明治神宮を参拝後、明治神宮前駅から千代田線に乗り、国会議事堂前駅で下りる。ここから日枝神社まで歩く。
日枝神社は丘の上にあるが、エスカレーターで上がれるので楽だ。
13時16分。明治神宮を参拝してから25分後。
東京の中心地である。エスカレーターを設置するには、金もかかるし、維持費も大変だ。普通の神社ではとても出来ないことである。
神門。「皇城之鎮」である。
社殿。
<御朱印>
明治神宮を参拝後、明治神宮前駅から千代田線に乗り、国会議事堂前駅で下りる。ここから日枝神社まで歩く。
日枝神社は丘の上にあるが、エスカレーターで上がれるので楽だ。
13時16分。明治神宮を参拝してから25分後。
東京の中心地である。エスカレーターを設置するには、金もかかるし、維持費も大変だ。普通の神社ではとても出来ないことである。
神門。「皇城之鎮」である。
社殿。
<御朱印>
府中の大國魂神社参拝後、京王線で新宿駅まで乗り、山手線に乗換え、代々木駅で下りる。
北参道から明治神宮を参拝する。12時40分。大國魂神社参拝してから1時間20分後だ。
現時点の明治神宮の混雑を考えると、2009年当時は参拝者が少なかった。閑散としていた。この写真を見た限りでは。10月9日だったのでシーズンオフではない。
事情が変ったのは、御朱印ブームで神社参りする人が増えたことと、外国人観光客が激増したことである。
10年一昔とはよく言ったものだ。
<御朱印> 2009年当時は、現在と違い、神楽殿でもらった。座って待ったものだ。現在は授与所の横に専門の朱印所がある。
拝殿から原宿駅方向に歩く。
境内の外に出る。
明治神宮前駅から地下鉄に乗る。
平成21年10月9日。東京五社をまわる。
まず訪れたのは、府中にある大國魂神社である。武蔵総社である。
総社と一宮の関係については以前の書いたことがある。
朝廷から国司として赴任したとき、最初に参拝する神社が一宮である。二番目が二宮、以下三の宮と続いていく。武蔵國の場合、六宮まであった。
この参拝儀式が重荷と思われるようになり、その國のお宮をすべて集めたとされる神社を創建した。これが総社である。総社をお参りすれば、その國のお宮をすべてお参りしたことになるので一回のお参りで完結する。いわば、簡便法である。
武蔵国の場合、国府は府中にあり、一宮の氷川神社は大宮にある。遠路である。二宮は金鑚神社で、群馬県との県境に近く、なお遠い。
国府の近くに総社を創建したのは無理がない。武蔵國の場合、六宮を集めているので、大国魂神社は六所宮とも呼ばれる。
南武線の府中本町駅でおり、大國魂神社まで歩く。府中本町駅からお参りすると、社殿の横から入る形になる。写真にあるようにお参り時刻は11時12分だった。
<御朱印> 社殿横の社務所でもらう。
社殿から京王線の府中駅まで参道を歩いた。
境内は広い。
東京都では五番目に広い境内である。
境内の広さで並べると、①明治神宮 ②靖国神社 ③大宮八幡宮 ④井草八幡宮 ⑤大國魂神社となる。
境内から出て、府中駅に向う。
東京の神社巡りということになると、まず東京五社・十社があげられる。
五社=大国魂神社、明治神宮、靖国神社、東京大神宮、日枝神社。
十社=富岡八幡宮、亀戸天神社、王子神社、根津神社、白山神社、神田神社、赤坂氷川神社、日枝神社、芝大神宮、品川神社。
日枝神社は両方に共通するので都合14社である。
十社巡りは江戸時代から行われていた。庶民的な神社である。
五社は、靖国神社、明治神宮が含まれていることでも分かるように新しくできたもので、公的な性格の強い神社が揃っている。
五社は大国魂神社を除けば都心にあるので、一日でまわれる。
十社は一日ではまわりきれないのではないか。まぁ、どこかに寄り道してしまう。二日でまわるプランが楽だろう。
南太田の杉山神社・水天宮を参拝後、横浜地下鉄グリーンライン線・蒔田駅まで歩く。
グリーンライン線は脱線事故でダイヤが乱れていたが、運行間隔は通常と変らなかった。
