息をするのを忘れてしまっているぞ。とりあえず、息をはけ。」
 吸って、吐いて・・と、間抜けなコント。
 呼吸が、もとに戻ると、今度は、ぼろぼろと涙を流す。
「あ・・ありがとう・・ごじゃいまひゅ・・・」
 いつもの、きちんとした令嬢の台詞にはならない。
 その時、その一言が、アン・サヴィーネの心につきささっていた最後の氷の棘を、溶かした。努めて自分を落ち着かせると。
「私、金髪に青い瞳でしょう?ノアール家の特徴を引き継いでいて、それが、母をいつまでも、苦しめるのではないかと・・距離を置いていました。」
 子供の頃は、確かに、顔立ちは祖母に似ていた。アン・サヴィーネは、祖母が嫌いではなったし、母には、彼女も普通に接してくれていたから、嫌な気にはならないだろうが、それでも、苦しい思い出を思い出させるようなことにはならないかと、ずっと悩んでいた。子供の顔は、二転三転と、最終的に誰似るかはわからないという。思い込みもあって、ずっと、母に似ていないと彼女は思っていたのだが。
「髪や瞳の色はともかく、アベル伯爵夫人をもっと、意思を強くしたような、顔立ちは、母親似だぞ?・・いや。たとえ、違ったとしても、アベル伯爵夫人にとってはかわいい我が子の特徴くらいのものではないかな。今日の様子を見たから、思うのだが。違うか?」
「いいえ。その通りだと思います。・・でも、私は、これまで、思い違いをしておりました。頼るべき時にも、自分から手を離すようなことをして・・母以外にも、私を思ってくれる人達に、悪いことをした・・と思います。どこかで、見失ってしまっていた事柄を正す機会を、テオさまは、与えてくださいました。ありがとうございます。」
「アン・サヴィーネ・・しかし、それは・・・。」
 不本意な結果に巻き込まれたからではないのか・・と、言いかけたテオに、首を横にふった彼女は。
「人生に起こりうることなんて、良いことばかりではございませんでしょう?でも、その後で、吉とすることができるかは、人それぞれだと思います。私は、テオさまとなら、信頼しあって、先にすすめるかもと思いました。これも、よくある男女の出会いだったのだと、思うことにします。」
 アン・サヴィーネは、ドレスの裾をつまみ、精一杯、良家の令嬢らしい、お辞儀をする。
「私の誠実を捧げ、この先の人生をあなたに委ねます。・・・いつか、この手をとることを、貴方が心から望んでくださるように。」
 テオドールは、呆けたように、彼女を見つめている。
 今は、帰途なので、当然、外野である、護衛の騎士たちはたくさん、まわりにいる状態だ。彼らは、
「すげ~っ!逆プロポーズ・・??」
「さすが、もと女騎士!」
「というか、今更?」
「なぜ、殿下の気持ちが伝わってないんだ???」
 口々に、ほぼ、面白おかしく、野次っていたが、テオドールに睨まれて、しんと静まり返る。
「なぜ、私の思いは伝わっていないんだ・・アン・サヴィーネ。」
「テオ様。どうか、アニーと。」
 親しい者が呼ぶ、その愛称を許され、テオドールは、挙動不審なまでにゆっくりとかみ締めるように、その名を呼ぶ。
「アニー。」
「はい。」
 返事が返って来、テオドールは頬を赤くし、もじもじと、言葉を探っていたが、見つからず。とりあえず、互いのGoサインはでたなと、心の中でつぶやき、一つ、深呼吸をすると、ひょいと手を延ばし、アン・サヴィーネを抱え上げる。
「私も同じ気持ちなのだが、どうも伝わっていなかったようだ。なので、行動で示すことにする。」
「え・・あの・・?」
 テオドールは、護衛のなかから、伝令を選び。
「しばらく、休暇をとるから、副団長にその間のことを任せると伝えろ。これから、領地の館へ急行し、滞在する。必要な使者は、随時送ってきてもかまわん。と。」
「はっ。」
 伝令が、先に、発ったあと、テオドールは、アン・サヴィーネを放すことはなく、飛行箒に二人乗りで、無駄な魔力を浪費しつつも、元気に、自領の館にたどり着いた。
 奇しくも、そこで、また、アン・サヴィーネは、自分の思い違いを正されるはめになるのだが、その詳細は、この話とは趣旨を違えてしまうので、語らないでおこう。まあ、・・適当に。想像にお任せいたします、ということで。
彼らが、首都に戻り、お披露目の宴が行われることには、すっかり馬鹿ップル・・もとい、おしどり夫婦が、出来上がっていた。
 危機感から、前世の記憶を取り戻した時に感じた自我の喪失。この時、アン・サヴィーネは、たくさんのモノを失くし、暗い生を背負ったと思う。諦めとは違う、ありのままを静かな気持ちで受け止める。その時の、怒りや身を切るような悲しみは、今は、消え薄れ、アン・サヴィーネは、ようやく、憂いを失くすに至った。

