つい先日 正月を迎えたと思うと 早や
3月も10日程度残すのみ、
幼い頃”もういくつ寝るとお正月”と歌を
うたい 正月を待ちわびていた頃があった
のに・・・
20日は小学校の卒業式、埼玉に住む
孫に聞くと 通っている学校も20日が
卒業式との事でした。
8時半頃 車誘導のために外へ出ると
未だ霧が立ち込めていて 靄がかかって
いました。
校門に掲げられた祝卒業の幕
校舎前には桜の木が植えてありますが
種類は忘れましたが、普通のソメイヨシノ
よりは開花が早い品種で、つい先日まで
咲いているのはチラホラと3分咲き位だった
のが 今日はほぼ満開。まるで卒業生を
祝うかのような美しさです。
綺麗に咲いた桜
当日 車の誘導を行いました。9時前に
なると続々と卒業生を乗せた車が入って
きます。
今日は校舎前は卒業生の記念撮影と
卒業生を見送るためのスペースを残す
と言うことで全車 運動場へ、
父兄も来賓者もすべて運動場へ誘導
するので 仕事は楽勝です。
最近日和は安定しない。菜種梅雨と
昔から言われているが 春の日和は安定
しないようです。
まるで1日置きに降っているかのよう。
雨の降る日は 一輪車のノーマルタイヤが
古くて空気が自然と漏れてくるので、最近
ノーパンクタイヤを買ってきたのでタイヤ
交換。ただ交換するのは簡単だが、後の
処分が難しい。
車のタイヤなどだったら車屋さんで処分
して貰わねば個人では処分できないし
処分代が掛かります。
まぁ学校だし、タイヤは小さいし、大目に
見て貰えるだろうと勝手に判断。
鋭利な刃物でタイヤの横っ腹を切り裂き
小さくして 可燃物で出すようにして
金属部分は金属の日に出せるよう作業
しています。
処分するため解体した古い一輪車のタイヤ。
暇があれば運動場の草引きをしてい
ますが、雨上がり後は草は引き易いが
穴がポッカリ空いてしまうので見た目
にも悪い。
金網を張ったトウシ(フルイ)を
持ち出してきて 根元の砂を落とす
ように最近はして、運動場隅に捨てる
ようにしています。
さて学校に用務員として勤め始めて
早や2年の月日が経とうとしています。
改めて月日の流れの速さに驚くばかり
来月には新しい元号が発表され、5月
から新しい元号になります。
大正、昭和の時代は戦争が有り
特に太平洋戦争では 日本は初めて
負けを知り、国民の大多数は 戦争の
犠牲者となりました。
最前線に戦っている兵士も 銃後の
国民も皆 悲惨な目に遭いました。
平成の世は 何かと大きな天災や
事件も有りましたが、まぁ大まかに
言えば平和だったような気がします。
新しい元号の世も 平和で有れば
良いと願うのですが、人間と言うもの
ややもすれば 過去の事は忘れがち
になります。
いわゆる”のど元過ぎれば熱さ忘れる”
と言う諺通り。
いまやYouTubeなどを見れば 嫌韓や
嫌中のサイトが目白押しです。
まぁ面倒くさい国が近くでも貸家
なら引越しできるが列島は移動できない。
気長く あの病気の国の”恨み千年”
とやらの言葉を聞き流すしかない。
その内、恨むと言う事が 自分が
吐いた唾が自分にかかると言うことに
いずれ気が付くでしょう。
パククネ前大統領も告げ口外交と
言うのか? ヨーロッパやアメリカ
などへ行き、日本の植民地政策を
避難していましたが、話を持って
行くところが違う。
ヨーロッパは植民地政策で国を大きく
した最大の民族。その非情な政策は
日本の比ではない。
スペインはインカ帝国を滅ぼし、
イギリスなどは中国をアヘンで
国民を狂わせ アヘン戦争とも
言われる恥ずかしい戦争・政策を
行ってきました。
ドイツもしかり、
アメリカなど、ヨーロッパ勢が
進出して原住民を追い払い、国を
作ったのです。
ガレー船と言う 奴隷船で黒人を
鎖で繋ぎ、アフリカから連れて来
ました。
私たちが若い頃 西部劇に浸って
いましたが、構図は颯爽と馬に
またがり、ライフル銃を持って
インデアンと戦う劇でした。
カーボーイは善、インデアンは
悪と言う認識で見ていたような気が
しますが、悪いのは原住民のインデ
アンではない。幌馬車に乗って
早い者勝ちで広い土地を求めて
反抗する原住民を追い出すヨーロ
ッパ人が悪だったのです。
日本の場合はどうでしょう。
そりゃ 残酷な事も過去には
行ってきたが、 それでも朝鮮
民族を日本の国としてインフラも
整えてきた。残虐な行為を働いた
虐殺もされたと言っていますが、
朝鮮人の人口は日本の植民地に
なった頃から増えています。
まぁ質が悪いと言ったら失礼
だが、福沢諭吉も大分手こずり
脱亜論を出したというのも何だか
分かる気がします。
付け加えるなら脱亜論はアジア
蔑視と捉えられているようですが
朝鮮を独立させ、西洋に負けない
日本と同様の価値観を持つ国に
朝鮮になってもらい支援していた
ようですが まぁ何でも悪いよう
にとる民族に最後に愛想が尽き投げ
出したと言うのが本音と私は捉えて
