萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第41話 春永act.1―another,side story「陽はまた昇る」

2012-04-20 23:59:13 | 陽はまた昇るanother,side story
※後半1/5念のためR18(露骨な表現はありません)

春、光る




第41話 春永act.1―another,side story「陽はまた昇る」

当番明けに非番を迎える今日から、周太は3連休になる。
本当は火曜日が日勤になるけれど、以前シフト交替した為に休日となった。
この日はちょうど彼岸のお中日だから、墓参に行けて都合がいい。
それ以上にもっと、連休になって嬉しい理由がある。その理由の為に周太は左手のクライマーウォッチを見た。

am8:00

いつもどおり当番勤務が明ける時間。
この時間がいつもより嬉しい、周太は微笑んだ。

…英二、今、なにしてるかな?

待ってくれている人を想って、ペンを持ち直す。
すぐに処理途中の書類をきちんと終えると、周太はデスクを立った。
決められたファイルに綴じ込んで、今日の日勤担当者に引継ぎを行う。
それらを全て終えてから、先輩の柏木と若林に休暇前の挨拶をした。

「3連休になりますが、すみません」

シフト交替の為だとはいえ、なんとなく気がひける。
けれど若林と柏木は快く送りだしてくれた。

「当番おつかれさま。今日から、ご実家に帰るんだろ?親孝行しておいで、」

そんなふうに笑顔で2人とも言ってくれた。
この2人は卒配期間の周太を、きちんと指導してくれている。いつも気さくで、周太の意見も聴いてくれるいい先輩だった。
こうした交番勤務では先輩によって当たり外れがあると聞く、そういう意味で周太は「当たり」だったろう。

…この先輩達と仕事するのも、あと、1ヶ月と少しかもしれない

そんな感慨がふと心射して、新宿署独身寮に戻る道に小さなため息を吐いた。
いま3月下旬、あと1ヶ月少しで初任科総合のため警察学校に2ヶ月ほど戻る。これが終わると本配属されていく。
本配属になっても大抵そのまま交番勤務となり、そのあと機動隊に異動するケースが多いと聴く。
きっと自分は本配属直後に機動隊へ異動となる、そして父のいた部署に配属するテストを受けさせられるだろう。

…春が終わって、初任科総合の初夏が過ぎる。そして夏には、きっと…

哀しくなりかけた心を、深呼吸で周太は空を見あげた。
今日の天気は晴天、青い空がこの新宿にも輝いている。
最初はどこか寂しいこの街に馴染めなくて、いつも哀しかった。
けれど今はもうこの街に、いくつかの憩える場所を自分は見つけている。

あのベンチがある公園、温かい主人がいるラーメン屋、クロワッサンを買うパン屋、欲しい本がある書店、憧れの花屋さん。
どれもが英二との想い出が深い場所ばかり、この全てが今の自分には宝物になって温かい。
こんなふうに「寂しい」場所にも「嬉しい」温もりは、見つけられている。

…だから、きっと。お父さんのいた場所にも、温かい何かを見つけられる

きっと見つめられる、だから大丈夫。
この今だって、この街の空にも明るい青空が見えている。この空は想い深い奥多摩に続く、そして愛する家の空に繋がっている。
こんなふうに父の場所も繋がって、そこでも明るい空を見ることが出来るかもしれない。
この明るい確信に微笑んで、周太は新宿署の入口を潜った。

さっと当番明けの風呂と着替えを済ませると、仕度しておいた鞄を持つ。
そのまま朝食は摂らずに周太は寮を後にした。
いつものパン屋でクロワッサンを5つ買う、それから新宿駅の南口に着いて花屋の前で足を止めた。
ウィンドーの花に微笑んで腕のクライマーウォッチを見ると、電車の時間まであと15分程ある。

…あのひと、今朝もいるのかな?

この花屋に周太が一人で寄ったのは、バレンタインの前夜が初めてだった。
そのときに、この花屋の若い女主人は周太にも優しくしてくれて、バレンタインのチョコレートを贈ってくれた。
もとから英二と数回は来たことがあった、けれど1人でたくさん話したのは、その時が初めてだった。
そのあと2、3度ほど実家に帰る時に立ち寄っている。

…あのひと、素敵だよね?花が大好き、って感じで

この気持ちを母と英二は「憧れ」だと教えてくれた。
こういう気持ちは素直に大切にしなさい、2人共そんなふうに言ってくれる。
だから、こうして前を通れば立ち寄ってみたくなる。

…花を買える時間も、あるよね?