                           おわり

花束

2016-04-28 12:11:15 | I Think I‘m Lost
 結局のところ、アン・サヴィーネはそのまま快復にむかわなかった。
 無理をして移動した為、疲れからか、熱を出し、そのまま十日程寝こんでしまった。
 仕方がない。これも、以前、経験した。
 子供の頃、ノワール侯爵家を脱出したあの時も、アン・サヴィーネは、魔力切れで、倒れて目を覚ましたすぐあとのことだ。あの時は、その後一ヶ月、療養するはめになったから、今回は、まだ、軽い方だ。
 にっこり笑いながら、アン・サヴィーネが、そう言うと、妹のロザリー・アベルは、むっとしかめっ面になる。
「アニーお姉さま。私たちがどれだけ心配したと思っているの。皆、心配したんですからね?ここは、笑って言う話ではないですわ。どうして、泣き言なり、怒りなり、言ってくださらないの。そうして、何でも自分ひとり抱えてしまわれるから、何かの折に、長く調子を崩してしまわれるのですよ?家族なんですから、少しは、私も頼りにして下さいね?」
 ロザリーは、姉がまた、臥せってしまったと聞くや、すぐに、フォルクマー公爵邸に押しかけて来た。そのまま、看病と称し、居ついてる。彼女が連れて来たアベル家の侍女ふたりは、この屋敷でたった一人の侍女ローズの助けになっている。
「ごめんなさい・・・。」
 アン・サヴィーネがしょんぼりと謝る。
ちょっときつかったかな、と。
ロザリーは、ふう・・と大きなため息をはき、ふるふると首を横に振る。
緩やかなウエーブを描く、亜麻色の髪が揺れる。ロザリーは青い瞳、藍に近い濃い色だが、金髪にアイスブルーのアン・サヴィーネに、隔ての無い会話をしているところを見ると、ぎりぎり、血のつながりのある姉妹に見えなくもない。
 ちょうど、早い帰宅をして部屋を訪れたテオドールは、奇異な目をして、しょんぼりとしているアン・サヴィーネに出くわし、固まってしまった。
 その彼が抱えた、大きな花束をロザリーが横合いからひったくる。
「ゆりの花なんて。また、病人にこのような匂いのきついものを。」
 ロザリーは、それでも、花束を侍女が用意した大きな花瓶にいけ、部屋から、外へはださなかった。姉の座る場所からは、離して、花瓶に花の位置を調節しながら、ゆりの花をいじる。
 テオドールからは、毎日、アン・サヴィーネのもとへ、何かしら花束が届く。
 まるで、恋する人を見舞う気持ちがあふれているように、華やかになり、姉の為には、喜ばしい。欺瞞だが、たとえ、犠牲的結婚であっても、こういった、思い出のひとつもないのでは、これからの人生が寂しすぎる。
しかし、ゆりの花が、多い。
ロザリーは、実際、手渡しに来ているところを見たのは、はじめてだが、姉の病床の枕元を飾る花の、そのきつい香を使用人に、誰の見舞いだと、咎めるように問うと、いつも「殿下です。」と返って来、どうやら、彼らも、ここの主と同じく、そういうことには、無頓着なのだと、ため息をついていた。侍女のローズが飾った時は、さすがに、黙って、部屋の隅に飾って置いてある。
やっぱり、ローズ一人では、無理だ。侍女の募集は、急務だ。
姉は、まだ、そういうことを采配できるまで快復していない。
あとで、イザベラさんに、相談してみよう。ロザリーは、そう心の中で確認した。
「では、お姉さまは、ゆりの花のイメージなのですわね?殿下。」
「ああ。・・すまん。やっぱり、従兄弟のユリウスが言うように、薔薇のほうがよかったか?芳香が、リラックスできるということで、あいつの嫁が女はたいてい好きな香りだといっていたそうだ。」
「薔薇ですか・・・・。」
 ロザリーが、難しい顔つきで、花瓶から、ゆりを一本ひきぬき、くるくると手で弄び、考えている。
「だが、病人に香る花がダメなら薔薇もそうだな・・・。」
「薔薇は、棘がありますもの。嫌味で言ったのでないなら、歓迎する花ですが、確か、その従兄弟さまは、学院にいた頃、アニーお姉さまに、よく嫌味を寄越してらした殿方のうちの一人ですわ。・・お姉さまが、騎士科に所属しているからって、女性として扱わなくていいように考えていたのではないかしら。まったく。これも、あの、欲張りな、令嬢のお陰ですわ。アニーお姉さまは、悪くはないのに。」
「コンスタンシア嬢は、欲張りではない。華美は好みではなかった。純真な性格だ。」
 テオドールの言葉に、ロザリーは、内心、ふんと鼻息も荒く、言い返したい気分だ。
 彼女たち母子が、アン・サヴィーネ母子の不幸の一因であり、ノワール侯爵家から追いやる結果となったのは、コンスタンシアの意思が働いていなくても、相手の気持ちを思いやる気持ちがあれば、できるだけ思い出させないようにするほうが、思いやりがあるというものだ。自分にとっての幸せばかりを望むのは、欲張りだ。
その時の、状況下で、姉としてアン・サヴィーネを求めるたのは、是と言う返事しか求められぬのを無意識にも計算したのではないかと、ロザリーは、思ってる。
アン・サヴィーネは、たまに、淑女らしくなく、否という時は、はっきりと拒絶するので、それが、彼女の苦境となったのだが、原因をつくったのは、コンスタンシアだ。
 それに、今回のことも。
侯爵家で、大事に育てられた娘ともなれば、家に対する義務はあるはずだ。
貴族の令嬢としてしか生きていかれない彼女には、何もかも捨てて、アン・サヴィーネのように自力で市井の生活を選択するという考えは、なかったのだろう。
そのつもりなら、さっさと逃げて、侯爵家からは病死とでもすることもできたはずだ。どのみち、王太子の妃には出自がひっかかり、令嬢の適齢期をすぎる今まで、許可は下りなかったのだから、冷静にみつめれば、愛人にしかなれない。それならば、侯爵令嬢としてではなく、ただの人として、ずっと恋しい男の側にいられる。
自分なら、そうすると、ロザリーは思うのだ。
もしくは、テオドール本人に、直談判しにいく。
彼の人柄からすれば、案外うまくいくかもしれない。
泣いて、結局、自分では何も行動をおこさなかった、女のためなんかに。
コンスタンシアをあざとい女だと、ロザリーは、思ってる。
さすがに、かつて恋した令嬢を悪く言う評価を、ロザリーは、口にはしなかったが、テオドールには、アン・サヴィーネ母子のノワール侯爵邸での出来事を、この際、はっきりと認識していただくように、説明した。
ホント。こともあろうに、あのコンスタンシアの、身代わりなんて、傲腹だ。
けれど、覆せることもなく、今後次第では、姉は幸せになれるかもしれない。
しっかり、姉を守ってよという意味を含めて、ロザリーは挑戦的な目をした。
皇子に対し、まったくへりくだる気も起きない。
それくらい、腹が立ってもいる。
でも、彼女が、恐いもの知らずなのは、確かだ。
「コンスタンシア嬢のイメージも、ゆりですか?」
 ロザリーの視線が怒ったように、テオドールに突き刺さる。
 さすがに、これは、まずい。と。
 アン・サヴィーネと、ロザリーは、基本的に似たところがある。だから、その心の内もわかるのだが、今回は、客観的に見る側で、ひやりとさせられるほうだ。
 アン・サヴィーネは、慌てて、立ち上がり、妹の暴挙をかばおうとし、立ちくらみがして、ふらりと倒れそうになる。
 彼は、怒ってはいなかった。
 テオドールは、近づき、彼女を、床に倒れないよう腕に庇い、いたわりながら、椅子へと押し戻す。ロザリーは、何と言うか、アン・サヴィーネと、同じだ。
 今なら、言い分は十分理解できるので、皇子にたいする不敬を忘れていても、咎める気はない。もともと、おもねる人間は好きではない。
婚姻契約を交わした時の、アン・サヴィーネの反発も、悪くはなかった、と、彼は、頭の隅で、確認した。
「・・・コンスタンシア嬢なら・・そうだな、アネモネを贈ったことがある。ゆりの花は、何と言うか、彼女には大人っぽすぎるだろう。」
「アネモネですか・・・。」
 ロザリーの顔が、ぽかんとなる。アン・サヴィーネも、何とも、残念なものをみる目で、テオドールを見た。
赤いアネモネだったらしいから、君を愛すという意味合いだが、アネモネの花言葉全般には、はかない恋と意味もある。つい、後者の意味で解釈してしまうことを懸念する。おそらく、テオドールは、花言葉などは、無頓着だろうが、何とも微妙な選択をしたものだ。
「普通は、贈る花ではないのか?元来、私はそういうことには疎くて、わからない。いや・・あの時も、気になる女性には贈り物をするものだといわれて・・・ああ、違う。これからの、参考までに訊いておきたいだけなのだが・・・・。」
 テオドールは、言ってから、しまったと思った。
政治的なやり取りならともかく、こういったことは、苦手意識があり、遠ざけていたせいだろうか。失言をした。
 同時に反応した、ふたりの女性の彼をじっと見つめる視線が、責めているようで、背中に冷や汗を感じる。
まいった。どうして、こんなに緊張させられるのだ。
ただ、無理を強いられる彼女を元気づけたかったから、とりあえず、女の喜ぶ贈りものを贈ってみればと、考えただけなのに。
アン・サヴィーネが、臥せっているのは、心労からということも分かっているので、喜べば、単純に、元気になるかもとテオドールは、思ったのだ。
 経緯はどうあれ、夫婦となった相手を労わるのは、当然だとテオドールは、思っていたのだが、どうやら、自分の本当の願望は、違うかもしれないと、自覚を持つ。
 これは、政略結婚とも言えるものであったはず。
 この間、彼女のあらゆる反応を我が物にしたいと思ったこと然り。
 今、怒ってはいないし、感情は、浮んではいないが、自分を観察するような視線の奥の彼女の気持ちが、ひどく気になることといい、これは、政略などではなく、気持ちの伴った関係になりたいのだと気づき、テオドールは、今、内心、焦りまくっている。
「殿下は、女ぎらいだと噂がありますけれど、そう言えば、コンスタンシア嬢には、少し、違いましたわね。いえ、別に責めているわけではありません。ただ、不思議に思っただけですの。屋敷にいる使用人すら、男ばかりでしょう?」
 まっすぐに向けられたアン・サヴィーネの視線は、静かなものだ。
 怒らせたわけでは、ないらしい。
「テオでいいと言っただろう。アン・サヴィーネ。」
「・・はい。テオさま。」
 アン・サヴィーネは、親しい者のみが使用する名を口にしただけなのに。
テオドールには、知らず、口角が上がっている自覚がある。
 何てことだ。宮廷に今、流布している話と同じく、手違いで連れて来られた相手に、あっさりと陥落してしまったとは・・・。
しかし、アン・サヴィーネにとっては、迷惑な気持ちなのではないか。
テオドールは、コンスタンシアを好ましく思っていたことの言い訳をする。
「コンスタンシア嬢は、皇子である私に、女の媚を見せることはなかったからな。そういう意味で気に入っていたのだが、同時に、もうすでに他の男に思いを寄せていたのを知っていたから、どうこうする気は全く無かった。だから、本当にこの結婚話は、無しにしてくれるよう、画策してきたのだ。痺れをきらした母が、あのような手段にでるとは、私にも予想外だったのだ。アン・サヴィーネには、申し訳ないと思っている。」
「・・・・・・・・・。」
「それというのも、私が、普段から、使用人すら男ばかりに囲まれていたせいで、周囲にいらぬ誤解を与えていたからだろう。皇宮住まいだった頃、私の皇子という地位を目当ての女の誘惑はよくあったのだが、行き過ぎた者がいて、直接、寝室まで押しかけてくる女もいたのだ。ちょうど、兄の妃が決まり、他に年の近い弟たちが、さっさと相手を決めてしまったこともあり、残った優良物件とばかりに、狙いを定めた令嬢が、メイドに扮して、部屋に勝手に入り、ベットに横たわり待っていたりしたこともあった。そんなハイエナのような女は、論外なのだが、以来、身の回りには、女の使用人も置かないことにしたのだ。」
テオドールには、少年時代から、武に長けた、荒々しいイメージがあった。どうやら、肉食系イメージを、持たれたらしく、それを恋愛にもその趣向を持つと、女たちは、勘違いしたというのもあったようだが、行き過ぎた誘惑の向うに、打算が透けて見える女ばかりで、テオドールは辟易していた。
そういう意味で、コンスタンシアは、一種の清涼剤だった。
「まあ・・それは、お気の毒でしたね。」
「そんな女ばかりではないのだがな。・・そう、アン・サヴィーネもだ。今、私に向けている君たちの視線。ロザリーと、血は繋がらないが、二人は、姉妹なのだな。」
 どちらも、彼に、どう対応していこうか、冷静に観察している。
だが、幼子のように、純真で、人の好意を信じて疑わないコンスタンシアのものとは違う。彼女たちのものは、極めて大人な見極めのできるそれだ。
アン・サヴィーネは、一人の女性として、彼女から、相応の好意を得られれば、互いに並んで、この先歩んでいくことのできそうな女だ。
 テオドールは、アン・サヴィーネなら、相手を誘惑する媚を浮かべても、歓迎するかもしれないと思ってしまった。否。して欲しい。・・・・。
 アン・サヴィーネとロザリーが、互いに目を見交わし、ふふと笑っている。ロザリーが、
「ちゃんと、姉妹に見えるというなら、嬉しいかぎりですわ。私、お姉さまから、お母様を奪ってしまったんじゃないかと、ずっとそれだけが気にかかっていました。再婚して、私のお母様になってくださったけれど、お姉さまは、当時、国に残ってしまわれたから、その代わりもあって、私一人、母親の愛情を独り占めしてしまって悪かったと思っております・・・ですから、気安く頼ってくれるようにと、お姉さまが、こちらへ来られてから、本当の姉妹になりたいと、できるだけ、その隔てを無くしたいと常々思っておりました。殿下。ありがとうございます。」
ゆりの花言葉は、純潔・・。無垢なイメージを持つその花を結婚式のブーケに用いることも多い花で、そこから、プロポーズの言葉とともに、贈ったりすることもある花だ。楚々とした、その白い花弁は大輪でありながら清楚である。
ロザリーと、同じく、姉、アン・サヴィーネも、しっかりしすぎているきついイメージをもたれることがあるというのに、この殿下には、可憐なこの花にふさわしく見えているらしい。
今まで贈られてきた花は、皆、テオドール自ら、花屋に寄って、買ってきたものだという。そのこと事態も、驚きだ。まあ、合格ね、と。ロザリーは、口角を上げる。
 手に持っていたゆりの花の一本を、アン・サヴィーネに示し。
「最近、花好きの魔導師が特別な手法を編み出して、花を生花のように加工して、ずっと長く飾れるという、造花店を開いたというのを聞きましたの。せっかく、求愛の象徴をいただいたのですから、記念に、ひとつ、髪飾りにでもしましょう。お姉さま。」
 お二人だけにして差し上げますわ・・と。
ロザリーは、ゆりの花を持ち、部屋を出て行った。
「やれやれ・・ようやく、悪者扱いをやめてくれるようだな。」
「あら?じゃあ、私も、そのような目で見ていたと言ってらっしゃるの?」
 隣に座ったテオドールが、彼女の手をとる。
「違うのか?宮廷で会った時は、アン・サヴィーネは、怒っていた。そのせいで、あの魔力を抑える拘束具が外れたのだろう?加害者側である私を怒っていないはずはない。」
 確かに、愛しい人のための選択で、勝手に自分の人生をゆがめた決定をした彼に、怒りを感じた。
けれど、冷静になって考えれば、自分だって、守りたい人たちの為に、肯いたのだ。
「あれは、癇癪ですわ・・。私、実の両親の鬼気迫る関係を子供のころ見ていましたから、ノワール侯爵令嬢から解放された時、政略とは無縁になったと思っておりましたし、将来、もし、結婚するのなら、互いに、好ましく思いあえる人としようと思っていました。まさか、実の両親と同じような関係になるおそれのある方となんて・・と、どうしようもない苛立ちをおさえられなかったのですわ。」
「アン・サヴィーネは、今も、怒っているのか?」
 彼女の手を押し頂き、隣に座ったテオドールの目は、すがるようなようすを浮かべる。
 まるで、捨てられた子犬のような表情。
 テオドールは、いくつも年上で、周囲から結婚を焦る様にと心配される、いい大人なのに、アン・サヴィーネは、一瞬、かわいいと思ってしまった。
 短期間ではあるが、テオドールが、彼女を大事に扱う気持ちは、伝わっている。学院時代の悪印象は、なりを顰めていた。
 アン・サヴィーネは、ゆっくりと首を横にふる。
 その時に、浮んだテオドールのほっとしたような、嬉しさが滲んだ笑みを向けられ、どきりとした。
「テオ様には、とても失礼でしたわね。あなたは、ノワール侯爵のような卑怯な性格ではないもの。きっと・・その・・一度受け入れると決めたら、誠実に対応する、それだけの心の広さと度量をお持ちなのですわ。」
「アン・サヴィーネ・・・。」
 少しだけ、彼女が歩み寄ってくれたのがわかる。
 テオドールが、彼女の手にキスを落とす。アン・サヴィーネは、心臓が撥ねる音を聞いたが、彼は、すぐに、彼女の手を解放した。今、どきどきは、おやすみのこめかみに落とすキスよりも、振幅の幅は大きい。
 この後は、侍女のローズを呼び、お茶を淹れさせたテオドールとアン・サヴィーネは、一定の距離を保ち、ほとんど、会話も無く、過ごした。
 結局、お休みの時と同じく、この手にするキスも、テオドールは、アン・サヴィーネのもとを訪れる度にするようになり、習慣とともに、彼女を大いに戸惑わせた。
 しかし、また、降って湧いた危機だと思ってたものは、今度は、アン・サヴィーネに優しい。

