1月9日(土)
今日、『龍馬伝』の再放送を見た。
3日に見たときは、ストーリーや、役者の表情を追うので精一杯だったが、今回は、脇役や、セット、伏線となるだろう台詞にいたるまでじっくり見ることが出来た。
まだスタートしたばかりなので、あれやこれや言うのは控えるとして、スタッフやキャストの意気込みだけは十分に感じられる作品だった。
特に、NHKの気合の入れようはハンパではない。単に視聴率を上げるということだけではなく、本当に、たくさんの人に『龍馬』を見てほしい、知らない人に知ってほしいと言う気持ちで取り組んでいるのが、本編の作り方や、番組紹介の仕方などから伝わってくる。
NHKは1968年1月7日~12月29日まで放送されたNHK大河ドラマ第6作として、司馬遼太郎原作ドラマ『竜馬がゆく』を制作している。
明治百周年を記念して制作されたこの作品は、当時の日本人の心をわしづかみにしたことだろう。
私自身、当時は小学2年生だったが、その第一回目を映像ごと今でもしっかり覚えている。
フィルムは当時、放映したら即消去していたとかで、第16話しか残っていないとか。実に残念な話だ。
私が、司馬遼太郎氏の『竜馬がゆく』を読んだのは、20歳のとき。
成人式の日、式典にも出ず、アパートで卒業制作に追われていたら、陣中見舞いにサークルの先輩が差し入れに来てくれた。
その先輩が、熱く語っていたのが『竜馬がゆく』だった。
「これからの日本の若者は『竜馬がゆく』を読まなきゃいかん!」
あまりの熱弁に、当時の私は思いっきり引いてしまったのだが・・・。
大学を卒業し、最初に就職した会社で自分の理想と現実とのギャップに苦しみ、半年で挫折し、故郷に逃げ帰った。
自分の原風景を辿りながら、故郷でとれた米、野菜、魚を食べ、水を飲み、空気を吸って、次第に元気を取り戻して行った。
大学受験を祈願し初日の出を拝んだ同じ場所に立って水平線を見ながら、
『このまま志を捨てて帰るわけには行かない。
ここに帰るのは、私を元気にしてくれた故郷を元気に出来るようになった時だ。
夢を夢では終わらせない』
と心に誓った。
東京に帰る電車の中で読むために買ったのが、『竜馬がゆく』だった。
司馬遼太郎氏の文体はとても読みやすく、再就職先に電車で通勤する時は必ず読んだ。
最終話のラストシーンを乗換駅に停車中の終電の中で読んで、号泣している時に、同じアパートに住む友人が乗ってきて、びっくりして心配してくれたこともあったっけ。
以来、『竜馬がゆく』は、私のバイブルとなった。
何故、先輩が進めてくれたときに素直に読まなかったのか・・・。
その時には自覚が無かったのだが、私は東北人であり、小学6年生の修学旅行で行った『白虎隊』のお墓参りや、会津藩の終焉について学んでいるので、どうしても、薩長や幕末の志士たちに対して多少の嫌悪感があったのかも知れない。どちらかと言うと新選組のほうが好きだった。
でも、『竜馬がゆく』を読んでみて、あの『幕末』は、いろいろな視点から学ばなくてはいけないのでは?と思うようになった。
司馬遼太郎氏は、その幕末をあらゆる視点から書いている。あの頃の私はそれらを片っ端から読み漁り、『歴史街道』などの雑誌を購入し、資料を探しに図書館に通った。
会津に旅をし、萩にも行った。
結婚してからは、京都に竜馬の足跡を辿り、霊山護国神社の竜馬と中岡慎太郎の並んだ墓前で、
『あなた達の意思を継ぐような辰年生まれの男の子が授かりますように』
と拝んだ。(その年の10月に生まれたのが息子)
息子が20歳になった時、その話をした。
その時、息子は笑っていたが、就活をはじめたとき、
「何で金融関係なの?」
と聞いたら、
「日本の経済を元気にするため」
