筆者の一番の青春だったロックバンドJiænのヴォーカリスト、
西城生馬さんが、2014年6月24日朝、亡くなったと言うお知らせを知人から伺った。
今でも信じられない。
癌に侵されている。と言うのは御本人のfacebookでの告白で知ったが、
一昨日の日曜日、LIVEでステージに立たれ、歌も歌ったと聞く(動画も見た)
記念撮影をした写真でも笑顔でフレームに収まって居るので、
快方へ向かっているのだと安心もしたのだ。
誤報で在って欲しい。
本当にそう思った。
しかしfacebookでの生馬さんの友人関連の投稿が続々と現れてくるにつれ、
これは現実なのだとの想いを強くして行かざるを得ない。
今思うと、癌を患っていると知って居ながら、
その中で開催された一昨日のLIVEに、何故行かなかったのか?
何故、横須賀ショクヤボ農園へ馳せ参じ無かったのか?
と、先約のLIVEが有ったと言っても悔やまれて仕方が無い。
奇しくも、このバッティングしたLIVEのバンド中心的メンバー達も、
Jiænが大好きな人たちだった。
このバンドを聴く様に成ったのも、交流させて頂く様に成ったのも、
Jiænが大好きだとネットで書いてあった事がきっかけだったので、
凄く因縁を感じた。
もしかしたら、バッティングを一番悔やんで居たのは、
このバンドの人達かも知れないとも思った。
きっと「生馬さんに会いに行きたいから参戦はキャンセルで」、
と言ったら、「横須賀行って下さい」と言ってくれたかも知れない。
先に決まってた事なので、信義的にキャンセルは出来ないし、
何より元気そうな様子に安心してたと言うのもある。
次が有ると思ってしまった。
本当に、一期一会と言う言葉が胸に突き刺さる。
次は無いと思い、今会える人に全力で向き合わないといけないと痛感した。
救いなのは、筆者が選択したバンドも、最高のパフォーマンスを魅せてくれたから、
それに関しては全然悔いは無い。
でも、本当に最期にお会いしたかった。
言葉を交わしたかった。
それが残念です。
筆者が生馬さんを知ったのは、前述の通り、実力派バンドJiænのヴォーカリストとして。
初めて見たアー写(VOSのビデオ用?)では、メンバーが皆悪いっぽくて(メンチ切ってて)正直凄い怖かった。
特にアー写ではドラムのフッチさんが凄いメンチ切ってて、米村さんは冷めた目でカメラ睨んでるし、更にLIVEではアー写の怖さそのままな感じで、客を睨み付ける様な感じでギターを弾き、今にも客と喧嘩するんじゃないか?って感じで凄かった。
そんな中、アー写中央に写る生馬さんは、バンドのイメージ方向性として睨みは効かして居るんだけど、熱い気持ちから来る強い眼差しと言うか、心の強さを感じる睨みで、「あ、この人は優しい人なんだろうな」
と、生馬さんからは怖さを感じない強さの印象を持った。
と言うのが、筆者の生馬さんの第一印象でした。
実際、ライブでも熱い感じは凄く伝わってきた。
そんな中、自分的に凄い将来性を感じて大好きだったJiænが解散してしまった。
当時、インターネットなんて物が無かったので、メンバーそれぞれの、
その後を知る事が困難だった為、時間だけが過ぎた。
そしてインターネットと言う文明の利器が登場して、飛躍的に情報の仕入れが多くなった。
大好きだったJiænのメンバーのその後の動向も知れる様に成ったが、
それぞれのメンバーが志向して居る音楽と言うのが、Jiænとは全く違う方向性だと知り、
正直その時は食指が動かなかったのだけれども。
それから更に暫くして、ある転機が訪れた。
筆者は周期的にJiænブームみたいなのが訪れ、頻繁に聴く時期が来るのだけれど、
それと同時に、定期的に或る夢を見ていた。
それは、筆者がJiænの曲をカラオケで歌っている。と言う夢です。
それは必ず「TRUE」か「RONDO」を歌ってたんだけど、機種は必ずJOYSOUNDだった。
実はJiænが解散するのと前後する感じで、通信カラオケと言う物が世に出て来た。
この通信カラオケと言うのが、曲数が多い事を売りにして、配信曲もメジャーなバンドや
曲だけで無く、マニアックなバンドや曲も多く配信されてる事が特徴で、
これにJiænの曲がカラオケに成れば、解散したけど曲は良いのでリバイバルが起きるのでは?
