11月20日(日)
今朝は、昨日のどしゃぶりも上がって、久しぶりに、日曜日~!という感じで、ゆっくり目覚めることができた。
16日に授業研究会が終わった。10月は、指導案が決まるまで、1週間に2日は完全徹夜、毎日深夜まで残業し、日付が変わってからの帰宅状態が続き、休日出勤は当たり前で、そういう日も帰宅は夜の10時過ぎになってしまっていた。睡眠時間を削り、ほとんど給食だけで生きているような状態で、心身ともに不健康極まりない状態だった。
加えて、ガン検診で引っかかり、再検査やその結果待ちという期間も精神的にきつかったし、家庭の問題もあったりして、まさに試練の連続だった。
11月に入ってからは、指導案をもとに、いよいよ障害物リレーの授業が始まった。
突っ込みどころ満載の私の授業の盲点弱点,死角については、授業をやるたびに、子どもたち自身が教えてくれた。私の段取りの悪さ、指示の曖昧さ、危険予測の甘さ、ルールの不明確さ、時間配分のいい加減さ等など、私の指導案は、まさに、「机上の空論」でしかなかったことが、毎時間痛いほど分かった。
その失敗を反省し、さらに効率よく、的確に、安全に授業が進められるように毎回改良、訂正し、指導案を書き直した。子どもたちも、毎回の振り返りカードに、初めの頃よりできるようになったことや、友だちに励まされてうれしかったことなどをたくさん書けるようになってきた。
そうして迎えた16日本番の授業研究会。子ども達も朝から、いや、昨日からやる気満々で、3時間目に、最後のシュミレーションをした時も、返事の仕方ひとつにでも、やる気が感じられた。
でも、たった一人、朝からトラブルばかり引き起こしては友だちを泣かせ、私に怒られてばかりの児童がいた。(それは今日に限ったことではないのだが=年がら年中)
何度目かの注意も功を奏さず、彼は、給食の準備の時にも体操服袋で友だちを叩いていたので、頭にきた私はその給食袋を中庭に放り投げた。
「あなたは、今日のリレーには出しません!見学していなさい!」
研究授業に入る前に、彼に最後の最後に、
「私に、何か言いたいことはある?」
と聞いてみた。
そしたら、
「僕もリレーに出してください。」
と言うので、
「その前に言わなければならないことは?」
と言うと、彼は、朝からの自分の『罪状』をあげ、謝り、2度としないと約束をした。(そんなことを言ったって、彼の場合は、3歩歩く前に全部忘れてしまうのだが…。)
「分かった。でも、ただではリレーには参加させられない。先生と3つの約束をして。1つ目。今すぐ着替えて、掃除をがんばること。2つ目。次の自習時間は、立ち歩かずに、ちゃんと課題のプリントを仕上げること。3つ目。体育の時間は、チームのためになることをすること。先生の話を聞くことも、用意をみんなと協力することだって、チームのためになることだよ。3つ守れるなら、リレーに出してあげる。守れる?」
「ハイ!」
果たして1つ目は彼なりに頑張った。2つ目は・・・・。
そして研究授業本番。2つ目がちゃんと守れなかったので、3つ目は頑張ろうとハリキリすぎたのか、一人一つの道具を持ち運んで準備することになっているにもかかわらず、彼は一人で4つも5つも道具を運んできてしまい、
「先生、○○君が僕の分まで持っていった~!」
と、初っ端からトラブル発生だ。
「うん、○○くんは今日はチームのみんなのために働こうと思って張り切りすぎちゃったんだね。みんなも協力して、仲良く準備しようね。」
と、双方なだめながら、内心は先が思いやられる思いだった。
ところが、子どもたちはそれぞれ頑張り、トラブルも喧嘩も怪我もなく、無事にドリル運動も、試合の準備も対戦相手の確認もできた。
いよいよチーム対抗リレーが始まると、皆の本気の走りの中にも、ドリルで練習した成果や、けがをしてチームに迷惑をかけないように気をつけて走っていることが、見ていても良くわかり、一生懸命応援し合う声が体育館中に良く響き、ふざけた態度の子どもは一人もいなかった。
勝敗も、勝ち負けがはっきりしているところはいいが、同点とか、勝ったけど、フライングがあったところなど、ルールに従い、お互いにもめたりしないで、話し合って勝敗を決めたりなど、とても立派だった。
何より、先ほどの○○くんが、クラスでも足の速い男子とアンカーで競った時に、ちーム全員が大きな声で応援し、僅差で勝った時に、相手チームからも拍手が起きたのだ。 教室に帰ってからも、
「○○くんすごかったね」
「頑張ったね」
とみんなに声かけてもらう度に、
