萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第86話 建巳 act.40 another,side story「陽はまた昇る」

2024-12-06 22:43:00 | 陽はまた昇るanother,side story
And this green pastoral landscape, were to me 
kenshi―周太24歳4月


第86話 建巳 act.40 another,side story「陽はまた昇る」

研究室の窓、ここも花が咲く。

「へえ、小嶌さんも丹治先生の講義とるんだ?ほい、」

朗々、低いくせ徹る声がマグカップ差しだす。
くゆらす芳香にっこり、ありがとうございますと女学生が笑った。

「はい、手塚くんがおもしろいって教えてくれて。田嶋先生も講義とられていたそうですね?」
「とってたぞ、30年以上前だけどな?」

からり答える教授がテキスト携える、その節くれた指は日焼けまばゆい。
本当に学者というより山ヤさんだな?想いに周太は口ひらいた。

「あの、田嶋先生が学生の時は丹治先生、講義を持たれて何年目でいらしたのですか?」

やっぱり訊いてみたい、当時のこと。
知りたい願いの真ん中で、父の旧友は笑ってくれた。

「俺の時が初年度だったぞ、だから馨さんも俺と一緒に講義とってたよ、」

ああ、だから、僕にも勧めてくれた?
得心ことん肚ひとつ、温まりだす隣が尋ねた。

「ってことは当時って、1年2年の共通で丹治先生してたってことですか?」
「あのころも自由選択で学年問わなかったと思うぞ、手塚の時もそうだろ?」

答えながら大きな手、紅茶のマグカップ並べてくれる。
この手に父の手は繋がれていた、その遠い慕わしい歳月にソプラノが訊いた。

「田嶋先生と周太くんのお父さま、学年がひとつ違っていたの?」

あ、この話まだしていなかったかな?
うっかりに困りながら頷いた。

「ん、父が一年先輩、」
「そうなのね、学年違っても仲良しなの素敵ね、」

大きな瞳ぱちり瞬いて、ふわり笑ってくれる。
この澄んだ真直ぐな眼が好きだ。
そして想ってしまう、違いすぎて。

『まっすぐで明るい目線、小嶌さんもそういう眼するだろ?』

記憶の底、低いきれいな声が笑ってくる。
でも本当は笑っていなかった、あなたは。

『一緒にいて周太がどれだけ楽しいのかわかるよ、』

きれいな低い声が笑いかける、切長い瞳が僕に微笑んだ、きれいに。
けれど笑っていなかった、あなたは。

―もう英二は本音を言ってくれない、ずっと…どうして?

どうして?
訊きたかった、あなたの本音。
でもあの時は、ただ聴くときなのかもしれないと口を閉ざしたのは自分。
けれど僕は、何を聴けたというのだろう?

「あの、田嶋先生、」

ほら口が開く、ここでは。
自由なまま周太は問いかけた。

「田嶋先生と父は、ふたりで話すとき、幸せでしたか?」

きっと答えは解っている、だって父の笑顔いつも幸せだった。
いつも旧友を想うあの笑顔、あのままに文学者も笑った。

「もちろんだ、馨より幸せな話し相手は俺にいねえぞ?」

ほら、鳶色の瞳が笑ってくれる。
あのとき父も同じ眼をしていた、懐かしい慕わしい想い微笑んだ。

「はい…ありがとうございます、」
「こっちこそありがとうだ、」

応えてくれる声、低いクセまっすぐ澄む。
この声に父は幸せだった、その響き今もこの研究室に温かい。

―ここで幸せだったんだ、お父さんは本当に…お祖父さんとお祖母さんもきっと、

ここは30年少し前、祖父の研究室だった。
ここで祖父は祖母と出逢い、生まれた父はこの学者と出逢った。
そうして紡がれてある今この春、自分はどうだろう?

僕の幸せな話し相手は、誰?

「あれっ、先生?周太のオヤジさんのが奥さんより幸せってことで、いいんですか?」

ほら明るい闊達な声が笑う、いぶし銀フレームの眼鏡に眼が明るい。
明朗な眼が笑う先、鳶色の瞳にやり微笑んだ。

「俺と馨の仲は奥さん公認だ、ほかの誰に聴いてもいいぞ?」

隠しごとなんて無い、そんな瞳が闊達に笑ってくれる。
この眼差しに父は幸せだった。

「田嶋先生、あのっ、」

ほら僕の口がひらく、伝えたい。
願いの真ん中で鳶色の瞳が笑っている、その温もりに微笑んだ。

「父は幸せです、先生がいてくださるから、」

幸せだ父は、こんなふうに想われて。
いつも本音で話して笑ってくれる友、その存在どれほど父を温める?

「おう、俺も幸せだぞ。馨さんがいるから幸せなんだ、」

ほら?鳶色の瞳ほがらかに笑う、幸せに。
この眼差しに父は生きていく、きっと、ずっと。

“But thy eternal summer shall not fade, “
けれど貴方という永遠の夏は色褪せない

あの詩あの一節を父に贈ってくれた人、その瞳に今も父が映る。
そして父もあの詩を謳っていた、今もここに生きる瞳を見つめて。

『夏みたいな人だね、』

あの夏の庭に父が笑ってくれる。
父の笑顔そのまま声になる、だって伝えたい。

「田嶋先生、父は先生のこと夏みたいな人だって笑っていました、」

懐かしい慕わしい声なぞる、あの幸せな夏の声。
あの夏の庭に幸せだった瞬間、そのままに鳶色の瞳まばゆく笑った。

「学生のころも馨さん言ってたよ。暑苦しくてすぐ駆けだすから、夏の大風みたいだってさ?」

“Shall I compare thee to a summer's day?
Thou art more lovely and more temperate.“

