萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

Introduction 水無月の青―「此花咲く」side P.S extra

2013-06-22 23:15:50 | 陽はまた昇るP.S
Innocent blue 花に眠る君へ、



Introduction 水無月の青―「此花咲く」side P.S extra

空が青いことを、忘れていたかもしれない。

青空の視界に遥か連なる山は蒼い。
山嶺は麓に渓谷を奔らす、その川も碧い。
木洩陽の梢も青、いま立つ道も叢蒼く匂いたつ。
香から見る全てブルーがある、この風光に美幸は笑った。

「ね、馨さん?世界はこんなに青かったのね、」

笑った隣、木洩陽やわらかな癖っ毛が振り向いてくれる。
あわい日焼けに切長い瞳ほころばせ穏やかな声が微笑んだ。

「はい、こんなに青いです…世界は青いなんて詩的ですね、」

詩的だなんて言われたら、なんだか気恥ずかしい。
こんなこと不慣れで戸惑う、けれど楽しいかもしれない。

―この私が詩的だなんて、倫子に聞かれたら笑われそうね?

会社の同期を思うと可笑しくて笑いたくなる。
職場の姿を知る彼女からしたら別解釈したいだろう。
そんな想像に笑った美幸に、やわらかな深い声が尋ねた。

「美幸さんは詩とか好きなんですか?」
「詩はあんまり読んだこと無いの、小説とかも読んでいなくて、」

答えながら少し恥ずかしくなってしまう。
この青年が住む書斎には立派な本が端正に並ぶ。
そんな彼に読書経験を告げるのは恥ずかしい、けれど美幸は正直に笑った。

「私が読んできたのは教科書やテキスト、あと経済学とかの実用書ばっかりなの。要するにガリ勉ね、」

ガリ勉、そんな単語は自分と似合う。
優等生になってエリートになって高給取りになる、それが目標だった。
そんな自分だから勉強以外の余裕なんて社会人になるまで無い。

―だから面白みが無いって言われるのよね、

そんな自分だから今、空の青にも驚いてしまう。
そして、靴底を透かす土の感触も忘れかけていた。

「登山靴の調子、大丈夫ですか?」

穏やかなテノールに振り向くと切長い瞳が笑ってくれる。
優しい綺麗な笑顔が嬉しくて、美幸は笑って頷いた。

「大丈夫よ、ありがとう、」
「良かった、…もう尾根に出ます、」

穏やかな深い声で笑いかけ歩く、その端整な顔に陽光ふる。
そして樹林を抜けた笑顔の遥か、白雲と蒼穹あざやかに拓いた。

―大きな空、

息呑んだ聲に天空が鼓動へ広がらす。
五月雨の晴れ間に青は澄む、その色彩まばゆいブルーが空亘る。
高らかに広やかに青は透けて深い、この空に笑顔あふれた。

「ここの空は本当に綺麗ね、だから特別って言ってたの?」

特別な空を見せてあげます、
そう言って夜明前に青年は車を出してくれた。
そして今、初めて歩く標高3,000mを超えた空と山を見ている。

「ん、ここは特別なんです、」

嬉しそうに馨も頷いてくれる、その笑顔がいつもより明るい。
こんな笑顔を見せてくれるから、きっと好きは恋になる。

「美幸さん、ここで昼にしましょう、」

ほら、また綺麗な笑顔で言ってくれる。
その顔が初対面よりも寛いで明るい、そんな雰囲気に鼓動そっと掴まれる。

―笑ってくれるだけで嬉しいなんて、なかったな、

心独りに見つめる向こう、馴れた手つきが小さなコンロで湯を沸かす。
長い指は器用にナイフを使ってオレンジを剥き、パンをカットして火に炙る。
あざやかな手に見惚れるうちにホットドックとオレンジティーのカップが差し出された。

「イスタントの粉末紅茶ですけど、生のオレンジを入れてみました…温かいうちにどうぞ?」

穏やかな声に勧められてマグカップに口づける。
ふわり甘く爽やかな香が美味しい、嬉しくて美幸は笑いかけた。

「おいしい、オレンジも紅茶が滲みて美味しいわ、デザートみたい、」
「よかった、」

嬉しそうなトーンで瞳細めてくれる、その笑顔に瞳から鼓動がすくむ。
こんなこと今まで無い、だからもう確定なのだろう?
そんな想い独りでに唇こぼれて声になった。

「…もうなってるわ」
「え、…何?」

声に切長い目が見つめてくれる、その眼差しが鼓動に透る。
この瞳を初めて見た2ヶ月前からもう、とっくに決まっていた。
この想い素直に伝えてみたい、そう願うまま美幸は笑った。

「もう恋になってるわ、馨さんが私の初恋になっちゃった、」

笑って告げた向こう側、切長い瞳ゆっくり瞬いた。
何を言われたのか?すこし考えるふう端整な顔傾げて、すぐ真っ赤になった。

「あ、あのっ…本当にすみませんでした、僕あんなことしてそのっ…は、はじめてをそのっ」

深い声は戸惑うまま謝って、あわい日焼けの頬が色彩を変えてゆく。
そんな様子に青年の誠実が見えて嬉しいまま美幸は笑った。

「そんなに謝らないで、馨さん?だって本当は私が積極的だったんでしょう?」

きっとそれが真相、そう記憶が告げてくる。
あの朝に馨は優しい嘘を吐いてくれた、それくらいもう解る。

あの桜ふる夜に恋を抱きしめたのは、きっと一瞬だけ、自分の方が先だった。






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