「△△君が速かったから、負けたくなくて頑張ったんだ。でも、やっぱり△△君は速いね」
と言ってたら、当の△△君は、
「○○くんも速いよ。今日はコーンを回るとき、滑っちゃったけど、次は負けないからね」
なんて会話が聞こえてきた。
私がこの授業を通して、子ども達に身につけさせたかったことは、3年生の『ハードル』の実技につながる技能や走力はもちろんだが、それよりも、自分たちで決めたルールを守ろうとする意識と、お互いに見合って、良いところをほめ、失敗したら励まし、教え合う気持ち、そして、勝敗にかかわらず、互いの健闘をたたえ合うことができる気持ちを育てたかったのだ。
そして、いっぱい運動して、皆で協力して、
「楽しかった~!」
「できなかったことができるようになって、褒めてもらってうれしい!!」
「次の体育もがんばるぞ~!!!」という表情で、教室に戻って来れるようにしたかったのだ。
指導案検討会では、
「技能面のどんな力をつけさせたいのかという視点と手立てがない」
とか、
「精神論ばかりが優先されている指導観だ」
という指摘が多かった。
「その前の授業の時、けが人続きだったので、本番はけが人が出なくて良かった」
と言ったら、
「怪我がなくて当たり前です。体育の授業でけが人が出るのは今までの指導の仕方に問題があるからです。」
と一喝された。
「いつもはみんなに迷惑ばかりかけて、ルールも守れない子が準備も後片付けもがんばって、本番も大活躍だったので、皆も褒めてくれて、私も『良く頑張った』と抱きしめてあげました。」
と言ったら、
「それは、公平性がありません。他にも頑張った子たちがたくさんいたのに、28人全員抱き締めてあげましたか?」
と言われた。 私も、授業が終わったばかりでうまく頭の中でまとまらないまま、感想のような反省を口走ってしまったことを反省した。
小学校の体育の授業の経験も浅く、初めての小学校担任で、全く畑の違う未知の領域での指導案作りと授業だった。
学年の先生方のご指導、ご協力、そして、子どもたちにも随分と助けられた研究授業だった。
素人の私がつけてあげられる技能などはたかが知れているが、この研究授業への取り組みを通して、私と子ども達の絆がより一層強まった手ごたえは、私だけでなく、子どもたちも皆感じていると思う。
授業後の、反省会ではかなり辛辣な、でも貴重なご意見、アドバイスをいただいた。それだけ、真剣に私の授業を見てくださっていたのだと、心から感謝し、それを残り3回の授業だけでなく、普段の授業にも生かしていきたいと思う。
指導案を作っている最中は、苦しくて、辛くて、逃げ出したくて、放り投げたくて、やめたくてもう、どうしようもないくらい、心も体もボロボロだったけど、授業後に見た子どもたちの笑顔や、うれしくなることがいっぱい書かれた「振り返りカード」を読んでいたら、今までの苦労なんて、いっぺんに吹き飛んでしまった。
指導主事の先生からは、
「レベルの高い授業をされていますね。去年の研究授業の反省点の改善点も、安全への配慮も、子ども達の運動量の確保も良くできていました。ルールに対しての子ども達の態度や、一生懸命応援している姿も良かったです。先生の話を良く聞いて、指示も通っていたのは、先生と子ども達の関係が良好だからですね。このクラスの児童はとても元気があるので、あんな狭い体育館ではかわいそうです。ぜひ、外で思いっきり走らせてあげてください。」
とおっしゃっていただいた。 体育部の先生方からも、
「お疲れ様でした。3組はみんないい表情で、元気にいい動きをしていましたね。あのクラスをあそこまで育てたのはあなたですよ。自信を持ってくださいね!」
と言ってもらえた。
泣きたくなることもいっぱいあった。書き直しても書き直しても、真っ赤に書き直され、駄目出し満載で、満足な指導案が書けなくて、悔しくて泣いて眠れない日もあった。頑張らなきゃいけない時に、睡眠不足から声も出なければ、体も思うように動かないときもあった。
家事だけでなく、家庭も自分の健康も、時間も全部『犠牲』にして頑張ることに疑問と不満ばかりが募っていった時期もあった。
誰のための指導案?何のための指導案?なんで講師の私がこれをやらなきゃいけないの?私の専門の美術なら指導案だって授業だって自信持って書けるのに、何で体育なの?それも、去年の研究授業の内容よりバージョンアップされたものって??私、去年の授業を知らないのですが。こんな事情も分からない、体育素人の私が、研究授業なんてやっていいのでしょうか?