同じ花好きの笑顔に会いたくて、素直に周太は店先を覗きこんだ。
その視界に、やさしい色あいのスイートピーが映りこんで笑いかけた。

「おはよう、きれいだね?」

ひらり優雅な花びらがスイートピーは可愛い。
可愛い花が嬉しくて微笑んだ周太に、やわらかな声が優しくかけられた。

「おはようございます、今日は早いのね?」

すこし驚いて見上げた先に、優しい笑顔が佇んでいた。
いま花に話しかけたところを、見られてしまっただろうか?
気恥ずかしさに首筋が熱くなるのを感じながら、周太は挨拶をした。

「おはようございます、あの、スイートピーの花束を頂けますか?」
「はい、かしこまりました。お母さんに?」

やわらかな笑顔の彼女はスイートピーの前に立ってくれる。
こんなふうに花のなかに立っている姿が似あうひとだな?
そう見惚れながら周太は素直に頷いた。

「はい、母にです…あの、あわいピンクのが好きです」

いつものように周太は、自分がいちばん好きな花を指さした。
その花を彼女は3枝ほど手にとって、きれいに微笑んだ。

「この子ね?可愛いわよね、今日、いちばん可愛い子だな、って私も思うわ、」

自分と同じ花を好きだと言ってくれる。
こういうのが嬉しくて、つい前を通るとこの店に周太は寄りたなってしまう。
それで実家に帰る時はときおり、母の手土産にもと立ち寄るようになった。

…それに「この子」って花を呼ぶのはね、心から花を愛しているからで…素敵なんだ、このひと、

周太自身が植物好きだから、花や植物を愛するひとには共感を持ってしまう。
そんな共感からも、周太と美代は仲の良い友達になれた。
この月末に美代は、大学の公開講座を周太と受講する。
そのとき、この花屋も連れて来たら喜んでくれるかもしれない?

…たぶん、美代さんも好きだよね、このひとは、

きっと、この店に美代と一緒に来たら楽しいだろう。
ここで花を束ねて貰って、美代にプレゼントしたら良いかもしれないな?
そんな楽しい予定を考えながら周太は、今日も女主人の花とる手つきに楽しく見惚れた。


あわい色あいのブーケを抱えて、周太は電車の扉際に佇んだ。
薄紅のグラデーションがきれいなスイートピーのブーケには、チューリップも入れてくれてある。
「常連さんへのオマケです、」
そんなふうに彼女は笑って、いつものようにサービスしてくれた。
こんな気遣いも嬉しくて、つい立ち寄りたくなってしまう。

…お母さん、今日も喜んでくれるかな?

今日の母は出勤している、けれど14時には必ず帰ってくるだろう。
なぜなら今日、お茶の時間に大切なお客が家を訪れる。
その緊張に小さく周太はため息を吐いた。

…でも、良い事だから、ね?

家に帰ったら、もてなしの仕度を整えなくてはいけない。
けれど、それもきっと今日は楽しいだろうな?
楽しい理由に微笑んで、周太はポケットからカードケースを出した。
ケースには、北岳の写真と谷川岳の写真が納められている。それから高潔な横顔が1枚と、やわらかな微笑の1枚。
どれも光一が写してくれた写真たちは、一昨日もらったばかりだった。

「はい、約束の写真だよ。三スラを踏破した直後の顔だ」
「ありがとう…さんすら?」

どこかで聴いたことがある単語?
そう首傾げこんだ周太に、光一が教えてくれた。

「滝沢第三スラブ、国内最高難度のクライミングルートだよ。これを踏破するとね、優秀な山ヤだって認めてもらえるんだ」

…英二、すごいんだね?

光一に聴いた事を思い出して、ほっと息を吐いた。
谷川岳に登ったことは勿論聴いている、けれどそんな難しい登攀だと英二は教えてくれていない。
きっと周太が心配するのが嫌だったことと、自慢みたいになるのが嫌だったのだろう。
それほどに難しい登攀を英二は出来るようになった。
そんな姿がまばゆくて、この写真に見せてくれる山ヤの貌は心から美しい。
こうして光一は英二の貌を周太にも見せてくれようとしている、その気持ちが温かい。

