なぜ今さらこの曲を? と疑問に思われるのもごもっとも。
今からご説明します。
先日、後輩の「もとちさん」&子息の「ゆうたん」と一緒に、カラオケに行きました。
「もとちさん」は鬼束ちひろが十八番。
そのとき歌っていたのが、この曲だったのです。
わたくし、「トリック」をまともに観たことがありません。
それでも、各シリーズのエンディングテーマを鬼束ちひろが歌っていた、ということは知っていました。
今でも『流星群』は大好きな曲のひとつです。
余談ですが、『流星群』という曲名は、僕が知っている中では3本の指に入る「秀逸な曲名」だと思っています。
で、『私とワルツを』をちゃんと聴いたのは、実はこのカラオケが初めてだったのです。
「ほー、これは素敵な曲だな」と思いました。
この週末は体調を崩して臥せっていましたが、日曜日になってようやく回復してきました。
で、この曲のことも思い出したわけです。
さっそく購入して、聴きました。
しごく当たり前のことなのですが、「もとちさん」版と比べると若干印象が違います。
それはすなわち、鬼塚ちひろと「もとちさん」との声質の差とも言えます。
鬼塚版、つまり本家の『私とワルツを』からは、
切実な何か、悲痛な何かを感じます。
その悲痛さとは、不完全な自分自身(であると思いこんでいる自分自身)への嫌悪であり、「あなた」といることでしか自分を保つことができない嫌悪でもあると思うのです。
しかし、「もとちさん」の『私とワルツを』は、かなり違うのです。
「私とワルツを踊ろう。そうすれば、すべてうまくいくから」という確信に近い優しさを感じました。
哀れみでもなく、自己嫌悪でもない、一握りの優しさ。
あなたと一緒に踊るワルツのひとときが、私は好き。
そんなシンプルな喜びが、悲しげなモチーフの背後に息づいていました。
鬼束ちひろの持ち味は、原罪にも等しい「悲しみ」や「やりきれなさ」であると思います。
しかし、そんな歌の世界が別の「声」によって唄われるとき、また違う世界が見えることもある。
そんな素敵な瞬間を、後輩の歌によって感じることができました。
友人とのカラオケは、やっぱり楽しいなぁ。
またみんなで唄いに行きましょうね♪>友人各位
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