と期待した部分も有ったかも知れない。
けど、待てど暮らせど配信される気配は無く、気付けば解散から10年以上経ち、
もう難しいと諦めていた。
でも、その通信カラオケ初期の想いが、夢と成って定期的に出て来てるんだろうな?
と思った。
そしてそんな夢とJiænブームが同時に来た時に、どうしてもJiænをカラオケで歌いたく成った。
居ても立っても居られず、取り敢えず方法は何か無いか?と思いカラオケ会社のHPを
漁り捲くった。
すると、カラオケJOYSOUNDに、リアルタイムリクエストと言う企画が有る事を知り、
夢に出て来てたのもJOYSOUNDと言う事で、運命みたいな物を感じつつ、
早速エントリー申請する。(2008年頃)
しかし待てど暮らせど、エントリー前の「調査中」から変化は無い。
ネットでこの企画のシステムを調べると、どうやらカラオケ会社にカラオケ資料の音源が
所蔵されて居ないと、
半永久的にエントリーされない様だったので、この頃には他のバンドの曲もエントリー&投票を始めて居たので、投票のノウハウは積み上がっていたが、状況的に、時間が経てば経つ程、状況が困難に成ると知り、本気で行動を起こそうと色々動いて(内容はオフレコとカラオケ会社に言われてるので書きませんが)何とかエントリーまでこじつけました。
この頃にはJiænがいつものブームじゃ無くて本格的にリアルタイムで聴いてた頃と同じ位嵌る様に成ってて、オリジナル曲の30曲じゃ満足しない位に成ってました。
じゃあ、新音源が無いならどうする?と思った時に、Jiænの解散ライブ後に、
ライブアンケートのお返事として、バンドスタッフの方のお手紙を頂き、そのお手紙の最期の一文を思い出しました。
「メンバーそれぞれの道を、これからも見守って下さい」
と。
ベタかも知れないけど、これを読んで、ジャンルなんて関係無い。
あの大好きだったバンドのメンバーが、今好きな音楽を知ろうとしないのは、
ファンとして駄目じゃないの?って。
それで、今のJiænのメンバーがやってる音楽に、凄い興味が湧いてきました。
KANさんのTOMBIのCDも買ったし。
フッチさんのブラッディーイミテーションソサエティー・KOINUも全部買った。
どれもジャンルは全然違うけど、聴けば聴くほど良い音楽でした。
そんな中、存在は把握してるけど手に入れられない音源が、
西城生馬さんのコズミックバースのシングル、ユニバーサルサイン。
ネット検索すると、ネット通販フォームのページに行くが、そこで注文をしても反応が無いのだ。
多分ページが現在稼働してないのかも?と一時諦めたのだが、
どうしても欲しい。
そしてページを良く見ると、電話番号がそこには有った。
横浜の番号だ。
意を決して電話をする。そこが生馬さんの友達関連では有名な、伝さんのお店ロルマカッティーだった。
在庫は、あと3枚だけ有る。と言われたので、場所も横浜、ドライブがてら行けるなと思ったので「今から買いに行きます」
と言って車を飛ばして横浜まで。
この買いに行く、と言う行動力が後で考えると凄く良かった。
お店に行くと店番をして居たのが奥様。
このお店のご夫婦は生馬さんと親しいお付き合いの方達だった。
それを知らずに、何故このCDが欲しく成ったのかを奥様にお話したら、凄く感激して頂いて、
更に、「その話は生馬君に話しなよ。きっと喜んでくれるから。」
と仰って頂き、その時生馬さんがやってた桜木町のカフェバーtime out cafe(ACTiON)の場所を教えて頂いた。
そしてネットでも動向が判らなかったが、暫く音楽活動をされて無かったが、昨年から音楽を再開された事等を教わった。
ちょうどその時期に、JOYSOUNDで投票活動して配信決定に成って居たJiænの名曲GOOD NIGHT JENNYが第一弾としてカラオケ化される直前だった事も有り、それも生馬さんに御報告したかったのだ。