転機

2016-04-28 12:07:47 | I Think I‘m Lost
 宮殿を辞去したのは、日が暮れて夜になってからだった。
 すでに、一日経った今、宮廷には、情報が駆け巡っている。女嫌いの殿下が、身内の騙しうちで、妻を娶ったこと。それが、当初用意された女ではなく、手違いで別人が来てしまい、どうなるかと衆目の目の前で、一目で彼女を気に入った皇子が、てきぱきと婚姻届にサインし、あっさりと陥落してしまったこと。しかし、間違いでわけもわからず、連れてこられた女は、心労で倒れてしまった事等。一体、どういうことなのだろう?昼間は、皇帝一家の元に、興味津々な、末端貴族まで、祝いに託寄せて、真偽を確かめようと、ぞくぞくと詰め寄せた。
アン・サヴィーネをそんな衆目にさらさない為に、テオドールは、早いうちにと宮殿を辞去することにした。ふらふらで、まだ、歩けないアン・サヴィーネを自身が抱き上げて、馬車に運ぶ。夜、人目は少ないとはいえ、女嫌いで有名な皇子が彼女を大事そうに抱えている姿は目撃され、宮廷内に、それもまた話題を振りまいた。
馬車は、宮殿を中心に放射状に広がる街の道を外へ向って走る。宮殿の近くの貴族たちの邸宅の立ち並ぶ静かな一角をすり抜け、意外にも、その外縁の、商家の金持ちの家がたち並ぶ一角でも、端に近い、雑多な店がある辺りに程近い場所に停まった。
フォルクマー公爵家の屋敷は、言われなければ、貴族の屋敷と気づかない。両脇を壁と壁がくっついた商家に囲まれた四階建ての建物だ。
通りに面した建物の真ん中に馬車が潜り抜けられる門が直接備えられている。その門をくぐると、中庭があり、その向うにもう一つ、四階建ての建物があり、そちらの上階が、プライベートスペースだった。表の建物は、公的な応接間と、テオドールに仕える騎士たちが雑居している。アン・サヴィーネは、当然、奥の建物の最上階に運ばれた。
「アン・サヴィーネ。腹はすかないか?」
 テオドールは、アン・サヴィーネをリビングの椅子に座らせ聞いた。
「いえ・・食欲はありませんが、それでも何か食べた方が、回復は早いですね。」
「そうだな。それでは、ここで食事にしよう。簡単なものでいいな。」
「・・・・・・・。」
 テオドールは、部屋に従ってついてきた執事を振り返る。
「かしこまりました。すぐ、ご用意させていただきます。その間、奥さまの侍女をお借りいたしたく思います。当家には、従僕しか存在しませんので、今後のこともございますし、早めに打ち合わせをいたしたく思っておりますので。」
 執事は、侍女のローズを連れてでて行く。
友人のイサベラは、宮殿務めなので、アン・サヴィーネの侍女扱いではなく、客分として、客間に案内されていく。イサベラは、アン・サヴィーネの容態がこのまま回復に向ったと確認できたら、報告を持ち、職場に戻ってしまう。
てっきり、一人の食事かと思いきや、二人分が運ばれてきて、テオドールと向かい合い、沈黙の食事が続いてる。
野菜を細かく刻んで、クネルを浮かべたスープ。
酢キャベツと肉を煮込んだ皿と、大きなライ麦パンが真ん中に盛られた籠。
アン・サヴィーネに向かい合う彼は、栗色の髪に、濃い緑の瞳という色彩に、高い鼻梁にキレの長い目と、整った顔立ち、薄い唇が上品さを演出している。まさに、王者の家系という品のある容貌をしてはいる。けれど、顔だけは、皇子様然としているものの、髪は短く、前髪もきっちり後ろに撫でつけ、整え、騎士の正装を乱すことなく、兵たちのお手本のように、身につけている。背が高く、大柄で、全体的な印象は、無骨だ。
剣を扱う手にふさわしく、節くれだった大きな手が、器用に、小さく肉を刻み、洗練された動作で、口元に運ぶ姿は、アンバランスだと、アン・サヴィーネは、思う。
テーブルの上のメニューは、食欲のない彼女に合わせたものだろうが、テオドールには、質素すぎないのだろうか。・・・・・・。
しげしげと、彼女が物言いたげに見ているので、テオドールが視線をこちらに向ける。
「どうした?令嬢には、質素すぎたか。だが、回復したばかりだ。これぐらいで、ちょうどいいんじゃないか?」
「いえ。私も自分のお給料でやりくりしていますから、同じような内容で、十分、おいしくいただいております。ですが、騎士団に在籍し寮生活していた時、食堂では、男性たちは、もっと、沢山の量を食していたと、記憶しています。殿下は、あの・・足りるのですか?」
「テオでいい。・・・普段から、こんなものだから、足りる。」
「そうですか・・・。」
 そこで、会話は続かず、居心地の悪い静寂を感じながら、アン・サヴィーネは、食事を続ける。手はとめないが、気になるので、見ていると、もくもくと食事を摂る彼は、パンにレバーペーストを豪快に塗って、次々、口にしていく。山盛りのパンが、無くなっていき、彼の側に置いてあるワインボトルから、グラスに注がれた酒も、ボトルが空になるほど、飲み干されてく。
ザルだ・・・・。テオドールは、全く、顔色も、姿勢も崩れていない。
酒がもったいないと、アン・サヴィーネは秘かに思う。どうやら、夕食は、食事より、酒の方が主であるようだ。
「あの・・これからのことですが。」
「心配するようなことはない。安心して、この屋敷で自由にしているといい。」
「いえ。そうではなく。私、飛行便士をしていまして、今、ちょうど、休暇は終わってはいませんが、このまま、行方不明になるわけにも行きませんし、借りている部屋のこともあります。」
「部屋?伯爵邸から、通っていたのではないのか?」
「ええ。アベルの父は、よくしてくれますが、あまり迷惑をかけたくないのと、私自身、自立して生きていきたいと思っておりましたから、一人暮らししております。」
「・・・・・・・・・。」
 テオの濃い緑の瞳が、一瞬、戸惑いを浮かべる。そのあと、アン・サヴィーネをじろじろと見るので、彼女は、居心地悪くなり、誤魔化すように食後に出された甘いミルクティーを飲む。
「よく、家を出て、娘の一人暮らしなど、許されたな。仲が悪いようには思えないが・・。」
「思えない・・とは?」
「うむ。君の兄と妹だというアベル伯爵家の兄妹が、アン・サヴィーネが臥せっている間に、私のもとに、真偽を確かめにやってきた。いや・・抗議しに来たと言ったほうが近いか。兄の方は、もの柔らかい質疑だったが、妹のは、直截だった。物凄い剣幕で、姉を返せと抗議してきた。兄の質疑も、口調はともかく、返せという意思がはっきりと現れていた。」
 アベル伯爵は、普段は領地にいるが、アン・サヴィーネにとり、血のつながらないこの兄妹は、首都に住んでいる。アン・サヴィーネと彼らは、学院時代、アベル伯爵家所有の部屋で、一緒に生活していた。アン・サヴィーネと、彼らは、もちろん、仲はいい。
 この兄妹に報をもたらしたのは、どうやら、宮廷に出仕する伯爵家にゆかりのある役人だ。領地にいる伯爵とはすぐに連絡をとれないので、首都住まいの息子に問い合わせたらしい。それから、連絡をくれた彼も、情報を集め、アン・サヴィーネが、職務中に捕らえられて連れて来られ、本人は不服そうだったということも、後から、付け加えた。それで、兄妹は、慌てて、テオドールのもとへ、すっ飛んできたのだろう。普通なら、皇子に面会を申し出る手順を踏まなければならないのに、訪ねていってあっさりと通されたのは、もちろん、皇子の妻の、アン・サヴィーネの身内と認識されていたからだ。
 アベル兄妹がテオドールのもとへやって来、まず、開口一番、「姉を返してください。」と、彼に詰め寄ったのは、兄の制止を振り切った妹だ。その妹は、アン・サヴィーネとは、一才違い。淑女科に在籍していたが、もちろん、学院でのようすは、すでに卒業していた兄よりもよく知っている。テオドールの仕打ちは、姉と共通の友人を通し、聞いていたから、彼が、アン・サヴィーネに酷い仕打ちをするのではないかと、真っ青な顔色で詰め寄ってきた。兄に、宥められ、その兄は、テオドールに謝罪を述べた後、身内のあずかり知らぬこの縁談は、本当のことだろうかと、質問してきた。テオドールが、質問に答え、婚姻に至った経緯を話し、本来なら、犯罪まがいの被害者なので開放すべきところだが、アン・サヴィーネ自身が、アリンガムの王族と縁戚関係にあるフレーベル公爵家の血を引いていたため、あの場を、両国に遺恨を残さず収めるのに、適当な人物であり、代役を引き受けざるを得ない状況だった、と、説明した。もちろん、ノワール侯爵の実の娘ということは大きな原因だ。
 それに対し、アベル兄は、幼い頃から家庭的に苦労してきた妹には、父伯爵も自分も、政略結婚など、普段から望んでいなかった、と、苦い表情を一瞬垣間見せた。けれど、さすがに、国家間のやりとりを覆せることでもないことを貴族の彼は、わかってい、テオドールに、どうか、妹に辛くあたることだけはないようにお願いしますと頭を下げた。
 テオドールは、この時はすでに、初対面の時の印象と違うアン・サヴィーネを知ってしまっていたから、無論、そんなことはあり得ないと肯いた。
「アベル兄妹には、アン・サヴィーネの身内になるのだから、屋敷にも会いに来てくれと言っておいた。」
 テオドールの話に、アン・サヴィーネが、ぽかんと口を開けてきいている。
 めずらしい、間抜けな表情に、テオドールも、言葉をとぎらせ、じっと見つめ返す。
 アン・サヴィーネは、やっと、それと気づき、慌てて、誤魔化し笑いをする。
 驚いている。いや、本当に。
 皇子殿下に物申すということが、アベル兄妹にとり、危険だったということは、本人たちにも、重々わかっていたはずだ。それでも、抗議してくれたということが、アン・サヴィーネの心を軽くしてくれる。うれしいという気持ちが、湧き出て、愛想笑いの下から、つい、本音の表情を引き出してしまう。
 アン・サヴィーネの泣き出したいような、笑いたいような表情。どっちにしたいのか、結局、彼女は、笑うことにしたようだが、充足感の伴う笑顔に、テオドールは、物も言えず、魅入られてしまっていた。
 臥せって眠る彼女の目の端にみとめた涙も。
 全部、我が物にしたい。そんな欲求が浮んでしまったテオドールは、内心、愕然としてしまった。自分に媚びない女に、どうすればいいのだ。と。
「・・・そうだな。事後承諾にはなってしまうが、父上、母上には、私の予定を調節次第、ご挨拶にうかがうと、申し訳ないが、アベルの兄上に先に、使者として、領地へ行ってもらった。二人で、訪れるから、職場にもその時、挨拶をすればいいだろう。退職のことは、明日、首都の飛行便本部の会長を通じて、先触れさせておく。」
「・・・・・・・。」
 テオドールの印象が、違ってしまったようで、アン・サヴィーネは、訝しく思ったが、これからの予定のことを言われ、そちらに気がいって、深く考えることはしなかった。
「君の生い立ちについて腑に落ちないこともあるのだが、まだ、無理はしない方がいいだろう。必要なことはおいおい訊くことにする。今日は、もう、休め。」
 アン・サヴィーネが、肯くと、テオドールは、執事と、侍女のローズを呼び、アン・サヴィーネが休む仕度をしろと命じ、自分は、部屋を出て行った。
 入浴を済ませ、着替えたアン・サヴィーネが、ベットに入る頃、テオドールが戻ってくる。
「ゆっくり、休め。」
 彼はそれだけを言うと、アン・サヴィーネのこめかみにキスを落とし、部屋をでて行く。
お休みを言う為だけに、戻ってきた・・・?
まるで、親しい、大事な人のようにするみたいに・・・。
アン・サヴィーネは、彼の豹変に、戸惑いを隠せない。
この眠る前の儀式は、その後も、続いた。


