ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

お雛飾り

2012-02-15 03:21:26 | 昔の道具・暮らし

 

「ひなあられ」に吊られて…だはは…だしてきました。

いつも箱をあけると、次々「今年は、あんたさんたちココね」とかなんとか、チャカチャカと出して並べるのですが、

出したのは昨夜のこと、いくらなんでも夜中に飾るのもと思い、ちょっとじっくり眺めてみました。

さすがに60年モノ…汚れていたり、色あせていたり…でもなんだかいとおしいです。

 

目で見ているより、写真にとってド・アップで見ると、あらこんなとこ汚れてる…なんてきがついちゃったりします。

木目込みのこちらは「親王飾り」で、大きさはこのくらい…。

 

          

 

冠の柄、上の鳥が鳳凰なので、それに合わせて「雲」。唐衣の柄は亀甲です。

 

         

 

そしてまぁこんなにまるっこくて小さいのに、ちゃんと「お鼻」がたかいんです。

この顔とアタマの丸みとカーブ、絶妙だわ…とおもっちゃいました。ほっぺたほんのりピンクだし。

お衣装は唐草。

 

                 

  

毎年、お雛様の時期になりますといろいろ書いているので、ちと調べてみましたら、

並べ方だのなんだのを書いているのはブログ初めてすぐのころなんです。

この際、もう少し要領よくまとめて書いてみましょう。

と言っても私の記事です、おそらくながーーーくなります。お覚悟なさりませぇ。

 

お雛様の歴史については今回省略…です。とりあえず「上巳(じょうし)の節句」と申します。

まずはお雛様の「並べ方」、こちらから見て…ですが、男雛が左は「関東風」、右が「関西風」。

つまりトップ写真の並べ方が「関西風」です。元々公家の文化から生まれたものですから、

男雛が右、が「宮中での正式」です。

これは宮中における「身分のの上下」によるもので、右より左の方が上、西より東が上です。

とりあえず、お雛様はこちらから向かい合わせで見るのでややこしいですから、

まず自分が「男雛」になったつもりで、雛壇の一番上の左にすわってみて考えてください。

 

男雛は「帝」の地位ですから、一番身分が高く、自分の左には「上」はいません。帝の左は「東」つまり神様の域です。

だから一番上の左なんですね。その次が「皇后」ですから、すぐ右側に。「親王后」と言います。

皇后様から見れば、自分より身分が上なのは「帝」ですから、左に帝がくるわけですね。

次が、おそば近くについていろいろお支度など面倒を見る「三人官女」。

これは身分としては男性より下になりますが、元々江戸時代まではお雛様といえば「親王飾り」が主でした。

なにしろ元を正せば、お雛様もまた「祈り、お祓い、まじない」の対象であったわけですから。

時代も下がってくると、宗教上のしきたりよりも「女の子のお祭りにして、その健康を願う」…

という意味合いの方が強くなり、いろいろ作って並べだしたってことなのでしょうね。

江戸時代には庶民も飾るようになりましたから。

また「公家」と「武家」という文化の違いもありましたので、それぞれ違うところがいろいろあったりします。

古いお雛様ですと「右大臣左大臣」が二段目だったりします。けっこう見た目の華やかさなどで、

変わってきたりしてるんでしょうね。

 