…けれど、応えてあげられない、光一の求め全てには

大切な初恋相手、そして大好きなひと。
そういう光一と一緒に過ごす時間は、やさしい透明な温もりが幸せになれる。
この写真を贈ってくれた一昨日も、検査中の英二を待つ間に梅林を見せてくれて楽しかった。
でも本当は、梅林にいる間もつい英二のことばかり考えていた。

この3日前、英二は雪崩によって遭難している。
どうしても避けられない雪崩に巻きこまれ、それでも英二は自力で途中まで下山した。
救助に駆けつけた光一が発見した英二は、左足首脱臼と額に裂傷を負い高熱に斃れこんだ。
このために周太は3日前に奥多摩へ行き、一昨日の夜に英二と一緒に川崎に帰って来た。
それで英二は今、川崎の家で静養にはいっている。だから周太は今日は早く帰りたかった。

…ほんとうに、助かって良かった…英二、

あの状況なら本当は死んでも不思議はない。
この遭難を知る人は誰もが周太にそう言った、この程度で済んで奇跡なのだと言う。
なによりも、光一が見せてくれた英二のヘルメットとゴーグルが「奇跡」を雄弁に語っていた。
このヘルメットは大きな亀裂に割れ、ゴーグルのフレームは崩れていた。

英二は頭から岩に激突していた。
この事実が、この2つの破損状態から解ってしまう。
それでも英二は額の裂傷だけで脳に何の異常も見られない、頸椎なども損傷は無かった。
これが不思議だと誰もが言う、けれど光一は雪の梅林で周太に教えてくれた。

「たぶんね、最高峰の竜が来たよ?温かい気配がさ、宮田の遭難現場の上空を駆けて行ったんだ、」

周太は自分の掌を見た。
この掌には「最高峰の竜の涙」を光一が贈ってくれた。
そして英二の頬には不思議な傷痕がひとつ、冬富士の遭難救助のときに刻まれている。
もう2カ月経つのに残る小さな裂傷痕を「竜の爪痕」だと光一は言う。
きっと英二は山の神々に愛されている、だから最高峰の竜が爪痕を刻んだのだと光一は教えてくれた。
これは不可思議なこと、けれど奇跡のように最小限の怪我で英二は助かっている。

…だから、本当なのかもしれない。光一が言っていたことは

真面目で美しい山ヤの英二、きっと神様にだって愛される。
そんなふうに周太自身も想ったことが何度もある、だから不思議でも納得してしまう。
よく父も「山は不思議なことが沢山あるよ、」と言っていた、だから英二も不思議の1つかもしれない。
そして、もう1つ不思議だなと思うことに、周太の首筋が熱くなりだした。

…光一、なんで英二にキスしたんだろう?

高熱から脱け出した英二が目覚めた時だった。
英二は周太に「おはようのキスをして?」とねだってくれた。
それが心から嬉しかった、けれどつい恥ずかしくて周太は羞かんでしまった。
そんな周太を見て光一は、さっさと英二にキスしてしまった。

―…この山っ子のキスはね、最強の護符になるからさ。もう二度と遭難しないコト、請け合いだね

そう言って笑った光一の目は温かに笑んでいた。
そんな光一と英二のキスシーンに、ちょっと周太は見惚れてしまった。

…だって、きれいだったんだ、とても…

どこか神々しい貌で光一はキスを贈っていた。
我に返ったときは拗ねて嫉妬して、光一を英二から引き剥がしたかった。
けれど「山っ子」と呼ばれる最高の山ヤなら「最強の護符」も納得しそうになる。
初めて逢った子供の頃から光一は、どこか不思議で大らかに優しい。そんな光一なりの精一杯で英二を大切にしているのだろう。

…でも、キスはだめ。俺のなんだから…あ、

こんなに独占欲は気恥ずかしい、また赤くなってしまう。
こんなこと考えている自分はやっぱりすごくえっちなのかもしれない?
そんな考えに一昨夜の失敗を思い出して、周太はすこし、しょんぼりした。

一昨夜は静養にはいる英二と一緒に、光一の車で川崎の実家に送ってもらった。
そのとき墜落睡眠に周太は眠りこんで、目覚めたら実家のベッドで翌日の朝を迎えていた。
その朝は昨日の朝で、午後からは当番勤務が控えていた。だから周太は一昨夜と昨日、ほとんど英二と過ごせなかった。

