ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

恐ろしい未来?

2013-11-26 19:53:27 | つれづれ

 

クローズアップ現代…見て、なんだか背筋が寒くなりました。

 

「ウェアラブル端末」のお話でした。

ウェアラブル、つまり身に着けられる端末ですね。

以前、メガネにつけた端末で、あれこれ情報が入る…というものをやっていました。

私は「便利道具はみんなで使えばいい」「超・便利道具は、使う人を選ぶべきだ」と考えるほうです。

パソコンを毎日便利に使っている私ですが、だからと言ってパソコンで何もかもやろうとは思いません。

手で書いたほうがいいものもあるし、自分の字でメモしたほうがいいこともある…。

本のページをめくって調べたり、実物を引っ張り出したり、そういうほうがいいこともある…。

いつも「どこまでいっても道具は道具だ」という考え方です。

 

番組では、端末が実際使われている様子を紹介していました。

病院です。手術に使う道具は膨大です。しかもぜんぶ専門的なもの。

これを今までは、看護師さんがひとつひとつ型番を確かめながら、

大きな倉庫の中をいったりきたりして探していたわけです。

これをウェアラブル端末を身に着けるわけです。まず本体のコンピュータを腰に、

見るための端末(メガネ)を眼に、そして手にはバーコードの端末。

まず探す品物の番号と写真が見え、倉庫内のそのブツがある棚を表示、そこへ行き、型番のものを取り、

バーコードをあてると、OKなら次の品物が浮かび、間違っていれば指摘する。

これで、時間短縮だけでなく、まったく医学的知識のない人でも、端末を付ければどんな品物でも探せるわけです。

このおかげで、手術用品をそろえるのはパートさん、これで看護師さんの仕事が3時間へったそうです。

「スキルのある人はそのスキルのシゴトを頑張ってほしい」。

これは、うまい使い方だと思います。アマゾンの倉庫も似たようなものですね。

 

ところがもう一つのほう、これは電話オペレータの職場だったかと思いますが、

出社すると首から端末をぶら下げる…これが、その人がどこへどんなふうに歩いたか、

どのくらい効率よく仕事をしたか、休憩やシゴトで、誰とどれだけ話をしたか…全部データが出るわけです。

これで分かったのが、休憩時間をしゃべったり動いたり、活発にすごすほど仕事量がアップする…。

また、誰と誰が会話しているかが図でわかると、会話が少ないほどその図形の外に出る…。

図の外に出る人は仕事の面でレベルが下がる…なので、上司はその図形の外側に近い人に、

話しかけたりコミュニケーションをとるように、気を配る…。

 

MCと、ゲストの哲学者は「自分がだんだんデータ化されていく」…と。

たとえば好きな人がいて、特にその人に話しかけたりすると「もしかして」と思われたり・・・。

こりゃ監視ですよね、と。

こんなにまでして、シゴトの効率を上げる必要があるのでしょうか。

いや、確かに職場はシゴトをするところで、その成果は上げるべきものではあります。

しかし、ここまでやられると、おちおちおしゃべりもできないし、腰が痛くてもたもた歩いていたら、

この人ノロマ…なんて思われたりしないかと、気になりますわ。

人間がロボットのようにしなければなりません。

ほかに成果を上げる方法は、きっとあると思うのですが。

 

また、目に着けた端末で、シゴトの手順を指導してもらいながらすると、

プロの職人の技でも、たとえば機械の操作とかが素人でもできるので…。

この世から職人なくしてどうする…。第一、いまだって機械ではできないミクロ単位の「削り」など、

職人の手と目の感覚でやっているのです。それすらもできるようになるというのなら、

誰も何もできなくてもよくなりますよね。それは文化の損失…にならないのでしょうか。

 

人が人と関わって、叱られたり褒められたりして、自分の士気を高めたり、仕事への気持ちを強くしたり、

感謝したり、尊敬したり・・・そういうことは、機械で得られる便利さなどには、

比べ物にならないくらい大事なことだと思います。

先日「気配」「気配り」のことを書きましたが、人と関わらずに人は育ちません。

それに、なにより手やアタマを使うことは、人間にとっていいことだと、私は思っているのです。

ディズニーの「ウィリー」というアニメでは、すべてコンピュータの管理によって、椅子にすわったまま、

生活に必要なことを全部機械にやってもらう…という人間の集団が出てきます。

みんな肥満体で、最後に自分の足で立とうとするのに、ウンッと足を踏ん張ります。

 

