萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第65話 序風act.5―side story「陽はまた昇る」

2013-05-24 08:09:01 | 陽はまた昇るside story
その門行く先は、



第65話 序風act.5―side story「陽はまた昇る」

第七機動隊舎の門を潜るとき、太陽は西の稜線を朱に染めた。

黒いシルエット煌めかすラインは黄金に変る、そして雲は紺紫に薄紅透かして風に去く。
風は駐車場で開いた扉に吹きこんで、髪ふくんだ汗を見えない指に梳き涼ませてくれる。
ネクタイの衿元からスーツの胸元から涼は透りゆく、着替えても汗残らす肌が安堵する。
この夕空はるかな故郷の気配は風に優しい、なにか嬉しくて英二は微笑んだ。

―風が奥多摩から一緒に来てくれたみたいだな、

心裡に想うことが愉しくて嬉しい、すこし切ない懐かしさすら幸せになる。
こんなふう夕風に何処かを想うことなんて自分は知らなかった、実家にすら想えない。
けれど今は御岳を河辺を、奥多摩をこんなふう偲んで山へ恋する想いと心を温めてくれる。
そして今日も共に遭難救助へ駈けた仲間と、吉村医師と秀介と美代と、それから後藤の笑顔がそっと背中押した。

―後藤さんと吉村先生は俺にとって、恩師っていうやつだな、

壮年の笑顔ふたつ想い嬉しくなる。
自分にとって恩師を呼べる人は今まで居なかった、けれど今もう一人も名前を挙げたくなる。
こんなにも誰からに支えられ導かれて今がある、その感謝ごと手荷物二つ提げて四駆を施錠した。
そうして歩き出す肩に負った登山ザックのなか、救命器具ケースに眠らす哀憎の記憶たちすら温められていく。

―晉さん、馨さん、今どんな気持でいますか?斗貴子さんも敦さんも、

ケースの中にある一丁の拳銃、それに絡まる過去が歩く跫に響く。
あの惨劇から50年を経てしまった、それでも遠い時間と血縁を超えて自分に届く。
ただ一発の弾丸を放ってしまった男と家族たちの想いは拳銃ごとこの背に負われているだろうか?
もし背負われているのなら少しでも良い、今日あらためて響いた山と人への温もりに誰も安らいでいてほしい。

The Clouds that gather round the setting sun
Do take a sober colouring from an eye That hath kept watch o’er man’s mortality;
Another race hath been,and other palms are won.
Thanks to the human heart by which we live. Thanks to its tenderness,its joys,and fears,
To me the meanest flower that blows can give Thoughts that do often lie too deep for tears.

  生まれた新たな陽の純粋な輝きは、いまも瑞々しい
  沈みゆく陽をかこむ雲達に、
  謹厳な色彩を読みとる瞳は、人の死すべき運命を見つめた瞳
  時の歩みを経、もうひとつの掌に勝ちとれた
  生きるにおける人の想いへの感謝 やさしき温もり、歓び、そして恐怖への感謝
  慎ましやかに綻ぶ花すらも、私には涙より深く心響かせる

今日、山でも想った一節が今、隊舎の彼方に天穹を広がりゆく。
この詩は馨たちの書斎で書架に納められていた、きっと家の住人達は読んだろう。
それは周太の詩集に寄せる記憶で知っている、そう想った途端に小さく鼓動傷んで緊張は奔る。

―…喘息の再発について…病院の薬がね、1ヶ月分減っていたんです。たぶん雅人が湯原くんの主治医になったのでしょう

たぶん周太は喘息を患っている、そう吉村医師から宣告された。
夏富士で後藤が教えてくれた周太の小児喘息罹患歴は今、もう過去の病歴じゃない。
射撃特練で毎日吸い続けた硝煙、新宿都心部の排気ガス、そして機動隊での負荷訓練の日々。
これら全てが潜んでいた病根を蘇えらせてしまった、それでも今更のよう嘆いても悔いても遅い。

―でも、もしも周太が警察官にならなかったら、あのまま樹木医の夢に生きていたらきっと再発なんてなかった、

もしも、あのまま、そんな仮定形は虚しい。
そう解っているけれど思わずにはいられないのは執着だろうか?
そんな想い微笑んで入口を潜り手続きを済ませる、そして割当ての個室へ歩きはじめた背を羽交い絞めにされた。

「待ってたよ、俺のアンザイレンパートナー!」

透明なテノール笑って抱きついてくれる、花と似た香りが頬ふれて懐かしい。
もう振り向かなくても誰なのか解かる、いま背に触れる温度と回された腕の肌に笑ってしまう。
声、香、体温、全てで距離と隔たりを飛び越えてくれる、そんな相手が嬉しくて英二は綺麗に笑った。

「お待たせ、俺のアンザイレンパートナー、」



風呂を済ませて規定の紺Tシャツ姿になると、英二は上官の部屋に出向いた。
すこし離れた場所にあるけれど遠くは無い、そんな距離感にすら立ち位置を見てしまう。
こんなふう自分と光一の場所は違う、けれど同じフィールドに立っていると歩く廊下に踏みしめる。

―俺たちは山と警察の世界ふたつで繋がる相手同士なんだ、ふたり融けあう関係じゃない、

世界ふたつに繋がる関係にある、そんな確認を廊下に見つめて微笑む。
もう太陽は沈み残照だけの空、それでも歩く床に光の残滓は朱色に染める。
今日が終わる一閃が薄れてゆく天井に蛍光灯が灯り、教えられた扉をノックした。

「はい、行くよ?」

テノールが笑って応えながら扉が開く。
そのまま並んで廊下を歩きだすと英二は提案を笑いかけた。

「国村さん、屋上に行っても良いですか?」
「ナニ、もう敬語ってワケ?」

可笑しそうに笑ってくれる瞳は底抜けに明るい。
変わらない大らかな空気にほっとする、その安堵に嬉しくて微笑んだ。

「寮の廊下も隊舎で職場だから、上官として立てた方が良いと想って、」
「プライベートタイムならタメ口のが嬉しいね、俺だって気楽な喋りで息抜きしたいからさ、」

飄々と答える言葉は陽気で、けれど本音の寂しさが伝わる。
再会に抱きついてくれた想いが改めて解って、呼吸ひとつで英二は笑った。

「そうだな、上官の息抜きも俺の大事な任務だし、俺もその方が気楽で嬉しいよ、」
「だね、」

頷いてくれる無垢の瞳が笑う、この一ヶ月前まで見慣れた笑顔が嬉しい。
こういう顔が出来ることは光一にとって今は貴重になっている、そんな現実を想いながら屋上への階段を登りだした。

かん、かん、かん…

足音二つ階段を昇り、扉を開く。
切り取られた空から風は吹きこむ、その匂いに埃が混じる。

―排気ガスが…周太、

匂いの哀しみに名前を心が呼ぶ。
もう周太は引き返さない、そう解っているから覚悟を自分に言い聞かせてきた。
それでも今こうして立つ場所に居ると想うほど揺らぎそうで、けれど微笑んで英二は夜空の下へ出た。





【引用詩文:William Wordsworth「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」XI

(to be continued)

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