…せっかく、英二と一緒に眠れたのに…ずっと眠っていただけなんて、勿体ない…あ、

また恥ずかしい想像をして周太は赤くなった。
だってこんなことかんがえるなんてすごくよっきゅうふまんみたい?
でも英二はまだ丸4日間は川崎に居てくれる、だから時間はあるはずなのに、やっぱり一昨夜が勿体ないなと思ってしまう。
それくらい周太にとって、英二と一緒の時間は大切になっている。

…だから今日から、ふたりの時間をうんと大切にしよう。

今日からの幸せに微笑んで、周太は川崎の駅に降り立った。
クライマーウォッチを見ると9:20、まだ「おはよう」が言える時間だろう。
もう母は出勤しただろう、いま英二は何をしている所かな、書斎で本を読んでいる?
そんなことを考えながら近所のスーパーに寄ると、急ぎ買い物を済ませた。

エコバッグには、おもてなしの材料と今日の食材が、楽しい重さに詰まっている。
スイートピーの花束と歩く家路は、様々な花の香が朝の空気に甘く清々しい。
閑静な住宅街には杏の花さく軒もある。あまい沈丁花は薫り、壁からのぞく白木蓮が美しい。
馬酔木の生垣、風揺れる雪柳、萌黄かわいい三椏と三葉つつじの優美な紫いろ。
やさしい春の花が嬉しくて、家に待つ人がいる幸せが温かい、明るい想い充ちて心楽しい。

きっと今朝もまた、実家の庭では蕾ほころんで花咲いただろう。
その庭に、大好きな笑顔を見れたらきっと、幸せだろうな?
こんなふうに細やかで、ありふれた幸せが嬉しくて温かい。

…帰ったら朝ごはん、つきあってもらいたいな?それから一緒に庭を散歩して、

きっと英二はもう母と一緒に朝食を済ませただろう。
けれど英二はたくさん食べるから、二度目の朝食も少し摂ってくれるかな?
そんなふうに考えて周太は、早く帰りたいのもあって朝食を摂らずに帰って来た。
それで今朝は、英二が好きなパン屋にクロワッサンを買いに行ってきた。
少しでも一緒に食べてほしいな?こんな小さなおねだりを想いながら、周太は家の門を開いた。

ふるい木造の門は軽い軋みに閉じられる。
門の軒ふる枝垂桜の蕾に微笑んで、周太は飛石を踏みながら玄関へ進んだ。
歩いていく庭の彼方此方を、やさしい花の香が風そよいでいく。
紅いろ華やぐ寒緋桜の根元には、白い鈴蘭水仙が可愛らしい。春蘭の薄緑には片栗の赤紫が映えている。
辛夷の白には十月桜の薄紅、連翹の黄色は朝陽に透けて温かい。菫の紫深い花と緑濃い葉は、小さくても優雅に咲いていく。
やさしい花あふれだす庭は、迎えていく春の楽しさに充ちていた。

「…ほら、春は、楽しいな?」

ひとりごとに微笑んで、周太は蕾桜の梢越し空を見あげた。
この春が終われば初夏、そして夏、その先にある道が怖いと思う。
けれど恐怖や不安に囚われて、今この春を楽しまなかったら勿体無い。
この先に冷たい現実が横たわる、ならば尚更に今この温もりを記憶に刻みたい、幸せに笑いたい。
この春の温もりが、冷たい現実を温かく照らしてくれるよう、きちんと今を見つめていたい。

そんな想いと見上げている後ろで、玄関扉の鍵が音を立てた。
すぐに扉の開く音が続く、そして三和土から石畳へと下駄の歯音が、かつんと鳴った。
この足音は、きっとそう。嬉しい予想と一緒に周太は振向いた。

…あ、ミモザが咲いている

豊かな黄金の花枝が、やさしい朝陽に揺れている。
光充ちるミモザの花から黄金の翳が、白皙の頬にふりそそぐ。
春告げる花のもと端正な長身は佇んで、切長い目が周太に微笑んだ。

「おかえり、周太。おはよう、」

きれいな笑顔が幸せに咲いて、周太を迎えてくれる。
迎えてくれる場所がミモザの花の下なことが気恥ずかしい、けれど幸せが優しい。
なにより笑顔に逢えて嬉しい、幸せな想いに周太はきれいに微笑んだ。

「ただいま、英二。おはようございます…花婿さん?」

最後の言葉は、ほんとうは気恥ずかしい。
けれど、この花の下に迎えてくれるなら、いちばん似合いの言葉。
この気持ちを解ってくれるかな?そう見つめて微笑んだ周太に、幸せに英二が笑ってくれた。