またも、生命の危機・・

2016-04-28 11:46:36 | I Think I‘m Lost
 一体どうなっているのか。
嫌だと思っているアン・サヴィーネでさえ、常識を疑ってしまう、異例の結婚式だ。
 王族でも何でも、一旦、花嫁は花嫁側の親族とともに、控え室で待つというのに、いきなり、案内されたのは、皇帝一家のプライベート空間だった。
 謁見室でもない、広間。皇帝一家が、普段親しい親族や臣下も含めてだが、彼らとの憩いの場所であるその部屋に、皇帝一家、重臣、真ん中に仏頂面の花婿が立っている。
 そこに、花嫁側であるアリンガムの王族の第二王子、宰相、外務大臣、その関係者もいる。到着した花嫁をみると、ほっとした表情で、第二王子ハリーが、花嫁のもとにやってくる。
「すまない。コンスタンシアの気持はわかるが、これも、貴族の家に生まれた者の定めだ。兄上とのことは諦めてくれ。」
 ささやきが耳に入り、アン・サヴィーネは、はげしく首を横に振る。
 踵を返し、逃げようとし、拘束具の反発にあい、逆に体中、縄がしまったような感覚に、襲われ、それでも抵抗し、とうとう、床に倒れてしまった。
「大丈夫か?」
 ハリーが、花嫁の横に膝をつき、起こそうとする。
 向うから、テオドールも駆け寄ってくる。
「・・・・っ!」
 う~・・と、声にならない声をあげ、苦しむ花嫁に、訝しく覗き込み、そのベールを取ったのは、テオドールだ。
「君は・・!」
「アン・サヴィーネ・・?」
「どういうことだ!?」
 別人が現れたのだ。この反応は、当たり前だろう。
 アン・サヴィーネがしゃべろうとすると、息がつまる。赤いのを通り越し、顔色が白くなっていく彼女の異変に気づき、テオドールが、その場にいるはずの、魔導師を振り返る。魔導師の彼は、促されるまま、アン・サヴィーネの喉元をゆびさすと、「サイレント解除。」と唱える。指先が一瞬、緑に輝くと、アン・サヴィーネの喉に急に空気が通った感覚。
 他者がかけた魔術を解くには、余程、力のある魔導師でないと出来ない。
さすがに、大国の宮廷内だ。
「ごほ・・っ。手紙・・を・・届ける・・途中で・・ノワール・・侯爵につ・・捕まった」
 急に空気が肺に達したので、言葉をつむぐのが辛い。アン・サヴィーネは、げほ、ごほと、しばらく、咳き込んでいる。
「・・ハリー殿下。ノワール侯爵の勘違いで・・これは、国家間の争いになりますか?コンスタンシアの具合がよくなくて、取り合えず、ベールを被り、この場をのりきり、あとで、彼女を連れてくると、約束するのではいけませんか?」
 のぞきこんでいる、ハリーとテオドールにだけ聞こえるような小さな声で言う。
 白い顔。心細げな瞳。
 さすがに、アン・サヴィーネも、命の危機を予想し、普段の冷たい仮面が剥がれている。
 初めてみる彼女の表情に、ハリーは、愕然としている。
 ノワール侯爵の勘違いとはいったが、本当のところは、違うだろうと、ハリーは、悟る。
 難しい表情をしていたテオドールが、突然、表情を笑顔に作り変え。
「アン・サヴィーネ。間違いなどではない。君は、侯爵とは仲たがいしていると聞いていたから、彼も手荒に扱ったのだろうが、娘をよろしく頼むと、連絡はもらっている。」
 広間中に、聞こえるように、大きな声で言ったテオドール。
「テオドール殿下?」
「テオドール皇子?」
 アン・サヴィーネと、ハリーが、驚愕の表情で、彼を同時に見た。
 テオドールは、小声で応える。
「私も望みもしなかった婚姻が、原因で、国家間の争いになるのは、不本意だ。アン・サヴィーネも、ノワール侯爵が罪に問われると困るだろう。ここは、大人しく、私に従え。」
 ここに来たのは、アン・サヴィーネの意思ではない。
テオドールは、西師団へ行った朝、彼女が職務についていたのを目撃している。
彼が、見たこともない生き生きした表情。
アン・サヴィーネが、現状に満足して生活しているのが感じられた。
だから、彼女の言ったことに嘘はない。
いつもの、彼なら、公爵夫人の地位に目がくらみ、不仲な父親でもそそのかされて、その気になり、相手の同情を買う為に演技しているのかもしれないと、曲解していたかもしれない。けれど、つい最近、すれ違った彼女の表情が、本当だと直感する。
「・・・愛する方も罪に問われますものね。でも、どうして、私が、それを庇わねばならないのですか。」
 ぎゅっと唇をかみ締め、テオドールを睨みつける。
 この反抗的な態度は、やはり彼女だ。
テオドールは、不利な状況でも、決して屈服しないアン・サヴィーネを知っている。
テオドールは、口角をあげ、にやりといった笑いを浮かべる。
 つい、アン・サヴィーネをみると、いじってやりたくなる。
 すると、彼女は、瞳に反発の色を浮かべ、テオドールの目を真っ直ぐに見返すのだ。
「アリンガムには、私も守りたいと思う方々がおります。ですから、今は、テオドール殿下の仰せに従います。けれど、ノワール侯爵家には、これっぽちも、その気持はございません。今後一切、彼らの接触がないと、私に確約してください。一年ほどしたら、自由にしてくださるとも。でなければ、ここで、すべてをぶちまけます。」
 テオドールの真意がわかり、それが、アン・サヴィーネの中にある怒りのポイントにヒットし、カチンと来た彼女は、思いっきり、脅すような言葉を返してしまった。
 テオドールは、厳しい視線を返す。
「文句を付けられる立場か。アン・サヴィーネ。」
「愛する方のためですもの。承知なさるのではなくて?」
「・・・・・・。」
 彼らのやり取りを見ていたハリーが、アン・サヴィーネの目を見、
「アン・サヴィーネ。君が引き受けなければならないことではないと承知しているつもりだ。けれど、私は、王子として、やはり、君に頭をさげなければならないと思ってる。国のため、引き受けてくれないか。」
 いや、しかし、この構い方は、テオドールがアン・サヴィーネを嫌っていたからではないのではないか?この話を勧めないという選択肢は、政治的にないが、それでも、彼女にとっても、悪い結果にはならないのではないかと頭の端でハリーは考える。
双方が上手くいかない結果にしかならないなら、政略も意味はなく、反って、悪い結果を引き出すかもしれないと、ハリーは思っている。
が。今しがたのテオドールの反応が、小さい男の子が気になる女の子を苛める、それとよく似た印象を受けてしまった。
彼女は、まったく、気づいていないが、学院でのことも、このような雰囲気だったのかもしれない。アン・サヴィーネには悪いが、彼に預けてしまえば、悪いようにはしないだろうと、話を纏める方向へ促す。
「・・・・・・・。」
 アン・サヴィーネの脳裏に、アリンガムでの親しい人たちの顔が浮ぶ。
アベル伯爵家にしても、この帝国の臣下である以上、皇子を拒めば、立場上困ったことになるかもしれない。
 どうしよう・・・。
 命の危機にあった10歳のあの時、蘇った記憶は、今は、もう、役に立たない。
普通の一般市民の感覚は、役に立たないからだ。色恋のとばっちりで、修羅場といえば、言えるのだが・・・。
 じりじりと、焦りが渦巻く。テオドールの強い刺すような視線に、びくりとなる。
 アン・サヴィーネは、仕方なく肯く。
 なぜ、自分が・・・。境遇のため結婚は、あきらめていたが、でも、もしも、できるなら、愛する人と互いに思いあい、子供たちとにぎやかな毎日を送るような日々を夢見ていた。それは、蘇った記憶も同じ物を望んでいるから、より、強く憧れるのかもしれないが。
「よし、誤解は解けたようだな。」
 テオドールが、周囲に聞こえるように言う。
 アン・サヴィーネを立たせ、ファルケンベルク側の人間が立っているほうへ、引っ張っていく。
「テオドール殿下・・その女性は。」
 コンスタンシアとアン・サヴィーネを知っている人物が、不審な目で、こちらを見ている。皇帝の甥、ユリウス。彼も、かつて、コンスタンシアを慕っていた人物だ。だが、コンスタンシアが別の男を選んだので、そのまま、友人の立場に戻り、学院卒業後は、決められた婚約者と結婚し、すでに、妻帯している。自分よりも、失恋が尾を引き、もともとの女嫌いに輪をかけてしまったと思っている従兄弟を案じていた彼が、うっかり、息子のことを心配する皇妃に、済んだ話をしたのが、今回の発端だ。
 ユリウスは、純粋なコンスタンシアが、従兄弟を癒してくれると、この結婚を祝福していた。それが、何の間違いか、あの、冷淡な女を連れているのだと、疑惑に満ちた目で見ている。
 アン・サヴィーネは、うっかり、睨み返してしまわないように、俯く。
「父親のノワール侯爵が、勘違いしてくれてよかったよ。」
「は?勘違い?」
 ユリウスの、わからないという表情。
「どういうことだ。」
「どういうことです?」
 皇帝も皇妃も、状況が読めず、思わず、疑問を口にしてしまっている。
「ノワール侯爵の娘と聞き、彼は、残っている方の姉、アン・サヴィーネのことだと思ったようです。国のためならと、家長として承知したものの、色々、事情があり、長年、不仲だったアン・サヴィーネに、そんな願いを口にしたところで、聞いてくれるはずはないと思いつめた彼は、策を労し、彼女を捕らえ無理やり、この場に放りこんだということです。・・・良かったといったのは、私にとってということですよ。妹の方ではなく、アン・サヴィーネが来ましたからね。」
「まあ。あなたが、この話を渋っていたのは、その妹がくると思っていたからなの?」
「ええ。そうです。」
「そう・・それでは、そのお嬢さんなら、良いという事なのね。では、そのお嬢さんとなら、今すぐにでも?」
「先ほど、いきなりここへ連れてこられた彼女の疑問も、解きました。両国のためということで、今のところ、彼女も承知してくれています。私も、逃がすつもりはありませんから、彼女の気の変わらぬうちに、さっさと、契約を交わし、あとは、ゆっくり、くどくことにいたします。父上。母上。祝福していただけますか?」
「ええ。もちろんよ。あなたが、女嫌いを返上した方ですもの。」
 皇妃は、はればれとした表情だ。隣の皇帝は、いつもと違う息子に驚き、黙って、やり取りを聞いていたが、妻に促され、
「ああ。いいとも。はやく。進めなさい。」
 と、周囲を促した。
 花婿が拒否していた為、教会でもなく、豪華なお披露目があるわけでもなく、ただ、皇帝の目の前で、婚姻届にサインするだけの、まさかの、地味婚だ。
 内密の式の準備も、発表の準備も、ことごとく、事前に察知し、邪魔をした皇子殿下。
 今回、テオドールを騙して、この場に呼び出すのが精一杯だったのだという。
 それでも、後日盛大な式をと、うきうきとその準備の話をしている皇妃と、臣下たち。
 婚姻届に名を書きいれ、ふと、隣を見上げた時の、アン・サヴィーネの目に映ったテオドールの厳しい表情に、胸が冷え、理不尽な目にあっているのは、自分の方なのにと、怒りが再燃した。その怒りが、魔力をともない、暴走しそうになり、慌てて、拘束具へ意識をむける。ぱきっと、周囲の人の耳目を集め、アン・サヴィーネの腕から、真っ二つに割れた腕輪がはじけ飛ぶ。
 大理石の床に落ちた、腕輪。
「あら嫌だ。今頃、拘束具が壊れるなんて、遅いわ・・。」
 思わず呟く。
 波を打ったように、静かだった衆目を集め、アン・サヴィーネは、ごまかすように、苦笑を浮かべた。そうだ。私は、承知してはいないのだ。
静かに、挑発的な視線をテオドールへ向ける。
 いらっとした表情のテオドールが、彼女の腕を強く握る。
「アン・サヴィーネ・・?」
 腕を握る力よりも、体から力が抜けていく方が問題だ。
 アン・サヴィーネは、魔力を使いすぎ、くらくらと、意識が途切れていくのを自覚しながら、何とか立っている。
 衆人のなかから、魔導師が、床に落ちた割れた拘束具を確かめている。
「かなり、強い設定になっておりますな。これを壊すなんて、何て無茶なことを・・。」
「わけもわからず、捕まり、拘束具を嵌められたので、逃げられるように、今朝からずっと意識を集中して、何度も切断を試みていたのですわ。さっきの入室の際、抵抗した時に、完全に壊れて腕に引っかかっていただけなのでしょうね。」
 そういうのがやっとで、アン・サヴィーネは、ぐらりと肢体を揺らし、とうとう意識を失った。彼女の体が床に叩きつけられることはなく、テオドールがしっかりと抱きとめる。
「医師を。」
 テオドールに抱き上げられたアン・サヴィーネは、すぐに用意された客室に運ばれ、そこで、手当てを受ける。
 アン・サヴィーネは、その後、急速に体温を失っていき、一時は危なくなったが、持ち直し、今は、ぐったりと眠り続けている。
「ともかく、危険な状態は脱しました。目を覚まされたら、しっかり栄養を取らせて、しばらくは、安静に過ごすように。」
 前半は、付き添うテオドールに、後半は、世話をやく侍女たちに、医師は、そう告げて、出ていく。
アン・サヴィーネの青ざめた白い顔。
テオドールの知る、冷淡できつい性格の女は、今、どこにもいない。
閉じられた目の端に、浮んだ涙の粒に、手を延ばし、拭う。
「かわいそうに・・・。」
 呟いたのは、この部屋に運び込まれたあと、自薦で、看病を申し出てきたこの宮殿で侍女をしている女だ。イザベラという名の侍女は、学院時代、アン・サヴィーネの友人だったと名乗った。剣術の科目にも顔を出していたので、テオドールも、知っていた為、回復するまで彼女に介抱を頼むことにした。
「不仲とは聞いていたけれど、ここまで、酷い扱いを受けるほどとは、思わなかったわ。」
 部屋には、もう一人、侍女がいる。
 アン・サヴィーネに付き添い、宮殿につき、控え室で、待っていた侍女のローズは、外の廊下が騒がしくなったのを訝しく思い、様子を見に廊下に出てみれば、テオドールに抱き上げられ運ばれていくアン・サヴィーネの姿を見つけ、慌てて、後を追いかけてきた。
 主が運び込まれた部屋の外で、どうしたものかと、うろうろしていたところ、イザベラに問われ、事情を話した。ローズが、アン・サヴィーネの害にならない人物と判断したイザベラは、彼女も連れて、この部屋の扉をたたいたのだった。
 処置が終わり、後は、回復を祈るばかりになり、その間に、ローズから、詳しく、ノワール侯爵のようすを聞き、イザベラは、腹を立てた。
「あのような恐ろしい方なら、お嬢さまが、避けていたのは、当然だと思われます。」
「そうね・・・。」
 ローズの感想に、アン・サヴィーネの冷たすぎる手を擦ってやりながら、イザベラは肯く。
「学院で、コンスタンシア嬢を拒絶したことから、冷たく高慢な令嬢だと、誤解をした人が多くて、アン・サヴィーネは、苦労していました。けれど、彼女の立場に立ってみれば、ノワール侯爵家には一切係わりたくないという気持ちは、私たち友人には、分かっております。実際、アン・サヴィーネが、母親の友人の手を借りて、家を出なければ、自分たち母娘の命は危なかったと言っていました。そんなことがあっても、自暴自棄にならず、努力を怠らない彼女は、尊敬に値すると思っておりました。夢を叶えた彼女のことを、喜んでいましたのに・・・。」
「努力家なのは、認める。」
 イザベラのぼやきに、テオドールが、ぽつりと呟く。
 イザベラが、驚いている。
「殿下は、誤解なさっている仲間かと思っておりました・・・。」
「正妻と愛人の子が仲良くなれないのは、仕方がないことだとはわかっていた。だが、あの時、アン・サヴィーネが、あまりに冷淡にはねつけた為に、よからぬことを考えた奴はいた。授業で、問題を起こさせないために、組ませる相手も、公平な者を選んだのだ。たまたま、上位の者ばかりだったが、彼らとは上手く人間関係を築けていたようだから、牽制にはなっていた。彼らを相手に諦めて手を抜かない、アン・サヴィーネを見ていれば、嫌な奴じゃないのは、徐々に理解したつもりだ。どうやら、そのせいで、私に阿った他の教師たちによって、苦労していたようなのには、私も、頭を抱えた。」
 彼女が、それによって、授業を落とすことがないようにと、それだけは、手を回しておいた。一年の約束だったのを引き伸ばし、居残っていたのは、理不尽すぎることが立て続けにあり、気になって、結局、卒業まで、居残っていたのは、コンスタンシアとの時間を持ちたかっただけではない。今、彼女の事情を知るとともに、それだけしかしなかったことに、申し訳なくも思っていると、テオドールは、正直に認めた。
 当然のことながら、今回のことは、コンスタンシアのノワール侯爵家を助ける為の偽装だと、イザベラは、察している。テオドールには、アン・サヴィーネを恋する要素が全く感じられないと知っているからだ。
「そんな非難の目を向けなくても、アン・サヴィーネに、辛くあったたりしない。幸せにする。」
「贖罪のためなら、それは、無理ですわ。彼女の望むものが与えられるかどうか、それが鍵だと、私は思います。どうか、アニーのことをこれ以上傷つけないようお願いしますわ。」
 それから、眠り続けるアン・サヴィーネの側で、黙って、必要な世話を続けるイサベラ。
 テオドールは、押し黙り、しばらく、アン・サヴィーネの顔を見つめていた彼。
「少し、用を思い出した。彼女の世話を頼む。」
 思いつめたような顔で、立ち上がり、テオドールは、部屋を出て行った。
 アン・サヴィーネが、目を覚ましたのは、翌日のもう、日が暮れかかる頃だった。

