徳永延生とファイブナイツ活動開始!
それは20歳の頃。1970年頃です。
複音ハーモニカから
クロマチックハーモニカに転身して、そして
自分のバンド「徳永延生とファイブナイツ」
と言う歌謡コーラスバンドを結成し
活動が始まりました。
その頃勤めていた
立石電気(今のオムロン)と言う会社をやめてまで
音楽の道で生きて行くことに
多くの方の反対がありました。
その中で
亡くなった親父だけが頑張れ! と
笑顔で背中を押してくれました。
親父は私の複音ハーモニカの師匠でした。
ハーモニカの事はあまり教えてはくれませんでしたが、、
私が毎日ハーモニカを吹いているのが
とても嬉しそうでした。そして
私が上手くなって行くのを
自分の事の様に色んな人に自慢していました。
まず最初の職場は
大阪玉造の商店街の中にあった
「赤いバラ」と言うキャバレーでした。
写真は今の玉造商店街の入り口付近です。
その「赤いバラ」では
当時流行っていたマヒナスターズやロスプリモス、
ロスインディオスなどのコピーを演奏していました。
メンバーは当初私を含めて5名でした。
その後、
ドラムのTさんが参加されて6名になりました。
そこでの思い出の曲が有ります。
お店の閉店時間前に毎日必ず演奏する
お別れの曲「夕焼け小焼け」です。
この曲で今日も仕事が終わった~、、という感じでした。
それでは今日の曲は
クロマチックハーモニカの演奏で
「夕焼け小焼け」です。
夕焼け小焼け..Harmonica