体育だけが授業じゃないのに、私が体調を崩すことによって、毎日の授業に支障が出始めていた。当初、グラウンドでの展開という設定だったのだが、雨天だったら研究授業の公開は中止だと言われていた。
でも、他校の小学校の先生をしている友人たちからもアドバイスをもらい、励ましてもらった。
「体育は、普段の授業がそのまま表れるからね。研究授業の時だけきちんとなんかできないから。授業や生活場面で普段どう指導しているのかを見られるからね。」
「いい体育をした後の子どもの顔って、いい顔しているよ。いい顔していると、他の授業も、いい顔して一生懸命できるようになるよ。」
この言葉に支えられ、励まされて頑張れたと思う。それと
「気負うことなく、素のままのあなたを出すことができれば、きっとうまくいきますよ」
という、友人の言葉と、直前の校長先生の
「いつものあなたで、のびのびやりなさい」
という言葉にも背中を押してもらった。そして、何より、私のことを1/29ピースだと言ってくれるクラスの子ども達の頑張りに支えてもらった。突っ込みどころ満載の不完全な授業だったかもしれないけれど、今の私は、始めた頃より、ずっと体育の授業が好きになってきた。子どもたちのことも良く見てあげられるようになったし、子どもたちもちゃんと話を聞いて、指示通り動き、指示がなくても自分たちで考えて動けるようになってきた。
ここが私の、2年3組の本当のスタートライン。クラスの子ども達と一緒にいられるのも、後4カ月。ここからもっともっと良くなるように、クラス皆で頑張るぞ!苦しかったけれど、この研究授業に取り組むチャンスに恵まれたことに、心から感謝します。
今朝は、昨日のどしゃぶりも上がって、久しぶりに、日曜日~!という感じで、ゆっくり目覚めることができた。
16日に授業研究会が終わった。10月は、指導案が決まるまで、1週間に2日は完全徹夜、毎日深夜まで残業し、日付が変わってからの帰宅状態が続き、休日出勤は当たり前で、そういう日も帰宅は夜の10時過ぎになってしまっていた。睡眠時間を削り、ほとんど給食だけで生きているような状態で、心身ともに不健康極まりない状態だった。
加えて、ガン検診で引っかかり、再検査やその結果待ちという期間も精神的にきつかったし、家庭の問題もあったりして、まさに試練の連続だった。
11月に入ってからは、指導案をもとに、いよいよ障害物リレーの授業が始まった。
突っ込みどころ満載の私の授業の盲点弱点,死角については、授業をやるたびに、子どもたち自身が教えてくれた。私の段取りの悪さ、指示の曖昧さ、危険予測の甘さ、ルールの不明確さ、時間配分のいい加減さ等など、私の指導案は、まさに、「机上の空論」でしかなかったことが、毎時間痛いほど分かった。
その失敗を反省し、さらに効率よく、的確に、安全に授業が進められるように毎回改良、訂正し、指導案を書き直した。子どもたちも、毎回の振り返りカードに、初めの頃よりできるようになったことや、友だちに励まされてうれしかったことなどをたくさん書けるようになってきた。
そうして迎えた16日本番の授業研究会。子ども達も朝から、いや、昨日からやる気満々で、3時間目に、最後のシュミレーションをした時も、返事の仕方ひとつにでも、やる気が感じられた。
でも、たった一人、朝からトラブルばかり引き起こしては友だちを泣かせ、私に怒られてばかりの児童がいた。(それは今日に限ったことではないのだが=年がら年中)
何度目かの注意も功を奏さず、彼は、給食の準備の時にも体操服袋で友だちを叩いていたので、頭にきた私はその給食袋を中庭に放り投げた。
「あなたは、今日のリレーには出しません!見学していなさい!」
研究授業に入る前に、彼に最後の最後に、
「私に、何か言いたいことはある?」
と聞いてみた。
そしたら、
「僕もリレーに出してください。」
と言うので、
「その前に言わなければならないことは?」
と言うと、彼は、朝からの自分の『罪状』をあげ、謝り、2度としないと約束をした。(そんなことを言ったって、彼の場合は、3歩歩く前に全部忘れてしまうのだが…。)
