冒頭に、「葉表が美しいギボウシに花が咲きました」と、コマーシャルを入れて、
本題は、おいしい寿司を探して食べ歩いた話です。
GWに来客予定があり、事前にいつもの寿司屋に、出前の予約をしよう電話しましたが、
何日も連続して留守。
不審に思いつつ、ようやく繋がると娘さんが出て、「父が急遽入院しました。」とのことで詳しくは語りません。
大将に大変なことが起きたと察し、「お大事にどうぞ養生してくださいませ」と伝えた。
遠路はるばる見える来客に、拙宅でくつろいでいただくには、出前の寿司は調度いい。
それで、ピンチヒッターとなる寿司屋を探して、近所の寿司屋を訪ねた。
歩いて3分の寿司屋は以前、まぐろのまずさに即退散したことがあり、最初から除外。
Hが谷の街道沿い、門構えの良い店に出向いた。
暖簾をくぐると、物がごちゃごちゃして、落ち着かない。
出てきた茶が、出がらしも出がらし、ここまで薄くて不味いお茶は、生れて初めて。
夫と合図して、少し食べて退散。「えっっ、もう帰るの!?」と大将は絶句の表情。
その後自宅に戻り、出前専門「花匠」で取り寄せたが、
夫「なんだ!この不自然なテカリは!」で没。
日を改めて、K市とA区の境にある寿司屋、中はこざっぱり、お茶はまずまず。
寿司を握って供する瞬間「ハイ!!!」が連呼。
腹の底に響く大きな掛け声で、こちらは「ビクッ」と食欲が失せる。静かに食べたい。
やはり夫と暗黙の了解で、早々に切り上げる。
その後自宅に戻り、今度は出前専門「銀の皿」から取り寄せる。
夫「身内では使えるが、来客では厳しい」。
JR・K駅「銀寿司」と東武線S駅「刺身屋の夢や」の連日勝負は、
どちらも居酒屋で、どっこいどっこい。そもそも出前がない。
久しぶりに回転寿司、夫は「くら寿司」の2階建てレーンに大受け、笑っていた。
私としては、お昼の一人ランチのとき、ぶらりと入るにはいい、と思う。
なんでも、失って初めてわかる「有り難さ」。
くだんの寿司職人は、銀座と新橋の店で修行し、熱海の旅館で板長、外国のホテルからの誘いもあったが、地元K市に戻り開店。
お店の外観は地味、桧のカウンター9席、奥座敷15席、シンプルで清潔感が漂う。
ネタは築地から仕入れ、季節感があり新鮮で、シャリも程よく、口に入れておいしさが広がった。
出汁巻き卵が絶品で、私は「卵焼き道」と称して、その味に近づくよう精進を重ねてきた。(その甲斐あって、夫は私の卵焼きは美味である、と言ってくれている)
ガリも手作りで止められない味、干瓢の味付けもよく、海苔巻きを翌朝用に土産で持ち帰った。
当時5歳と2歳の甥っ子達、ここで寿司屋デビューしたが、以後、刺身は大好物。
夫婦が差し向かい正面ではなく、カウンターに横並びに座るのも、いい。
大将相手に会話するもよし、夫婦二人で話すもよし、隣席の客の話に相槌打つもよし。
大将の気性か、「変な客」「くせある客」を見かけなかった。
接待に使えるのも、重宝でした。
本当の、寿司職人が、減った。
実家の深川には、おいしい寿司屋があったが、当時大将は薄い銀髪、今その店はない。
先の九州旅行で、熊本の大変おいしかった寿司屋の大将は74歳、次会えるかな・・。
都心に行って探せばあるのでしょうが、都心は私達にとって地元ではない。
寿司に限らず、真の職人が腕を振るうには、顧客の支えが要る。
本物が欲しい、という客がいるから、職人もこれに応えて、「甲斐」を感じる。
職人文化が廃れていくのが、寂しいです。