12月2日(金) 曇り
今日見たFacebookから。
コミュニケーションの課外授業 難聴の私が接客のプロになるまで
山口さんは、まず自分から「私は耳が聞こえません」と伝えることが大事だと言っている。
これはほんとにそうだ。
聴覚障害は言われなければわからない障害だから。
しかし障害者から勇気をもってこのことを伝えるのは、本当に難しいことだろうと思う。
逆にトンサンは、「どうして声を掛けられなかったんだろう」と今でも悔しく残念に思っているふたつのことを思い出す。
トンサンが日常会話程度なら、ろう者と話すことができると自信がついたころ・・・
秋葉原で買い物をしていた時、店員が『もっとゆっくりやって(手話を表して)くれればわかるのになあ』とそのお客の手話を見てつぶやいた(いや、手話がわからない悔しさで結構大きな声で言った)のを聞いた。
その店員は少し手話がわかるらしかった。
トンサンはそのお客の手話を見てはいなかったので、どんなに速い手話だったのかわからなかったが、間に割って入って、お客に『もっとゆっくり手話をしてほしいと言っているよ』と通訳してやればよかったなぁと今でも思う。
お店とお客のことだからトンサンには関係無いと、逃げたのかもしれない。
もうひとつは、家の近くの公園でトンサンの子供達(幼児)を遊ばせていた時、一つおいて離れたベンチに知らないお母さんが幼児を連れて遊びに来ていた。
そのお母さんと幼児の様子を見ると、お母さんはろう者らしかった。
そのお母さんの様子は、『自分はろう者だから、知らない人に声を掛けられると困るな』という感じだった。
トンサンは少し手話ができるので、『僕は手話の勉強をしています。僕の手話がわかりますか?』と話しかけてやればよかったなと、今でも自分の勇気の無さを悔しく思っている。
ろう者だからだれでも手話ができるわけではないが、「手話の勉強をしている」と話しかければ、打ち解けてくれたかもしれない。
もう少し長く、その親子が公園にいてくれたら、トンサンは話しかける勇気が出てきたのかもしれないが、「話しかけられると困る」と思っていそうなお母さんは、子供を連れてすぐに公園を出て行ってしまった。
これは相手が外国人の時でも同じだろうなぁ。
それほどコミュニケーションは、最初の勇気が大事だ。
手話が少しできるようになったトンサンの、苦い思い出だ。
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