ーで、エキゾティクスは5年間続いて、その後、一旦お二人は離れますよね。
沢田「うん、あの頃、ちょうど打ち込みとか出だしてね。スタジオ行っても、みんな何もしないでずっと待ってるだけなんだ。で、その頃から面白くなくなってきちゃって。」
吉田「今と違って機械が良くないわけ。今はマックとかQXとか使うんだけど、あの頃はMC4ってコンピューターで、速度がもの凄く遅いのよ。おまけに音が貧しいからさ。一個の音を選ぶのに一時間も二時間もかかるんだ。」
沢田「それで一日終わったりね。アルバムで言うと「女たちよ」とかあの頃。そのうち、僕がプッツンしちゃってさ(笑)。やーめったっつってね。なんかその機械にばっかりなっちゃってということも一つあったし。それから僕なんかどっちかっていうとヒットシンガーでしょ?流行歌手だから(笑)。で、歌が流行んなくなったら、やっぱ悩むわね。シングルが売れなくなると。“TOKIO”みたいにパラシュートまで背負っちゃたらその後が難しいだろうって言われたけど、結構もった方だと思うのよ。健とかみんな来てくれて、“ストリッパー”でまたギンギラの派手になって。だけどそんなに続くもんじゃないしなと思ってたこともあったから。これからはどうすべえかなと考えてたんだよね。で、ツアーの最後が渋谷であって、その後夏休みが一週間あって、そこでプッツンよ(笑)。人知れず休みたい、みたいな(笑)。で、エキゾティクスも解散、レコード会社も変わるって感じで。それまでとにかく休んだら終わりだと思ってひたすら働いてきたからね。その反動だったのかもしれないけど。」
吉田「だから、うまくいってる時はいいんだけど、ちょっと沈滞すると、どっかズレてんじゃないかと不安が襲ってくるてのはあるじゃない。それまでいろんなことにチャレンジして成功させてきた沢田研二だけに、余計にね。」
沢田「売れなきゃいけなかったからね。で、売れ行きが下がるじゃない?そうするとみんなアタフタするんだ。で、無理に売ろうとして、今度は“化粧やめてください。やめてたらもっと枚数増えてたと思います”って言う人も出てきたりさ(笑)」
ーその時に、そりゃ山もあれば谷もあるさ、って悠然と構えることはできなかったんですか?
沢田「あの時はなれなかったね。今はなってるよ(笑)。まだそれを許してくれないって感じがあったよね。また、考えるよりも“ええい、いいや”って感じでやる仕事の進め方を良くも悪くもしてたからさ。余計悩んじゃってさ。」
ーで、その後”COCOLO”というプロジェクトの3年間を経て、いまに至る経緯というのは?
沢田「しばらくバンドみたいにしてやってきたでしょ。だから今度はソロ・沢田研二ということでやろうと、大輪さんというプロデューサーになって、結構渋いメンバーを集めてもらったの。で、これが本当にオジサンばかりで、全員僕より年齢が上でね。かといって、何でもできる人ばかりかというと、結構我は強いわ、動かないわで(笑)。練習っていっても、ひどい時なんか、3回くらい音出したら、もう後ダべってタバコ吸って、コーヒー飲んで、“終わろうか”って。僕なんかもうパニックよ。“やってよ、俺、身体で覚えないとダメだから”って頼んでも、“いや、体力がついていかないんだよ”って、冗談だか本気だか分かんない答えが返ってくるし。また、最初はホールでやってたんだけど、そのうちメンバーが、もっとちっちゃいとこでやろうよ、その方が俺たち得意なんだよね、とか言いだして(笑)。インクスティックとかでもやったんだけど、何か僕からすると地味なんだよね。目の前で汗が出てるとか、自分はそういうんじゃない気がしてね。それで“そろそろ限界ですかね”って言ってみたら、“そうだねえ”ってこれが簡単なの(笑)」
ーそれでコンビが復活と?
吉田「漫才じゃないんだから(笑)。また電話がかかってきたんですよ。で会って、今に至ると。」
ーで、前作『彼は眠れない』があって、今度のアルバムが2度目のプロデュースになるわけですけど、プロデューサー吉田建の満足度というのは前作と比べてどうだったんですか?