悪意

2016-04-28 11:43:02 | I Think I‘m Lost
 ぱっちりと目を開ける。
 見慣れぬ天井に、左右を確認する。
「ここは・・・」
 昨日の出来事を思い出したアン・サヴィーネ。
 レモネードを飲み、眠り込んでしまったアン・サヴィーネが、目を覚ましたのは、朝。
 今、横たわっているベットで、目を覚ますと、彼女の世話兼見張りの女が、部屋の椅子に座っていた。誘拐でもされたのかと、アン・サヴィーネは、部屋の様子をさぐったのだが、天蓋はないものの、柔らかい寝具に広いベットと、取り囲む家具類は、月日を経た重厚な輝きを放っている。犯罪に巻き込まれたにしては、豪華な部屋だ。
 目を覚ましたアン・サヴィーネに、気づくと、女は、慌てて、ドアを開けて廊下へ飛び出していく。
 アン・サヴィーネが、ベット脇に腰掛ける。
 何だか、まだ、頭がくらくらする。あの、ジュースは、睡眠薬入りだったのだ。
 逃げ出すチャンスもなく、扉が開かれ、入ってきた人物を見、アン・サヴィーネは、自分の命は風前の灯なのかと、危機感に身を固くした。
 ノワール侯爵。アン・サヴィーネが、二度と係わりたくない実の父親。
 おかしい。彼のほうも、娘には会いたくないはずだ。
「喜べ。お前に、縁談がある。高貴な方からの申し出た。ノワール侯爵令嬢として、相応しい装いで嫁ぐといい。」
 まるで、かわいい我が娘に言うように、笑みを浮かべている。
 言われている内容も、飲み込めない。
アン・サヴィーネは、とっさに、言葉が出ず、ゆっくりと瞬きをし、内容を頭の中で反芻する。ノワール侯爵は、どうせ、また、よからぬことを考えている。
とんでもない爺さんとか、嫌な性癖の持ち主とか・・・・。普通の貴族の令嬢を貰えない彼らに宛がおうとしているのか?
さては、借金でも作ったか。それとも、政治的に失敗する弱みでも握られたか。
変だ。・・・・。ノワール侯爵は、確かに嫌な奴だが、残念ながら、仕事など公のことは、大過なく過ごす人物で、その為、伯父も徹底的にやりこめられず、苦々しい思いを抱いたはずだ。
「私は、もう、ノワール侯爵家の人間ではありませんわ。アベル伯爵家のお父様の計らいで、アベル家の者として、ちゃんと、この国の戸籍がございます。私の嫁ぎ先、云々を言う権利があるのは、アベルの、お父様です。あなたに、決定権はございません。」
「お前は、所詮は、血のつながりのない娘ではないか。」
「血のつながりですって?あなたは、それを嫌っているくせに!」
 アン・サヴィーネは、ベットから立ち上がり、出て行こうとする。
 だが、とたんに体が金縛りにあったように動かなくなる。
 ぐっと、体中が拘束されているような感覚。
 ノワール侯爵がすかさず、アン・サヴィーネの左腕を掴み、掲げる。
「持ち主の意に従わぬことをしたら体が動かぬようになる拘束具だ。お前は、無駄に魔力があるから、抑制力を上げたら、随分と、高くついた。」
 アン・サヴィーネの表情が、真っ青になる。ノワール侯爵は、満足げに、そのようすを見、掴んだ腕を上へ吊り上げるように、もう片方の手で、彼女の細い首を掴む。
「家長に逆らうことはならん。今回の縁談は、国益を含んでいる。貴族令嬢として、従うのは当たり前のことだ。それに、相手の方は、アベル伯爵とて、反対はせぬだろう。臣籍に降りたとはいえ、自国の皇子だからな。ノワール侯爵家の令嬢を、と言って来た。」
「それは・・コンスタンシア嬢に来た話ではありませんの?」
 アン・サヴィーネは、驚愕の表情を浮かべる。
 昨日の朝、飛行便の先輩から聞いた噂。あの人が相手なら、アン・サヴィーネではなく、コンスタンシアのことを指しているはずだ。
 ノワール侯爵もはじめ、アリンガム王からその話を聞いた時、コンスタンシアを思い浮かべた。もちろん、彼にとって、かわいい娘は、一人しかいないからだ。娘は、王太子と恋仲だが、彼女が出生時、私生児であったため、正式な妃と認められるのに難航している。そこへ、降って湧いたような良縁の話に、彼は、深く考えずに肯いてしまった。
 コンスタンシアは、それ以来、部屋に閉じこもり泣き続けているという。
 ノワール侯爵も、そこで相手の皇子のことが気になり、プライベートを詳しく調べてみた。彼は、女ぎらいで、屋敷におく使用人すら、女をおかず、男色の疑いがあるという。
縁談は、本人の意思ではなく、周囲の願望からでたものと判明した。
 ノワール侯爵は、コンスタンシアに対しては、負い目もある。
 かわいい、かわいい娘には、幸せな結婚をして欲しいと思っている。そんな、相手とは、もっての他だ。そこで、彼は、詭弁を思いついた。
 王は、コンスタンシア・ノワールを・・とは言わなかった。
「どうして、私が、尻拭いをしなければならないの・・っ!放してっ!こんな馬鹿げた話が通るはずはないでしょうが・・っ!」
「黙れ・・っ。」
 ぐっと、アン・サヴィーネの細首が絞められる。
 彼女の顔色がみるみる赤くなり、白くなっていくと、部屋に控えていた従者と、女が慌てて、ノワール侯爵を止める。
「閣下。お嬢さまが亡くなられては、元も子もありません!」
「旦那さまっ。お嬢さまに何かあっては・・・っ!」
 二人の制止の言葉に、侯爵は、力を緩め、アン・サヴィーネの体を突き放す。
 どさっと、後ろのベットの上に投げ出された。
「あちらは、ノワール侯爵家の娘をお望みなのだ。妹のコンスタンシアは、すでに、アリンガムの王太子と婚約が調う直前なのは周知の上のことだ。私が、残っている方の娘だと思って当然のことではないか。出来損ないの娘には、過ぎた幸運だと、二つ返事をしたと言っても、おかしくはないことなのだ。」
 アン・サヴィーネは、自分と同じ金髪の男が、顔を歪ませて見下ろしているのを、薄れ行く意識の中で、ぼんやりと、見ていた。
 気を失い、目を開けた時には、ノワール侯爵も従者も、部屋には見当たらなかった。
 気遣わしそうに、覗き込んでいた女の顔。
 監視役のはずの彼女が、どうしてそんな表情をしているのだろう。
「気づかれましたか?まだ、体を動かさないほうが宜しゅうございます。お医者様を呼ぶことは禁じられておりますから、どうか、お式が終わるまで、ご自愛くださいませ。」
 そうして、女は、頭を下げた。
「申し訳ありません。私、お嬢さまのことを誤解いたしておりました。」
 女は、ノワール侯爵家の事情を良く知らず、今回のために、新たに雇われたのだと語る。
 アン・サヴィーネのことを不良娘のように聞かされていたらしい。
 その不良娘が、政略結婚を嫌がり、妹がいるから彼女に代わりをさせるといいと書置きして、家を飛び出し、男友だちのところを転々と逃げていたと、説明されていたらしい。
 そんな素行不良の娘でも、差し出さなければ、国と国の間に、不和を招いてしまう。
 ノワール侯爵は、策を高じ、やっと娘を連れ戻し、式当日まで、彼女に見張りをつけ、監禁しておくことにしたのだと言ったらしい。
 反抗的な不良娘でも、やはり、侯爵にとっては実の娘に違いない。一人の侍女もつけず、あちらへ遣るわけにもいかない。又、不出来な娘が困ることのないように、公爵家の妻としてフォローしてくれる従者が必要なのだと、ノワール侯爵は、涙すら浮かべたそうだ。
「・・こんな、おそろしい企みだったなんて、私は、知らなかったのです。」
 女は、以前、アリンガムの王妃の実家で王妃の妹にあたる令嬢の侍女をしていた。結婚で辞めてしまったのだが、夫を早くなくし、遺された子供たちを養う為、子供たちを老いた両親に預け、また、メイドの仕事に戻ることにし、伝を頼り、条件のいい働き口を探していた。ノワール侯爵令嬢が、隣国の皇子に輿入れするため、相談役になりそうな落ち着いた年齢の侍女を探していると聞き、募集に応じた。
 そこで、侯爵から事情を聞かされ、彼女は、アン・サヴィーネのことを、なんて不届きな令嬢だろうと思ってしまった。
「事情は、先ほどのやり取りで、私が間違っていたのだと、理解しました。ですが、お嬢さま、あんな恐ろしいお父様に、逆らってはいけません。ここは、式まで我慢して、ご夫君の庇護のもとに過ごす方がいいかと思います。」
 式当日に、違う女が現れたらそこで、大騒ぎになるだろう。罪を問われ、一族の破滅。ノワール侯爵は、自業自得だが、アン・サヴィーネは、完全なるとばっちりだ。
 事情を説明すれば、公平な王者なら、アン・サヴィーネは、釈放されるだろうが、何せ、彼女に悪印象を持つ、テオドール皇子だ。その後ろの皇帝の怒りを思い、アン・サヴィーネは、暗澹たる思いだ。それを、説明しようと口を開く。
「・・・っ!」
 話せない。話そうとすると喉がつまる。
「お嬢さま。無理なさってはいけません。話せないようにと、ノワール侯爵がおよびになった魔導師が、このように指をさして、サイレントと呪文を唱えておりました。」
 女は、自分ののどを指で指す仕草をしている。
 サイレントと言ったなら、沈黙の魔術だろう。
 今、逃げないと、自分も彼女も危ないと説明できず、アン・サヴィーネは、表情を暗くさせた。
「お嬢さま。私は、ローズと申します。経緯はともかく、お嬢さまには、誠心誠意お仕えいたしますので、どうか、ご安心くださいませ。」
 ローズは、アン・サヴィーネが、不安そうにしていると思っただろう。
 彼女に、アン・サヴィーネの懸念を推し量れというのも無理な話のようだ。どの道、行動を抑制させる腕輪のこともある。この拘束具を何とかしなければ、逃げきれるかどうか怪しい。
 騎士団に所属していた頃、仲間のふとした雑談で、先輩で警邏中に拘束され、拘束具を嵌められた話を聞いた。その先輩は、体の内側の魔力を腕輪に集中させ、壊して逃れ、事なきを得た。安物の拘束具の魔力設定が低かった為で、今の状況とは違うが、アン・サヴィーネも、やってみようと思う。
 アン・サヴィーネは、腕に、意識を集中した。
 びりびり・・腕に意識を集中させる度、反発を感じる。それでも、何回か、諦めずに、繰り返す。侍女のローズには、気づかれぬように少しづつ。気づかれても、彼女はもう、悪いようにはしないだろうが、彼女の態度から、他に気づかれてもいけない。
 当日。何とか、周囲の警戒の緩む隙を見て、保護してくれそうな人のところへ駆け込むつもりだ。宮殿には、政略なのだから、きっと、アリンガム王国からも、何人か、要人が来てるはずだ。花嫁と現地合流らしいから、彼らは、おそらく、何も知らないのだろう。花嫁が、別人と知ったら、その後は、彼らが奔走してくれる。他国籍になるアン・サヴィーネは、せいぜい、事情聴取はされるだろうが、ノワール侯爵家の凋落には関与しないで済むだろう。
 アン・サヴィーネは、懸命に、危機を回避しようと努力する。
 侍女のローズが気を利かせて、食事を用意してくれた時も、体力勝負と、食欲のわかぬ中、無理やり、全部を腹に押し込んだ。
 それから、また、集中作業に入ろうとしたら、ローズ以外の女たちが、ずかずかと乱入し、部屋に、白いドレスとベールを運び込む。
「?」
 訝しげなアン・サヴィーネを他所に、女たちは、彼女の衣装を脱がせ、白いドレスに着替えさせた。髪をセットし、ベールをかぶせられ、豪奢な花嫁の出来上がりだ。
 時刻は、夜だ。
 夜会なら、この時刻もあり得るが、聖堂で愛を誓う結婚式は、太陽の昇っている時刻に行われるのが常識だ。
 仕度が終わり、ノワール侯爵が入室してくると。
「せいぜい、婿殿の顔色をうかがって、大人しく過ごせば、生かしておいてもらえるだろう。テオドール皇子のもとへ、行け、アン。」
 そう命じると、アン・サヴィーネの体がふらふらと、前に歩き出す。
 ふらふらするのは、彼女が抵抗しているからだ。
 その歩みに、侯爵が顔を歪ませるのを察し、侍女のローズが、慌てて、アン・サヴィーネの体を支えた。
「まだ、調子が戻らないのですね。私が、介助いたしますわ。」
 ローズは、これ以上、侯爵を怒らせてはなりませんと、小さな声で忠告してくる。
 アン・サヴィーネは、仕方なく、それに従い、玄関を出たところに止めてある馬車に乗る。アン・サヴィーネと、ローズしか乗っていない馬車の中で、懸命に、腕輪に魔力をぶつける。
 アン・サヴィーネの努力もむなしく、馬車は、無情にも、宮殿についてしまった。


