書を再開して、気が付いたことです。
書と作庭は相通じる、ということです。
漢字は、左と右、上と下のバランス、水平、垂直の角度、微妙に変えるだけで、表情が変わります。
庭では、石は字の楷書と似て、構成要素の変更はできませんが、
向き、角度、地上での見せ方、他の石とのバランス、間の取り方で、石の表情が出てきます。
庭木もしかり。
書では、紙という空間の中で、黒の墨と、余白の白のバランスも大切ですが、
庭も、土地という限られた場の中で、庭木、石、草、水のバランスが重要です。
私は子供の頃、そして中学高校で書道を習い続けましたが、
お手本を眺めながら、「どうして綺麗なのか?」と先生の字を分析をして、
先生の真似に終わらず、自分にとっての理想の美を追及する、そんなところがありました。
近所の深川図書館で本を借り、清澄庭園でおやつのお団子を食べながら、
「よきかな、よきかな」と眺めるのが好きな子供でもありました。
大学で法律を学び、その延長線上にある就職をして、肌に合わない、どこかしっくりこない思いを抱えて20代を走りぬき、
その間、趣味の旅行で、日本各地や海外を訪れる時は、建築物と名庭は欠かさずに、見て回りました。
そして、30代、造園業に飛び込み、ようやく、自分を発揮できる場を見つけることができました。
40代に家を建てるに際し、建築という空間美の世界に触れ、
そこでも問われるのは、水平や垂直、斜の角度、左右バランス、間の取り方・・・
空間へのセンス、美意識は、書道と相通じることに気が付きます。
雪舟など、古来優れた作庭家は、優れた絵と書も残しています。
作庭や建築の機会を得ることは、そう、あることではありません。
しかし、センスを鈍らせない為にも、書に打ち込むことは大事、と思うこの頃です。
書と作庭は相通じる、ということです。
漢字は、左と右、上と下のバランス、水平、垂直の角度、微妙に変えるだけで、表情が変わります。
庭では、石は字の楷書と似て、構成要素の変更はできませんが、
向き、角度、地上での見せ方、他の石とのバランス、間の取り方で、石の表情が出てきます。
庭木もしかり。
書では、紙という空間の中で、黒の墨と、余白の白のバランスも大切ですが、
庭も、土地という限られた場の中で、庭木、石、草、水のバランスが重要です。
私は子供の頃、そして中学高校で書道を習い続けましたが、
お手本を眺めながら、「どうして綺麗なのか?」と先生の字を分析をして、
先生の真似に終わらず、自分にとっての理想の美を追及する、そんなところがありました。
近所の深川図書館で本を借り、清澄庭園でおやつのお団子を食べながら、
「よきかな、よきかな」と眺めるのが好きな子供でもありました。
大学で法律を学び、その延長線上にある就職をして、肌に合わない、どこかしっくりこない思いを抱えて20代を走りぬき、
その間、趣味の旅行で、日本各地や海外を訪れる時は、建築物と名庭は欠かさずに、見て回りました。
そして、30代、造園業に飛び込み、ようやく、自分を発揮できる場を見つけることができました。
40代に家を建てるに際し、建築という空間美の世界に触れ、
そこでも問われるのは、水平や垂直、斜の角度、左右バランス、間の取り方・・・
空間へのセンス、美意識は、書道と相通じることに気が付きます。
雪舟など、古来優れた作庭家は、優れた絵と書も残しています。
作庭や建築の機会を得ることは、そう、あることではありません。
しかし、センスを鈍らせない為にも、書に打ち込むことは大事、と思うこの頃です。