守田です。(20141225 22:00)
「明日に向けて」は今回で連載1001回目となりました。
すでに前号から1000回に即してのカンパの訴えを行っていますが、「明日に向けて」を中心とした僕の活動をいかなる方向で発展させようとしているのか、今回は情報発信のあり方を考察しつつ論じてみたいと思います。
前回書いたように、放射線被曝問題は、広島・長崎の原爆投下後のアメリカによる被曝被害隠しが出発点になり、今日の被曝影響の極端な過小評価へと連なる流れがあります。
核実験による被害も、スリーマイル島、チェルノブイリ、福島と続いてきた原発事故による被害も、他のあらゆる場面での被害も、この流れのもとにありました。
そしてその中で本当にたくさんのヒバクシャが悶絶の苦しみを味わってきました。この流れをいかに断ち切り、転換し、核のない時代に向かっていくのかが問われています。
その場合、一番大事なのは、他ならぬこれらの被害者の中から沸き起こってきた核のない世の中を目指すムーブメントにもっとも着目し、学び、その営為を継承することです。
核実験廃絶運動、被爆者運動、原爆症認定訴訟、チェルノブイリ救援運動などがそれですが、僕はその連綿たる流れの一つの集大成として2011年の『ウクライナ政府報告書』の提出もあったように思います。
直前に発行された『調査報告-チェルノブイリ被害の全貌』(邦訳 岩波書店)と密接な連関性のもとに出版されたものです。
反対に国際放射線防護委員会(ICRP)や国際原子力機関(IAEA)、国連科学委員会(UNSCER)などを見ていると、いかに被曝影響をごまかすのかの体系的流れとでもいうようなものがあります。
そこには内部被曝を過小評価する仕組みや、「科学性」の名の下に民衆の側に立ったデータを「非科学的」として退ける幾つもの仕掛けがあります。
しかしそれでもなお、事実を覆い隠すことはできず、徐々に放射線障害の危険性が明らかにされてきたのがこの数十年間の流れでした。
その点で『ウクライナ政府報告書』は、政府機関の公的調査に基づいたものである点においてきわめて高い位置性をもっています。
しかしその報告書を出した政府は、今年の初めの政変によって倒されてしまいました。さまざまな政治的要因があったのだとは思いますが、いずれにせよ僕はそのことでこの報告書を葬らせてはならないと思います。
私たちは国内においては原爆症認定訴訟の成果を引き継ぎつつ、チェルノブイリからの教訓としては『調査報告-チェルノブイリ被害の全貌』や『ウクライナ政府報告書』が突き出した成果を引き継ぎつつ、さらに前に進む必要があります。
そのためには、これらの成果の中から主要にどこに学んだらいいのかを分かり易く整理し、普及しやすくする必要があると強く思います。つまりこれらの内容を誰もが学べるような形にコンパクトにまとめる必要があります。
同時にICRPなどの科学的「だまし」と言えるもののテクニックを構造的に明らかにしていくこと。科学者に騙されない市民的な力を養っていけるベースとなるものを作り出すことです。
何より僕は来年はこの作業に大きな力を注ぎたいと思います。
これらはぜひ書籍の形にまとめていきたいと思うのですが、僕はその階梯をすでにこれまでも行ってきたようにこの「明日に向けて」の場で実施していこうと思っています。
非力ながら僕はこの場を被曝防護のための民衆の知の拠点の一つとして形成していきたいと思います。
そのために今後、なすべきこととして過去に書いてきた記事をもっと見やすくすること、検索しやすくすることが大事だと思っています。頑張って進めたいです。
さて、ここで今の日本のメディア状況に関して考察しておきたいと思います。僕は端的に日本はあまりに新聞が巨大化しすぎた社会だと思います。
少し古いものですが2009年のTBSニュースバードの調査によると、世界の日刊紙発行部数のうちなんと第1位から5位までが日本の新聞なのです。
1位読売新聞1406万7千、2位朝日新聞1212万1千、3位毎日新聞558万7千、4位日経新聞463万5千、5位中日新聞451万2千というデータが出ています。
ドクター月尾・地球の方程式 第229週「変革を迫られる今、新聞はどこへ行く」
(09年8/17~8/21放送)