吉田「やっぱり前作は、1枚目ということもあってプレッシャーが大きかったのね。それまでプロデュースしたのは氷室くんとか、山下久美子とか、年下が多かったけど、今度は年上で、尚且つ長い時間の中で自分の位置も確固としてある人でしょ。で、ジュリーがこうしたいという思いと、僕の思いが・・・言葉は悪いけど、ある程度妥協しつつ作ったという面があったと思う。今回のアルバムはその点お互いに合点がいって仕上がった感じがずっとありますね。1枚目はまだ往年のポップスというのになってなかったとこあったりしたけど。」
ー作曲陣はどういう基準で選ばれたんですか?
吉田「発注の仕方は、同世代の作曲家とメチャクチャ新人と、あと、わりと過激に突っ張ってる人とか、3つぐらいに絞って。今回だと新人はDualDreamがいて、同世代にNOBODY、あと鮎川君とかデルジベットの光君が突っ張ってるロッカーということで。抜け目なく自分の曲も入れてますけど(笑)」
ー沢田さんのボーカルの許容範囲って、ロックンロールからバラードから歌謡曲まで凄く広いわけですよね。でも逆に何でもこなしてしまうが故に、プロデュースするのが難しいってとこありませんか?
吉田「やっぱり声だけが最後のオリジナルだからね、そこが最大の武器であり、また敵であったりするわけですよ。すると1曲目の「a.b.c・・i love you」とかこういうタイプのロックンロールに、ジュリーの声は本当に“良い”っていうか。自分でプロデュースして言うのも何だけど、これがジュリーの本道だと思うんだ。」
沢田「一応、ありがとう、と言っておこうかな(笑)」
<完>
おまけ^^@
LOVES:①自宅②YOKOHAMA③海、山、空、風、雲、雨④酒⑤魚⑥野菜
HATES:①ミリン干し②炭酸飲料③繊維飲料④食塩水にさらしたリンゴ⑤ホラー映画⑥ディナーショー⑦ドリンク剤⑧選挙⑨ファッション⑩流行
沢田「うん、あの頃、ちょうど打ち込みとか出だしてね。スタジオ行っても、みんな何もしないでずっと待ってるだけなんだ。で、その頃から面白くなくなってきちゃって。」
吉田「今と違って機械が良くないわけ。今はマックとかQXとか使うんだけど、あの頃はMC4ってコンピューターで、速度がもの凄く遅いのよ。おまけに音が貧しいからさ。一個の音を選ぶのに一時間も二時間もかかるんだ。」
沢田「それで一日終わったりね。アルバムで言うと「女たちよ」とかあの頃。そのうち、僕がプッツンしちゃってさ(笑)。やーめったっつってね。なんかその機械にばっかりなっちゃってということも一つあったし。それから僕なんかどっちかっていうとヒットシンガーでしょ?流行歌手だから(笑)。で、歌が流行んなくなったら、やっぱ悩むわね。シングルが売れなくなると。“TOKIO”みたいにパラシュートまで背負っちゃたらその後が難しいだろうって言われたけど、結構もった方だと思うのよ。健とかみんな来てくれて、“ストリッパー”でまたギンギラの派手になって。だけどそんなに続くもんじゃないしなと思ってたこともあったから。これからはどうすべえかなと考えてたんだよね。で、ツアーの最後が渋谷であって、その後夏休みが一週間あって、そこでプッツンよ(笑)。人知れず休みたい、みたいな(笑)。で、エキゾティクスも解散、レコード会社も変わるって感じで。それまでとにかく休んだら終わりだと思ってひたすら働いてきたからね。その反動だったのかもしれないけど。」
吉田「だから、うまくいってる時はいいんだけど、ちょっと沈滞すると、どっかズレてんじゃないかと不安が襲ってくるてのはあるじゃない。それまでいろんなことにチャレンジして成功させてきた沢田研二だけに、余計にね。」
沢田「売れなきゃいけなかったからね。で、売れ行きが下がるじゃない?そうするとみんなアタフタするんだ。で、無理に売ろうとして、今度は“化粧やめてください。やめてたらもっと枚数増えてたと思います”って言う人も出てきたりさ(笑)」
ーその時に、そりゃ山もあれば谷もあるさ、って悠然と構えることはできなかったんですか?
