<川は流れる>

Reiの好きなこと、ここだけの話

音楽劇に思うこと

2009年04月08日 | ジュリー演劇
久世光彦と、マキノノゾミの違い

先日から「風狂伝」を見直している。
この「風狂伝」は、復活してから初めて行った音楽劇なので感動がよみがえってくる。
風狂伝の剃刀ジョージは本当にかっこよかった。
上海リルを愛して、けれど老い先短い銀二の夢をかなえようと身を引く決心をしたジョージ。

久世光彦の演出、脚本は独特であると思う。
お芝居のためのお芝居といった感じ。
唐突に歌が入る。
主演ジュリーがどれだけ、かっこよくなるか、どれだけ人をうならせることができるか、どれだけ感動させられるか、どれだけ人を笑わせられるか、
そこに焦点がおかれている。
そして華やかな女性陣の歌と踊り。華やかな衣装。
お祭り騒ぎと、ちゃぶ台のある茶の間の風景と、昭和初期の懐かしい風景をいっしょくたに見せないと気がすまない作家だったと思う。
なので、ストーリーは二の次。
台詞も選ばれた言葉で、リアリティなどはない。
しゃべり方も一定のリズムで貫かれている。
突っ込みどころ満載で、でもサービス精神旺盛なこの舞台が楽しくなかったはずはない。

特に「風狂伝」はいろいろな要素がいっぱい詰まった盛りだくさんな舞台だった。
小松政夫、緒形拳をゲストに向かえ、二人の持ち味を存分に引き出して、ジュリーの幸せな顔を見たかったに違いない。
何故かそう思える。
ゲストでさえ、ジュリーの気持ちを確かめる小道具だったのか?
そんな感じを受けて仕方がない。
こういう妄想は故人には失礼なのかもしれないが。


マキノノゾミ、こちらは正統派。
恋人ではなく、一ファンとしての姿勢を貫いているといえる。
だから、マキノノゾミの脚本は、ジュリーの演劇人としての力量を伸ばし、現してくれる。
スターであるジュリーを愛した久世光彦。人間ジュリーなどどうでもよかった。マキノノゾミは違う。
今、ここにいるジュリーをとても大切にしてくれた。
今のジュリーの魅力を最大限に活かしてくれた。
素晴らしいなと思えるのは、たぶん、私とマキノノゾミが同じ一ファンという立場でジュリーを見た時に感じる部分が共通しているからだと思う。
何より、ジュリーが演じていて気持ちよさそうだ。

久世先生の愛情は時を越え今もジュリーに降り注いでいるから、
ジュリーは音楽劇を続けている。

そんな気もする。


敬称略(無遠慮且つ、不躾な言葉使いはお許しください)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 元気の元 | トップ | ニューアルバム »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ジュリー演劇」カテゴリの最新記事