道具は道具でしかない、だから「使う人」「使い道」を限定するほうがいいと、いつも思います。

こういう道具は、最初に挙げた病院などでは、とても有効でしょう。

また老人や障碍者には、ありがたい補助具になります。

人が人として、本当に「共生」していくための技術やノウハウは、実はたくさんあるはずなのに、

便利な道具は、いつも先端を行く場所、健康で元気な人中心に紹介されます。

メガネをかけて歩けば、地図も出てくる、近隣のレストランや路線の情報も出てくる、たいへん便利です…

でも元気でどこも不自由がないなら、自分のアタマ使ってなんとかしないでどうする…と思います。

これを使うことで時間の短縮になる…ということを聞きます。いつも思い出します。

「せまい日本、そんなに急いでどこへゆく」…。

 

60年前、京都の祖母は、めったに乗らない東海道線に乗って、13時間かけて初めての横浜につき、

そこから京浜急行に乗り換え、手紙の住所を頼りに母のところへ突然来たそうです。

「ようこられたなぁ」と言ったら、目と口と耳があったらどこでも行かれる…と答えたそうな。

さだまさしの番組のはがきで「大学の先生をしているご主人が、実験中に学生に水はどこだときかれ、

蛇口を指さすと、これが蛇口か…としげしげ眺め、使い方がわからなかった」と。

ひねる方向や手加減がわからない…あぁハンドルでそだっているものねぇ。

マッチがすれない、ダイヤル電話が使えない、缶詰が開けられない…。

そりゃ、そういう道具は、どんどん良くなっていくのですから、

私などもすでに炭に火を付けるのには緊張します。

わからないことは増えていきます。それは「便利」ということと引き換えなのです。

どこまでできなくなってもいいのか…。

便利グッズを、使うべき人が使わない、あるいは使えないのはもったいないし、

使わなくてもすむ人が使うのは、無駄でもあると思っています。

その見極めをするのは、私たち自身なのだとも思います。

私は、今のところは地図を手に持って調べることも、わからなかったら「ちょっとすみません」と尋ねることも

まだまだできます。だからもしメガネ端末が今、商品化されても使いません。

歩きながらメールを打たなくても、歩きながらネットを見なくても、不便を感じないし、

それを他でやりくりするすべもちゃんとありますから。

歩くときは風や日差しを感じたり、うしろから急ぎ足で来る人の気配を感じたり、

かわいいお嬢さんのファッションをチラ見したり…

歩いているときにしかできないことをするのが人間らしいかなと、そんな風に思うからです。

「今の日本は便利になったのではない、人が怠惰になったのだ」…

以前「戦死した人たちが一晩だけ現代の日本に戻る」という設定のドラマで、

南の海に戻る幽霊が言った言葉です。身に沁みます。


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4 コメント

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Unknown (陽花)
2013-11-26 23:52:26
命に係わる所で使われるのは間違い防止
や重労働軽減出来ればいいと思います。
でも使い方によっては本当に監視されている
風に思います。
心があって感情もあるんですから、ロボットの
ようには抵抗があります。
機械に使われる?
この先これが当たり前になるのでしょうか・・・

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Unknown (Tmoko)
2013-11-27 10:57:09
はじめまして。
私もいつもこの番組を見ています。
昨晩のも空恐ろしくて興味深いものでしたね。
昨日のような端末やロボット、科学技術の発展の報告を見知るたびに思うのは
これらについてよく言われる言葉「より豊かな暮らし」って
いったいどゆ生活のことですか?って問いつめたいキモチになります。
宇宙の時間から見れば、どのみち大層な発展をとげた生命は、
あとは滅びに向かってつき進むだけなので、いずれ人間は
自分たちの手で人類を駄目にしていくだけのことなのだろうなあ・・・と。
だから、自分は自分なりに今を懸命に生きていくしかないのだな・・・と思っています。
返信する
Unknown (とんぼ)
2013-11-27 22:51:23
陽花様

なにか新しいものが出ると、つい「ついていけないわー」と
触らずにいますが、そのうちほんとに
置いていかれるような気がします。
今、同年代でパソコンをまったくやらない人が、
かろうじてケータイでメールしてきますが、
すでに「おいていかれてるわー」と言います。
もっとひどくなるのでしょうか、イヤですね。
返信する
こちらこそ (とんぼ)
2013-11-27 22:55:35
Tmoko様

はじめまして。コメントありがとうございます。

こんなこともできます、あんなことも可能です…といわれても、
それができなくても困らないのに…と思ってしまう…。
ほんとに「豊かな暮らし」って、なんなんでしょう。
何か新しいものを作っては、それによって問題が増えて…
犯罪の種類が多様化したり、それに追いつかなかったり。
あまりにも「それいけやれいけ」が多くて、ちょっと止まって考えようよ、と言いたくなります。
子孫にとって、いい世界を残せるのでしょうかねぇ。
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