今日はブログを書こうとしたら、ぜーんぜん入れないっ!
で、遅れましたが・・・本日のお題「更紗・唐桟」について・・。
今、いつもこちらへきてくださるかたが「川越唐桟」で着物を縫っておられます。
それで、ちょっと唐桟のことを・・と思ったのですが、
同じ頃に渡来したものに「更紗」もありますので、両方一緒に・・・。
まず写真ですが、とんぼの家にある「本」です。
これはオークションで落札しましたので、安かったです。
本の題は「彦根更紗」となっています。
江戸初期頃までに伝来した更紗を「古渡(こわたり)更紗」といいますが、
古渡更紗の中で、特に彦根藩井伊家に伝来した更紗は「彦根更紗」と呼ばれ、
その古布が、500種以上残されているそうです。
そのほとんどはインド更紗で、この本はその中の135種について、
写真が載っています。本といっても箱に収められ、その箱はこんな感じ・・。
重たいのなんのって、足の上に落としたら確実に骨折します。
中の写真をお目にかけたいところですが、まだ著作権・・ってのが
あるかと思いますので、掲載はせずにおきます。
さて、この「更紗」と「唐桟」ですが、渡来したのは室町時代。
以前、絹や木綿の伝来などのところでちょっとお話いたしましたが、
古来の日本は大陸との交易・交流を盛んにしていましたが、
遣唐使の廃止など、その糸はだんだん細り、ついには「元寇」なんてのが
おいであそばしました。まぁ、そういう時期があって、
日本は日本独特の文化も育ったわけですが、室町の頃から、
また海外との交易が盛んに行われるようになりました。
奈良平安のころと違うのは、相手が「オランダ・ポルトガル」といった
西洋の国で、つまり「南蛮貿易」が盛んになったことです。
この「南蛮貿易」は日本の文化に大きな影響を数々与えました。
バサラがはやり、女性が髪を結い・・などの変遷も、この海外との交易が
影響しています。西洋との交易ではありましたが、オランダやポルトガルは、
自国の産物を持ってきただけでなく、途中の各国での産物も運びました。
その中に「更紗・唐桟」もあったわけです。元々どちらもインドを中心とした
「アジア」の産物だったわけですが、それがまず中国やヨーロッパに広まり、
それを持って、オランダなどが日本にやってきたというわけです。
日本には当然木綿はすでにありましたが、当初は高価なものであり、
当然身分の高いもの、裕福な商人の使う「ゼータク品」でした。
更紗はなぜ人気を博したか、ひとつには、インドあたりの長繊維綿で、
しなやかであったこと、そして「色」です。日本の木綿は「藍染」が主でしたが
「更紗」は「茜」などを使った赤い染物、柄も華やかです。
エキゾチックでやさしく華やかな「更紗柄」は、大人気となったわけです。
彦根藩の井伊家になぜ伝来したのか、そのあたりはちょっとわかりません。
とりあえず、当時の貿易中心都市「堺」に近かったこともあり、
商いとしておおいに成り立ったのでしょう。
「彦根更紗」という名前までついたわけですから。
さて、その後江戸中期になって「和更紗」もでてきました。
元々日本人というのは、海外のものを取り入れてもそのままではなく、
技術を探り、模倣から確実に自分たちのものとし、さらには「日本流」を
生み出す・・という勤勉かつ器用な民族です。
更紗も独自の模様などをあみだし、これが「和更紗」と呼ばれました。
なにしろ更紗にはいろいろな名前がついています。
それが作られるようになったことで土地の名前がついたものは「堺更紗」
「江戸更紗」「天草更紗」など、また特徴からついたものは
「鬼更紗」「書更紗」など。鬼更紗というのは、太手の糸で作られた木綿地に
茜系の染料を手差しによる色ざしで染めたもので、古来より
「茶道具」を包むものとして珍重されました。「鬼手」とも呼びます。
更紗は今も健在な染物です。桃山に伝来し、そのあと国内で、元々の技術や
色柄のよさを残しつつ、日本独特の更紗に変わってきましたが、
今でも着物や帯などには、エキゾチックな柄として使われています。
次は唐桟、すみません、我が家には木綿は絣ばかりで、
「これが唐桟です」とお見せできるような縞がありません。
とりあえずは説明だけ・・。
「唐桟」の語源は「セント・トーマス」・・えっ??なんかへん!
