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野中広務さん死去:「沖縄寄り添った政治家」 県内から惜しむ声【沖縄タイムス】
沖縄の歴史を見ると、1609年の島津侵攻から現在まで、琉球の自決権は蔑ろにされて来たとしか思えません。日清両属や琉球処分にしても、薩摩藩を介した徳川幕府、また明治政府に置ける【琉球王国への侵害】です。
琉球処分の際は清朝に救援を求めてるし、清朝も琉球に対する宗主権を主張している。結果的には日清戦争での日本側勝利で決着したが、逆に日韓併合と琉球処分は同じ1900年代初頭。それまで明確な独立を保ったままだったら、帝国の敗戦と共に固有の主権を回復していたでしょう。そしてアメリカの庇護に入るか否かは琉球の主権と成っていた。もし、在琉球米軍を是認するとしても、日米地位協定よりはマシな物に成ってた筈です。
また1972年の沖縄返還以前は反米反基地闘争をする程、日本復帰を願ったんです。
アメリカが言ってる普天間基地の危険を除去する条件。【アフリカ・アジア地域への戦力投射→滑走路・辺野古弾薬庫・ホワイトビーチ・バトラー基地所属の各訓練キャンプ→それ等の一体的な運用】と、日本の国防依存、普天間住民の安全を鑑みれば、海岸線に移す辺野古移設しか無いとは思うが、1600年代から今までの歴史を見れば、沖縄が反発するのは当たり前なんです。
小渕政権の時。辺野古移設を前提に、野中広務氏が尽力した1999年の沖縄側合違。2006年、小泉政権の時に変更を前提とした閣議決定をする。
私は辺野古移設に賛成だが、これは翁長知事側の主張の方が正しいと思ってる。その謂わば騙し討が、今の沖縄の不満を構築たのでしょう。
野中広務氏が全力で漕ぎ着けた沖縄側との合違。そんな事、今後はまず無理なのではないだろうか。
悪いが、今の政治家の力は落ちてると思う。
御冥福をお祈りします。
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