夢音(ゆのん)~風のおるごーる~ atelier JUNON

~想いをかたちにするために~
天然木を使った、オルゴール作家

大切なことは

2024-12-09 05:06:20 | つれづれ
いろんな意味で

本当に大切なことは何なのか

それが年とともにわかってくる気がします。

仕事上の付き合いならばある一線を引き

決してそれ以上の事は教えないし近づかせることもしないのでしょう。

人と言うものはそういうことから

その人に対しての信頼度はよくわかるから

私はそういう事から自分で必ず一線を引いてきました。

限られた人以外には

警戒心や猜疑心が生まれていましたし

心底心を開くことなど無かったのかもしれないです



そんな自分が

国見に来て

人の人情に触れ

身内のようにあたたかく接してくださる人々に

感動し

心はどんどんあたたまってきました。



今回のように親がトイレに夜中何度起こしても

不思議と眠いなあと文句も出ないし

普通に何度も起きているのです。

支える腕の温もりは

確かなもので

それはとても大切なことだなあと想います



言葉を繰り

うまく取り繕おうとしても

本当の気持ちというものは綻びて出てくるものです

年とともに

いろんなことはわかってくるのかなあ

だからこそ

自分の想いを本物かどうか自問します。



自分も本物の目で見たいと想うし

人に対して策を講じる事もない

策を講じるとしんどいものです

天性で策士のように何でもできる人はともかく

私は正直にコツコツ行くのが性に合ってます

怪我をしたと聞けば

ああどうしたものかと気にやみ

何か助けは要らないかと考えたり

病になれば気になり何度かどうしたものかと考えるし

でもたとえば病んだ方に

気になって何度かコンタクト取ったとしても

相手が返信も無かったりするならば

それ以上踏み込むこともない

人の心を誤解したり

様々な憶測をすることは人の常ですが

そんな事は本当はどうでもいいなと想います

相手がどうこうじゃなくて

自分がどうなのか

それさえちゃんとしていればいいのでしょう。

そういう事をいつも心に置くようになりました

人の心をどうこうなど誰もできないものですね

ただ粛々と

自分がどうあるべきか問いかけ改めたり反省したり

そんな事をきちんとしてたら

人のことを詮索し過ぎて誤解したり不安になることもないし

そんな変な軸から離れられるものですね。

自分は人のことをどうこう言えるような偉い人でもないし(笑)

野の花を見たり

海を見たり山を見たり

自然の生き死にを目の当たりにしていると

段々と

ああ自分も自然の一部だなあと想えますし

木漏れ日をキラキラ浴びるとき

何かしら空からいろんなものを与えられていることを感じ

幸せな気持ちになる自分がいます


自分がきちんと本当の気持ちで相手に対しているか

それが大切で

人の心がどうかなど

あんまり関係ないなと笑えてきますね

自分が人を認め愛し喜んでいればそれでいい。

人が自分を認めたり愛したり

それは二の次三の次なのだなあとつくづく想えた。

どうでもいいことなのだなあと。

人の心など捉えようがないし

自分の心すらまだ捉えもできない。

自分を御する事すら困難なものですね。


人がどうこうなんてことではないなと想うのです

相手がどのように想われているかなど 

そんな事は二の次三の次

自分の、心がどこにあるか

どんな状態か

人を責めたりするのじゃなく

人を許したり大切に想うことが大事かなあと

昨日ある友の言葉でよく想いました。

いつもいろんなことを教わる存在

周りのご縁のある人たちというものはそういうものですね。

ありがたいなあと感じました。

そんな友を持てることは誇りだし感謝ですね。

人はいろんなことを気づかせてくださる

時に叱られたりたしなめられたり

喧嘩みたいになっても相手の事を心底想えばこそならよくわかる




息子が

祖母である母のお風呂上がりに

靴下履かせたり

介助してニコニコとドライヤーで髪を乾かしたり

自然にしているのを見ていたら

例えば夜中に起こされても

文句ひとつ言わず

笑顔でいるのを見ていたら

ああ逆に教えられるなあと想いますし

親子であっても

教わる事も多いです。

親だからとシャカリキになることもありませんし

自然でいい。



親はこうあるべき

子はこうあるべき

友ならばこうだろう

そんな事は今の自分にはほんとにどうでもよくて

相手の存在は親とか子とか友とか上司とか

そんな概念はその辺に置いといて

人として見ているのが大切な気がしました。

相手が歳下歳上に関わらないで学べることは素直に学べばいいし

要らぬプライドは捨てればいい気がしてきました。

うまく言えないけれど

朴訥とした木の棒のようになりたいと想いました。

木の棒は時には杖となり

何かを掛けるものにもなり

いろんな事に使えます

最期にはくべて、燃やして

人の心を、あたためる

そんなものでいい気がしてきました。


自分が傷ついた事をいつまでも引きずったり覚えていても仕方ない

そんなものは捨てちゃえ

そう想いました。

よし

身近な事からそうありたいなあ

と、何となく想いました。

凡人ですからどれだけ改められるかわかんないけど

それでも毎日毎日コツコツ積み上げて参りたいです。


風が強く波が白くなっています

冬ですね

自分の力ではどうにもならない事は

何にも考えず

今の環境を受け止めて

明るく楽しく行きたいなぁとつくづく想いました。

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