はい、そのまんまじゃどうにもつながる気がしませんね。
正確にいいますと、この「唐桟」は縞模様で、この縞模様は、
インドの「セント・トーマス地方」で作られたもの、当時の舶来物をあらわす
「唐物(からもの」」の「から(唐)」の「とう」と産地の名前、
せんととーます、が、せんとーめす・・せんとめ・・さんとめ・・
あわさって「とう・さんとめ」になり、やがてさらに短く、さらに濁音になって
「とうざん」となった・・というのが通説です。
「唐桟」というのもいろいろな名前がついていまして、
ややこしいのですが、最初に「とうさんとめ」それから「さんとめ」
「とうざんじま」とも言います。
要するに「舶来の縞模様の木綿地」なわけですが、
正直なところ「とうざん」についての記述を読むと、
アタマごちゃごちゃになります。なにしろ桃山の頃に入ってきて
そのあともずっと人気が続き、特に江戸後期、庶民が「渋好み」をよしとして、
大人気になりましたので。最初の頃のものを「古渡り唐桟」そのあと「中渡り」
「新渡り」と続きます。さしずめ現代のものは「チョー新渡り??」
唐桟は、細い縞模様の木綿地ですが、その色の組み合わせはもう星の数。
詳しく言うと「紺地に蘇芳が三筋」は黒手、紺地に浅葱系は「青手」など、
また、それを総称して「奥島」というのだそうですが、
関西では唐桟の総称として「奥島」といったそうです。
別の資料では「奥島は紺と樺茶」だったり・・。イマイチ決定打が・・。
要するに細い木綿糸をきっちり打ちこんで織り上げてあり、
絹のような風合いとツヤが、珍重された紺中心の木綿織物・・というわけです。
唐桟と同じ頃に中国からきた「間道」柄というのは、鬼更紗のように
これまたお茶道具を包むものとして名物裂のひとつになっています。
元々木綿が高価なものであったため、当初将軍家のお召し物にも使われましたが、
時代がさがって、奢侈禁止令などで絹は着られないお金持ちが絹代わりに着たり
そのうち少しずつ庶民も着始めました。やがて開国すると、日本では作れなかった
細手の木綿が輸入され始めたため、絹織物が盛んだった川越の織物商たちが
これを見逃さず「川越」で「唐桟」を織り始め、これが今に至る
「川越唐桟」略して「かわとう」と呼ばれるものになりました。
今でも「川越唐桟」は、粋な木綿の着物用反物として、
会津木綿とともに、人気のある「木綿」です。どっちも、おたかい・・・。
はぁ~正直なところ、木綿物はまだまだ知らないことだらけです。
絹物ばかりいじってきましたが、実は伊予絣、久留米絣、
また古い藍染めなども、いろいろあります。
また、ご紹介させていただきますが、木綿については、
もーちっと学習せんと・・・。ほんっと、中途半端で「もめんなさ~い」
わかりました?シャレですよ、シャレ・・。
何に対しても調べて勉強されていること
素晴らしい!立派!私は真似できませ~ん。
とんぼ様のブログを見せて頂く度勉強になります。
私も頭悪くて「もめんなさ~いです。」
私も、今年に入ってから唐桟が大好きになりまして色々お勉強しております。(笑)
川越唐桟も勿論大好きですが、広い意味での縞柄着物という意味での唐桟が好きです。
その魅力を語り始めましたら、長文になってしまいますので省略しますが、唐桟(とうざん)とか、川越唐桟(かわごえとうざん)という言葉の韻(いん)も魅力的な要素でもありますが、江戸時代好きという事から、とんぼさんも色々ご説明されてますように、江戸後期の「唐桟流行り」にも興味をそそられまして、私もしばらくは「唐桟もの」を収集しようと企てているのです。
当時の輸入品に対しましては、幕府も検品の為に唐桟(縞柄)の見本帳を見ながら検閲していた訳でして、その見本帳が今でも残っているのですが、私が見たものだけでも相当な数です。
また、国内でも模倣から、オリジナルな縞柄を創作するようになり、多数の縞柄見本が各地の織り元に残っているようです。
江戸時代の粋なお兄いさんが、それぞれに自分の縞柄を自慢し合った事の表れでしょうね!
ところで、今、会社で書いているので確認してないのですが、私の知るところでは、セントトーマスは、唐桟の産地ではなく、当時、栄えていた貿易港の名前だと思いました。勘違いだったらも、めんなさ~い!(笑)でも、木綿って、いいよね~!
