萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第81話 凍結 act.5-side story「陽はまた昇る」

2014-12-27 23:00:00 | 陽はまた昇るside story
reflected light 時の投影



第81話 凍結 act.5-side story「陽はまた昇る」

雪山の夜は凍る。

鎮まらす大気に森は停まる、月ゆるやかな雲間に銀色ふらす。
きらきら光の陰翳に銀嶺ゆれて風すら凍えて、そんな夜にコッヘルの火が朱い。

「雪、降るかな、」

ぱちり、炎かすかに呟いて湯気が昇る。
その向かいテノール謳うよう笑った。

「いつか降るだろね、冬富士だからさ?」

いつかは解らない、けれど雪は降る。
そんな当り前の答えに英二は微笑んだ。

「そうだな、いつか降るよな?」

いつか雪は降るだろう、けれど自分の待つ時は来るだろうか?

そんな思案と仰いだ頂上は月光あわく浮かぶ。
あの場所は今いる五合目と別世界だ、そして夕刻の場所に遠く隔たる。

『この屋敷を相続できるのは英二ぐらいだ、』

ほら、低く透る声がまた告げる。
けれどあの屋敷から今は遠い、この自由ただ嬉しくて笑った。

「光一、冬富士っていいな?誰でも来られないから、」

誰でも来られない場所、だから自分すら自由でいられる。
その願いただ笑った夜の底、澄んだテノールが尋ねた。

「周太か祖父サンにナンカあった?」

ほんとピンポイントで突いてくれる。
この聡明なザイルパートナーへ素直に笑いかけた。

「俺、なんかあった貌してる?」
「妙に明るいよね、一見は解り難いけどさ?」

指摘しながらコッヘルから湯を注ぐ。
こととっ、かすかな音にマグカップから湯気ふわり昇らせる。その甘い香に微笑んだ。

「アップルティーか、めずらしいな?」
「寒いから甘いモンが良いと思ってさ、ほら、」

手渡してくれるマグカップは熱くない。
けれどダブルスキン構造に馥郁あまやかに熱くて、そっと啜りこんで笑った。

「ほんと甘いな?光一こんなのも飲むんだ、」
「山の冬では良いモンだよ、雪の中では特にね、」

応え雪の夜に笑ってくれる。
しんと凍てついた富士は静かで、けれど山頂ゆれる暴風が雪煙を繰らす。
さらさら音の聞えるような風紋が月光に蒼い、あまい湯気ごし見あげながら深いテノールが訊いた。

「英二の祖父サン、周太のことも知ってたのかね?」

ほら言い当てられた?
こんなお見通しは今すこし複雑で、それでも安堵ちいさく笑った。

「ほんと、まだ24歳は子供なんだろな、」
「個人差あるんじゃない?ま、おまえの祖父サンじゃ仕方ないけどさ、」

馥郁のむこう答えてくれる。
いつもの落着いて明るいトーン、その言葉に尋ねた。

「俺の祖父について蒔田さんから訊かれたのか?」

もし光一に話すとしたら蒔田だろう?
その推定に澄んだ瞳すこし笑って頷いた。

「宮田の家族に会ったコトあるか訊かれたよ、正直に姉さんとオフクロサンはあるって言っといたけどさ、ホントはその祖父サンのこと聴きたいんだろ?」

湯気くゆらす月明りに笑顔が白い。
いつもどおり底抜けに明るい眼は温かで、この真直ぐなザイルパートナーに微笑んだ。

「ごめん、光一は蒔田さんと前から知りあいなのに話せないとか嫌な想いさせたよな、」
「ソンナこと謝るんなら聴かせな?俺も考えないとだから、」

さらり言い返して笑ってくれる。
その言葉に今なぜ凍夜に座りこむか解って、信頼また笑った。

「光一、最初からこれを話すつもりで外に出たんだろ?小屋だと他の人がいて話し難いから、」

外でお茶しよ、耐寒訓練だね?