います。
3月も10日程度残すのみ、
幼い頃”もういくつ寝るとお正月”と歌を
うたい 正月を待ちわびていた頃があった
のに・・・
20日は小学校の卒業式、埼玉に住む
孫に聞くと 通っている学校も20日が
卒業式との事でした。
8時半頃 車誘導のために外へ出ると
未だ霧が立ち込めていて 靄がかかって
いました。
校門に掲げられた祝卒業の幕
校舎前には桜の木が植えてありますが
種類は忘れましたが、普通のソメイヨシノ
よりは開花が早い品種で、つい先日まで
咲いているのはチラホラと3分咲き位だった
のが 今日はほぼ満開。まるで卒業生を
祝うかのような美しさです。
綺麗に咲いた桜
当日 車の誘導を行いました。9時前に
なると続々と卒業生を乗せた車が入って
きます。
今日は校舎前は卒業生の記念撮影と
卒業生を見送るためのスペースを残す
と言うことで全車 運動場へ、
父兄も来賓者もすべて運動場へ誘導
するので 仕事は楽勝です。
最近日和は安定しない。菜種梅雨と
昔から言われているが 春の日和は安定
しないようです。
まるで1日置きに降っているかのよう。
雨の降る日は 一輪車のノーマルタイヤが
古くて空気が自然と漏れてくるので、最近
ノーパンクタイヤを買ってきたのでタイヤ
交換。ただ交換するのは簡単だが、後の
処分が難しい。
車のタイヤなどだったら車屋さんで処分
して貰わねば個人では処分できないし
処分代が掛かります。
まぁ学校だし、タイヤは小さいし、大目に
見て貰えるだろうと勝手に判断。
鋭利な刃物でタイヤの横っ腹を切り裂き
小さくして 可燃物で出すようにして
金属部分は金属の日に出せるよう作業
しています。
処分するため解体した古い一輪車のタイヤ。
暇があれば運動場の草引きをしてい
ますが、雨上がり後は草は引き易いが
穴がポッカリ空いてしまうので見た目
にも悪い。
金網を張ったトウシ(フルイ)を
持ち出してきて 根元の砂を落とす
ように最近はして、運動場隅に捨てる
ようにしています。
さて学校に用務員として勤め始めて
早や2年の月日が経とうとしています。
改めて月日の流れの速さに驚くばかり
来月には新しい元号が発表され、5月
から新しい元号になります。
大正、昭和の時代は戦争が有り
特に太平洋戦争では 日本は初めて
負けを知り、国民の大多数は 戦争の
犠牲者となりました。
最前線に戦っている兵士も 銃後の
国民も皆 悲惨な目に遭いました。
平成の世は 何かと大きな天災や
事件も有りましたが、まぁ大まかに
言えば平和だったような気がします。
新しい元号の世も 平和で有れば
良いと願うのですが、人間と言うもの
ややもすれば 過去の事は忘れがち
になります。
いわゆる”のど元過ぎれば熱さ忘れる”
と言う諺通り。
いまやYouTubeなどを見れば 嫌韓や
嫌中のサイトが目白押しです。
まぁ面倒くさい国が近くでも貸家
なら引越しできるが列島は移動できない。
気長く あの病気の国の”恨み千年”
とやらの言葉を聞き流すしかない。
その内、恨むと言う事が 自分が
吐いた唾が自分にかかると言うことに
いずれ気が付くでしょう。
パククネ前大統領も告げ口外交と
言うのか? ヨーロッパやアメリカ
などへ行き、日本の植民地政策を
避難していましたが、話を持って
行くところが違う。
ヨーロッパは植民地政策で国を大きく
した最大の民族。その非情な政策は
日本の比ではない。
スペインはインカ帝国を滅ぼし、
イギリスなどは中国をアヘンで
国民を狂わせ アヘン戦争とも
言われる恥ずかしい戦争・政策を
行ってきました。
ドイツもしかり、
アメリカなど、ヨーロッパ勢が
進出して原住民を追い払い、国を
作ったのです。
ガレー船と言う 奴隷船で黒人を
鎖で繋ぎ、アフリカから連れて来
ました。
私たちが若い頃 西部劇に浸って
いましたが、構図は颯爽と馬に
またがり、ライフル銃を持って
インデアンと戦う劇でした。
カーボーイは善、インデアンは
悪と言う認識で見ていたような気が
しますが、悪いのは原住民のインデ
アンではない。幌馬車に乗って
早い者勝ちで広い土地を求めて
反抗する原住民を追い出すヨーロ
ッパ人が悪だったのです。
日本の場合はどうでしょう。
そりゃ 残酷な事も過去には
行ってきたが、 それでも朝鮮
民族を日本の国としてインフラも
整えてきた。残虐な行為を働いた
虐殺もされたと言っていますが、
朝鮮人の人口は日本の植民地に
なった頃から増えています。
まぁ質が悪いと言ったら失礼
だが、福沢諭吉も大分手こずり
脱亜論を出したというのも何だか
分かる気がします。
付け加えるなら脱亜論はアジア
蔑視と捉えられているようですが
朝鮮を独立させ、西洋に負けない
日本と同様の価値観を持つ国に
朝鮮になってもらい支援していた
ようですが まぁ何でも悪いよう
にとる民族に最後に愛想が尽き投げ
出したと言うのが本音と私は捉えて
います。