Of moral evil and of good,
第86話 建巳 act.20 another,side story「陽はまた昇る」
かすかに甘い、ほろ苦い渋い香。
書籍くゆらす匂い、僕には懐かしい。
「すごい…」
ならんだ背表紙に惹きこまれる、弾む。
見つめる書籍名ずらり揃う、その豊かさに友だちが笑った。
「ウチの書籍部は学術文庫ほぼ揃うんだ、最高学府ってのもダテじゃねえよな?」
チタンフレームの眼鏡ごし、からり明朗な瞳が笑う。
気負いない明るさに周太も素直に肯いた。
「うん、大学で買えるなら勉強するのにありがたいもの、」
「だよな、探したり注文したり時間がもったいないもんな?生協なら学割あるしさ、」
隣も頷いて、浅黒い健やかな笑顔ほころばす。
どこまでも明るい衒いない、そんな視線と言葉に微笑んだ。
「賢弥、ほんとうに学びたがりだよね?」
時間も、お金も、少しでも多くそのために。
そんな友人は日焼ほがらかに笑った。
「せっかく木曽の山奥から出て来たんだしさ、学費だって無駄にしたくねえじゃん?東京は物価も高いしな、」
本つい眺めながら答えてくれる。
その言葉に自分を省みて、ほろ苦さ口ひらいた。
「僕ね、工学部に行ったこと、お母さんに謝らないとなって…いまさらだけど、」
大学は工学部を選んでしまった。
警察官になるために、父の跡を追うためだけに。
「そっか、銃を扱うから工学部って考えたとか?」
率直な声まっすぐ訊いてくれる。
あくまで直截な友人に微笑んだ。
「うん…」
ただ肯いて、昨日までの時間すこしだけ軋む。
もう終わった時間の想いに、明るいバリトン微笑んだ。
「機械とか強いと森林学でも役立つんだよな、山仕事は重機が必要なコトあるからさ?青木先生かなーり喜ぶよ、」
ここでも役立つ、そう告げてくれる。
こんな言葉ひとつ温かで、ただ感謝に笑った。
「ありがとう賢弥…僕、がんばるね、」
「こっちこそ、」
闊達な瞳からり笑って、チタンフレームが先を見る。
ならんで歩きだした先、節くれ頼もしい指が示してくれた。
「このへんは文学コーナーだけど、周太は好きだろ?」
「うん、賢弥よく来てるの?」
頷いて尋ねながら、友だちの言葉に温かい。
こんな自分を見てくれている、その瞳が眼鏡ごし笑った。
「ほぼ毎日来てるよ、ツイ寄っちゃうんだよ本屋、」
「あ…わかる、それ、」
笑いかけながら嬉しい、だって同じだ。
ふたり本の匂い歩きながら、懐かしい書名に立ち止まった。
『東方綺譚-Nouvelles orientales』
惹きこまれる名前に指ふれる。
父と祖父が遺した書斎の一冊、フランス文学の名著。
この一冊に消えない想い見つめて、開いた目次に訊かれた。
「源氏の君の最後の恋、って、あの光源氏?」
「ん…そうだよ、」
肯きかえす視界の真中、そっと疼かれる。
この物語に重ねた感情の時間、あの痛み忘れてはいない。
―英二みたいだって思ったんだ、僕は…そして僕は、
死を迎える男、かつて栄華を極めた存在。
その男を最後に看取ったのは、多くいた恋人の一人だった女性。
「周太は読んだことあるんだろ?おもしろかった?」
ほら?訊いてくれる声は明るい。
明朗ただ温かで、引き戻してくれた声に微笑んだ。
「ん…哀しいけど凛としててね、勁い、きれいな世界だよ、」
きれいだ、ただ悲劇だけじゃない。
想い微笑んだ一冊に、小麦色のびやかな手が差しだされた。
「読んでみるよ、買ってくるな?」
だから渡してもらっていい?
そんなふう差しだされた掌に一冊、渡して鼓動そっと疼いた。
―あ…弥生さん?
