1月8日(金)
生徒達から受ける質問が毎年いくつかある。
そのトップが私の年齢についてだ。
何ゆえそんなに知りたがるのか・・・?
講師になって最初の頃は
「永遠の19歳」
と言っていたのだが、ある生徒に
「先生、それじゃあ、忘年会とかじゃ未成年だから飲めないんだね。かわいそう」
と指摘され、翌年から
「永遠の二十歳」
と言うようになった。
ところが、去年の勤務校の美術部の部長に
「先生、2回もギックリやって『永遠の二十歳』じゃ悲しくて笑えないよ」
といわれ、挙句、成人式を迎えた息子からは
「俺と『タメ』なわけ?」
とあきれられ、去年からは
「ママになってから二十歳」という某CMの受け売りで答えるようにしている。
で、今年も学年、男女問わず、あちこちでいつもの質問をぶつけられる。
プラス、
「結婚してるの?」
「してるよ。」
「子どもいるの?」
「いるよ。3人。」
「え~~~っ*(驚き)*じゃ、3回もヤッタの?」
・・・この続きは『梨の選果作業』の話の時に書いたので、割愛する。
別なシーンでも
「上のお子さんはいくつですか?」
「今、大学3年生だよ」
「じゃあ、20歳?」
「そう、だから、私は『ママになってから二十歳』なの~*(酔払い)*」
そこで皆は、いくつの時に生んだ子どもなのかをあれこれ計算し始める。
「じゃあ、先生、今、42歳なの?」
「だから、『ママになってから二十歳』なんだってば」
「あ~、ごまかしてる!やっぱ42歳なんだ~!!」
要するに、13歳の彼らから見たら、30代も40代も、あまり変わらないらしい。おばさんはおばさんなのだ。
これが50才を過ぎると『初老』のおばあさんになるのだそうだが・・・。
実際、同級生や2歳年上のいとこには孫がいる!!!
またまた別なシーン
「先生、結婚してんの?*(退屈)*」
「してるよ。子どももいるし*(笑顔)*」
「なんだ、してるのか*(いっぷく)*」
「何歳で結婚したの?*(ジロ)*」
「内緒*(ウインク)*」
「今、何歳なわけ?*(退屈)*」
そこに昨日の生徒がやってきて
「先生、42なんだよ~*(ニヤ)*」
「え~?見えね~!*(驚き)*」
「40過ぎには見えねよ~*(驚き)*」
それって、どうとっていいのだろう???
でも、さすがに今年は『天命を知る』年齢を迎えるにあたって、このままでいいのか?と言う気持ちになってきた。
若く見えるというのは、シビアな見方をすれば、
・年相応の落ち着きが無い
・幼い
・頼りない
と言うことにもなる。
生徒から気安く声をかけられると言うのも
・甘く見られている
・緊張感が無い
・成長しない
・・・・
当たらずとも遠からずかな。
でも、いったん授業に入ったり、指導にはいると、私はかなり厳しいらしい。
4月当初に生徒達と交わした、安全で楽しく学校生活を送り、授業を受けるための10の約束を守れなかった生徒やクラスへの指導は、自分でもかなり手厳しいとは思う。
でも、刃物を使う授業でもあり、こちらも体張って、首かけて教える覚悟があっての授業をしているのだ。気合が違う。
また、自分の作品や他人の作品を大切にしないときもかなり怖い。
同じものは作者自身でも2度と描けない、作れないのだ。
生徒指導にいたっては、どんなやんちゃ坊主にだって引かない。逃げない。諦めない。
私には、冗談は通じない。
駆け引きも泣き落としも通じない。『言葉のあや』もだめ。
かといって、切ることも、省くことも、見捨てることも出来ない。
妹には
「お姉ちゃんは自分でトラブルを吸い寄せているみたい。もっと楽に生きられないの?」
弟には
「もっと世の中を斜めに見る視点を持ったほうがいいよ」
子ども達には
「思春期の子どもにとっては恥ずかしい親。もっと普通に目立たないように大人しくしていて。」
と思われている。
同級会では、恩師からも、同級生からも
「いつ会っても、思いっきり変わっていない人No.1」
と言われ、別れ際には
「そのまんま、50才になっても、60,70才になっても変わらないでね」
と、再会を約束しあう。
自分では。
多分、かなり波乱万丈な人生を送っており、文字にすれば、次々とトラブルや不幸な目に会っている、可愛そうで気の毒な人・・・と言うことになるのだが。
生来の楽天家、父親譲りの超プラス思考、母方の祖母譲りの『おだづもっこ』、「ちゅらさん」の主人公顔負けの立ち直りの早さでここまで生きてきた。
皆に心配をかけ、迷惑をかけ、恥ずかしい思いをさせてしまうこともあるだろうが、治らないものは治らない。諦めてもらうしかない。でも、自分で意識して変えて成長していかなくてはならないことは努力して行こうと思っている。