「こんなふうに言われたら、幸せすぎるよ?周太、」

きれいな笑顔が華やいで、ひとつ歩み寄り長い腕を伸ばしてくれる。
からんと下駄の歯ひとつ鳴る音に、そっと周太は抱きしめられていた。
抱きしめてくれる懐から見あげた貌に、すこし切なげで幸せな笑顔がほころんだ。

「おかえり、俺の花嫁さん?待ってたよ、逢いたかった…周太、」

告げる想いをのせた唇が、そっと周太にキスをした。


サイフォンから芳しい香が、ゆるやかな湯音と一緒に昇っていく。
カットフルーツをヨーグルトと和えて器に盛り、メインにベーコンエッグとサラダを作った。
買ってきたクロワッサンは軽く焼き直して、手作りイチゴジャムを添えてみる。
手早く支度した遅い朝食の膳に、英二は嬉しそうに笑ってくれた。

「洋食の朝飯は久しぶりだな。あの店のクロワッサン、買ってきてくれたんだ、ありがとう」

このクロワッサンは周太にとって、大切な想い出の味だった。
記憶の気恥ずかしさに首筋が熱くなってしまう、それでも幸せに微笑んで周太は応えた

「帰ってくるときにね、寄ってきたんだ…焼き直したんだけど、どうかな?」
「うん、旨いよ。温かいといいな、このジャムも旨いね?周太が作ったの?」
「ん、簡単に出来るんだ…気に入ってもらえて、よかった、」

おいしそうに口を動かしてくれる様子が嬉しい。
幸せな笑顔が嬉しいな?目の前に座る笑顔に笑いかけて周太は訊いてみた。

「あの、英二?昨夜のご飯、どうだったかな?」
「どれも旨かったよ、あのロールキャベツはやっぱりいいな?あと、魚のグラタン旨かったよ、」

昨日は当番勤務だった周太は、夕食の支度を整えてから出勤した。
やさしい英二は夕食の感想も昨夜、メールで伝えてくれている。けれど大好きな声で言ってくれるのを周太は聴きたかった。
それを今ちゃんと聴けて嬉しい、こんな他愛ない会話が幸せだなと周太はいつも思う。
こういう時間を明日も明後日も過ごす、それが贅沢な安らぎを感じさせてくれる。

…いつか、毎日ずっとこんな時間があるといいな?…あ、

英二に話しておきたかった事を思い出した。
きちんと逢って話したかったことに、周太は口を開いた

「聴いて、英二?…瀬尾はね、5年後に警察官を辞めるんだ、」
「瀬尾が?」

すこしだけ切長い目が大きくなる。
どういうこと?目で訊かれて周太は頷いた。

「瀬尾の家、会社を経営しているんだ。でも、跡取りだった叔父さんが亡くなって…それで、瀬尾が代わりに継ぐんだって、」

話しながらも心が軋んで、やっぱり哀しい気持ちが起きてしまう。
この話をしてくれる瀬尾は穏かな逞しさが頼もしかった、与えられる責務への誇りに微笑んでいた。
けれど瀬尾は心から、警察官の仕事に夢と誇りを抱いている。そんな瀬尾にとって辞職は辛くない筈が無い。
仕方のないことと思っても、哀しい。そんな想いを見つめる周太に英二が訊いてくれた。

「経営者だって聴いたことはあったけど…この話、誰が他に知ってるんだ?」
「まだ、俺だけなんだ…でも瀬尾、英二には話していいよ、って。こんど、関根も誘って飲みながら、きちんと話すからって、」
「俺と関根には、話してくれるつもりなんだ、」

本当に親しい同期だけに話したい、瀬尾はそう言って笑っていた。
あのときの瀬尾の、優しく強い笑顔を想いながら周太は口を開いた。

「ん、そう…2人とは飲んだりしたいから、きちんと話しておきたいって。
でも他の同期には内緒にしたいって、変に気を遣わせたくないから…だから松岡と上野には、初任総合の最後に話そうかな、って」

友達を大切にする瀬尾は、同じ班だった2人にも話しておきたいだろう。
けれど、大切だからこそ瀬尾は配慮をしている。そんな瀬尾の想いを汲んで英二は微笑んでくれた。

「そうだな?初任総合の時には皆、顔合せるから。秘密とかあると、2人には重いかもな?」
「そう、瀬尾もそう言ってたよ?…松岡は真面目だし、上野は素直だから、秘密は苦手だろうって…だから、話せないかもって」
「瀬尾らしいな、ちゃんと周りを気遣ってさ。でも辛いな…期限は、ね?」

