友人からメールがきました。
いろいろなことを抱えている人で、いつも、とにかく「強い」…
グチこぼすのでなく、淡々と「…なのでこうしたの」と、報告のようにしらせてくるだけ。
あんまりしゃっきり立ってると、ポッキンといくよ…とだけいいますが、
それとても、自分でわかっていて、ちゃんとスレスレでかわしています。
ごくごくたまーに「おひさ~」とやってくる。無理のない笑顔でここだとチカラ抜けるわあとお茶していく…。
私はなんにもしてあげられる立場にありません。
おいしいお茶いれて、バカっぱなしでげらげら笑って送りだすだけ。
「歩く」と言う字は、なぜか「少し止まる」と書きます。
「歩く」という字を見ていて、この友人のことを思い出しました。
ずっと、いろんなものを背負って歩いてる、でもちゃんと時々止まってる。
人が生きていくには、時間という道を前へ前へと進むしかありません。
がむしゃらに突き進んだ若いころ、あのころはそれでコケてケガしても、
イデデと言いながら、お尻さすりさすり立ち上がる元気がありました。
今はとてもとても…だからこのトシになると、コケないように、用心深くもなる。
これを年の功なんていわれますが、ゆっくり行くだけの余裕ができると、止まる必要を感じなくなる、
いえいえ、ほんとは怖さもあるのです。止まったらそのまま座り込みそうで。
でも…「歩く」と言う字は「少し止まる」と書く…。
そうだよね、ちょっと止まって、まわりを見て、足元も見て、荷物の紐を締めなおして…。
さっ、また出発だ…と一歩が始まる…「立ち止まる」ことは、わるいことじゃないんだ。
友人は、上手に「立ち止まっている」のだと思います。
なにもかもひとりで背負おうとしているわけではありません。
友人はそのつど、思いつく限りの手段を考え、なんとか一番いいルートを探す努力はずっと続けてきました。
そんな中で、時として立ち止まり、疲れは疲れとして、それをどうすればいいか、
荷物は荷物として、それをどう背負えばいいか、
時には「もうこれ以上背負ったらあぶない」と思ったら、何かそこへ置いていく、
その決断を、人からそしられても、自分の責任で決めているのだから気にしない…。
私は何をどう決めても「支持する」とだけ言いました。
うるさいこという人に限って、なんにも助けてくれない、文句言う人に限って自分の責任は棚に上げる…
そんなこともイヤと言うほど経験してきましたから、私は友人が「少し止まって」決めたことを支持します。
「歩く」と言う字の、本当の成り立ちは知りません。
でも「少し止まる」と考えたら、なんだか肩の力が抜けました。
人生の、たぶんもう「たそがれ」と言う時間に、私は入っているのだと思います。
図々しく100まで生きる!と考えたって、もう半分はとっくに越えているのですから。
振り返ってみれば、小走りだったり、スキップしてたり、重い足を引きずってたり…いろんな歩き方してきました。
これからも、ずっと、最後の門にたどり着くまで、歩いていくのでしょう。
ちゃんと歩いていくために、時に少し止まって振り向いたり、周りを見たり、
荷物の紐を締めなおしたり、それも楽しいかなと思えます。
「いろいろあったけど、最終決断するときは心静かだった」って書いてきた友人。
はりさけそうな思いがあることも、よく知っているけれど、私も何も言いません。
あんたを支持するよ、またお茶しにおいで。
いきませんね。
自分のおかれている状況に合わせ、上手く
かわしたり立ち止まったり、優先順位を
決めて動くようにいつの間にかなりました。
ちょっと話を聞いてもらうだけで心が軽く
なったりしますし、分かってくれる人が
いるだけで心強くもなりますね。
歩くと言う字は少し止まるですねえ~~
止まることが大事だなあと思うこの頃です。
この年になると話を聞いてくるれ友人が一番の財産ですね。
おかげんはもうよろしいのでしょうか?
また寒くなるでしょうから無理されませんように。
羨ましいです、とんぼ様もご友人も。
多分私の不徳の部分が多いので
とんぼ様のようにいざという時に信じてそっと見守ってくれる人は
いないのではないかと思います。
こちらが気にかけているほど
私が友人であろうと思っている人は
気にかけてはくれていないのではないかと…
少し止まって周りを見まわすのが怖いような気もします。
同じところで足踏みしていまいそうですし…
あ~愚痴ってますね…アカンアカン
本当に、だんだん保守的になっていきますね。
それもまた必要なことだともおもいますが、
なんかトシを感じたりしています。
話を聞いてくれる人がいるというのは、
ほんとに大切なことだと、つくづく思っています。
仕事にがんばってたころとか、子供が小さいころとか、
ほんとにもう爆走していた気がします。
ゆったり歩いて、みおとすものがないように、
行きたいものだと思います。
友人は宝…ほんっとにそう思いますね。
いやいや、必ずいてくれるものだと思いますよ。
遠く離れていても、なかなか連絡取れなくても、
何かあったときには、気遣ってくれる人がいるものです。
クヂは言うほうが、溜め込まなくていいです。
私なんか、時々なべに文句いってますし…?!
元気だしていきましょう。
自分がつらいとき「いくらでも聞くよ」と、
言ってくれる人がいます。
何の答えを出してくれなくてもいい、
「聞いて!」といったときに「いいよ」といってくれるだけで、
ほんとにありがたいものですから。