とのたまった。(その前に自分と我家の経済を元気にしてくれ~*(汗)*)
さてさて、どうなることやら・・・。
『龍馬伝』を見て、龍馬の母・幸が
「龍馬さんはきっと立派なお侍になりますよ。母はそう信じとりますき」
と龍馬を励ましているシーンがあった。
その母が、上司に手打ちにされかかった龍馬を雨の中土下座して命乞いするシーンに、中学時代のやんちゃな息子と、コメツキバッタのようにあちこちに謝ってばかりだった自分が重なった。
当時、どん底状態の家庭環境での思春期の子育てに悩んでいた私に
「親の生き様を見せなさい。」
とアドバイスしてくれた人がいた。
どんな理由があろうと、「だめなものはだめ」
どんなに反抗されたって、世の中敵に回したって、最後に子どもを信じて守るのは親だから。
今ではそんな毎日のバトルも懐かしい思い出だけど・・・。
幸さんは竜馬の成長を見届けることなくなくなってしまうけれど、
「暴力ではなく上士を動かした人を一人知っている。俺の母親だ。」
と息子に言わしめる幸さんは、亡くなった後もしっかりと息子を育てているんだなあ・・・と思った。
竜馬とお母さんとのエピソードはもっといろいろあるのに、(『海』と言う文字を竜馬に教えた話とか)子ども時代が1話の前半で終わってしまったのが残念だ。
再来週にはもう『脱藩』するみたいだし・・・。
もうちょっと土佐時代の竜馬を見ていたかったな・・・。
『龍馬伝』は原作が無く、岩崎弥太郎の視点で描いていくものになるということで、司馬遼太郎氏の視点や解釈とは違う幕末・龍馬像が楽しみだ。
司馬遼太郎氏の『竜馬』と『龍馬伝』の『龍馬』。読み方は一緒でも、新しい龍馬像として福山雅治演じる坂本龍馬を見ていこう。
そうそう、私と同じく『竜馬がゆく』をバイブルとする坂本金八役であり、『海援隊』の武田鉄矢扮する勝海舟も楽しみだ。
今日、『龍馬伝』の再放送を見た。
3日に見たときは、ストーリーや、役者の表情を追うので精一杯だったが、今回は、脇役や、セット、伏線となるだろう台詞にいたるまでじっくり見ることが出来た。
まだスタートしたばかりなので、あれやこれや言うのは控えるとして、スタッフやキャストの意気込みだけは十分に感じられる作品だった。
特に、NHKの気合の入れようはハンパではない。単に視聴率を上げるということだけではなく、本当に、たくさんの人に『龍馬』を見てほしい、知らない人に知ってほしいと言う気持ちで取り組んでいるのが、本編の作り方や、番組紹介の仕方などから伝わってくる。
NHKは1968年1月7日~12月29日まで放送されたNHK大河ドラマ第6作として、司馬遼太郎原作ドラマ『竜馬がゆく』を制作している。
明治百周年を記念して制作されたこの作品は、当時の日本人の心をわしづかみにしたことだろう。
私自身、当時は小学2年生だったが、その第一回目を映像ごと今でもしっかり覚えている。
フィルムは当時、放映したら即消去していたとかで、第16話しか残っていないとか。実に残念な話だ。
私が、司馬遼太郎氏の『竜馬がゆく』を読んだのは、20歳のとき。
成人式の日、式典にも出ず、アパートで卒業制作に追われていたら、陣中見舞いにサークルの先輩が差し入れに来てくれた。
その先輩が、熱く語っていたのが『竜馬がゆく』だった。
「これからの日本の若者は『竜馬がゆく』を読まなきゃいかん!」
あまりの熱弁に、当時の私は思いっきり引いてしまったのだが・・・。
大学を卒業し、最初に就職した会社で自分の理想と現実とのギャップに苦しみ、半年で挫折し、故郷に逃げ帰った。
自分の原風景を辿りながら、故郷でとれた米、野菜、魚を食べ、水を飲み、空気を吸って、次第に元気を取り戻して行った。
大学受験を祈願し初日の出を拝んだ同じ場所に立って水平線を見ながら、