http://www.tbs.co.jp/newsbird/lineup/tsukio/dr_tsukio20090821.html
ちなみにアメリカの新聞で初めてランクに出てくるのはUSA Todayで13位229万3千なのですが、14位に出てくるのが東京スポーツ223万、15位が産経新聞220万4千です。
多くの日本人が日本よりずっと言論統制されていると思っている中国の人民日報でも7位318万3千。これに比べたら読売新聞1406万7千も朝日新聞1212万1千も圧倒的な言葉の暴力です。
ともあれここまで極端に大新聞が羅列しているのが世界の中であまりに特異な日本の現状であることを抑えておく必要があると思います。
この新聞の異様な巨大化のあり方が今日の、多様な発想が許されず、同調性圧力の強い社会を作りだしている大きな根拠のひとつになっていると僕には思えます。
何せ読売約1400万、朝日約1200万と、世界にありえない数の同じ文章が、毎日どっと印刷されて日本中のすみずみまで配られているのです。
先日も喫茶店に入った時に、隣にいた初老の男性二人が「慰安婦問題」について論じあっていましたが、読売や産経に書かれていることをそっくりそのまま「熱く」話していました。こうして日本人のコントロールがなされているわけです。
読売新聞は2012年末の衆院選のときに、新聞の購読者の9割が投票を行ったという興味深い記事を載せました。残念ながら原文が手入らず、一部がネットに載っているのですが、そこにはこう書かれていました。
「アンケートは、読売や朝日など8紙が、読者を対象に調査を行うシステム「J―MONITOR」を使い、首都圏、近畿圏、中京圏、福岡県の20~60歳代の3207人から回答を得た。その結果、衆院選で1票を投じた人は90・0%に上り、読者の投票への意識の高さが表れた。」
みなさん。どう思うでしょうか。数値の信ぴょう性がどこまであるかはともかくとして、僕はこういう現実もあるがゆえに、必ずしも投票に行った人が政治意識の高い人、行かない人が低い人とは思わないのです。
オルタナティブブログ 2013/01/26
http://blogs.itmedia.co.jp/sakamoto/2013/01/election-rate-5-fbf7.html
例えば朝、駅の売店で並んでいる新聞をみて、1面の見出しが同じことをおかしいと思ったことはないでしょうか?
読売と朝日だけで約2600万、毎日と日経を加えれば約3600万もがおんなじ見出しを申し合せたようにつけている。それが朝、一斉にまかれている。
しかしこれ、実は合計でも数十人にみたない編集者たちがつけている見出しです。意図的かどうかは別にして、数十人で日本中に同じ意識を共有化させてしまっている。そのこと自身がおかしいという感性を広げることが大事だと僕は思うのです。
政治家に対しても官僚に対しても同じことが言えます。私たちにとって大事なことを、良い方向であろうと悪い方向であろうと、社会の中のごく一部の人たちが握っているあり方からの脱却が僕は必要だと思います。
社会運動だってそうです。「前衛党」という一部のエリートに率いられる「大衆」というのはなんだか情けない。もっと新聞に対しても、政治家に対しても、官僚に対しても、私たちが誇らしく能動性を発揮していける社会状態を僕は欲したい。
反対に、仮に良かろう方を向いていたとしても、社会の大半の人が能動性を発揮できない社会は、僕は本当の意味では長持ちしないと思うのです。
続く
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この記事を読んでいて、一か所だけ、ふと気になった1フレーズがありました。
<「前衛党」という一部のエリートに率いられる「大衆」というのはなんだか情けない。>
というのは、実在する政党を揶揄されているのですか?
深い意味はないのですが、ふと疑問に感じたので、コメントさせていただきました。
> 「前衛党」という一部のエリートに率いられる「大衆」というのはなんだか情けない。
コメントありがとうございます。
何らかの政党・組織の揶揄ではありません。というより誰かに「率いられる大衆」というのではなんだか情けないのでは?と書いたのです。あくまで私たちそれぞれが能動性をもとうというのが主旨です。