飛行便・・・2

2016-04-28 11:41:39 | I Think I‘m Lost
ファルケンベルク帝国の首都、
 目的の屋敷は、郊外に建っていた。
 ずいぶん、人気の少ない邸宅だ。
 長いこと、人が住んでいなかったような雰囲気で、訝しく思い、アン・サヴィーネは、そこに入る前に、隣家の裏側にまわり、ちょうど、お使いにでようとしたメイドをつかまえ、隣家のことを訊ねる。
 こうした用心を怠らないのは、高額の金を支払う金持ちの犯罪に巻き込まれないためだ。飛行便士は、屋敷内へはいるので、怪しいと感じたら、引き返し、最寄の支部へ相談するようにと、先輩から教わる事柄だ。
 お隣は、街中から静かな場所を確保するため、郊外の空き家を手に入れた、隠居夫婦だそうだ。
「ああ、そう息子さんらしき人が昨日、訪ねて来たのを見かけたよ。お供の使用人も多くって、あの様子だと、結構偉い人かもしれないね。」
「そうですか・・。それなら、変なお宅じゃないですね。人気の少ないお屋敷だったものですから、女性の飛行便士の指名も気になって、一応、用心の為に確認したかったのですわ。変なこと訊いて、すみません。ありがとうございます。」
 ポケットから、チップを探り、渡そうとすると、メイドは、首をふり。
「ああ。いいですよ。そんな。若い娘さんが、用心するのは当然ですよ。」
 アン・サヴィーネは、配達の手紙を持ち、そのまま、隣家の裏口から、声をかけ、屋敷の主人へ飛行便の手紙があることを伝えてもらう。
 戻ってきた使用人に案内され、玄関ホール付近に置いてある壁際の長いすに座って待つように言われ、そこに座した。
 使用人がぶっきらぼうに、トレーに載ったコップを長いすの空いてるスペースに置く。冷えたレモネードを入れてくれたようで、アン・サヴィーネは、遠慮したが、あまりに長く待たされるので、手持ち無沙汰で、レモネードに手を延ばす。
 こく・・っ。酸味が、喉を潤す。
 ほっと、重苦しい雰囲気が、レモンの爽やかさで、軽くなる。
 同時に、疲れを感じた。
 このお屋敷は、何か重苦しい。病人でもいるのかしら・・?
 それにしても、遅い・・・・・。
 ふうとため息を吐くと、アン・サヴィーネの体から、力が抜けた。
 そのまま、目が開けていられなくなり、長いすに座ったまま、後ろの壁にぽすんと凭れかかり、眠ってしまう。
 頃合を見計らったように現れた人。
 アン・サヴィーネは、その場所から、運び出されていく。
 彼女が、気が付いたのは、その日の、翌朝だった。

飛行便・・・1

2016-04-28 11:36:49 | I Think I‘m Lost
朝だ。
気持ちのいい朝。
アン・サヴィーネは、ベットから飛び起きる。
季節は、夏に向う途中、そよ風が心地いい季節。
窓を開け、風を部屋に呼びこむ。出勤前に窓を開けて部屋の空気を入れ替えておくのは、最近の習慣だ。歳月の経った木の床、部屋は寝室に当たる小部屋とリビングを兼ねたダイニングキッチンに、水周りがあるだけで、お嬢さまであるアン・サヴィーネがこれまで生活したことのないような質素な部屋だったが、自分の力で借りた部屋だ。
アン・サヴィーネは、念願だった飛行便で働いていた。
 彼女は、今、満面の笑みで満足そうに、自分の城を見回し、小さなキッチンで目玉焼きとベーコンを焼き、皿に葉野菜のサラダを添える朝食を手早く作ると、ダイニングにある一人掛けのソファに腰かけ、食事をする。食卓と椅子は、部屋が狭い為、どちらを優先するか迷ったすえ、母の再婚先の義理の家族がちょくちょくここにやってくるので、応接セットを優先した。継父は、騎士団に就職した時も、アベル家から、通えといってくれたのだが、夜勤もあるのでと、アン・サヴィーネは、独身寮に入り、そこで仲良くなった先輩の伝で、ここを借りることになった。
この生をうけてからはじめて、毎日が、満たされた思いで、過ぎていく。
年齢的にも、大人と扱われる年になり、社会人経験が三年ということもあり、前世の記憶の影響で、周囲の子供と馴染みにくかった感覚がなくなったせいもあるだろう。
今は、楽に呼吸ができる。そんな感じだ。
 今日の勤務が終わったら、しばらく、休暇がとれる。そのまま、伯父のフレーベル公爵を訪ね、寡婦となりノワール侯爵家から追い出されるように、王都の片隅で世話役のメイドと二人住まいの祖母を見舞う予定だ。アン・サヴィーネは、厳しいけれど、彼女の生命を守ってくれた祖母のことは、感謝しているので、時々、侯爵には内緒で、様子を見に行っていたのだった。どうやら、祖母は、自分が管理している町の借家のわずかな収入で生活しているようであり、侯爵は母親を放置したまま、一切感知していないので、祖母が寂しがるようなら、もう少し広い場所を探し、呼び寄せてもいいかとも思っている。
 久しぶりに、長い休暇を取れることが出来たので、仕事を終えたら、その足で、故郷へ向うことにしている。
 アン・サヴィーネは、部屋を留守にしてもいい状態に整えると、飛行便の制服に着替え、部屋をでる。
 通いなれた道を行く。
 飛行便の事務所は、帝国騎士団西支部のある敷地のすぐ隣だ。
 転職後も、同じルートであるため、前の職場の人とも出会う。互いに挨拶をかわし、すれ違っていく。
「アニー。今日の夜、食事でもどう?」
 青い騎士団の制服を着た人たちに声を掛けられる。アン・サヴィーネと仲のいい人たちだ。
彼ら騎士団に対し、飛行便は、グリーンの上下。高価な飛行便を使う人は、貴族も多く、普通の郵便ではなく、屋敷に通され、直接手渡すので、見苦しくないように、男性は、クラバット着用。数少ない女性も、同じように、薄いクリーム色のブラウスの襟にリボンをクラバットのかわりに結び、ジャケットは、短め、スカートはさすがに不都合があるので、バルーン状のキュロットで一見細身のドレスのスカートのように見えるものを着用している。騎士団の時は、男のものと同じ制服だったが、飛行便に変わってからは、女性らしくみえると、本人たちにも周囲にも、概ね公表だ。
声を掛けてくれたのは。入団当時、いかにも、お嬢さま然とした外見の彼女に偏見の目を向けなかった気のいい人たちで、彼らが何かと声を掛けてくれたので、周囲もすぐに彼女を受け入れてくれた。感謝している。彼らは、彼女にだけ親切なのかというとそうではなく、騎士団も飛行便も女性が少ないので、彼女たちは、もれなく、世話になるのだが、アン・サヴィーネは、特に、馴染めなさそうに見えたので、手間をかけさせた部類だ。
「ごめんなさい。今日仕事が退けたら、そのまま、故郷まで旅するから、行けないの。」
 飛行許可をとってあるので、明日にというわけにはいかない。
「何だ。残念。今日は、王都の本部から人が来て、その人たちと、合コンなのに。すっごいイケメンばかりだ。アニーで釣って、二次会に持ち込もうと思ってたのに。」
 と、その中の一人が言う。もちろん、生物学上は、男。
「嫌だ。私なんかで、男の人が釣れるわけないじゃないじゃないですか。つんとしてて、生意気とか、影で言ってる人多いの知ってるでしょう、先輩。」
 アン・サヴィーネも、異性というより、同性の先輩感覚で話す。イアンという名の彼は、女性を付き合う相手に選ばない種類の人間だ。彼とその仲間は、概ね、同じ趣向の同志なのだが、とはいえ、おおっぴらに職場の人間に誘いをかけるかというと、そこのところは、節度を守っている。彼らなら、男女のトラブルになることはなく、その性癖を知る上司から、利用されて、騎士団に新人の女子が入ってきた時には、彼らに教育係や、先輩として世話を焼くようにと任されるのだ。そんな中でも、アン・サヴィーネは、他国の高位貴族出身で、西師団の管轄であるこの地方で、有力貴族の義理とはいえ、令嬢であり、書類上では、とりわけ、要注意人物として見られていたようだ。通常より大目のお目付け役を言い渡された先輩たちとは、今では、同期の子たちを含め、飲みに行ったり、仲のいい、友だち付き合いをしている。上部の大げさな配慮だったが、お陰で、孤独を感じることもなくなったので、ありがたく思っている。
「また、そんなことを言って、壁をつくる。きちんとしたアニーのことが好きって男も結構いるのだから、たまには、目を向けてみなよって、いつも言ってるだろう。今回は、中央のエリート集団が主だから、もし、付き合うことになってもアベル伯爵も反対するような家の男はいないから、安心だと思ったんだが。」
「父なら、私がいいと思ってる相手なら、身分は気にしないと言っていますわ。・・でも、正直、子供の時に、実の両親の鬼気迫る関係を見ていたので、結婚どころか、お付き合いするという気にもなれないというのが本当のところですの。お友だちなら、歓迎します。けれど、今日のところは、本当に、参加できないんです。しばらく様子を見にいけなかったので、祖母を見舞ってやらないと。休み明けに、あちらで今流行ってるとかいう、チュロスという揚げ菓子を差し入れに行きますわ。」
 そう言って、イアンたちに、手を振り、飛行便の社屋に向う。
 向う途中で、上を見上げたら、箒に乗った騎士の一団が眼に入る。
 ちょうど、向こうは着地の体勢に入っていて、高度を下げている途中だ。
 あれが、イアンが言っていた中央のエリート集団か・・・と。アン・サヴィーネが、見るともなく見ていたら、ちらりと、こちらに視線を向けた人がいる。
「え・・?」
 集団の中心人物だ。
 アン・サヴィーネにとって、まさかの人。出来れば、一生お目にかかりたくない、剣術講師だった男。異母妹、コンスタンシアがお気に入りだった、現皇帝の次男、テオドール・ヴィクトア・フォルクマー公爵。地位が高く、当時も軍での仕事も忙しかった彼が、学院の一講師を引き受けていたのは、ひとえに、お目当てのコンスタンシアを見るため、気まぐれに講師を引き受けていたからだ。
 アン・サヴィーネは、慌てて、貴人への挨拶の礼をする。声がかかるような位置ではないが、視線を伏せ、できるだけ、じぶんだとわからないようにする。
「ええ・・っ!うっそ、今回の合同演習って、エリートが来るって聞いてたけど、皇子殿下直属の集団じゃない。結婚準備が忙しい、この時期に、殿下もまじめな方だねえ。」
 飛行便の先輩がいつのまにか、側に来ている。
「アニー、どうしちゃったの?がちがちに緊張しちゃって・・こんな遠いところで、きちんとしなくっても、咎められたりしないと思うけれど・・。」
「あ・・そうね。そうよね。」
 ほっとした後輩に、先輩は、よしよしと飴を渡す。
「あ、先輩。結婚準備って、何ですか?」
「知り合いから聞いたんだけど、女ぎらいで有名な殿下を心配して、周囲が世話を焼いて、やっと、殿下の好みの女性と、結婚することになったんですって。アリンガム王国のノワール侯爵の令嬢ということらしいけれど・・。そう言えば、アニーの生まれた国は、アリンガムだっけ?知ってる?」
「ええ・・。」
 この先輩とは、年が離れているので、人気者だったコンスタンシアのことは知らない。ノワール侯爵家のことも、ここでは話していないので、アン・サヴィーネとは、関係があるとは、考えもしていないようすだ。
 それに、安堵し。
「確か、アリンガム王国の王太子と恋仲だったはずですが・・・。」
「貴族のお嬢さまって、政略なら、従わざるを得ないんじゃない?アリンガムより、ファルケンベルクの方が、強国だもの。」
「そうですわね・・・。まあ、執着があるなら、大事にはするでしょうから、コンスタンシア嬢も不幸にはならないでしょう。」
 アン・サヴィーネは、考えても仕方がないことなので、そんな感想で留めておく。
「執着って・・・もう少し言いようがあるでしょう。あれ・・?そういえば、アニーたちの代って、殿下が剣術指導じゃなかったっけ?」
「ええ。私は、本当に弱かったですから、最低の生徒として扱われました。そのせいで、バツも多かったですし、ダメな生徒として、覚えてらっしゃるかもしれません。」
「ああ~、なるほど・・。さっきの緊張はそれかあ、納得。末端の私たちが、お会いすることもないから、構えなくても大丈夫よ。じゃ、早く、仕事で、町を出ちゃいましょうか。」
「はい。」
 アン・サヴィーネは、先輩にうながされ、カウンターへ向い、受付の人から、配達の手紙類の有無を問う。そこで、首都へ運ぶ手紙と東の方へ運ぶ手紙とがあり、知人からアン・サヴィーネが感じがよいと聞いたので、是非にという注文がついていたので、その二つを受け取り、二箇所まわるだけで、時間を要するので、戻ってこずに、そのまま直帰すると、伝えておく。
「わかりました。アニーさんは、明日から、休暇ですね。楽しい休日を。」
「ありがとうございます。それでは、行って参ります。」
 アン・サヴィーネは、まず、首都を目指す。
 意気揚々と空へあがると、眼下に騎士団の敷地が目に入り、彼らが中央のエリートたちに見守られながら、模擬線をしているのが目に入る。
テオドール殿下が、剣を振るってる姿をみとめる。もともと、そういうのが好きなのか。学院へ来てたのも、コンスタンシアに会うだけが目当てというわけではなかったのかも。と。いきいきと、参加している姿が確認でき、アン・サヴィーネは、ぼんやりと考える。
 ふと、彼が顔をこちらに向けそうな気配がし、アン・サヴィーネは、慌てて、そこから、急速離脱していく。
 風の抵抗が、心地いい。知らず楽しげな表情を醸し出している、その姿を、テオドールが、見ていたのをアン・サヴィーネは、気づかず、その場を離れた。

