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日本が太平洋戦争に傾倒して行った背景には、マスコミに煽られた民意の裏付けも有ったし、更に現代の民主国家に置ける戦争も、例えばイラク攻撃にしたって、9.11を受けたアメリカ国民の、ナショナリズムの高まりが是認して行った訳だからね。しかし、多くの国民には当事者性(殺す実感・殺される実感)が無い。
当事者性を構築したって話なら、例えば〚豚が居た教室〛ってありましたよね。
とある学校の先生が自らの生徒達に「豚を育てて、最後にみんなで食べよう。」と提案します。しかし、生徒達はPちゃんと名付けてペットとして育ててしまう。その結果、【殺す実感】が生まれ、最終的には「食べる」「食べない」に意見が二分されてしまう。
我々はスーパーや肉屋で綺麗に並べられた肉を見ても[殺す]実感は中々得られないが、では、自らが殺す立場に成るならどうだろう。少なくとも【無駄な殺生】を避けようとするのでは無いでしょうか?。そこで、徴兵制による当事者性の話です。
戦争も殺す実感が無ければ【ゲーム感覚】に当然推移しますよね。つまり《気に入らなければ攻撃する為のAボタンを簡単に押してしまう》。そうならない為には【国民の殺す実感・殺される実感】を担保しなければ成らない。それが老若男女に置ける徴兵制の是認に繋がるのではないでしょうか?
安定した平和を継続して行くには、国民に【殺す・殺される】の当事者性をもたせ続けなければ成らない。そうすれば〘無駄な殺生〙が避けられる。
因みに、結果的な【殺す実感・殺される実感】が《無用な犠牲》を避ける事に繋がると言う論法は、特に〚陸軍〛に置いて強く働いてるよね。
今回も、北朝鮮への先制攻撃に一番反対してるのはアメリカ陸軍だと言われてる。
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