「分かった。でも、ただではリレーには参加させられない。先生と3つの約束をして。1つ目。今すぐ着替えて、掃除をがんばること。2つ目。次の自習時間は、立ち歩かずに、ちゃんと課題のプリントを仕上げること。3つ目。体育の時間は、チームのためになることをすること。先生の話を聞くことも、用意をみんなと協力することだって、チームのためになることだよ。3つ守れるなら、リレーに出してあげる。守れる?」
「ハイ!」
果たして1つ目は彼なりに頑張った。2つ目は・・・・。
そして研究授業本番。2つ目がちゃんと守れなかったので、3つ目は頑張ろうとハリキリすぎたのか、一人一つの道具を持ち運んで準備することになっているにもかかわらず、彼は一人で4つも5つも道具を運んできてしまい、
「先生、○○君が僕の分まで持っていった~!」
と、初っ端からトラブル発生だ。
「うん、○○くんは今日はチームのみんなのために働こうと思って張り切りすぎちゃったんだね。みんなも協力して、仲良く準備しようね。」
と、双方なだめながら、内心は先が思いやられる思いだった。
ところが、子どもたちはそれぞれ頑張り、トラブルも喧嘩も怪我もなく、無事にドリル運動も、試合の準備も対戦相手の確認もできた。
いよいよチーム対抗リレーが始まると、皆の本気の走りの中にも、ドリルで練習した成果や、けがをしてチームに迷惑をかけないように気をつけて走っていることが、見ていても良くわかり、一生懸命応援し合う声が体育館中に良く響き、ふざけた態度の子どもは一人もいなかった。
勝敗も、勝ち負けがはっきりしているところはいいが、同点とか、勝ったけど、フライングがあったところなど、ルールに従い、お互いにもめたりしないで、話し合って勝敗を決めたりなど、とても立派だった。
何より、先ほどの○○くんが、クラスでも足の速い男子とアンカーで競った時に、ちーム全員が大きな声で応援し、僅差で勝った時に、相手チームからも拍手が起きたのだ。 教室に帰ってからも、
「○○くんすごかったね」
「頑張ったね」
とみんなに声かけてもらう度に、
「△△君が速かったから、負けたくなくて頑張ったんだ。でも、やっぱり△△君は速いね」
と言ってたら、当の△△君は、
「○○くんも速いよ。今日はコーンを回るとき、滑っちゃったけど、次は負けないからね」
なんて会話が聞こえてきた。
私がこの授業を通して、子ども達に身につけさせたかったことは、3年生の『ハードル』の実技につながる技能や走力はもちろんだが、それよりも、自分たちで決めたルールを守ろうとする意識と、お互いに見合って、良いところをほめ、失敗したら励まし、教え合う気持ち、そして、勝敗にかかわらず、互いの健闘をたたえ合うことができる気持ちを育てたかったのだ。
そして、いっぱい運動して、皆で協力して、
「楽しかった~!」
「できなかったことができるようになって、褒めてもらってうれしい!!」
「次の体育もがんばるぞ~!!!」という表情で、教室に戻って来れるようにしたかったのだ。
指導案検討会では、
「技能面のどんな力をつけさせたいのかという視点と手立てがない」
とか、
「精神論ばかりが優先されている指導観だ」
という指摘が多かった。
「その前の授業の時、けが人続きだったので、本番はけが人が出なくて良かった」
と言ったら、
「怪我がなくて当たり前です。体育の授業でけが人が出るのは今までの指導の仕方に問題があるからです。」
と一喝された。
「いつもはみんなに迷惑ばかりかけて、ルールも守れない子が準備も後片付けもがんばって、本番も大活躍だったので、皆も褒めてくれて、私も『良く頑張った』と抱きしめてあげました。」
と言ったら、
「それは、公平性がありません。他にも頑張った子たちがたくさんいたのに、28人全員抱き締めてあげましたか?」
と言われた。 私も、授業が終わったばかりでうまく頭の中でまとまらないまま、感想のような反省を口走ってしまったことを反省した。
小学校の体育の授業の経験も浅く、初めての小学校担任で、全く畑の違う未知の領域での指導案作りと授業だった。
学年の先生方のご指導、ご協力、そして、子どもたちにも随分と助けられた研究授業だった。