そして日を改めて、生馬さんにお会いしに行った。
姿を拝見するのは92年10月5日、渋谷エッグマン以来だ。
あの時は、筆者は生馬さんを遠くから眺めるオーディエンスのただの一人に過ぎなかった。
まさかお会いしてお話をさせて頂けるなんて夢の様だった。
対面して、お話をさせて頂けて、アー写やステージで感じた暖かさを感じる方だった。
カラオケの件もご報告させて頂いた。
あと、過去よりも今、そして未来を見ている方だなぁ~と言う印象を受けた。
あと、ネットでtime out cafeのマスター(生馬さん)は音楽ソムリエみたいな才能が有り、
マスターと音楽の話をしてると、その人の音楽的嗜好を理解して、その人に合った音楽を紹介してくれる。
と言う様な記述を読んでいた。その方も生馬さんに教えて貰ったアフリカ民族音楽がいたく気に入ったと書かれていた。
筆者も生馬さんと音楽の話をして居て、筆者にはこれがお薦めだよ。と紹介してくれたバンドが有った。
生馬さんに教えて貰ったアーティストは、今でも筆者のお気に入りです。
コスミックバースは凄くスピリチュアルな感じのサウンドだったけど、「今やってる音楽は?」
とお聞きした時、「今やってるのは、もっと軽いよ。でも、もっと 深いな」
と言う表現をされてたけど、実際にブルームーンで初めてMONOLiTHを聴いた時に、納得した。
軽いって言うのは、曲がとても聴き易くて、深いって言うのは、唄ってるテーマだと直ぐに解った。
一発で西城生馬のソロに嵌りました。
中村敦さんと日本の名曲を唄うってコンセプトライブも最高だった。
生馬さんのお陰で、今ではARBが大好きに成りましたよ。
そして筆者はJiænが好き過ぎて、今の生馬さんよりも、Jiænばかり見てるって感じられてしまったかも知れない。
生馬さんは、過去よりも今、そして未来を見ている人だと感じたと書いたけど、そう言う人だから
筆者のJiæn愛の強さに思う所が有ったのだと思います。
結果最後に会話した時に、「過去を見ないで欲しい。これからの自分が最高だからこれからの俺を見て。」
と言う様な意味の事を表現は柔らかく書きましたけど、ちょっとキツイ言い方で言われてしまい、
20年以上大切にして居た筆者のJiænへの想いを、ご本人に否定されてしまった様で、正直に書くと凄いショックだったんですが、
でも、過去より今、そして未来の自分を見て欲しいと言うのは凄い解るし、その想いを伝えるのに
上手く言葉が纏められない感じも伝わったので、自分の中でも色々な思いが渦巻いたのですが、生馬さんの思いを受け止めました。
逆に、上手く言葉に纏められない所が、生馬さんのピュアたる所以だと言うのも感じました。
確かに筆者はJiænが大好きだけど、西城生馬&MONOLiTHの曲もJiænと同じ位好きだし、Jiænの楽曲より好きな曲も多いです。
そして生馬さんが最後にファンに届けてくれた「THANK YOU」は、Jiæn時代も含めて、今では一番大好きな楽曲です。
高円寺で聴いたTHANK YOUは、鬼気迫る物が有ったと言う表現だと曲のコンセプトとしておかしいけど、
本当にそう思う位気持ちが伝わって、虜に成りました。
最後にあんな素敵な歌をプレゼントしてくれて、ありがとうと伝えたいです。
そうそう、結局最後の会話がそんなショックに感じる感じだったですが、生馬さんも筆者に否定の感情を伝えたいんじゃない。
と言う事だけは伝えたいと思って、最後に「色々言っちゃったけど、兎に角、俺が伝えたいのは、ありがとうって事だよ!」
と、最後の声を掛けてくれた言葉も、「ありがとう」だった事、絶対に忘れません。
過去を振り返るなと言う生馬さんに、余りJiænの話をすると怒られてしまうかも知れないですが、