学園で・・・2

2016-04-28 11:30:31 | I Think I‘m Lost
足早に、廊下を立ち去りながら、アン・サヴィーネは、これから、やりにくくなると、心の中で、ため息をつきたくなる。
 コンスタンシア個人の感情を害したくらいでは、別に、何かがあるわけではない。彼女は、小意地の悪いお嬢さまではないし、せいぜい出くわすたびに、互いに、気まずい思いをするくらいだろう。けれど、彼女のお友だちたちは、どうだかわからない。
 まるで、悪役令嬢だ。
 あれじゃ、物語のラストで、悪役令嬢をつるし上げる場面に見えただろうな。
 何も、知らない、食堂に来ていた人たちの目には、へりくだるべき自国の王族がいたにもかかわらず、生意気な反応しかしなかった自分は、さぞかし、悪役に見えただろう。
 こりゃ、無理無理にも、涙を浮かべて、自分の境遇を訴え、相手の反応を待たず、駆けさるべきだったか。
 けれど、前世の自我のせいで、取巻く彼らは、子供に見え、全く、恐いとも何とも思わなかった。修羅場なら、経験した覚えがあるせいか、あんなのは、大したことはない。
 それが足をひっぱって、年頃の女子らしい反応を示せなかったのは、失敗だ。
 これが尾を引き、学院にいづらくならなければいいが。
 貴族出身の男の子たちは、魔力あるなしに係わらず、ほとんどが騎士科に一旦在籍する。どうしたって、アン・サヴィーネと同じ、学科にいることになる。同学年ばかりではなかったが、多くの人に影響力のある、さっきの男の子たちは、アン・サヴィーネに悪い印象を抱いたままだ。
やれやれ・・・暗澹たる思いで、アン・サヴィーネは、廊下の大鏡の前に立ち、ポケットから髪を結ぶ紐を出し、月のしずくのような金色の髪をひとつに手早く纏める。
淡い金髪、アイスブルーの瞳。白い肌には、そばかすもなく、ぱっちりと長いまつげに彩られた涼しげな目もとに、鼻も口もバランスよくおさまった顔は、人形めいている。
美人だからいいと言うモノではないのだな。
そう心の中で呟く。前世の自分は、確か、平々凡々、可もなく不可もなく。失恋して、もっと綺麗だったら・・とか、思ったものだ。死の直前にも、傷つけられる出来事があったばかりで、強く、そんな拉致もない恨みごとを抱いたせいだろうか。
こんな人生に放りこまれたのは・・・。
ここまで、整った容姿は望んではいなかった・・というか、これなら、平凡な人生のほうが、幸福を享受していたのだと、今なら理解できる。
その、おぼろげな遠い記憶を懐かしむ。普通の親子、兄弟関係の記憶を引きずり出し、残った子供のアン・サヴィーネの心を温めてやる。そうしないと、融合した今も、消えてなくなりそうなほど、弱弱しい存在なのだ。
あ、そう言えば、失恋のきっかけは、容姿よりも、きつい性格だった。普段は、それほどではないけれど、一度、カチンときてしまうと、徹底的に受け入れない。そういう強情さが、面倒だと告げられた。
やっぱり、このアン・サヴィーネの人生を生きる為には、少し、弱い自我をひっぱりだし、たまに前面に立たせることもしたほうがいいのかも・・・。
食堂での、人の反応を思い出し、アン・サヴィーネは、悩む。
「アニー。大丈夫?」
 さっきの一件を聞き、探してくれたのだろう。仲のいい、友だちのユーフェミアとイザベラが声を掛けて来た。彼女たちは、魔力持ちを公にしてい、騎士科の科目をとる珍しい部類の令嬢仲間だ。ユーフェミアは、ブラーノという王国の二番目の王女さまで、イザベラが、この国の伯爵家の出だ。二人とも、淑女科というほとんどの令嬢たちがいるところに在籍しているが、魔力持ちを明らかにしているので、騎士科の科目をとらなければならない。あまり運動神経には恵まれていないので、いつももたもたしていて、アン・サヴィーネが、何故か、面倒をみることになり、それがきっかけで、信頼できる友人となった。
 もちろん、二人は、アン・サヴィーネの事情を良く知っている。
 だから、あんなところで声をかけたコンスタンシアに、腹を立てている。
「心配してくれてありがとう。この先、社交界へでることはないから、私は、評判が悪くなったって、平気。大丈夫だと思うわ。」
「アニーったら、人がいいわね。そのつもりだったら、どうせなら、ノワール侯爵のことぶちまけてやればいいのに。そうすれば、あの女のほうが、印象悪くなるわよ。あんなに信奉者の男がいるんだから、多少、恥をかいても、あの子が、困ることはないでしょう。まるで、女版ハーレムみたいで、いやらしい子だわ。」
 イザベラは、コンスタンシアを嫌っているので、そう非難する。
 ユーフェミアは、それに苦笑をうかべ。
「コンスタンシア嬢が直接何か言ってくることはないと思うけれど、あの場にいた騎士科の人たちは、随分と剣呑な表情をしていたわ。究極のお坊ちゃまが多いから、中には、自分の考えを押し付ける傲慢なタイプもいるでしょうし・・アニーに辛く当たる人が出るかもしれないわ。」
 ユーフェミアの国は、ファルケンベルクを取り囲む小国のなかでも、とりわけ、弱小国なので、王女さまではあるが、目線は一般人のようだ。彼らが、権力を嵩に、友人に嫌がらせをしないか心配している。
「まあ。いくらなんでも、プライドがあるから、女を殴るとか、そんなことはしないでしょう。孤立を心配してるなら、あまり、今と状況は変わらないし、気にしないことにするわ。ともかく、最終的に飛行便に就職できて、自立できたらいいのだし、騎士団になら、つてもあるから、あの人たちと上手くいかなくても、影響はないでしょう。それより、私と仲良くしてて、あなたたちは、大丈夫?」
「何言ってるの。私があなたのこと見放すとでも?」
「そうよ。へんな遠慮しないでよ。・・それに、私たちは、淑女科だから、影響はないわ。あのね。コンスタンシア嬢は、目立つから、彼女を好ましく思わない人たちもいるのよ。」
「・・そうなの。」
 まあ、あれだけ男の取巻きがいれば、確かに、女の子どうしの中では嫌われるだろう。素直で純粋培養のコンスタンシアは、自分の思いを優先させて、さっきは声をかけたのだろうが、人の耳目を集めるあの場で、断りにくい状況をつくったあざとい奴だとか、悪くとる人もいるだろう。と。
 学院で、完全に孤立することはないだろうとわかり、アン・サヴィーネは、気持ちが楽になる。
「ユーフェ、ベラ、ありがとう。気が楽になったわ。さ、次の授業に遅刻しないように、校庭へ向かいましょう。」
 アン・サヴィーネは、この一件で、心安い友人を得たが、その後、学院生活は、あまり、楽なものではなかった。この後、出た剣術の授業に、遅刻すれすれで駆け込んだために、講師の先生に目をつけられた。
その日は、授業は受けられず、バツとして課された走りこみをずっとやらされ、暑い日差しに倒れたアン・サヴィーネを軟弱な奴認定し、その後の授業では、強者の練習相手と組まされて、アン・サヴィーネが負けるたび、バツを言い渡され、難癖を付けられた。はじめの走り込みのとき、淑女科だという理由で、ユーフェミアとイザベラは、すぐに、許されたから、アン・サヴィーネを狙ったものだろうと、気づいたのは、医務室で、起き上がれるようになってからのことだ。
そういえば、あの講師も、あの場で、コンスタンシアの側で見ていたな・・と。
ふん、ロリコン・・と、アン・サヴィーネは、心の中で悪態をつくことで、溜飲をさげたが、前任者であった講師が病気療養のため、臨時で引き受けたその講師は、結局、アン・サヴィーネが卒業するまで、学院に在籍していた。
その講師が、影響力のあるカリスマ性を備えていたせいだろう。彼の生まれ持つ権力に阿るつもりもあり、他の、講師にも、彼に追従するものも出て、その為、理不尽な目に遭うことが増えた。
そんなわけで、アン・サヴィーネの学生生活は、あまり思い出したくもないものとして、終わった。
けれど、継父の伝で、アベル伯爵家の領地のある、ファルケンベルクの西の方を担当する騎士団に就職できた後は、そんなことは、忘れてしまうほど、平穏な毎日を送っている。

学園で・・

2016-04-28 11:27:30 | I Think I‘m Lost
アン・サヴィーネ・ノワール・アベルとなったことで、これで、安心して、人生が歩めるとほっとしたのもつかの間、やられた・・と、アン・サヴィーネが、舌打ちしてしまいたくなる出来事がおこる。
学院へ入学し、半年ほどたったある日。
その日も、会うのを避けていた人物を食堂でみかけ、アン・サヴィーネは、昼食を諦め、さりげなく、その場を後にしようと踵を返す。
「待って。待ってください。お姉さま。」
ゆるゆるとウエーブのかかるピンクゴールドの髪に、大きな緑の瞳。愛らしい顔立ちの少女が呼び止める。アン・サヴィーネの同年の異母妹にあたるコンスタンシアだ。妹ではあるが、アン・サヴィーネは、学院に入るまで、彼女とはあったことがなかったくらい、もともと、接点のない子だ。父のノアール侯爵の最愛の女の娘は、母親似であるらしく、父親から溺愛されているという。彼女たち母子は、祖父が生きていた頃は、別邸住まいで、祖父が亡くなってからは、本邸で、形の上では、アン・サヴィーネ母子もいたので同居していたということにはなるだろうか。けれども、別棟に閉じ込められるように生活し、決して会う機会も与えられなかったため、コンスタンシアは、アン・サヴィーネにとり、フレーベル公爵家の従兄妹たちや、母の再婚先の先妻の子たちよりも、親しみの持てない、限りなく、他人の感覚の少女だ。
コンスタンシアが、これで、嫌な性格のお嬢さまだったら、毛嫌いしていただろうが、どうやら、学院でも人気者で、人に愛される性格をしているらしい。アン・サヴィーネは、少なくとも、この時までは、彼女に、悪感情は抱いていない。
だからと言って、即、親しく付き合うかというものでもなく、特に、彼女の保護者とは、アン・サヴィーネは、もう一生、お近づきになりたくないと思っているので、トラブルを避けようと、今まで、さりげなく、避けていた。
そのことは、向うも、気づいていたはず。
いつも、期待に満ち溢れた眼差しを送っていたが、さすがに、互いに声をかけるべきではないことは、理解しているのだろうと思っていた。
声を掛けられ、仕方なく、振り向くアン・サヴィーネ。
「お姉さま。どうして、私を避けるのですか?・・お姉さまのお母様とお父様の間にわだかまりがあったらしいことは耳にしました。でも、お姉さまと、私は、血がつながった同じ姉妹ですもの。ここにいる間は、どうか、気安く声をかけて下さいまし。」
「・・・・・・・。」
 アン・サヴィーネは、期待に満ちたコンスタンシアの瞳を見つめた。
 子供らしいと言えば、子供らしいのか・・・。自分の中の大人の思考が、考える。
けれど、確か、この世界では、もう、社会にでる前段階くらいの判断力は、身につけていてもおかしくはない年頃だ。
 どこまで、コンスタンシアが真実を知っているのかわからないが、アン・サヴィーネと父の間にある分厚い氷がはったような冷たい親子関係を、感じ取れないのなら、鈍感というものだ。自分に近づくことで、アン・サヴィーネが、危害を加えられるかもしれないということは、考えられなかったようだ。
「貴女が望んでも、貴女のお父様は、よくは思わないし、それを許さないでしょう。貴女は、無事でも、私は、どんな危害を加えられるかわかりません。ですから、今後も、係わらないでいて欲しいのです。」
「お姉さま・・そんな、そんなこと・・。お父様は、ちゃんとお姉さまのことだって、手放さないじゃありませんか。きっと、大事な娘だと、心のそこでは思ってらっしゃるんですわ。」
「・・・・・・・。」
 悪気はない、善良というのも、ある意味、性質が悪い。
アン・サヴィーネは、冷やかな視線を返すのみ。
ノアール侯爵が親権を手放さないのは、家長である彼が、アン・サヴィーネに干渉する為だ。気に入らない存在なら、離れて忘れてしまえばいいのに、なぜ、彼がそこまで執着するのかわからないが、少なくとも、アン・サヴィーネを幸せにしない為なのだ。
復讐のようなものか・・。
その言葉が浮び、アン・サヴィーネは、やっと、ノアール侯爵の心理状態に思い至る。当時父母に逆らえず、気のない相手を嫌々娶り、周囲の圧力に負け、妻と寝室を共にした。アン・サヴィーネが生まれたのは、彼が、最愛の人を裏切った証だ。
加えて、彼の祖父に対する劣等感も知っているアン・サヴィーネ。ノアール侯爵は、どうしても、その鬱屈した思いをぶつける相手が必要なのだ。母キャサリンは、王家とつながりがある公爵家の出身で、離婚して縁が切れてしまえば、彼がどうこうできる相手ではない。弱者である娘のアン・サヴィーネが必要なのだ。
 ノワール侯爵が、社交界で、自分の不徳で離婚の犠牲者となった娘には申し訳なく思っていると、語っているのを知っている。その娘が、頑なで、誰にも関心をよせない冷たい対応しか出来なくなったのも、ひとえに自分のせいだと嘆いているのだという。
確かに、事実かもしれないが、そんなことを大々的に語っては、デビューを控えた令嬢のマイナス面を大きく印象つけてしまう。一時ながれたアン・サヴィーネの悪評に、伯父夫妻が、憤慨していたのは、誰のせいだったか・・。
 母キャサリンは、ノワール侯爵に殺されかけた。
 ここで、事実をぶちまけたい気持ちを抑え、アン・サヴィーネは、礼儀正しく、去り際の挨拶をし、その場を去ろうとする。
「君は、相変わらずだな・・・。」
 コンスタンシアを取巻いている一人に、目をやる。
 元婚約者の第二王子ハリー。
 赤毛の燗のきつそうな顔立ちの彼は、アン・サヴィーネを人形のようだと思っていた。怒って反発するでもなく、冷静に相手を拒絶しているような態度は、あいかわらずだ。
 綺麗な人形のように整った容姿だが、およそ愛想のかけらもない。
 微笑むだけではなく、本当に笑えば、少しは好感を抱けるのに。
「殿下、お久しぶりでございます。お友だちと歓談の邪魔をし、申し訳ありません。すぐに、失礼させていただきますから。」
 アン・サヴィーネの面には、冷たい拒絶が浮んでる。
「そうじゃない・・っ!」
 ここで、敵対するような態度を見せるのは、よくない。
 ハリーは、今にも泣きそうな目をしているコンスタンシアの姿を見、続いて彼女の周囲をとりまく人達を見た。彼らは、一様に、アン・サヴィーネに非難の目を向けている。妹のコンスタンシアに邪気がなく、誰からも愛される性格だけに、社交界でながれたイメージを元に、彼女の印象をますます悪くとり、気の短い奴などは、相手が女でも手を出しかねない剣呑な雰囲気を醸し出してしまっている。
評判を知らないアリンガム王国以外の者まで、その雰囲気に釣られてしまっている。
 それにしても、アン・サヴィーネは、この状況で、よく、堂々としていられる。
普通の女の子なら、大勢に非難のまなざしを向けられたら、ショックを隠せない表情で、中には、泣き出す子もいるのではないか。
 いっそのこと、アン・サヴィーネが泣きながら、逃亡すればよかった。
 ハリーは、アン・サヴィーネを好いたことなどないが、それでも、客観的に見て、男が大勢で、女の子をつるし上げるような、この状態は良くないと、公平な目で見ている。
今の婚約者が、アン・サヴィーネに好意的な少女で、彼女の事情もある程度知った今では、コンスタンシアと距離を置きたい気持ちも肯けるから、そう思う。
 食堂では、大勢の耳目を集めている。このままでは、アン・サヴィーネの今後の風当たりが悪くなるだろう。
 コンスタンシアの周りには、大物の子息たちが集まっている。ハリー自身は、普段は彼女と親交があるわけでもないが、ハリーの兄、アリンガム王国王太子を筆頭に、宰相の嫡子、第一騎士団の団長の次男、伯爵家嫡男などは、誰がコンスタンシアを射止めるかで、今、彼女の歓心を買うために躍起になっており、学院の地元ファルケンベルク帝国の帝王の甥も、彼女を気に入っており、ここにいる。彼らと交友のある者たちが、男女問わず、集まってい、それに、たった一人で立ち向かうアン・サヴィーネは、うつむくでもなく、冷静なまま、拒絶を滲ませている。
「失礼いたしますわ。」
 二度、拒絶を表せば、ハリーも、もう、この雰囲気を正すのをやめた。
 アン・サヴィーネは、食堂を後にした。

