テレビのニュース原稿の結びによく使われるフレーズで、
「警察は慎重に捜査を進めています」というのがある。
あれがいつも不思議で仕方がない。
バスの運転士が「慎重に」ハンドルを握るのが当たり前なように、
警察が「慎重に」捜査を進めるのは当たり前なことではないのか?
言わずもがななことではないのか?
その対に、「警察は今回は“大胆に”捜査を進めています」という表現がありうるのなら、
敢えて「慎重に」と付け足すのもまだわかるが、あいにく「大胆に」とは聞いたことがない。
しかも、捜査の何をもって判断して「慎重に」という修飾語が付けられるのだろう?
記者は捜査の現場を観察し、「ああ、これは実に慎重なやり方だ…」と実感できる何かを得たのか?
ならば、その「慎重さ」の判断の根拠となる事柄を描写することこそが、ニュースだと思うが。
根拠が示されないまま、記者の「所感」だけ聞かされても、意味がない。
そしてもしも、ろくに現場を見ずに「慎重に」という修飾語を漫然と付与しているのなら、
それは単に、警察のやり方を無批判に認め、迎合しているだけである。
報道する側の姿勢として、実に恥ずかしい話だと思うのだが。
「警察は丁寧に捜査を進めています」というリポートがテレビから聞こえてきたら、
「えっ?『丁寧に』ってわざわざ言うのはどういう意味?」と誰しもツッコむだろう。
しかし、それとほぼ同じ意味の「慎重に」は、表現としてあまりに陳腐化しているせいか、
みんなスルーしてしまっている。
今日も能のない記者は、「警察は慎重に捜査を進めています」という結び言葉を、
深く意識せずに用いてリポートするのだろう。
その表現を無自覚に用いているかどうかで、その記者の取材力・リポート力など、知れたものである。
「警察は慎重に捜査を進めています」というのがある。
あれがいつも不思議で仕方がない。
バスの運転士が「慎重に」ハンドルを握るのが当たり前なように、
警察が「慎重に」捜査を進めるのは当たり前なことではないのか?
言わずもがななことではないのか?
その対に、「警察は今回は“大胆に”捜査を進めています」という表現がありうるのなら、
敢えて「慎重に」と付け足すのもまだわかるが、あいにく「大胆に」とは聞いたことがない。
しかも、捜査の何をもって判断して「慎重に」という修飾語が付けられるのだろう?
記者は捜査の現場を観察し、「ああ、これは実に慎重なやり方だ…」と実感できる何かを得たのか?
ならば、その「慎重さ」の判断の根拠となる事柄を描写することこそが、ニュースだと思うが。
根拠が示されないまま、記者の「所感」だけ聞かされても、意味がない。
そしてもしも、ろくに現場を見ずに「慎重に」という修飾語を漫然と付与しているのなら、
それは単に、警察のやり方を無批判に認め、迎合しているだけである。
報道する側の姿勢として、実に恥ずかしい話だと思うのだが。
「警察は丁寧に捜査を進めています」というリポートがテレビから聞こえてきたら、
「えっ?『丁寧に』ってわざわざ言うのはどういう意味?」と誰しもツッコむだろう。
しかし、それとほぼ同じ意味の「慎重に」は、表現としてあまりに陳腐化しているせいか、
みんなスルーしてしまっている。
今日も能のない記者は、「警察は慎重に捜査を進めています」という結び言葉を、
深く意識せずに用いてリポートするのだろう。
その表現を無自覚に用いているかどうかで、その記者の取材力・リポート力など、知れたものである。