正義には「他者や人々の権利を尊重することで、各人に権利義務・報奨・制裁などを正当に割り当てること」何て意味もあるんだそうです。
まぁ、言葉の印象からすると、ずいぶん寛容とも採れる意味もあるのだと思うんだけど、大抵の人は『正しい道義』『人が従うべき正しい道理』なんて意味で使うんじゃないでしょうか。
正しい道義?、正しい道理?、これって普遍的価値になり得るものなのかなぁ・・・。
結局、宗教やら、文化やら、民情やら、環境やら、何やら、そう言ったもので変わってくるものでしょう?
もし、何れかの思想に基づく道義なり道理が、普遍的価値となるなら争いなんて起きませんよね。
相手には相手の正義がある。これは基本的事項だろなぁ。
要は、自らが見出す価値を守ることを正義って言うんでしょう。正義とは得てして主観的なんじゃないですか。
平和のために自らの犠牲も厭わないなんて平気で言うのは、要は日本人的価値観でしょう。
まぁ、平和は良いにしても、「自らの犠牲でしか成り立たない平和を人類の全てが望むものでしょうかね。」って話も出て来るんじゃないですか。結局、戦争が絶えないのだから、【それはない】と断言できるんじゃない。
人の感じるものに普遍的価値なんてものはない、それを基本にどうするべきかを人類は問われているんでしょう。
つまり、多様な価値観を平和的に共存させるべきってことになる。引いては強力な第三者仲裁機関の必要性に行きつくんでしょうね。
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