沢田「あの時はなれなかったね。今はなってるよ(笑)。まだそれを許してくれないって感じがあったよね。また、考えるよりも“ええい、いいや”って感じでやる仕事の進め方を良くも悪くもしてたからさ。余計悩んじゃってさ。」
ーで、その後”COCOLO”というプロジェクトの3年間を経て、いまに至る経緯というのは?
沢田「しばらくバンドみたいにしてやってきたでしょ。だから今度はソロ・沢田研二ということでやろうと、大輪さんというプロデューサーになって、結構渋いメンバーを集めてもらったの。で、これが本当にオジサンばかりで、全員僕より年齢が上でね。かといって、何でもできる人ばかりかというと、結構我は強いわ、動かないわで(笑)。練習っていっても、ひどい時なんか、3回くらい音出したら、もう後ダべってタバコ吸って、コーヒー飲んで、“終わろうか”って。僕なんかもうパニックよ。“やってよ、俺、身体で覚えないとダメだから”って頼んでも、“いや、体力がついていかないんだよ”って、冗談だか本気だか分かんない答えが返ってくるし。また、最初はホールでやってたんだけど、そのうちメンバーが、もっとちっちゃいとこでやろうよ、その方が俺たち得意なんだよね、とか言いだして(笑)。インクスティックとかでもやったんだけど、何か僕からすると地味なんだよね。目の前で汗が出てるとか、自分はそういうんじゃない気がしてね。それで“そろそろ限界ですかね”って言ってみたら、“そうだねえ”ってこれが簡単なの(笑)」
ーそれでコンビが復活と?
吉田「漫才じゃないんだから(笑)。また電話がかかってきたんですよ。で会って、今に至ると。」
ーで、前作『彼は眠れない』があって、今度のアルバムが2度目のプロデュースになるわけですけど、プロデューサー吉田建の満足度というのは前作と比べてどうだったんですか?
吉田「やっぱり前作は、1枚目ということもあってプレッシャーが大きかったのね。それまでプロデュースしたのは氷室くんとか、山下久美子とか、年下が多かったけど、今度は年上で、尚且つ長い時間の中で自分の位置も確固としてある人でしょ。で、ジュリーがこうしたいという思いと、僕の思いが・・・言葉は悪いけど、ある程度妥協しつつ作ったという面があったと思う。今回のアルバムはその点お互いに合点がいって仕上がった感じがずっとありますね。1枚目はまだ往年のポップスというのになってなかったとこあったりしたけど。」
ー作曲陣はどういう基準で選ばれたんですか?
吉田「発注の仕方は、同世代の作曲家とメチャクチャ新人と、あと、わりと過激に突っ張ってる人とか、3つぐらいに絞って。今回だと新人はDualDreamがいて、同世代にNOBODY、あと鮎川君とかデルジベットの光君が突っ張ってるロッカーということで。抜け目なく自分の曲も入れてますけど(笑)」
ー沢田さんのボーカルの許容範囲って、ロックンロールからバラードから歌謡曲まで凄く広いわけですよね。でも逆に何でもこなしてしまうが故に、プロデュースするのが難しいってとこありませんか?
吉田「やっぱり声だけが最後のオリジナルだからね、そこが最大の武器であり、また敵であったりするわけですよ。すると1曲目の「a.b.c・・i love you」とかこういうタイプのロックンロールに、ジュリーの声は本当に“良い”っていうか。自分でプロデュースして言うのも何だけど、これがジュリーの本道だと思うんだ。」
沢田「一応、ありがとう、と言っておこうかな(笑)」
<完>
おまけ^^@
LOVES:①自宅②YOKOHAMA③海、山、空、風、雲、雨④酒⑤魚⑥野菜
HATES:①ミリン干し②炭酸飲料③繊維飲料④食塩水にさらしたリンゴ⑤ホラー映画⑥ディナーショー⑦ドリンク剤⑧選挙⑨ファッション⑩流行
ステージでギターを弾く、吉田健さんを見た事がありますが、カッコイイ方ですよね
村上ポンタさんのドラムのテクニックも素敵ですよね
勿論、今の鉄人バンド無しでは、今のジュリーはありえないので、鉄人バンドの存在も大きいですよね
早く、秋のライブの予定を知りたいですね
活躍している姿を見るのは嬉しいです。
ジュリーと繋がりがある人は、みんな好きです^^。
ジュリーが《沢田研三》って書かれたらイヤだな。
すぐに訂正します><。(雑誌に載ってた通りに書いてしまいました・・)