『うんと明るくて、ちょっと暑苦しいくらい情熱的でね、木蔭の風みたいに優しくて清々しい、大らかな山の男、』

慕わしい夏の庭、あのとき父に幸福が輝いた。

「先生のことを話してくれるとき、父は本当に幸せそうでした、」

ほら僕の声にあふれだす、あの父の幸せな笑顔。
あの切長い瞳あかるく澄んで、夏空に笑って遠い懐かしい貌を見つめていた。

「夏の朝でした、家の庭で父はシェイクスピアの詩を教えてくれたんです。先生が父の論集の扉に選んでくれた、あの詩です、」

声あふれて、目の前で鳶色の瞳ゆるやかに光る。
あの詩、それだけで繋がれる想いへ微笑んだ。

「あの詩を謳って父は空に笑ったんです、父の大切なひとは夏みたいだって…きっと田嶋先生の貌を見て笑ったんです、すごく幸せそうに、」

あの夏の庭、父はこの学者を想った。
あの幸せな瞳を見つめて、伝えたかった言葉が声になる。

「父は言ったんです、恋愛より深い気持がある相手への手紙みたいな詩だって。そして父の大切なひとは、夏みたいなひとだって笑ったんです、」

父が紡いだ言葉たち、伝えてあげたかった。
伝えて父の想い叶えてあげたい、ただ願うまんなかで鳶色の瞳ゆるやかに光こぼれだす。

「周太くん、馨は…俺のこと大切だって?」

ずっと父を探してくれたひと、想い続けてくれるひと。
その瞳から光あふれだす、きっとずっと泣きたかった瞳に肯いた。

「父はありがとうって笑ったんです、父の時間を幸せに生きさせたのは田嶋先生だから、」

父の幸せ、それは、あなただ。

「俺こそだよ、馨がいるから幸せなんだ今も、」

鳶色の瞳あふれる涙、聲こぼれて歳月が澄む。
こうして父の想い伝えて泣かせてあげたかった、このひとも、父も。

『友達よりも近くて大切だね、いろんな気持があるから、』

あの夏に父の声はずんだ、笑顔まばゆかった夏の空。
そうして伝えられた春の研究室、隣ぐすり鼻すすった。

「…っ、だから俺こういうの弱いんだって…っ」

小麦色の手がティッシュ箱つかんで、いぶし銀フレームの眼鏡を外す。
どこまでも素直な泣き顔に周太は笑いかけた。

「ありがとう賢弥、一緒に今ここにいてくれて、」
「ううっ…こっちこそいさせてくれてありがと、」

顔ティッシュぐしぐし拭きながら、闊達な眼が笑ってくれる。
明日は目もと赤いかもしれない?そんな心配の逆隣から小さな手がのびた。

「っ…ティッシュわたしにもちょうだい、」

可愛い鼻声が見あげてくれる。
やっぱり泣いてくれる実直な瞳きれいで、周太は腕を伸ばした。

「みよさん、あの、」

言いかけて、ぽん、温もりひとつ抱きついてくれる。
ふわり香ひとつ、清しい甘さそっと抱きしめた。

「…ありがとしゅうたく…だいじなこといっしょに」

ふるえる背中は小さくて、けれど温かい。
か細い肩やわらかに泣いて、優しい逞しい心にほどかれる。

「ぼくこそ…泣いてくれてありがとう、」

想いこぼれる唇、抱きしめる香あまく温かい。
そして幸せで、だから想ってしまう違いすぎて。

『ケンカするって周太、本音で話をしようって意味で言ってる?』

昨日、冷えてゆく桜の道、あなたの声。
きれいに低く徹って、けれど見つめてくれる瞳は翳おちこんだ。
けれど今こんなに温かい、窓の桜あかるく光ゆらせて今、抱きしめている髪に光る。

「俺もだよ、周太くん…ありがとう、」

桜の光ゆれる机むこう、鳶色の瞳が微笑む。
この学者のように、あの夏の父のように、僕は笑えるだろうか?
あなたを想うとき、僕は。

『だからごめんな?男同士で恋愛とかさ、巻きこんで悪かったな?』

あなたはそう言った、つい昨日のことだ。
きれいに笑って、切長い瞳きれいに微笑んで、きれいな低い声で。
そうして本音なんか見せてくれない、そして残酷なまま響いている、今も。

―本音で話してくれないことが残酷なんだ、僕は、

本音で話してほしい、どんな想いも現実も。
そんなふうに作られたもの見せられて、どうして幸せを見つけられるだろう?
それが僕を庇うためだったなら、なおさら残酷だ。
だって警察官になったのは、父の本音を探すためだったのに?

『湯原の父さん、かっこいいな、』

そう言って笑ってくれた、あの言葉はあなたの本音だった。
あんなふう本音から笑ってくれたのは、最後いつだったろう。
もう思いだせないほど今、あなたが遠い。

※校正中
(to be continued)
【引用詩文:William Wordsworth「Lines Compose a Few Miles above Tintern Abbey」William Shakespeare「Shakespeare's Sonnet 18」 より抜粋】

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斗貴子の手紙
師走十一日、白薔薇―honorable
この小説の更新は一年ぶりでした、忙しい一年だったんだなーと我ながらびっくり。笑
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