かすかな美とはるかな美。
fbに京都の芸姑さんとあちこちしかも一見さんおことわり含むに行かれているすごいさりげないページがある。
邪馬台国レベルの生活をしている私には驚嘆の別世界だ。
京都大学には、学力もあるが、はいってついて行けなくなるのではないかという恐れから、敬遠策をとったが、やはり京都は、アラブの石油王レベルで遊ぶのがいい。
古都は人を引き付ける。
が、金がかかる。
芸姑さんとか、ロシアなら、ボリショイバレエのレベルだ。
京都そのものが、インターナショナルな価値になっている。
芸姑さんも、京都周辺の優れた女性が志願しているのだろう。
私は歴史をやってきたが、今の世は、社会史的に見れば、族の解体、真の個人史への時代であろう。
都会は、いつも人を引き付ける。
東京をはじめとした都会は、まずもって大学がずらりとあり、地方の優秀な若者が集中する。
私のように、九州の田舎から、わざわざ東北の仙台に行って、根暗生活をするのは珍しいらしい。
挙げ句のはてに、結婚もせず、歴史にはまってしまい、還暦を迎えようとしている。
といっても、最近の若い世代のある割合のように、生涯結婚するつもりはない、というわけだったのではない。
最近、中国古代の鏡、つまり青銅鏡に興味をもっている。
日本史がまだ邪馬台国の時代、中国は後漢が崩壊し、魏呉蜀の三国時代。
中国に朝貢した倭の王は、大量の鏡を持ち帰ってきた。
鏡は、なおすには収納スペースをとらず、重いので、船底に並べれば舟も安定する。
ここから日にちがかわる。
古代鏡の研究に行き詰まった私は、メルカリで遊んでいる最中に、ふと古代瓦に行き当たった。
昨日英女王エリザベス2世が亡くなった。
大英帝国を体現した最後の女王だ。
彼女なしでは、私のイギリスアンティークも成り立たなかった。
偉大なる大英帝国の残照が、消えていくようだ。
私の父母は、最近まで比較的健在であったが、この数年間、やはりきびしい。
ヒトラーもガンジーも知っているのだから、そうかもしれない。
ところで、古代瓦にひかれる。
なんか、私は古代の素直さにひかれる。
古代は、平和な時代だったわけではない、と思う。
豪族たちの、生存競争、貴族間の権力争いが、歴史書を観ると、繰り広げられるようだ。
それは、中国の文化や制度を日本なりに採り入れて行こうという、かなり真剣な努力と苦闘のなかで、進んで行く。
どうも遅くとも大和朝廷から、日本という熱帯性低気圧、あるいは台風の目のようなものが出来て、その中心部に雲が巻き込まれて行くようだ。つまり、湧き上がった雲が、否応なくその中心部に引き込まれていく。
そうして、朝鮮や中国の文化を掴みながら、日本という独自の基盤が形成されていく。
さて、明治維新から日本は、西欧文化を短期間で必死に採り入れて、国威の発揚を目指した。
しかし、やはり無理があったのか、大日本帝国は、ぶっ潰れ、平和国家になった。
だがしかし、今の日本は、ある意味で大化の改新以来の曲がり角に立っている。
生産力の低下という意味では、日本が初めて体験する長期的危機だ。
農業は、投下資本に対する利潤が失われ久しい。
田植えをしていた人たちによって支えられてきた日本の製造業。
ハイテク化、ソフト化、グローバル化のなかで、ガラパゴスに走り、迷路にはまりこんだ日本。
そこに出口はあるのか。
今回の危機は、まず解決の道筋がまるで見えていないことがある。
さらに、重要なのは、日本がはじめて解体するのではないかと云うことがあるのではないかと思う。
若者が危ない。
若者の未来が暗い。
当然そうなると、皆の未来は暗い。
原始的体力は、国家の基盤だ。
そう云う面では、明治国家は、精強なる基盤があった。
昭和恐慌による欠食児童の増加は、大日本帝国にとっての脅威であった。
戦後の農地改革が、一気に広範に進んだ事も頷ける。