結論。
年齢相応に見せるために、似合わない化粧や服装、持ち物に気やお金を使うのはなんだかしっくり来ない。
見た目は幼くて、落ち着いた雰囲気は無いかもしれないけれど、知識や経験だけは豊富な、心の引き出しをたくさん持っている人になりたい。
更に。いつでも青春現役。美しいものや素晴しいことに素直に感動でき、初めてのことには子どものようにワクワクし、素敵な人との出逢いには少女のようにときめく心を持ち続け、歳をとっても夢を追いかけそのために努力し続けられる『永遠の20歳』でいたい。
と、ここまで書いて、ハタと思い当たった。
私が幼く見られる原因。(子ども達が恥ずかしがる原因でもある)
リアクションだ。
生徒の作品で、いい作品を見ると、瞬間
「かわいい*(ハート3つ)*!」
「いいね~!*(クローバー)*」
「かっこいい*(青ハート)*!!」
「色使いがグー*(グッド)*!!」
「この発想は只者ではない*(キラキラ)*!!」
「ここまでこだわるとは!○○の手法のプロ並み!えらい!!」
などなど、オーバーアクションでやたらめったら褒めちぎる。
反対に
「忘れ物をしました」
「出来ませんでした」
と言ってくる生徒には
「私には『だからC下さい』と変換されて聞こえているんだけど。未提出は『2でいいです』って言ってるの?評価には間に合わなくても、全員提出だから」
と、かなり手厳しい。
でもって、極め付けが『声』だ。
電話やマイクを通して聞くと、『10代』で通る声なのだそうだ。
私だと知らないで声だけ聞いていると、声変わり前のボーイソプラノの少年か、美少女を連想するそうだ。*(酔払い)*(*(ジロ)*お世辞です。)
教室で職員室からのインターホンを受けると、生徒と間違われて「先生をお願いします」と言われる。*(シャイ)*
う~~~ん。リアクションと声かぁ・・・
これはきっと10年経っても変わっていないような気がする。
『天命』ってなんだろう。
『不惑』の40代は、常に惑いっぱなしだったと言うのに・・・。
誕生日まであと7ヶ月余り。『天命』を知る前に、まずは自分の半世紀を振り返って、『己』を知らねば。
心は『永遠の二十歳』のつもりでも、体力・視力の衰えと体型の崩れは年々恐ろしいほどだ。
気持ちの上での若さを保つ意味でも、体力・健康づくりとメタボ撃退は急務だ。
がんばれ!(見た目)『42歳!』*(汗)*
生徒達から受ける質問が毎年いくつかある。
そのトップが私の年齢についてだ。
何ゆえそんなに知りたがるのか・・・?
講師になって最初の頃は
「永遠の19歳」
と言っていたのだが、ある生徒に
「先生、それじゃあ、忘年会とかじゃ未成年だから飲めないんだね。かわいそう」
と指摘され、翌年から
「永遠の二十歳」
と言うようになった。
ところが、去年の勤務校の美術部の部長に
「先生、2回もギックリやって『永遠の二十歳』じゃ悲しくて笑えないよ」
といわれ、挙句、成人式を迎えた息子からは
「俺と『タメ』なわけ?」
とあきれられ、去年からは
「ママになってから二十歳」という某CMの受け売りで答えるようにしている。
で、今年も学年、男女問わず、あちこちでいつもの質問をぶつけられる。
プラス、
「結婚してるの?」
「してるよ。」
「子どもいるの?」
「いるよ。3人。」
「え~~~っ*(驚き)*じゃ、3回もヤッタの?」
・・・この続きは『梨の選果作業』の話の時に書いたので、割愛する。
別なシーンでも
「上のお子さんはいくつですか?」
「今、大学3年生だよ」
「じゃあ、20歳?」
「そう、だから、私は『ママになってから二十歳』なの~*(酔払い)*」
そこで皆は、いくつの時に生んだ子どもなのかをあれこれ計算し始める。
「じゃあ、先生、今、42歳なの?」
「だから、『ママになってから二十歳』なんだってば」
「あ~、ごまかしてる!やっぱ42歳なんだ~!!」
要するに、13歳の彼らから見たら、30代も40代も、あまり変わらないらしい。おばさんはおばさんなのだ。
これが50才を過ぎると『初老』のおばあさんになるのだそうだが・・・。
実際、同級生や2歳年上のいとこには孫がいる!!!
またまた別なシーン
「先生、結婚してんの?*(退屈)*」
「してるよ。子どももいるし*(笑顔)*」
「なんだ、してるのか*(いっぷく)*」
「何歳で結婚したの?*(ジロ)*」
「内緒*(ウインク)*」
「今、何歳なわけ?*(退屈)*」
そこに昨日の生徒がやってきて
「先生、42なんだよ~*(ニヤ)*」
「え~?見えね~!*(驚き)*」
「40過ぎには見えねよ~*(驚き)*」
それって、どうとっていいのだろう???
