昼行灯(だった)トキの大雑把なひとりごと

クレヨンしんちゃんよりもユルく生きていた(当面過去系)私の備忘録と、大雑把なひとりごと。時々細かく語ることも。

相当無理がある

2022-05-02 23:29:27 | Weblog
このブログを書き始めた頃なら、ウクライナ情勢と、それ以前のトランプ政権誕生時に遡る反グローバル・ブロック経済回帰の世界情勢の中で日本がとるべき政策などについて記載していたことであろう。
が、年を経るに従い、そういったことは公私共通の必要に迫られながら、常に頭の片隅で考察しつつも、主題として第三者に見える場所で記録することに関しては、意欲を失ってしまった。
日本という国がジリ貧になっていく様子をどうすべきかと考え始めて十数年経つ。願わくばサラリーマンが給与所得だけで満足に暮らせる社会の再来をと考えていたが、グローバル経済下で投資に成功した者のみが富み、所謂トリクルダウンなるものによりそれが社会に遍く行き渡るということは、ついぞ無かった。そうするうちに反グローバリズムが興り、コロナ禍で人流や物流が滞り、さらにはヨーロッパ大陸における理由なき戦争の勃発である。考えあぐねているうちに、世の中が思考を追い越していく。そうして、人は老いる。
あと10年くらいが自分の寿命と考えている。誠実に生きようとしても社会が、正確には部分社会がそれを阻むという現実も目の当たりにしている。有り体に言えば疲れてしまった。意義もなければ需要もないことに努力する必要はないし、自分が如何に楽をするかだけを考えることがこの場合の最適解であることは論を俟たない。しかしながら、かくもくだらない部分社会はそこに陥穽を用意しているであろう。あるいはそうでなくても、陥穽を用意されているに等しい状況にあることが明確なのである。
要するに、社会人として生きている状況自体が、この私にとっては無理なことでしかない。体力気力が衰えるほどに、そのことが先鋭的になる。震災で命を落とすこともなく、今戦争を経験しているわけでもない。それでも、この状況は既に限界を迎えて久しいと言わざるをえない。
せいぜい、死なぬように気をつける程度のことしかできない。今はそう思っている。

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