萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第84話 整音 act.19-side story「陽はまた昇る」

2016-04-27 22:55:14 | 陽はまた昇るside story
Pour new seas in mine eyes 君の海へ 
英二24歳3月



第84話 整音 act.19-side story「陽はまた昇る」

海を見たのは、どれくらい前だろう?

「去年の夏か、」

ひとり微笑んだ唇を潮かすめる。
ほろ甘い香なぶらせ髪ひるがえす、頬に風冷たいくせ陽ざし熱い。
レザーソール透かして砂がしずむ、もう潮騒は近くて海が響く。

『英二…見て、桜貝、』

ほら記憶が笑う、はにかんだ黒目がちの瞳が映る。
やわらかな黒髪きらきら風なびく、くせっ毛やさしい笑顔に逢いたい。

「逢いたいよ周太?」

呼びかけて潮そっと甘い。
あのときも潮風あまやかで優しくて、けれど君がいない。

―こんなに独りって寂しかったかな、俺?

独りが好きだった、今だって山なら独りも良い。
それなのに海の風は虚ろに透ってゆく、空も波も青く霞む。
茫漠シャツの衿元はためかせジャケット翻す、ただ見つめる砂浜に呼ばれた。

「英二さん?」

やわらかなアルトが呼んでくれる。
なつかしい声にふりむき笑いかけた。

「ひさしぶり、菫さん?」

潮騒やわらかな道、銀髪きらきら風に立つ。
その傍ら茶色やわらかな毛並み駆けだした。

「おんっ、」

ひと声ほがらかに足もと座る。
ふさふさ尻尾ふる愛犬に英二は笑った。

「ひさしぶりだなカイ、あいかわらず海が好きか?」
「おんっ、」

茶色つぶらな瞳が見あげてくれる。
大きな三角きれいな耳ふれて、くるり白い腹さらしてくれた。

「腹まっ白だな、きれいだなカイ、」

そっと撫でた手やわらかに受けとめられる。
やさしい和毛ふれて温かい、春の海辺に優しいアルト微笑んだ。

「怪我をしていますね英二さん、無理はいけませんよ?」

心配してくれる、そんな言葉の瞳は菫色やさしい。
何も変わっていない眼ざしに笑いかけた。

「無理したくないから来たんだよ、」

無理したくないのは何に?

なんて質問この女性はしない、それくらい聡いひとだ。
その瞳の前で犬そっと撫でるまま訊かれた。

「入院中と伺っていました、脱け出して来たのですか?」

これは「聞いていない」のだろうか?
思考めぐらす潮騒のなか、犬の傍らから見あげた。

「きのう退院したよ、今は鷲田の家にいるんだ、」

答えた先、菫色の瞳ゆっくり瞬く。
白い手やわらかに銀髪かきあげて老婦人は微笑んだ。

「そうですか、鷲田様も喜んでいるのでしょう?」
「たぶんね、」

笑いかけながら茶色の耳そっと撫でてやる。
寝ころんだ茶色の瞳に微笑んだ頭上、やさしいアルトが訊いた。

「怪我はまだ痛むのでしょう、それでも待っていたのですか?」

問いかける声、銀髪とコートひるがえす。
潮騒おだやかな海風のなか菫色の瞳を見あげ笑った。

「菫さん、周太に逢わせてよ?」


(to be continued)

【引用詩文:John Donne「HOLY SONNETS:DIVINE MEDITATIONS」】

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