Jiænファンへの生馬語録プレゼントだと思い、敢えて書きます。
モアイでTOMBIとの2マンLIVEが有った時、Jiænのドラマーふっちさんも来てくれてました。
その事に関してお訊きした時、「もう解散して十何年も経ってるのに、今でもこうやって聴きに来てくれるのは嬉しいよね!」
と笑顔で言ってた生馬さん、筆者も凄く嬉しかったです。
そしてその日の夜、KANさんが先に上るからと出演者に挨拶をして帰ろうとした時、生馬さんがKANさんを呼び止めて拳を突き出した。
それをみたKANさんとグータッチ!するのを見て、またまた長い友情を感じて感動したんですよ。
(因みにこの日のうちあげ会場は、2代目ベーシストみっちゃんさんのお店だったそうでそれも感動です)
そしてTOMBIのベースヒデルさんはJiænの初代ベースですし、ずーっと続いてる友情に感激なんです。
あと、これは生馬さんと知り合って間もない頃、生馬さんにJiænのメンバーについて聴いた感激したお話しですが、生馬さんからは、ネットには(規定路線とか、確約、義務みたいにオオゴトに成っちゃうから)書かないでと言われて居たので、ずーっとオープンな場では書かない様にして居たのですが、ファンの方には絶対知って貰いたいと思ったので書きます。
(そのメンバーご本人にも人伝にでも耳に入ればなと)
それは、米村さんに対しての想い。
「Jiænをやってた時、ヨネとはよく喧嘩もして、正直余り仲が良くは無かったけど、でも、アイツのギタープレイ、ギターテクニック、そして作曲のセンスは、今でも俺は天才だと思ってるから。アイツは今こっち(音楽)の世界じゃないけど、もしアイツがこっちの世界に戻って来るなら、アイツをコッチに戻すのは俺の役目かなって思ってる」
と言う話を聴き、凄い感動しました。
そして昨年の夏、海の家ブルームーンに米村さんが生馬さんを訪ねに来たと言う話をfacebookで拝見して、泣きそうに成ったんです。
生馬さんの話を色々と聴いてると、Jiæn再結成と言うのは音楽性とかも含めて凄い難しいと思って居ました。
でも、メンバーそれぞれが今でもリスペクトし合っていると言うのを知れただけでも筆者は幸せでした。
再結成は無くても、Jiænと名乗ったメンバー全員でそれぞれ同じステージで競演でも良いのです。
でも、それももう物理的に叶わない事に成ってしまったのが悔しいです。
Jiænは筆者の一番の青春だったから。
Jiænは筆者にとってはビートルズよりも凄いバンドだっかたから、
ジョン・レノンが亡くなった日、ファンはもうビートルズの再結成が絶対に無くなってしまった事を絶望したけど、
今は、そんなビートルズファンの気持ちが解る気がします。
まだまだ西城生馬のシャウトが聴きたかった。声を聴きたかったです。言葉を聴きたかったです。
でも、もう聴けないけど、絶対に忘れません。
素敵な歌を、思い出を、ありがとう御座いました。
西城生馬さんが、2014年6月24日朝、亡くなったと言うお知らせを知人から伺った。
今でも信じられない。
癌に侵されている。と言うのは御本人のfacebookでの告白で知ったが、
一昨日の日曜日、LIVEでステージに立たれ、歌も歌ったと聞く(動画も見た)
記念撮影をした写真でも笑顔でフレームに収まって居るので、
快方へ向かっているのだと安心もしたのだ。
誤報で在って欲しい。
本当にそう思った。
しかしfacebookでの生馬さんの友人関連の投稿が続々と現れてくるにつれ、
これは現実なのだとの想いを強くして行かざるを得ない。
今思うと、癌を患っていると知って居ながら、
その中で開催された一昨日のLIVEに、何故行かなかったのか?
何故、横須賀ショクヤボ農園へ馳せ参じ無かったのか?