とりあえず、まずは三人官女から。三人官女は通常「既婚者一人、未婚者二人」のトリオです。

私の持っているようなのではなく、いわゆる「普通の日本人形タイプ」のものをお持ちでしたら、

お顔を見てみてください。一人は殿上眉にお歯黒で、それをあらわすのに、口の中に黒い線が見えると思います。

ちなみに「殿上眉」は「引き眉」ともいいまして、公家の男性は元服後、女性は結婚後に、

眉を抜いたり剃ったりして、それより高いオデコの位置に丸く書きました。

公家は男性も化粧しましたからねぇ。後年、武家の奥方でも身分の高い女性は「殿上眉」にお歯黒でした。

三人官女の持ち物は、むかって左から「加えの提子・三方・長柄の銚子」ですが、

この「提子」と「銚子」も、同じ「ちょうし」という読み方ですが、モノは違うもの。

「銚子」の方が杯に直接お酒を注ぐ役目、長い柄のついたもの。結婚式の三々九度で使われますね。

「提子」の方は「ひさげ」ともいわれて、銚子に「お酒を足す」役目。土瓶のように持ち手がついてます。

真ん中の三方は「杯を載せる台」、もしくは「高杯」を持っています。公家はこの「三方」が「島台」に変わります。

「島台」というのは、皆さんもきっとどこかで見ていると思いますが、結納や結婚の時に、

まるっこい三本足の台の上に、松とか鶴亀とかのおめでたい飾りを置いたもの。

公家ではこれを「蓬莱山」に見立てています。

昔のお雛様の三人官女は白い着物に赤い袴で、同じ赤の大きなたすきみたいなものをかけている…

と言うのがほとんどだったと思いますが、こちらが元々の「宮廷官女の正装」だと聞いたことがあります。

最近のものは、華やかさがポイントなのでしょう、きらびやかな「袿」を着ていたりします。

 

次が五人囃子ですが、別に帝の専属オーケストラではありません。

彼らは元服前のエリート予備軍。つまりナンタラ大臣の息子とか、カンタラ大納言の甥とか…。

かの時代、公家は「楽器」が演奏できてアタリマエ、歌が詠めてアタリマエでしたから、

その中でも笛の名手とか鼓の名手とかいたわけで、当然女性も琴や笛をたしなみました。

ここにいるのは「じょうず」と評判のオノコたちの集まりということになりますかね。

これはこちらから見て、向かって左から「太鼓・大鼓・小鼓・笛・謡」です。音の大きい順番です。

 

最近のものは、この下が「右大臣」と「左大臣」、実は「大臣」ではなく「随臣」というのが正しい呼び方。

これも「帝から見下ろして…」なので、右より左が上、ですからこちらから見ると左大臣が「右」にきます。

言ってみれば頭脳労働担当?で、知識や経験の深い老人が「左大臣」、肉体労働担当の若い方が「右大臣」。

右より左、これは西より東…でもありまして、帝の位置に座って左は「東」です。つまりお雛様は南を向いているんですね。

帝の警護に当たるのが「近衛府(このえふ)」、まんま「ちかきまもりのふ」でして、帝の東を守るのが「左近衛(さこんのえ)」

西の守りが「右近衛(うこんのえ)」、お雛様の随臣は官位で言うと左が「四位」、右が「五位」。

この「○位」というのがまたややこしくて…私途中で投げてますので、詳しくは説明できませんが、

一番上が「正一位」次が「従一位」…順番に二位三位といくわけですが、

途中からたしか、中間層(中の上みたいな)がでてきたりして、全部で30種類くらいあったと思います。

ちなみに木目込みとか小さいお雛様などで、二人とも同じ顔でどっちがじいちゃんかわからない…

そんなときは、衣装がジミで濃い色の方がだいたい「じーちゃん」の左大臣です。

 

やーっと一番下まできましたね。三人組の「仕丁(じちょう)」。

唯一の「庶民代表」、一定の地区(戸数)から何人、というように召集されて、御所での仕事をしていた人たち。

衛士(えじ)とも言いますが、要するにメンテナンス係やお供係などの雑役です。

これも最近は、キレイなお衣装のものが出ていますが、本来は一番身分が低いですから白い衣装が本式。

関西ではほとんど「お掃除道具」を持っているのが多く、こちらから見て左から「熊手・ちりとり・ほうき」です。

これが関東になりますと武家アイテムが入ってきまして、左から「台笠」「沓台」「立て笠」。

台笠はあの陣笠みたいなアタマにかぶる笠で、これを竿の先につけて袋をかぶせたもの。

沓台は履物をお預かりする台、立て傘は、さしかける日よけ用の大きい傘を袋に入れたもの。

大名行列のお道具…といわれています。こんなカッコで大名行列なんてしないんですが、

武家の意識として持ち物だけでも…だったんでしょうね。武家と公家ってけっこう張り合ってるんです。

そのくせ「帝様」を模したものですからして、これは変えられず、たとえば将軍様と御正室様のカップルとか、

片はずし髷に打掛姿の三人お中臈とか、裃の五人囃子もありませんねぇ。あるのかな?