そう誘ってくれたから今、零下の夜に座りこんでいる。
けれど目的は会話だった?そんなザイルパートナーはからり笑った。

「おまえの祖父サンネタは内緒のがヤりやすいだろうからね、いつかバレるとしても知らない方が幸せナンじゃない?」

内緒のがやりやすい、知らない方が幸せだ。
そんな言葉たちにもう「知っている」のだと伝えてくれる、この大らかな聡明に微笑んだ。

「鷲田の祖父はそんなに影響力があるって思った?」
「情報は権力じゃない?」

訊き返されてYesだと知らされる、もう隠すだけ信頼失くすだろう。
こんな立場だと本当は認めたくなかった、その想い素直に笑いかけた。

「光一、俺は山だけで生きたいよ?でもそれだけじゃ生きられそうにないんだ、その代りに周太を救うことは出来るかもしれない、」

ただ山だけで生きていたい、そう願って山岳救助隊を選んだ。
そして叶うと信じていた、それでも選んだ途にただ微笑んだ。

「俺さ、ずっと自由になりたかったんだ。でも人は生かされる場所があるのかもしれない、だから俺は雅樹さんになれないんだ、」

あの医学生のようになりたかった、でも自分は自分だ。
それを認めた肚すとんと落ちつくまま想い言葉にした。

「青梅署に卒配されて、吉村先生の手伝いするようになってさ。いつも雅樹さんの写真を先生の机に見ながら憧れたんだ、こんなふうに山で生きて人を救って生きられたら良いなって。だから俺は救急法も勉強したし先生の助手するの嬉しかった、後藤さんに見込んでもらえたことも本当に嬉しいんだ、そうやって雅樹さんを認める人たちに俺も認められていけば雅樹さんになれる気がしてた、」

山ヤの医学生、山の警察医、最高の山ヤの警察官。

あのひと達のよう自分も生きたい、けれど自分は自分にしかなれない。
そう見つけた今日の答とマグカップ口つけて、そっと啜りこんだ熱に微笑んだ。

「本当に俺は雅樹さんになりたかったよ、だから光一のことも全部を俺の物にしたかったんだ。雅樹さんがいちばん大切にするものを俺の物にしたら俺も雅樹さんになれると思ってた、でも、どんなに雅樹さんの真似っこしても偽物でしかないって光一がいちばん解るだろ?結局は俺は俺にしかなれない、」

どんなに憧れても、憧れが持つ物すべてを得ても違う。
どんなに真似ても同じフリしても偽物はニセモノだ、この単純な当然をようやく認める今に笑いかけた。

「光一、俺は山が好きだよ?山岳救助隊であることは俺のプライドなんだ、それでも俺の居場所は違うかもしれない。俺には俺にしか生きられない場所があると思うんだ、その場所に立つことで俺は周太を救える可能性もあるんだよ、だからごめん、」

ごめん、

そんな言葉こぼれた唇が笑っている。
この言葉は謝罪でしかない、それでも自覚したプライド綺麗に笑った。

「俺は祖父の後を継ぐよ、そこは後藤さんや蒔田さんが期待してくれる出世とは違う道だと思う。でも最期は帰りたいんだ、ゆるされるならさ?」

最期は帰りたい、それだけは赦される?

赦されたいと願う本音ごと紅茶すすりこんで、くゆらす吐息が白く熱い。
熱くて甘くて、なにか優しくて深く温まるまま澄んだテノールが言った。

「権力よりも最期は、山?」
「うん、山、」

頷いて笑った月明りに澄んだ瞳も笑ってくれる。
透けるよう明るい瞳は真っすぐ温かい、この温もりと雪山に笑った。

「だから光一、俺をアンザイレンパートナーでいさせてよ?年に一度はザイル繋ぎたいんだ、冬富士も剱岳も北鎌尾根も、北壁も八千峰も登りたい、」

登るなら、この男と一緒か独りが良い。

自分に山の夢を抱かせた男、この男しか山では要らない。
他にザイルパートナーは考えられなくて、そんな想い山っ子が笑った。

「英二、俺がザイル組まなきゃ単独行する気だね?」
「単独行もしてみたいと思ってるよ、」

素直に頷いてマグカップ呷りこむ。
こくり熱い甘い香すべりこんで肚温まる、ほっと息吐いて微笑んだ。

「ごめんな光一、ほんとに俺は狡賢い自分勝手だよ。いつか光一に愛想尽かされて仕方ないって思う、その時は正直に言ってくれな?」

誇らかな自由に生きる山ヤ、そんな男と自分は対極だ。
そう解るから愛想尽きる日が来るとも思う、そのとき自分はどんな貌するのだろう?
泣くのだろうか、それとも笑うのだろうか、そんな予想に透けるよう耀るい瞳が笑った。