と、先約のLIVEが有ったと言っても悔やまれて仕方が無い。
奇しくも、このバッティングしたLIVEのバンド中心的メンバー達も、
Jiænが大好きな人たちだった。
このバンドを聴く様に成ったのも、交流させて頂く様に成ったのも、
Jiænが大好きだとネットで書いてあった事がきっかけだったので、
凄く因縁を感じた。
もしかしたら、バッティングを一番悔やんで居たのは、
このバンドの人達かも知れないとも思った。
きっと「生馬さんに会いに行きたいから参戦はキャンセルで」、
と言ったら、「横須賀行って下さい」と言ってくれたかも知れない。
先に決まってた事なので、信義的にキャンセルは出来ないし、
何より元気そうな様子に安心してたと言うのもある。
次が有ると思ってしまった。
本当に、一期一会と言う言葉が胸に突き刺さる。
次は無いと思い、今会える人に全力で向き合わないといけないと痛感した。
救いなのは、筆者が選択したバンドも、最高のパフォーマンスを魅せてくれたから、
それに関しては全然悔いは無い。
でも、本当に最期にお会いしたかった。
言葉を交わしたかった。
それが残念です。
筆者が生馬さんを知ったのは、前述の通り、実力派バンドJiænのヴォーカリストとして。
初めて見たアー写(VOSのビデオ用?)では、メンバーが皆悪いっぽくて(メンチ切ってて)正直凄い怖かった。
特にアー写ではドラムのフッチさんが凄いメンチ切ってて、米村さんは冷めた目でカメラ睨んでるし、更にLIVEではアー写の怖さそのままな感じで、客を睨み付ける様な感じでギターを弾き、今にも客と喧嘩するんじゃないか?って感じで凄かった。
そんな中、アー写中央に写る生馬さんは、バンドのイメージ方向性として睨みは効かして居るんだけど、熱い気持ちから来る強い眼差しと言うか、心の強さを感じる睨みで、「あ、この人は優しい人なんだろうな」
と、生馬さんからは怖さを感じない強さの印象を持った。
と言うのが、筆者の生馬さんの第一印象でした。
実際、ライブでも熱い感じは凄く伝わってきた。
そんな中、自分的に凄い将来性を感じて大好きだったJiænが解散してしまった。
当時、インターネットなんて物が無かったので、メンバーそれぞれの、
その後を知る事が困難だった為、時間だけが過ぎた。
そしてインターネットと言う文明の利器が登場して、飛躍的に情報の仕入れが多くなった。
大好きだったJiænのメンバーのその後の動向も知れる様に成ったが、
それぞれのメンバーが志向して居る音楽と言うのが、Jiænとは全く違う方向性だと知り、
正直その時は食指が動かなかったのだけれども。
それから更に暫くして、ある転機が訪れた。
筆者は周期的にJiænブームみたいなのが訪れ、頻繁に聴く時期が来るのだけれど、
それと同時に、定期的に或る夢を見ていた。
それは、筆者がJiænの曲をカラオケで歌っている。と言う夢です。
それは必ず「TRUE」か「RONDO」を歌ってたんだけど、機種は必ずJOYSOUNDだった。
実はJiænが解散するのと前後する感じで、通信カラオケと言う物が世に出て来た。
この通信カラオケと言うのが、曲数が多い事を売りにして、配信曲もメジャーなバンドや
曲だけで無く、マニアックなバンドや曲も多く配信されてる事が特徴で、
これにJiænの曲がカラオケに成れば、解散したけど曲は良いのでリバイバルが起きるのでは?
と期待した部分も有ったかも知れない。
けど、待てど暮らせど配信される気配は無く、気付けば解散から10年以上経ち、
もう難しいと諦めていた。
でも、その通信カラオケ初期の想いが、夢と成って定期的に出て来てるんだろうな?
と思った。
そしてそんな夢とJiænブームが同時に来た時に、どうしてもJiænをカラオケで歌いたく成った。
居ても立っても居られず、取り敢えず方法は何か無いか?と思いカラオケ会社のHPを
漁り捲くった。
すると、カラオケJOYSOUNDに、リアルタイムリクエストと言う企画が有る事を知り、
夢に出て来てたのもJOYSOUNDと言う事で、運命みたいな物を感じつつ、
早速エントリー申請する。(2008年頃)
しかし待てど暮らせど、エントリー前の「調査中」から変化は無い。
ネットでこの企画のシステムを調べると、どうやらカラオケ会社にカラオケ資料の音源が
所蔵されて居ないと、
半永久的にエントリーされない様だったので、この頃には他のバンドの曲もエントリー&投票を始めて居たので、投票のノウハウは積み上がっていたが、状況的に、時間が経てば経つ程、状況が困難に成ると知り、本気で行動を起こそうと色々動いて(内容はオフレコとカラオケ会社に言われてるので書きませんが)何とかエントリーまでこじつけました。