でも、さすがに今年は『天命を知る』年齢を迎えるにあたって、このままでいいのか?と言う気持ちになってきた。
若く見えるというのは、シビアな見方をすれば、
・年相応の落ち着きが無い
・幼い
・頼りない
と言うことにもなる。
生徒から気安く声をかけられると言うのも
・甘く見られている
・緊張感が無い
・成長しない
・・・・
当たらずとも遠からずかな。
でも、いったん授業に入ったり、指導にはいると、私はかなり厳しいらしい。
4月当初に生徒達と交わした、安全で楽しく学校生活を送り、授業を受けるための10の約束を守れなかった生徒やクラスへの指導は、自分でもかなり手厳しいとは思う。
でも、刃物を使う授業でもあり、こちらも体張って、首かけて教える覚悟があっての授業をしているのだ。気合が違う。
また、自分の作品や他人の作品を大切にしないときもかなり怖い。
同じものは作者自身でも2度と描けない、作れないのだ。
生徒指導にいたっては、どんなやんちゃ坊主にだって引かない。逃げない。諦めない。
私には、冗談は通じない。
駆け引きも泣き落としも通じない。『言葉のあや』もだめ。
かといって、切ることも、省くことも、見捨てることも出来ない。
妹には
「お姉ちゃんは自分でトラブルを吸い寄せているみたい。もっと楽に生きられないの?」
弟には
「もっと世の中を斜めに見る視点を持ったほうがいいよ」
子ども達には
「思春期の子どもにとっては恥ずかしい親。もっと普通に目立たないように大人しくしていて。」
と思われている。
同級会では、恩師からも、同級生からも
「いつ会っても、思いっきり変わっていない人No.1」
と言われ、別れ際には
「そのまんま、50才になっても、60,70才になっても変わらないでね」
と、再会を約束しあう。
自分では。
多分、かなり波乱万丈な人生を送っており、文字にすれば、次々とトラブルや不幸な目に会っている、可愛そうで気の毒な人・・・と言うことになるのだが。
生来の楽天家、父親譲りの超プラス思考、母方の祖母譲りの『おだづもっこ』、「ちゅらさん」の主人公顔負けの立ち直りの早さでここまで生きてきた。
皆に心配をかけ、迷惑をかけ、恥ずかしい思いをさせてしまうこともあるだろうが、治らないものは治らない。諦めてもらうしかない。でも、自分で意識して変えて成長していかなくてはならないことは努力して行こうと思っている。
結論。
年齢相応に見せるために、似合わない化粧や服装、持ち物に気やお金を使うのはなんだかしっくり来ない。
見た目は幼くて、落ち着いた雰囲気は無いかもしれないけれど、知識や経験だけは豊富な、心の引き出しをたくさん持っている人になりたい。
更に。いつでも青春現役。美しいものや素晴しいことに素直に感動でき、初めてのことには子どものようにワクワクし、素敵な人との出逢いには少女のようにときめく心を持ち続け、歳をとっても夢を追いかけそのために努力し続けられる『永遠の20歳』でいたい。
と、ここまで書いて、ハタと思い当たった。
私が幼く見られる原因。(子ども達が恥ずかしがる原因でもある)
リアクションだ。
生徒の作品で、いい作品を見ると、瞬間
「かわいい*(ハート3つ)*!」
「いいね~!*(クローバー)*」
「かっこいい*(青ハート)*!!」
「色使いがグー*(グッド)*!!」
「この発想は只者ではない*(キラキラ)*!!」
「ここまでこだわるとは!○○の手法のプロ並み!えらい!!」
などなど、オーバーアクションでやたらめったら褒めちぎる。
反対に
「忘れ物をしました」
「出来ませんでした」
と言ってくる生徒には
「私には『だからC下さい』と変換されて聞こえているんだけど。未提出は『2でいいです』って言ってるの?評価には間に合わなくても、全員提出だから」
と、かなり手厳しい。
でもって、極め付けが『声』だ。
電話やマイクを通して聞くと、『10代』で通る声なのだそうだ。
私だと知らないで声だけ聞いていると、声変わり前のボーイソプラノの少年か、美少女を連想するそうだ。*(酔払い)*(*(ジロ)*お世辞です。)
教室で職員室からのインターホンを受けると、生徒と間違われて「先生をお願いします」と言われる。*(シャイ)*
う~~~ん。リアクションと声かぁ・・・
これはきっと10年経っても変わっていないような気がする。
『天命』ってなんだろう。
『不惑』の40代は、常に惑いっぱなしだったと言うのに・・・。
誕生日まであと7ヶ月余り。『天命』を知る前に、まずは自分の半世紀を振り返って、『己』を知らねば。
心は『永遠の二十歳』のつもりでも、体力・視力の衰えと体型の崩れは年々恐ろしいほどだ。
気持ちの上での若さを保つ意味でも、体力・健康づくりとメタボ撃退は急務だ。
がんばれ!(見た目)『42歳!』*(汗)*
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