この「期限付き」が哀しい、「終わり」を宣告された夢は切ない。
誰でも無限の時は持っていない、何事にも終わりがある。このことを周太は父の死で知っている。
けれど瀬尾のように最初から終焉を宣告されることは、やっぱり哀しい。
それでも決意した友人の笑顔は、まぶしかった。その笑顔を想いながら周太は話した。

「でも瀬尾はね、『あと5年があるんだ』って言うんだ。あと5年は夢に生きられる、だから今を大切にしたいって。
この5年間を皆と同じ警察官として対等に、任務に専念したい。だから期限付きだって知られて、気を遣われたくないって。
でも、俺には話したかったって…俺も努力するタイプだから、努力の仲間には聴いてほしいから、そう瀬尾は言ってくれたんだ…」

こんな周囲への気遣いと判断が、瀬尾は優しく賢明で潔い。
こうした周囲への視点は経営者として大切な資質だろう、だから瀬尾が後継者に選ばれる事も納得できてしまう。
きっと瀬尾は頼もしい経営者になっていける、成功もするだろう。けれど瀬尾の夢への努力を想うと哀しい。
この友人の想いに瞳へ熱が昇ってしまう、そっと瞬いた周太に英二が微笑んだ。

「瀬尾、かっこいいな。でも、切ないな…」

ほっと息吐いて英二は、コーヒーを静かに啜りこんだ。
ずっと瀬尾は警察官を夢見て努力し、誇りを持って勤務している。そのことを英二もよく知っている。
同じように警察官に誇りを持つ英二にとって、瀬尾の気持ちは痛いほど解かってしまうだろう。
きっと英二も哀しいだろうな?そう見つめる先で綺麗な低い声が言った。

「瀬尾、似顔絵捜査官の夢、叶えてほしいな?この5年の間に…5年間を夢に、精一杯生きてほしいな、」

5年間を精一杯。
このことは瀬尾自身も言っていた、それを英二は真直ぐに理解している。
こうした賢明な視点が英二は秀でている、その分だけ人を気遣って優しい。
こういう大らかに賢い優しさも好き、この想いに微笑みながら周太は頷いた。

「ん、瀬尾ならね、きっと頑張るよ?…なんか頼もしくてね、大人の男って感じで…潔くて格好よかった、」
「そうだな、瀬尾は華奢で優しい雰囲気だけど、男らしい潔さがあるな?…うん、皆で飲みたいな?」

英二も瀬尾の男らしさを見止めていた。
やっぱり英二は洞察力が鋭い、そんな英二は周太のこともよく見てくれている。
だからこそ英二は、孤独に隠していた周太の素顔を見つけて、そして心から愛してくれた。

…だから、そんな英二だから、想ってしまう…どうしよう、

どうしよう?
こんな会話にも、このひとに愛しい想いが募ってしまう。
そんな幸せの切なさに微笑んで、温かいダイニングでふたり朝食を楽しんだ。

朝食を終えて片づけを済ませると、周太は茶席の支度を整えた。
昨夜のうちに母が炉は整えてくれてある、茶器を選んでから周太は茶花を切りに庭へ出た。
からりと下駄の歯音もこぎみよく英二が付添ってくれる、周太には大きい父の下駄は英二だと丁度いい。
足の大きさにも頼もしさを感じながら、周太は白木蓮の一枝を選んで切った。
真白な大ぶりの花姿は華やかで、ゆたかに高潔あふれる美しさがある。

…似てるな、英二と、

こんなことを英二の隣で想って、周太は頬を赤らめた。
いつも華やかで端正な花を見るたびに、つい愛する面影かさねて愛しんでしまう。
そんな白い一枝を携えて、そっと隣を見あげると綺麗な笑顔がほころんでくれた。

「この花も似合うね、周太?…きれいだよ、」

こんな笑顔で言われたら、面映ゆくて困ってしまう。
それも今、この愛する面影を重ねた花に、自分が似合うのは嬉しい。
嬉しさに熱い頬を片掌に撫でながら、周太は気恥ずかしい想いに口を開いた。