この頃にはJiænがいつものブームじゃ無くて本格的にリアルタイムで聴いてた頃と同じ位嵌る様に成ってて、オリジナル曲の30曲じゃ満足しない位に成ってました。
じゃあ、新音源が無いならどうする?と思った時に、Jiænの解散ライブ後に、
ライブアンケートのお返事として、バンドスタッフの方のお手紙を頂き、そのお手紙の最期の一文を思い出しました。
「メンバーそれぞれの道を、これからも見守って下さい」
と。
ベタかも知れないけど、これを読んで、ジャンルなんて関係無い。
あの大好きだったバンドのメンバーが、今好きな音楽を知ろうとしないのは、
ファンとして駄目じゃないの?って。
それで、今のJiænのメンバーがやってる音楽に、凄い興味が湧いてきました。
KANさんのTOMBIのCDも買ったし。
フッチさんのブラッディーイミテーションソサエティー・KOINUも全部買った。
どれもジャンルは全然違うけど、聴けば聴くほど良い音楽でした。
そんな中、存在は把握してるけど手に入れられない音源が、
西城生馬さんのコズミックバースのシングル、ユニバーサルサイン。
ネット検索すると、ネット通販フォームのページに行くが、そこで注文をしても反応が無いのだ。
多分ページが現在稼働してないのかも?と一時諦めたのだが、
どうしても欲しい。
そしてページを良く見ると、電話番号がそこには有った。
横浜の番号だ。
意を決して電話をする。そこが生馬さんの友達関連では有名な、伝さんのお店ロルマカッティーだった。
在庫は、あと3枚だけ有る。と言われたので、場所も横浜、ドライブがてら行けるなと思ったので「今から買いに行きます」
と言って車を飛ばして横浜まで。
この買いに行く、と言う行動力が後で考えると凄く良かった。
お店に行くと店番をして居たのが奥様。
このお店のご夫婦は生馬さんと親しいお付き合いの方達だった。
それを知らずに、何故このCDが欲しく成ったのかを奥様にお話したら、凄く感激して頂いて、
更に、「その話は生馬君に話しなよ。きっと喜んでくれるから。」
と仰って頂き、その時生馬さんがやってた桜木町のカフェバーtime out cafe(ACTiON)の場所を教えて頂いた。
そしてネットでも動向が判らなかったが、暫く音楽活動をされて無かったが、昨年から音楽を再開された事等を教わった。
ちょうどその時期に、JOYSOUNDで投票活動して配信決定に成って居たJiænの名曲GOOD NIGHT JENNYが第一弾としてカラオケ化される直前だった事も有り、それも生馬さんに御報告したかったのだ。
そして日を改めて、生馬さんにお会いしに行った。
姿を拝見するのは92年10月5日、渋谷エッグマン以来だ。
あの時は、筆者は生馬さんを遠くから眺めるオーディエンスのただの一人に過ぎなかった。
まさかお会いしてお話をさせて頂けるなんて夢の様だった。
対面して、お話をさせて頂けて、アー写やステージで感じた暖かさを感じる方だった。
カラオケの件もご報告させて頂いた。
あと、過去よりも今、そして未来を見ている方だなぁ~と言う印象を受けた。
あと、ネットでtime out cafeのマスター(生馬さん)は音楽ソムリエみたいな才能が有り、
マスターと音楽の話をしてると、その人の音楽的嗜好を理解して、その人に合った音楽を紹介してくれる。
と言う様な記述を読んでいた。その方も生馬さんに教えて貰ったアフリカ民族音楽がいたく気に入ったと書かれていた。
筆者も生馬さんと音楽の話をして居て、筆者にはこれがお薦めだよ。と紹介してくれたバンドが有った。
生馬さんに教えて貰ったアーティストは、今でも筆者のお気に入りです。
コスミックバースは凄くスピリチュアルな感じのサウンドだったけど、「今やってる音楽は?」
とお聞きした時、「今やってるのは、もっと軽いよ。でも、もっと 深いな」
と言う表現をされてたけど、実際にブルームーンで初めてMONOLiTHを聴いた時に、納得した。
軽いって言うのは、曲がとても聴き易くて、深いって言うのは、唄ってるテーマだと直ぐに解った。
一発で西城生馬のソロに嵌りました。
中村敦さんと日本の名曲を唄うってコンセプトライブも最高だった。
生馬さんのお陰で、今ではARBが大好きに成りましたよ。
そして筆者はJiænが好き過ぎて、今の生馬さんよりも、Jiænばかり見てるって感じられてしまったかも知れない。
生馬さんは、過去よりも今、そして未来を見ている人だと感じたと書いたけど、そう言う人だから
筆者のJiæn愛の強さに思う所が有ったのだと思います。