名前ひとつ、渡した一冊の手に疼く。
けれど闊達な瞳ほがらかに笑って、踵まっすぐ歩きだした。
「この翻訳者のヒト、田嶋先生すげー絶賛してんだよ。周太も講義の手伝いするなら聞かされるよ、きっと、」
明朗なバリトン笑って話してくれる。
だから笑って相槌うちながら、かすかな香ほろ甘く渋い。
―賢弥も想い重ねるのかな、弥生さんのこと…僕みたいに、
ほら心裡めぐってしまう、この友だちに。
こんなに明るい聡い学友、けれど哀しみも痛みも抱いている。
そんな感情のトレース見つめるまま、カバーされた一冊に友だちは言った。
「なんか腹減ったなあ?周太、なに食いたい?」
からり闊達な視線が笑ってくれる。
チタンフレーム透かしても明るい瞳、きれいで、研かれた想いに微笑んだ。
「あたたかいもの、食べよ?」
※校正中
(to be continued)
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kenshi―周太24歳4月
第86話 建巳 act.20 another,side story「陽はまた昇る」
かすかに甘い、ほろ苦い渋い香。
書籍くゆらす匂い、僕には懐かしい。
「すごい…」
ならんだ背表紙に惹きこまれる、弾む。
見つめる書籍名ずらり揃う、その豊かさに友だちが笑った。
「ウチの書籍部は学術文庫ほぼ揃うんだ、最高学府ってのもダテじゃねえよな?」
チタンフレームの眼鏡ごし、からり明朗な瞳が笑う。
気負いない明るさに周太も素直に肯いた。
「うん、大学で買えるなら勉強するのにありがたいもの、」
「だよな、探したり注文したり時間がもったいないもんな?生協なら学割あるしさ、」
隣も頷いて、浅黒い健やかな笑顔ほころばす。
どこまでも明るい衒いない、そんな視線と言葉に微笑んだ。
「賢弥、ほんとうに学びたがりだよね?」
時間も、お金も、少しでも多くそのために。
そんな友人は日焼ほがらかに笑った。
「せっかく木曽の山奥から出て来たんだしさ、学費だって無駄にしたくねえじゃん?東京は物価も高いしな、」
本つい眺めながら答えてくれる。
その言葉に自分を省みて、ほろ苦さ口ひらいた。
「僕ね、工学部に行ったこと、お母さんに謝らないとなって…いまさらだけど、」
大学は工学部を選んでしまった。
警察官になるために、父の跡を追うためだけに。
「そっか、銃を扱うから工学部って考えたとか?」
率直な声まっすぐ訊いてくれる。
あくまで直截な友人に微笑んだ。
「うん…」
ただ肯いて、昨日までの時間すこしだけ軋む。
もう終わった時間の想いに、明るいバリトン微笑んだ。
「機械とか強いと森林学でも役立つんだよな、山仕事は重機が必要なコトあるからさ?青木先生かなーり喜ぶよ、」
ここでも役立つ、そう告げてくれる。
こんな言葉ひとつ温かで、ただ感謝に笑った。
「ありがとう賢弥…僕、がんばるね、」
「こっちこそ、」
闊達な瞳からり笑って、チタンフレームが先を見る。
ならんで歩きだした先、節くれ頼もしい指が示してくれた。
「このへんは文学コーナーだけど、周太は好きだろ?」
「うん、賢弥よく来てるの?」
頷いて尋ねながら、友だちの言葉に温かい。
こんな自分を見てくれている、その瞳が眼鏡ごし笑った。
「ほぼ毎日来てるよ、ツイ寄っちゃうんだよ本屋、」
「あ…わかる、それ、」
笑いかけながら嬉しい、だって同じだ。
ふたり本の匂い歩きながら、懐かしい書名に立ち止まった。
『東方綺譚-Nouvelles orientales』
惹きこまれる名前に指ふれる。
父と祖父が遺した書斎の一冊、フランス文学の名著。
この一冊に消えない想い見つめて、開いた目次に訊かれた。
「源氏の君の最後の恋、って、あの光源氏?」
「ん…そうだよ、」
肯きかえす視界の真中、そっと疼かれる。
この物語に重ねた感情の時間、あの痛み忘れてはいない。
―英二みたいだって思ったんだ、僕は…そして僕は、
死を迎える男、かつて栄華を極めた存在。
その男を最後に看取ったのは、多くいた恋人の一人だった女性。
「周太は読んだことあるんだろ?おもしろかった?」
ほら?訊いてくれる声は明るい。
明朗ただ温かで、引き戻してくれた声に微笑んだ。
「ん…哀しいけど凛としててね、勁い、きれいな世界だよ、」
きれいだ、ただ悲劇だけじゃない。
想い微笑んだ一冊に、小麦色のびやかな手が差しだされた。
「読んでみるよ、買ってくるな?」
だから渡してもらっていい?
そんなふう差しだされた掌に一冊、渡して鼓動そっと疼いた。
―あ…弥生さん?
名前ひとつ、渡した一冊の手に疼く。
けれど闊達な瞳ほがらかに笑って、踵まっすぐ歩きだした。
「この翻訳者のヒト、田嶋先生すげー絶賛してんだよ。周太も講義の手伝いするなら聞かされるよ、きっと、」
明朗なバリトン笑って話してくれる。
だから笑って相槌うちながら、かすかな香ほろ甘く渋い。
―賢弥も想い重ねるのかな、弥生さんのこと…僕みたいに、
ほら心裡めぐってしまう、この友だちに。
こんなに明るい聡い学友、けれど哀しみも痛みも抱いている。
そんな感情のトレース見つめるまま、カバーされた一冊に友だちは言った。
「なんか腹減ったなあ?周太、なに食いたい?」
からり闊達な視線が笑ってくれる。
チタンフレーム透かしても明るい瞳、きれいで、研かれた想いに微笑んだ。
「あたたかいもの、食べよ?」
※校正中
(to be continued)
【引用文献: Marguerite Yourcenar『Nouvelles orientales 東方綺譚』】
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