「ありがとう、嬉しいな…この花、英二と似てるな、って想って選んだから…」

ちいさく答えて周太は笑いかけた。
そんな周太を切長い目が、じっと見つめてくれる。
なんだか緊張しちゃうな?見つめられて余計に赤くなりながら、周太は花枝を英二に示した。

「これ、水切りするね?…ちょっと、おふろ場に行ってくるから、」
「水切り、どうやるか見てもいい?」

きれいな低い声が訊いてくれる。
自分が好きな花のことに興味を持ってもらえるのが嬉しい、素直に周太は頷いた。

「ん、見てみて?簡単だよ、」

家に入るとそのまま洗面室へ行って、いつもの花桶を出した。
浴室で花桶に水を満たすと白木蓮を挿して、水中の枝を花切ばさみで切り落とす。
それから弱いシャワーで花を洗いながら、周太は微笑んだ。

「ね、こうすると、花が水で元気になるんだ、」
「ほんとうだ、花がうれしそうだな、」

楽しそうに英二も眺めてくれる。
そんな様子が嬉しくて、花に水をふらせながら周太は英二にキスをした。
嬉しいキスのはざまから、ふわり芳ばしい甘さが唇にふれた。

…あ、クロワッサンの、香

やわらかにふれる唇に、クロワッサンの香が温かい。
この香ごと、卒業式の翌々朝にふれたキスの記憶が蘇っていく。

 ―…俺の隣に居て欲しい。湯原の隣に、俺は居たい

あの公園のベンチで、一緒に生きようと初めて約束を結んだ。
あのとき英二は、今朝も食べたクロワッサンを口にした後だった。
なつかしい始まりの瞬間に記憶が愛おしい、そっと微笑んで周太は英二を見あげた。

「クロワッサンの香が、ね…懐かしかった、な、」

言いながら首筋から熱が昇っていく。
きっともう真赤だろうな?気恥ずかしさに周太はシャワーへと視線を移した。
けれど長い腕が伸ばされて、周太はシャワーごと抱きしめられた。

「周太…、」

抱きしめられて、唇がキスで閉じ込められる。
持ったままのシャワーに服が濡れていく、けれど頼もしい腕は力をゆるめない。
水ひろがる服を透す体温が、熱ごと周太を抱き籠んで離さない。

「…あ、っ、」

すこし唇が離れて喘いだけれど、すぐキスが絡めとる。
ふれるだけのキスが温かい、唇ふれる温もりは優しい。けれど体はシャワーで冷たくなっていく。
このままでは冷えてしまうのに?まだ怪我も全快していない英二が心配で、なんとか周太は言葉を出した。

「英二、まって?服が濡れちゃう…風邪ひいたら困るから、ね?着替えて?…」

なんとかシャワーだけでも、英二の腕から離したくて周太は身じろぎした。
けれど切長い目は、じっと周太を切なげに見つめて、そして願ってくれた。

「お願いだ、周太…君を抱きたい、今すぐ…」

とくんと鼓動が心を打った。


静かな浴室に水音が響いていく、見つめてくれる切なさに呼吸が止まってしまう。
おだやかで切ない緊張が心を縛りつけ竦んで、それでも周太は英二を見つめた。
きれいな切長い目は真直ぐに瞳見つめてくれる、その目が願ってくれる想いが愛しい。
愛しさに、素直に周太は頷いた。

「…はい、」

短く答えて、首筋の熱が額まで昇りだす。
まだ朝の10時半、それなのに今から夜のことを始めてしまう。
こんなの恥ずかしい、けれど今は愛するひとの願いを聴いてしまいたい。
どうか願うままに叶えて?想いに見上げた白皙の貌が、幸せに微笑んでくれた。

「ありがとう、周太…愛してるよ、」

言葉の最後はキスに贈られた。
ふれる唇からゆるやかに熱が入りこんでくる、口許から想いに浸食されてしまう。
手離すことも出来ないシャワーの水が、ふれる体の狭間に温められて零れていく。
くらりとするキスに委ねた体を、そっと英二は抱き上げた。

「ふれるよ、」

やさしい低い声が告げて、シャワースタンドの前に座らせてくれる。
瑞々しい花桶を遠ざけて、水から湯へシャワーを切替えると長い指が周太の服に掛けられた。
脱がされていく濡れた服から、含羞の紅潮そまる肌が露にされていく。
春の陽光に明るい浴室で、隈なく晒された素肌を長い指がやわらかにほどきだした。