序章 2

2016-04-28 11:24:37 | I Think I‘m Lost
 さて、これからどうしよう。
 アン・サヴィーネは、考えた。
 生家を脱出してから、月日は流れ、気づくとほとんどの貴族子女が入学するという学院に入れる年齢になっていた。
13歳。ふつうなら、四年そこで学び、卒業後、ほとんどのお嬢さまたちが結婚へとすすむ。お坊ちゃんなら、学院は、社会生活への準備期間をへて、就職だ。
しかし、お嬢さまたちの結婚には、家の後見があることが大前提。
メリットのない結婚など、貴族の子女にはあまり例のないことだ。
アン・サヴィーネの場合、特殊だ。彼女をかわいがってくれる人たちの、家とお近づきになりたいとか、そういう意味でなら、もしかすると、縁談は来るかもしれないが、自分の生家での日々を思うと、そのような結びつきは、できるだけ、避けたいというのが本音だ。アン・サヴィーネの大部分を占める前世の自我も、好きでもない人と家庭を持つことなんてあり得ないと、思っている。
 自立して収入を得る方法を確立する。
 それでは、学院に入学せずに、済ませるかというと、問題が生じる。
 生まれ変わったこの世界で、アン・サヴィーネは、やりたいことがある。
 あの一件から落ち着いたあと、前世の自我が、ゆっくりと周囲の自分を取巻く環境を理解しはじめた時、びっくりしたことがある。
 空飛ぶ箒が、人を乗せ、空を飛んでいた。
 魔法といわれるものが、存在している。ここは、前世の常識とは違う。いわゆる異世界。
 魔獣と呼ばれるものが存在し、それが、人々に損害をもたらす。
 魔力を多く保有している人が優遇されるのは、この魔獣退治のためだった。魔獣は、もちろん、体力のある普通の人でも倒せるが、大変重労働なのだそうだ。
ところが、魔力を使い、それらを斬るのは、割合、少ない労力でいけるので、王国の騎士団は、魔力で魔獣を倒す騎士が多く存在する。
この世界では、魔法使いたちは、軍人が多く、脳筋野郎たちが多い。
彼らは、特殊技能と、危険が伴う職務であるため、高給取りではある。
社会には、身分が存在するけれど、この魔法使いたちの世界だけは、実力があれば取り立てられ、比較的、後ろ盾は考慮されない。
これだ。箒に乗って、空を飛んでみたくて、うきうきと、その職を目指すことにし、まず、レザン伯爵夫人に、弟子入りを申し出た。もちろん、夫人は、お気に入りの彼女を歓迎し、剣の稽古を見てもらったが、アン・サヴィーネが、まじめに、毎日剣を振るっても、レザン家の17歳になる騎士見習いの前妻の息子はともかく、8歳のエレーヌ夫人の息子にすら、遊ばれる次第で、全く、見込みはなく、その夢は、封印した。
「でも、箒には乗りたい!」
 その日も、八歳児に、剣を弾き飛ばされて、ぜえはあ・・と息をきらせて、その場にへたり込みながらも、アン・サヴィーネが叫ぶようにいうと。
 そばで見ていた騎士見習いのレザン家子息、サブルが、それならと、飛行便の存在を教えてくれた。
飛行便は、陸路を行くより、安全かつ最速で運べるので、高額だが、貴族や金持ちに重宝されるという業種だ。
空路は、防衛上の問題から、許可制であり、ライセンスが必要であるため、その職につける人を確保することが容易ではないため、高級取りではある。
飛行ルートなど国の介入が必要な職種であるため、半官半民の組織であり、配達員は、皆、騎士隊の伝令任務部出身者ばかりだ。
なぜなら、飛行箒に乗れる程の魔力がある者は、魔獣被害が万一大きかった場合、民間でも協力する義務があるため、軍と連携の関係で、少なくとも、騎士隊に一年は在籍する義務があるからだ。
もちろん、軍属というからには、体力勝負で危険も伴う。魔獣だけではなく、対人戦も。
この為に、貴族や金持ちの令嬢は、公には魔力を持っていることを顕かにしていない者が多いなんてことがある裏事情も、存在する。
「それでは、一旦、騎士隊に所属しなければならないのですね?」
「ああ。伝令任務志望とはじめから希望しておけば、それほど、軍人としての能力は問われないよ。出世はのぞめない部署で、不人気部署だからね。アニーなら、魔力量の心配はないだろう。」
 戦いに参加することはないから、危険度は減る。体力のないアン・サヴィーネには、ぴったりの職だ。
「サブル。教えてくれてありがとう。これで、自活への一歩を踏み出せそうだわ。」
「自活って、そんなことを考えていたのか。母上のようになりたいのかと思っていた。それなら、家の子になればいいじゃないか。アン・サヴィーネなら、降る様に縁談がくると思うんだが。」
 首を傾げるサブル。その弟のレミーが、アン・サヴィーネの手をぎゅっとにぎり。
「僕が、お嫁にもらう!ずっと守ってあげるから、アニー。」
「・・・・・・。」
 アン・サヴィーネが、返答に困っていると、サブルが、レミーの頭に拳骨を落とす。
「そういうのは、ちゃんとそういう立場になってから言え。気持は、うれしくても、正直、子供に言われても、まったく当てにならない。アニーは優しいから、あの侯爵が、お前にも何かよからぬことをしでかすと思ったら、却って、離れていってしまうぞ。」
「よし!父上や母上よりも、騎士団で出世する!侯爵は、文官だから、軍には手は出せないよね?待っててね。アニー。」
「・・レミーなら、強くなれると思うわ。ありがとう。気持はうれしい。でも、私、誰とも、結婚するつもりはないから、ごめんなさいね。」
「えっ・・!」
 弟が何かを言う前に、兄が口を塞ぐ。サブルが、レミーに何か囁き、レミーがこくこくと真剣に肯いている。
「アニー。僕たちは、君の味方だ。血縁はなくとも、気持は兄弟のつもりだから、君も、困ったことがあったら、いつでも、僕たちを頼ってくれ。」
「ありがとう。サブル。レミー。」
 目の端に光る涙をみせるアン・サヴィーネに、サブルは、王宮の知人伝にきいた彼女の元婚約者の評価を思い出す。
アン・サヴィーネ・ノワールは、淑女の鏡のように礼儀正しく良くできた令嬢だが、心のない人形のようで気持ちが悪い。と。
確かに以前は、少し、大人しい子だったがそれでも、家へ遊びに来た時など、喜怒哀楽や好みなど、最低限は、表現してくれていた。今は、もっと、感情の流れが見える。自分を守る為必要で、人から距離をとる必要があるときに、そうした令嬢としての振る舞いをこなしているのだと、わかる。
サブルは、自分の知る彼女と違う、取り繕われた彼女しか知りえない彼と、アン・サヴィーネが生家を出て、公爵家の庇護下にはあるけれど、正式な令嬢ではない、不安定な存在になったため破談になったのは、ある意味、いいことだったのかもと思う。
アン・サヴィーネという子を表面からしかみれなかったのでは、どのみち、結婚しても、彼女は、苦労を抱え込むようなものだから。例え、それが、第二王子という王族と縁を結ぶ栄光のチャンスが遠ざかったとしても。
幼い頃から不遇の時を一生懸命、小さな体で、自分と母親を守る為に、振る舞いを身に付け、祖父母の望む令嬢となることで、その庇護を得ていた。
アン・サヴィーネが、失った子供らしい時のことを考えると、これからは、せめて、感情を表せる安心できる人と出会えるといい。
今、アン・サヴィーネに必要なのは、希望を持って、未来を勝ち取るための自信が必要なのだ。結婚云々も、自分の人生を勝ち取ったあとなら、受け入れる余地ができるかもしれない。サブルは、弟に、アニーの為を思うなら、今は引き下がっておけ、彼女が安心できるからこそ、こうして側にいることもできるのだから、と、囁いた。
それから、アン・サヴィーネには、剣術よりも、体術、ちょっとした護身術を中心に練習するようにと忠告した。
アン・サヴィーネは、サブルに言われた通り、まじめに、毎日練習を繰り返す。
自分の後見である伯父フレーベル公爵に、学院に進み、その後、飛行便に就職希望することを伝えるのも、忘れない。この頃、すでに、アン・サヴィーネの母は、再婚し、別の家庭を築いているので、両親の庇護のない状態の姪を日ごろ不憫に思っていた伯父は、姪の希望を叶えてやりたいと、二つ返事で了承する。
ところが、そこに、ひとつ問題が持ち上がる。
学院は、隣国にあるのだ。
隣国、ファルケンベルク帝国という、その国境線上に、衛星のように小国を従える国であり、その数ある小国の一つアリンガム王国が、アン・サヴィーネたちの住む国だ。
力関係から、ほぼ、属国化してはいるが、同盟国という独立性は保っている。
そのせいで、未成年であるアン・サヴィーネが、隣国へ行くには、保護者の承諾がいる。後見のフレーベル公爵は、賛成だが、未だ、小意地の悪い嫌がらせはしてくる実父は、アン・サヴィーネを侯爵家から除籍しておらず、そのため、彼にも一応、了承を得ねばならない。当然、肯くはずもなく、学院への道が遠ざかりかけた。
そこで、フレーベル公爵は、アン・サヴィーネの将来のことも念頭に置き、隣国の伯爵家へ再嫁した妹に連絡をとる。アン・サヴィーネにとり、継父にあたるアベル伯爵は、知り合いのつてを頼り、学院に直接交渉し、アン・サヴィーネをアベル家縁者として入学させる了承を取り付けてくれた。小国の侯爵よりも、大国の伯爵の方が、力がある。アン・サヴィーネは、アベル伯爵領に仮の戸籍を得、生まれた国から、大きな隣国の人となった。
そうして、希望を持って、学院へと進んだ。