 

最後に「右近の橘」「左近の桜」、これも帝さまから見てですから、

こちらから見ると右側に「左近の桜」がきます。これは御所紫宸殿のお庭の通りに模したもの。

 

さて、いかがでしたか?お雛様って、ひとつひとついろんな意味があったりして、楽しいものです。

長い歴史がありますから、社会の状況なんかによって、いろいろ変化があるのですね。

あら、ダイジなことを忘れておりました。関東で男雛が「むかって左」にくるわけ。

武家政治が崩壊し、時の帝が京を離れて江戸城に入り、天皇として政をつかさどることになりました。

明治天皇ですね。今後は外国とのつながりを大いに深めなければと思われて、

明治天皇は、ご自分はもちろんのこと、大臣など「高官」にも洋装を命じました。

外国とのお付き合いが始まると、それまで表舞台に立たなかった女性も公式の場に出てきます。

外国では男性が右で、左に婦人を伴ってエスコートします。明治天皇も当然これに倣いました。

そこで「男性が右、女性が左」の形が知られるようになり、関東の人形師たちは、

「そんじゃお雛様も変えなきゃまずかんべ」というので左右が逆になった…と言うのが通説です。

これも昭和天皇の即位の時が…とか、いろいろな説もあるのですが、

私は「元が宮中から始まっている」ことから考えて、やはり「明治維新」の西洋文化流入が、

大きな要因ではないかなと思っています。

 

昔はお雛様の衣装といえば、女雛が一番ハデで、三人官女は白の小袖に赤い袴…だったものが、

今は袿を着てるし、その色柄も、三人違ったり、衣装の色合いが紫系とかブルー系とか、

なんかモダンというべきか、お雛様はもっと赤くていいんじゃない?みたいな色柄もでてきました。

これもまた「時代」というものなのでしょう。

ただ、基本「こんな意味があるんだよ」って知っていると、飾るときも楽しいと思うんですけどね。

そろそろお雛様販売の時期もラストスパートだと思いますが、もしそんな場所に行ったら、

上に書いたことを思い出しながらご覧になると、また楽しいかと思います。

 

ほんとに長くなりましたね。お疲れ様でした。

 

 


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6 コメント

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可愛いお顔♪ (りら)
2012-02-15 05:05:42
ほのぼのと可愛いお雛様ですよねぇ。
狐顔よりこういう優しい感じの上品さの方が子どもに見せるのには良いように思えます。
品の良さとは「おすましすること」ではなくて昨今忘れられがちな「おっとりとした人柄の良さ」なんだよって思ってくれそうです。

それにしても、とんぼさんの知識量!ものすごいです!!
毎度感じますが・・・内容と共にその知識量に感嘆!!

そう言えば、あの業者が焼き物の小さな段飾りを出していたのをごらんになってました?
そそられましたが買ってどうする?と自重自重・・・・
返信する
Unknown (陽花)
2012-02-15 10:43:52
すごいはやわざ、もう出されましたか。
木目込みのお雛様、ふくふくしいお顔で
見ているだけで笑みがこぼれますね。
返信する
なごみます (えみこ)
2012-02-15 15:50:16
頬のふっくらさがいいですね。
年代ものな感じが、また味が出ています。
大河ドラマがちょうど平安末期、参考にします。
返信する
Unknown (とんぼ)
2012-02-16 01:06:42
りら様

人形は顔が命…といいますが、子供のころは、
この丸っこいお顔を、おまんじゅうみたいだ…
なんておもっていたものです。
でも、アタマの飾りが触りたくて触りたくて、
母にいつもとめられていたことなど、
思い出します。
それだけちゃんと出してくれていたということですよね。

好奇心からあれこれ知ることができましたが、
わからないこともまだまだありますし、
こういうときつくづく、今は情報が多すぎて早すぎると
そう思います。

あの業者…思いついてのト違っていて、
まだみつけてませーん。どんなのぉ?
もうおわっちゃいましたか。
返信する
Unknown (とんぼ)
2012-02-16 01:08:47
陽花様

いやもう、このごろはお尻が重くて重くて、
思い切ってやってしまわないと…が
たーくさんあります。

このお雛様、すでに着物の色など褪せているのですが、
なんともなごみます。
返信する
Unknown (とんぼ)
2012-02-16 01:10:46
えみこ様

今はこういう顔でも「中身」が
化成モノだったりするそうで。
時代ついてますのでねぇ、元々は安いランクのものなんですが、
ココまで来ると「お宝」です。
返信する

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