「俺は嘘吐けない性質だからね?だけど前も言ったろ、英二が泣きたい時は一緒に山登ってやるってさ。だから今もここに居るね、」

ほら、約束ほんとうに信じてくれている。
これが祖父と自分の差かもしれない、この幸福きれいに笑った。

「もし山頂で泣いたら俺、顔が氷まみれだな?」




どん、

空気の塊ぶつかってピッケルの手が軋みだす。
左手はシャフトの下方スピッツェを握りしめ体重を支持させる。
重心を下方へ強くうつ伏せ頭下げて全身が浮かないよう低く姿勢を深めこむ。

ほら、最高峰の吹雪が徹る。

「っ…、」

氷の礫がゴーグルひっぱたく、小石も砂も凍てついた白がぶつかる。
ヘルメット叩いて肩も手もウェアから氷が撃つ、クラストした雪面が視界を射る。
ネックゲイターごし冷気は呼吸から凍てつかす、その聴覚に氷と風の咆哮うなって駆ける。

―息が詰まる、風の塊に押されて、

ごおんっ、

最高峰が吼える、クラストの雪面まばゆく地吹雪を吐く。
けれど山麓からは晴れた頂を望んで豪風を知らない、こんな異世界が自分を生かす。

「えいじ!無事だねっ?」

澄んだテノールに呼ばれて顔上げた斜面、もう風は止んだ。
アイゼン噛みしめる氷ざぐり鳴る、この三千メートル超えた空に笑った。

「大丈夫だ!行こう、光一、」

笑いかけ仰いだ上方、ザイルパートナーが歩きだす。
その先すぐ頂は聳える、あと数歩で着ける3,776mの世界へ笑ってしまう。

「今年も来れたんだ、俺は、」

ネックゲイターの翳に笑って吐息が凍る。
白く昇らす呼吸を雲が融かす、ゆるやかな白が視界を籠めて流れゆく。
ざぐり、アイゼンの効きを確かめピッケル進めて、ふわり晴れた光景に空が光った。

「英二!今年も冬富士完登だね、おめでとさん、」

ほら、アンザイレンパートナが笑ってくれる。
この笑顔と昨冬もここへ昇った、あのとき初めて見つめた想いがある。
あれから自分も相手も少し変わって、そうして向きあえる今に英二は綺麗に笑った。

「ありがとな光一、」

笑いかけ廻らせた視界、青と白が輝きわたる。
明けたばかりの冬の朝、もう輝度まばゆい太陽に最高峰は銀色まとう。
時おりの風が氷雪ふきあげる、舞いあがる欠片たちは七彩に透けて煌めく。
あの礫たちが当たれば痛い、それでも輝く瞬間は綺麗で、惹かれるまま懐かしい声が謳う。

Nor all that is at enmity with joy,
Can utterly abolish or destroy!
Hence in a season of calm weather
Though inland far we be,
Our Souls have sight of that immortal sea
Which brought us hither,
Can in a moment travel thither,

また怨みにも歓びとあり、
完全に滅ぼし崩してしまえる
穏やかな風の季にある今から
丘深く居ても僕らは遥か遠く在り
僕らの心は永遠の海を見る
どれも僕らをそこに連れていく、
彼方につかの間の旅ができる、

この詩を初めて聴いたのは幼い日、あの頃もう世界は自分のものじゃ無かった。
もう孤独なのだと解っていて、それでも望んだ願いの人を遥か東に見つめ笑いかけた。

「迎えに行くよ、きっと、」

迎えに行く、そう呼びかけたい人は今遠い。
それでも必ず迎えに行けるのだろう、それは再会で別離かもしれない。
けれど救うことは出来る、そして穏やかな自由と幸福を贈ることも不可能じゃない。
そのとき合鍵は、今も登山ウェアの懐深く温かい小さな鍵は自分から離れて、あるべき場所に還る。

そんな未来予想に笑った頬を温もり零れて、氷ひとつ空に舞った。


【引用詩文:William Wordsworth「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」】

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