「もめんなさ~い」は使えそうですねぇ。
なんかやったら「もめんなさーい」って・・
張り倒されたりして・・。
アイマイな記憶を裏づけするのに四苦八苦してます。
もっとちゃんとやっときゃよかったって・・。
千兵衛様
そーです。縫っておられるのは「千様」です。
お許しいただいてなかったので、名前出すのやめたんです。みなさ~ん、縫ってるのは「千兵衛様ですよぉ~~!」
ところで「セントトーマス」には諸説あります。港の名前と言う説、セントトーマス地方と言う説、「セントトーマス教会」と言う教会の周辺地という説・・・。私の勝手な想像ですが、たとえば人に話しをするとき「これは日本の横浜港からくるんだよ」というより「日本の横浜ってところの産物だよ」という話のほうが、自然だと思うんです。「それが作られた、ある範囲の地名」ですね。それとたとえば横浜は「横浜」という町にある「横浜港」です。だからセントトーマスというある範囲の町か村にあるセントトーマス港ということじゃないかなと・・。たとえば「モスリン」なんかも都市名ですし、日本の更紗も「堺」は「堺という町の港」ですし、鍋島更紗とか、長崎更紗とか、特定の場所の名前をつけていますよね。それで、私としては「港」という狭い範囲を表すほうをとらなかったのです。どっちがあってるということではないような気がするんですが・・。調査不足だったら私も「もめんなさい」です。(コレ、はやらそー)
それと「唐桟の見本帳」、ごくたま~にですがネットオークションに出ますよ。
私が記憶していたのは、平凡社の「別冊太陽、木綿古裂(もめんこぎれ)」の「紅毛船舶積載の縞木綿、唐桟」に記述されている、「非常に細い木綿糸を経緯とも二本ずつ、引き揃えの双糸で平織にした、インド渡りの艶やかな木綿縞は、積出港セント=トーマスに因んで桟留縞と称され、、、」の部分でした。
ついでながら、前述しましたコメントの最後の「木綿って、いいよね~!」が唐突でありましたので(笑)少々、補足説明させていただきやす!
勿論、私は絹も麻も好きですけれど、特に木綿が大好きと言ってしまったのには、木綿という素材が、洋服においても下着から上着まで現在でも多用されておりますように、肌に優しく、扱いやすく、染め易い等の加工もし易く、耐久性、吸湿性、保湿性等々過ぐれている事や、着物を頂点としたならば、下着肌着や雑巾ボロきれに至るまで、色々な用途に使用されている事があります。
私も使った事はありませんが、絹や麻の雑巾なんて、いかにも使いにくそうですよね?
今は贈答用、ご挨拶用にはタオル地がほとんどですが、「手拭い」の魅力も、語り尽きぬものがあります。
裂(きれ)という言葉も好きです!
裂が、どの範囲やモノを指しているのかは定かではありませんが、裂を駆使しての作品作りは、それこそ、とんぼさんの十八番(おはこ)でしょうから(笑)今度は、この「裂」についての蘊蓄を聞かせて欲しいと思います。
話がとりとめなくなってしまいましたが、お約束通り、「もめんなさ~い!(笑)」
茜を中心の更紗、これも道具の袋には使われるのですが、道具唐渡りみたいでわくわくします。錦とはまたちがうエキゾチックな感じが漂って好きです。
木綿は確かに生活に密着した素材ですね。私も日常生活の中で、どれだけお世話になっていることか・・。手ぬぐいも大好きです。昔母が「姉さんかぶり」というのをよくやっていました。今は見まねせんねぇ。
「裂」について、こりゃ難しいでっせぇ。ハギレはみな「裂」ですが、「名物裂」なんてのもありますしね。いずれチャレンジしてみたいです。
蜆子様
唐桟の見本帳なんて、百科事典みたいですからねぇ。色と柄というものが、人の暮らしの中でどんなに大切なものか・・と、さまざまな布に囲まれながら、いつも思います。お茶道具を大切にする気持ちが、それを包む仕覆までも選ばせたのでしょう。いにしえびとのこだわりですね。
木綿の産地に、久留米、伊予絣との記述がありましたが、広島にも細々、残っております。 糸、紡ぎながらホームページも創ってることしか自慢できない、おっさんです。
はじめまして、ようこそおいでくださいました。
私は木綿についての知識がまだまだです。備後絣もいくつか持っているのですが、古い・・とわかるだけで、さていつごろのものか・・。まだまだです。
しぶ様のHPはからお伺いさせていただいてます。縄文絣がいいなぁ・・などと、ため息ついております。木綿のことも少しずつ書いていくつもりですので、またお越しください。