結果最後に会話した時に、「過去を見ないで欲しい。これからの自分が最高だからこれからの俺を見て。」
と言う様な意味の事を表現は柔らかく書きましたけど、ちょっとキツイ言い方で言われてしまい、
20年以上大切にして居た筆者のJiænへの想いを、ご本人に否定されてしまった様で、正直に書くと凄いショックだったんですが、
でも、過去より今、そして未来の自分を見て欲しいと言うのは凄い解るし、その想いを伝えるのに
上手く言葉が纏められない感じも伝わったので、自分の中でも色々な思いが渦巻いたのですが、生馬さんの思いを受け止めました。
逆に、上手く言葉に纏められない所が、生馬さんのピュアたる所以だと言うのも感じました。
確かに筆者はJiænが大好きだけど、西城生馬&MONOLiTHの曲もJiænと同じ位好きだし、Jiænの楽曲より好きな曲も多いです。
そして生馬さんが最後にファンに届けてくれた「THANK YOU」は、Jiæn時代も含めて、今では一番大好きな楽曲です。
高円寺で聴いたTHANK YOUは、鬼気迫る物が有ったと言う表現だと曲のコンセプトとしておかしいけど、
本当にそう思う位気持ちが伝わって、虜に成りました。
最後にあんな素敵な歌をプレゼントしてくれて、ありがとうと伝えたいです。
そうそう、結局最後の会話がそんなショックに感じる感じだったですが、生馬さんも筆者に否定の感情を伝えたいんじゃない。
と言う事だけは伝えたいと思って、最後に「色々言っちゃったけど、兎に角、俺が伝えたいのは、ありがとうって事だよ!」
と、最後の声を掛けてくれた言葉も、「ありがとう」だった事、絶対に忘れません。
過去を振り返るなと言う生馬さんに、余りJiænの話をすると怒られてしまうかも知れないですが、
Jiænファンへの生馬語録プレゼントだと思い、敢えて書きます。
モアイでTOMBIとの2マンLIVEが有った時、Jiænのドラマーふっちさんも来てくれてました。
その事に関してお訊きした時、「もう解散して十何年も経ってるのに、今でもこうやって聴きに来てくれるのは嬉しいよね!」
と笑顔で言ってた生馬さん、筆者も凄く嬉しかったです。
そしてその日の夜、KANさんが先に上るからと出演者に挨拶をして帰ろうとした時、生馬さんがKANさんを呼び止めて拳を突き出した。
それをみたKANさんとグータッチ!するのを見て、またまた長い友情を感じて感動したんですよ。
(因みにこの日のうちあげ会場は、2代目ベーシストみっちゃんさんのお店だったそうでそれも感動です)
そしてTOMBIのベースヒデルさんはJiænの初代ベースですし、ずーっと続いてる友情に感激なんです。
あと、これは生馬さんと知り合って間もない頃、生馬さんにJiænのメンバーについて聴いた感激したお話しですが、生馬さんからは、ネットには(規定路線とか、確約、義務みたいにオオゴトに成っちゃうから)書かないでと言われて居たので、ずーっとオープンな場では書かない様にして居たのですが、ファンの方には絶対知って貰いたいと思ったので書きます。
(そのメンバーご本人にも人伝にでも耳に入ればなと)
それは、米村さんに対しての想い。
「Jiænをやってた時、ヨネとはよく喧嘩もして、正直余り仲が良くは無かったけど、でも、アイツのギタープレイ、ギターテクニック、そして作曲のセンスは、今でも俺は天才だと思ってるから。アイツは今こっち(音楽)の世界じゃないけど、もしアイツがこっちの世界に戻って来るなら、アイツをコッチに戻すのは俺の役目かなって思ってる」
と言う話を聴き、凄い感動しました。
そして昨年の夏、海の家ブルームーンに米村さんが生馬さんを訪ねに来たと言う話をfacebookで拝見して、泣きそうに成ったんです。
生馬さんの話を色々と聴いてると、Jiæn再結成と言うのは音楽性とかも含めて凄い難しいと思って居ました。
でも、メンバーそれぞれが今でもリスペクトし合っていると言うのを知れただけでも筆者は幸せでした。
再結成は無くても、Jiænと名乗ったメンバー全員でそれぞれ同じステージで競演でも良いのです。
でも、それももう物理的に叶わない事に成ってしまったのが悔しいです。
Jiænは筆者の一番の青春だったから。
Jiænは筆者にとってはビートルズよりも凄いバンドだっかたから、
ジョン・レノンが亡くなった日、ファンはもうビートルズの再結成が絶対に無くなってしまった事を絶望したけど、
今は、そんなビートルズファンの気持ちが解る気がします。
まだまだ西城生馬のシャウトが聴きたかった。声を聴きたかったです。言葉を聴きたかったです。
でも、もう聴けないけど、絶対に忘れません。
素敵な歌を、思い出を、ありがとう御座いました。