自著の小説・詩の紹介(巨人戦)

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高木徳一の小説の執筆状況と45作目の詩(続き)(巨人戦)

2009-09-03 15:52:31 | インポート

 お早う御座います。

 9月に入り、一気に涼しくなりましたね。これで、小説の執筆も捗ります。

日々観察しているゴーヤの成長も日照不足のせいで芳しくなく、また巻いて育ったものは小さいのに直ぐ黄色になってしまうものが4個も出てしまいました。収穫量は昨年の4割と大減収です。来年に期待します。

 さて、世紀の決戦総選挙では、民主党が世論調査通りに圧勝しましたね。お友達閣僚の失言、不祥事、二代続けての投げ出し首相辞任など長期政権党の疲弊がもろに噴出しました。官僚、大企業などとしがらみの少ない民主党がどのように大なたを振えるか、監視致しましょう。自民党にも立ち直って頂き、2大政党で緊張感のある政権交代が望ましいと思います。

 スポーツ界では、柔道の世界選手権で女子が金メダル3個を獲得し、男子はメダル零との事。谷選手に続いた女子の活躍に敬意を表します。

野球では、大リーグのイチロー選手が足のケガで8試合欠場後の試合で2安打し、残り29試合で14本安打すれば、『大リーグ新記録の9年連続200安打』達成となります。彼なら遣り遂げるでしょう。昨夜の巨人はラジオで横浜に7回で1:4と負けていると聞き、諦めてスイッチを切りました。翌朝のラジオニュースで巨人の逆転勝ちが報じられ、嘘だろうと一瞬思いました。早速、新聞を広げた結果、8回に谷、阿部選手の連続ホームラン、9回には坂本選手のツーランで同点とし、ラミレス選手の二塁打でサヨナラ勝ちとの事。野球は下駄を履くまで分からないとは正にこの事。中日が広島に惜敗したため、残り28試合でマジック21が点灯。このまま突っ走るのみ。フレー、フレージャイアンツ!

 仮題『黒服の客』の小説の執筆状況は最終のクライマックスにきて、残り20枚程度で、合計400字詰め原稿用紙で230枚前後になります。ご期待下さい。途中中断もあり、半年位要してしまいました。それだけに、見直しをしっかりしたいと思います。

 掲載詩については、『旅情散文詩』の残りも2、3回となり、その次は『小説歌謡』を予定しております。ご存知と思いますが、石坂洋次郎作の『青い山脈』や大島みち子、河野実作の『愛と死をみつめて』はベストセラーになり、歌や映画、劇にもなりました。ですから、小説を歌にする『小説歌謡』なる単語もあると考え、広辞苑を引きましたがありません。グーグルの検索では、文章の中に『・・仕掛け人は、かつて南沙織を私小説歌謡で大ブレイクさせた酒井正利・・』があり、私小説歌謡なる単語はありました。自作小説の売れ行きがいまいちなので、考えた結果、小説を歌にして皆に口ずさんで頂き、逆に小説に興味を持って貰おうと考えた訳です。自作小説が終わったら、他の作家の小説を歌詞にまとめたいです。

 最後に、『旅愁散文詩』の45作目の続きをご笑覧下さい。

   四十五. イタリア、ローマ市 (古代人との邂逅)(続き)

   (七) 共和国広場

       テルミニ駅から二百米先の共和国広場にある噴水の石囲いの上で、仰向けになり友と天を見詰める。雲がふんわり一片、この青空。東京の空も同じかなあ・・。日本人の一行、中国人か韓国人の一人が目の前を通り過ぎて行く。ニューヨーク程の怖さは無く、治安も良いと聞いていたので、テルミニ駅からA路線でバルベリーニ駅、またB路線でエウールフェルミ駅まで利用した。

 テルミネ駅に戻り、共和国広場から発するナツィオナーレ通りに面したローマ三越に足を踏み入れ、ホッとする、日本人従業員がちらほらいたので。友は壁掛けを二点買った。外に出ると、角に、目ぱっちりで眉毛太く、濃い、彫りの深い愛嬌のある十二、三歳の少女が三、四人たむろしていた。その内の二人がボードを手にしながら、見てくれというように近付いて来た。他の少女は横に回っている。(うむ、これが世に名高いジプシーの物貰い、またはかっぱらいか) さんざ、出張前に日本で耳にたこが出来る程聞いていたので、肩に掛けた鞄、カメラを両手で押さえ、防御の姿勢を取った。すると、どうだろう。ちぇ、気付かれたかあと言うようなジェスチャーで元の場所に戻った。暫く、彼女らの様子を見ていたが、行動を起こさなかった。観光客を狙えと指示されているのだろうか・・。この子らの教育はどうなっているのか・・。両親には職業はあるのだろうか・・。行く末はどうなるのか・・。考えてみると、同じ人間としてこの地球に生を受け、生まれ落ちた国、宗教、文化、経済などの環境因子の相違により、生活レベルも大きく違ってくる事に驚きだ。この子らが逆境に打ち勝って、子供の頃、日本人観光客に上手く逃げられたよと笑いながら語らえる余裕のある生活を築いてくれる事を日本の地から祈る。

  (八) ヴェネツィア広場

      市の中心に在り、市内の至る所からもこの威容が見えるここエマヌエレ二世記念堂。初代国王エマヌエレ二世を記念して、1911年に建てられた白亜の建造物。門前から見ても、玄関までの中間に位置する衛兵が小さい程スケールはどでかい。

 隣のヴェネツィア宮殿は、その二階のバルコニーから第二次大戦中、日独伊三国同盟の伊のムッソリーニが群集に演説した所であり、歴史を手の中に感ず。

  (九) パラティウムの丘

      パラティウムの丘にあるフォロ・ロマー(古代ローマ市の集会用中央広場)の遺跡群に、ローマ建国、ローマ帝政時代の往時の一端を垣間見る思いがした。

 日本の城、神社、仏閣に匹敵する宮殿、神殿の数々。コロッセオの中に足を入れると、真夏の太陽がカッと照り付け、、茶レンガに陰陽を鮮やかに刻んでいる姿を目の当たりにした。紀元80年に完成したこの円形競技場が約1900年もの間、生き続けている事に驚かされた。この無生物に生命の息吹さえ感じられた。4階建てで、5~8万人を収容可能なこれは、古代ローマのヴェスパシアーノ帝の命で造られたと言う。このコロッセオでは、歴代皇帝が見世物を催す事で人心掌握を計るため、映画でお馴染みの生命を賭した剣闘士の戦い、猛獣と人間の死闘、場内に水を張って戦う模擬海戦など凄惨で残酷なゲームが行われ、市民は熱狂した。競技場には良く血を吸うように砂(アレーナ)が撒かれた事から、競技場を『アリーナ』と言う血生臭い語源がある。しかし、考えてみるに、戦いとは究極的には殺すか殺されるかである。敵を敗北させるためには、先ず身内内で仮想敵を作り、実践して練磨したりしたのも分からない訳ではない。味方を殺してまでの実践は戦力を落とす事になりマイナス面もあるだろう。だが、刃向かう者を葬るには良い機会と権力者は考えた事であろう。地下部分に猛獣の檻や機材置き場があり、その上に板を敷きゲームが続けられ、無念の涙で消えた人々はいくばくか・・。この歴史を教科書として、今の人、これからの人も人間の幸福とは何かを考え、実施していかねばならない。

      

 


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