『このまま志を捨てて帰るわけには行かない。
ここに帰るのは、私を元気にしてくれた故郷を元気に出来るようになった時だ。
夢を夢では終わらせない』
と心に誓った。
東京に帰る電車の中で読むために買ったのが、『竜馬がゆく』だった。
司馬遼太郎氏の文体はとても読みやすく、再就職先に電車で通勤する時は必ず読んだ。
最終話のラストシーンを乗換駅に停車中の終電の中で読んで、号泣している時に、同じアパートに住む友人が乗ってきて、びっくりして心配してくれたこともあったっけ。
以来、『竜馬がゆく』は、私のバイブルとなった。
何故、先輩が進めてくれたときに素直に読まなかったのか・・・。
その時には自覚が無かったのだが、私は東北人であり、小学6年生の修学旅行で行った『白虎隊』のお墓参りや、会津藩の終焉について学んでいるので、どうしても、薩長や幕末の志士たちに対して多少の嫌悪感があったのかも知れない。どちらかと言うと新選組のほうが好きだった。
でも、『竜馬がゆく』を読んでみて、あの『幕末』は、いろいろな視点から学ばなくてはいけないのでは?と思うようになった。
司馬遼太郎氏は、その幕末をあらゆる視点から書いている。あの頃の私はそれらを片っ端から読み漁り、『歴史街道』などの雑誌を購入し、資料を探しに図書館に通った。
会津に旅をし、萩にも行った。
結婚してからは、京都に竜馬の足跡を辿り、霊山護国神社の竜馬と中岡慎太郎の並んだ墓前で、
『あなた達の意思を継ぐような辰年生まれの男の子が授かりますように』
と拝んだ。(その年の10月に生まれたのが息子)
息子が20歳になった時、その話をした。
その時、息子は笑っていたが、就活をはじめたとき、
「何で金融関係なの?」
と聞いたら、
「日本の経済を元気にするため」
とのたまった。(その前に自分と我家の経済を元気にしてくれ~*(汗)*)
さてさて、どうなることやら・・・。
『龍馬伝』を見て、龍馬の母・幸が
「龍馬さんはきっと立派なお侍になりますよ。母はそう信じとりますき」
と龍馬を励ましているシーンがあった。
その母が、上司に手打ちにされかかった龍馬を雨の中土下座して命乞いするシーンに、中学時代のやんちゃな息子と、コメツキバッタのようにあちこちに謝ってばかりだった自分が重なった。
当時、どん底状態の家庭環境での思春期の子育てに悩んでいた私に
「親の生き様を見せなさい。」
とアドバイスしてくれた人がいた。
どんな理由があろうと、「だめなものはだめ」
どんなに反抗されたって、世の中敵に回したって、最後に子どもを信じて守るのは親だから。
今ではそんな毎日のバトルも懐かしい思い出だけど・・・。
幸さんは竜馬の成長を見届けることなくなくなってしまうけれど、
「暴力ではなく上士を動かした人を一人知っている。俺の母親だ。」
と息子に言わしめる幸さんは、亡くなった後もしっかりと息子を育てているんだなあ・・・と思った。
竜馬とお母さんとのエピソードはもっといろいろあるのに、(『海』と言う文字を竜馬に教えた話とか)子ども時代が1話の前半で終わってしまったのが残念だ。
再来週にはもう『脱藩』するみたいだし・・・。
もうちょっと土佐時代の竜馬を見ていたかったな・・・。
『龍馬伝』は原作が無く、岩崎弥太郎の視点で描いていくものになるということで、司馬遼太郎氏の視点や解釈とは違う幕末・龍馬像が楽しみだ。
司馬遼太郎氏の『竜馬』と『龍馬伝』の『龍馬』。読み方は一緒でも、新しい龍馬像として福山雅治演じる坂本龍馬を見ていこう。
そうそう、私と同じく『竜馬がゆく』をバイブルとする坂本金八役であり、『海援隊』の武田鉄矢扮する勝海舟も楽しみだ。
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