「周太、…きれいだ、」

切長い目が潤んだよう見つめてくれる。
見つめながら長い指は、石鹸の香に小柄な体を包みこんでいく。
なめらかな指が素肌にふれていく、気恥ずかしさに周太は睫を伏せこんだ。

「…はずかしい、英二…、」
「恥ずかしくないよ、」

長い指で洗われていく体は、含羞と湯の熱に桜いろ染まっていく。
全身が訴える羞恥がよけいに恥ずかしい、恥じらい俯けた顔を切長い目が覗きこんで微笑んだ。

「恥ずかしくない、周太…きれいだ、愛してる、」

褒めてくれながらキスで唇ふれて、長い指が素肌をなぞっていく。
こうして体を繋げる準備をすると知ったのは、あの卒業式の夜が初めてだった。
あの夜も同じように浴室でほどこされて、とても恥ずかしくて、けれど不思議な感覚に溺れた。
あれからは恥ずかしくて、こうした風呂の事は自分でしてきた。
けれどバレンタインの夜だけは、酒に酔った体を英二が洗ってくれている。

…あの夜は酔っていて、あまり恥ずかしいとか無くて…でも、今は朝なのに、

この今は朝で意識は目覚めている、けれど長い指は今もしようとしていく。
これからされることが恥ずかしくて、そっと周太は話しかけた。

「あの、英二?…あ、洗うの、自分でするから…」

言いかけて、けれど周太は言葉を呑んだ。
見つめてくれる切長い目は優しくて、けれど求める想いが鮮やかに周太を竦ませる。
ふっと端正な顔が微笑んで、長い腕が周太を抱きしめた。

「俺にさせて?…周太の全部、見たいし、触れたいから…ね、」
「…あ、…っ、」

思わず声が漏れて周太は瞳を閉じた。
もう長い指は恥ずかしいところに触れて、ゆるやかに解きはじめていく。
こんなところに触れられて恥ずかしくて堪らない、けれど寄せられる想いは嬉しくて、あまやかな幸せに肌ごと包まれる。
こんなことまで英二は自分で施して、体ごと心を繋げようとしてくれる。その想いが嬉しくて周太は羞恥に耐えた。

「…っ、ん、…」

与えられる感覚と恥ずかしさに、知らず声がこぼれていく。
撓んでいく体を抱きしめながら、美しい切長い目が微笑んだ。

「我慢しないで?周太、…素直に声、聴かせて?」
「…あ、はずか、し、…っ、」

恥じらいと紅潮の熱に頭ぼうっとする、なんだか解らなくなっていく。
こんなこと恥ずかしくて苦しい、けれど切なげな目は愛しそうに見つめてくれている。
この目が自分は好き、ずっと見ていたいほどに切ない表情が綺麗で、このひとが喜ぶなら何でもいいと思ってしまう。
だから今このときも、愛するひとの想うまま体を委ねていればいい。
それでも恥ずかしくて俯きかけると、やさしいキスが唇ふれてくれた。

「…あ、」
「可愛い、周太…愛してる、こうしたくて俺は、生きて帰って来たよ…君と抱き合いたくて、」

背中から抱きしめて囁きながら、ほどかれた体を湯で流してくれる。
きゅっと小さな音に蛇口が閉められて、濡れた体を頼もしい腕が抱き上げた。

「…ベッドに、行くよ?」

きれいな低い声で告げて、バスタオルごと抱いた体を運んでくれる。
登って行く階段の軋みが面映ゆくて、湯と長い指にほどかれた体は力が抜けて動けない。
なにか甘やかされた感覚が恥ずかしくて、紅潮は全身を桜いろに染めあげる。
そして自室の扉が開かれて、あかるい光あふれる真白なベッドに体が沈められた。

「周太、…すごく、きれいだ、」

白いシーツに横たえられた体を、切長い目がじっと見つめていく。
隈なく見ていく視線が恥ずかしくて、そっと周太はシーツを惹きよせようとした。
けれど伸ばした掌は長い指に捕えられて、ゆっくり白皙の肌が小柄な体に重ねられ始めた。

「きれいだ、周太…ふれさせて?」
「…あ、…」

ちいさな声を残して唇はキスで塞がれる。
そして白皙の肌と長い指に、周太の心は体ごと結わえられていった。

…英二、愛してる。体ごと、心ごと…

いま委ねた体を温もりと熱にほどかれながら、唯ひとつの想いに周太は微笑んだ。





(to be continued)
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