素人の私がつけてあげられる技能などはたかが知れているが、この研究授業への取り組みを通して、私と子ども達の絆がより一層強まった手ごたえは、私だけでなく、子どもたちも皆感じていると思う。
授業後の、反省会ではかなり辛辣な、でも貴重なご意見、アドバイスをいただいた。それだけ、真剣に私の授業を見てくださっていたのだと、心から感謝し、それを残り3回の授業だけでなく、普段の授業にも生かしていきたいと思う。
指導案を作っている最中は、苦しくて、辛くて、逃げ出したくて、放り投げたくて、やめたくてもう、どうしようもないくらい、心も体もボロボロだったけど、授業後に見た子どもたちの笑顔や、うれしくなることがいっぱい書かれた「振り返りカード」を読んでいたら、今までの苦労なんて、いっぺんに吹き飛んでしまった。
指導主事の先生からは、
「レベルの高い授業をされていますね。去年の研究授業の反省点の改善点も、安全への配慮も、子ども達の運動量の確保も良くできていました。ルールに対しての子ども達の態度や、一生懸命応援している姿も良かったです。先生の話を良く聞いて、指示も通っていたのは、先生と子ども達の関係が良好だからですね。このクラスの児童はとても元気があるので、あんな狭い体育館ではかわいそうです。ぜひ、外で思いっきり走らせてあげてください。」
とおっしゃっていただいた。 体育部の先生方からも、
「お疲れ様でした。3組はみんないい表情で、元気にいい動きをしていましたね。あのクラスをあそこまで育てたのはあなたですよ。自信を持ってくださいね!」
と言ってもらえた。
泣きたくなることもいっぱいあった。書き直しても書き直しても、真っ赤に書き直され、駄目出し満載で、満足な指導案が書けなくて、悔しくて泣いて眠れない日もあった。頑張らなきゃいけない時に、睡眠不足から声も出なければ、体も思うように動かないときもあった。
家事だけでなく、家庭も自分の健康も、時間も全部『犠牲』にして頑張ることに疑問と不満ばかりが募っていった時期もあった。
誰のための指導案?何のための指導案?なんで講師の私がこれをやらなきゃいけないの?私の専門の美術なら指導案だって授業だって自信持って書けるのに、何で体育なの?それも、去年の研究授業の内容よりバージョンアップされたものって??私、去年の授業を知らないのですが。こんな事情も分からない、体育素人の私が、研究授業なんてやっていいのでしょうか?
体育だけが授業じゃないのに、私が体調を崩すことによって、毎日の授業に支障が出始めていた。当初、グラウンドでの展開という設定だったのだが、雨天だったら研究授業の公開は中止だと言われていた。
でも、他校の小学校の先生をしている友人たちからもアドバイスをもらい、励ましてもらった。
「体育は、普段の授業がそのまま表れるからね。研究授業の時だけきちんとなんかできないから。授業や生活場面で普段どう指導しているのかを見られるからね。」
「いい体育をした後の子どもの顔って、いい顔しているよ。いい顔していると、他の授業も、いい顔して一生懸命できるようになるよ。」
この言葉に支えられ、励まされて頑張れたと思う。それと
「気負うことなく、素のままのあなたを出すことができれば、きっとうまくいきますよ」
という、友人の言葉と、直前の校長先生の
「いつものあなたで、のびのびやりなさい」
という言葉にも背中を押してもらった。そして、何より、私のことを1/29ピースだと言ってくれるクラスの子ども達の頑張りに支えてもらった。突っ込みどころ満載の不完全な授業だったかもしれないけれど、今の私は、始めた頃より、ずっと体育の授業が好きになってきた。子どもたちのことも良く見てあげられるようになったし、子どもたちもちゃんと話を聞いて、指示通り動き、指示がなくても自分たちで考えて動けるようになってきた。
ここが私の、2年3組の本当のスタートライン。クラスの子ども達と一緒にいられるのも、後4カ月。ここからもっともっと良くなるように、クラス皆で頑張るぞ!苦しかったけれど、この研究授業に取り組むチャンスに恵まれたことに、心から感謝します。
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