横浜は、シーサイドラインが逆走追突し、次いで地下鉄が脱線事故を起こした。事故と言うより、過激派のテロだという噂もある。JR北海道と同じく、過激派が入り込んでいるのかもしれない。こういう憶測は新聞種にならない。一応、自分は疑っている。
蒔田駅から上永谷駅まで乗車。横浜は広い。私は、こちらの方に来たことがない。横浜北部と同じで、団地街である。
駅前に環状二号線が通っている。
二号線に沿って歩く。片側が森林だった。
10分もかからずに永谷八幡宮に着く。
永谷八幡宮は、「日本三躰」永谷八幡宮という。
「日本三躰」とは何か。菅原道真が自ら彫った木像が三躰あり、その一つがここにあるということである。
何故横浜のここに木像があるのかが不思議だが、その木像を渡された五男の淳茂がここに下向したからだという。
そんなに貴重な木像があるのなら、もっと参拝者が多くてもおかしくないが、いまだにローカルの天満宮である。
神牛。
社殿。
<御朱印>
吉野町に鎮座するお三の宮・日枝神社を参拝後、京急本線南太田駅の方向へ歩く。
南太田駅前を通り過ぎ、Y校(横浜商業高校)前を通ると、杉山神社・水天宮が見える。
もともとは杉山神社だったが、横浜水天宮が維持困難となったことから、この杉山神社に合祀された。
石碑も鳥居の左右前に別々に置かれている。
ネームバリューから考えると、水天宮として知られているようである。初宮参りの家族連れがいた。
元になっている杉山神社は横浜北部に数多くあり、武蔵国六の宮だった。しかし、どの杉山神社がその六の宮だったのかが分からない。その点、謎の神社で、郷土史家が研究本を出版しているぐらいだ。
社殿。
待合室で御朱印を待ったが、出産祈願模様の待合室だった。ベビーベッドも置いてあった。
<御朱印>「杉山神社」と「水天宮」と二つの印判。
報国寺から金沢街道を鎌倉方向へ歩く。杉本観音の前に着く。
階段は狭い。少し迷いがあった。
杉本観音は、坂東三十三観音霊場の第1番札所である。ここを参拝すると、坂東三十三観音霊場をまわりたくなるかもしれない。十数年前に坂東をまわったことがあるが、途中で挫折し、旅行会社のツアーに参加して残りをまわった。今ではそんな体力はありそうもない。
普通のお寺ということで参拝した。狭い階段を上がる。
最後の階段は老朽化し危なくて上がれない。横に新しい上り道をつくっている。歴史が偲ばれる。
坂東三十三観音霊場の発願の寺であるが、階段は狭いし、お堂前も狭い。
堂内も暗く、観音菩薩像はハッキリとは見えない。
杉本観音は、坂東三十三観音霊場の第1番札所であり、鎌倉三十三観音霊場の第1番札所でもある。他に鎌倉二十四地蔵霊場の第4番・第6番札所でもある。
規模は小さいが、名刹である。
<御朱印> 「十一面大悲殿」である。
前の二人の女性が、坂東三十三観音と鎌倉三十三観音の御朱印をもらっていた。ご詠歌の御朱印だったので時間がかかった。お堂の外で待った。
団体ツアーが来たらどう対応するのだろうか?
報国寺というと、鎌倉の竹の庭というイメージが強い。しかし、報国寺は境内全体が庭園と言うべきだろう。庭園の中に寺がある。
ここは苔寺でもある。総門を通り抜けると、苔の参道が続く。見事なもので、苔庭の美を堪能できる。苔の美しさを考えると、ここは梅雨時がベストシーズンである。
浄妙寺を参詣したあと、近くにある報国寺に行く。
浄妙寺、報国寺ともに、足利氏に縁が深い。この周辺は足利氏の屋敷が並んでいたのではないだろうか。
<御朱印> 「聖大悲殿」である。大悲と言えば、観音菩薩である。
「かまくら竹の庭」と書いているが、報国寺は竹寺として知られている。以前に来たときは竹寺としてはこぢんまりとしているという印象だった。京都の方がスケールが大きい。
総門。
本堂。
本堂前の鐘楼。
本堂の左に朱印所があり、拝観受付がある。境内の茶屋で一服したい時は、この受付で抹茶券を買わなければならない。
これが竹の庭。
石庭あり。
6月5日。鎌倉午前巡りで取り残した浄妙寺を参拝する。鎌倉午前巡りで一つだけ残ったというのが気になった。たまたま5日は早く目が覚めたのだ。
横浜駅から横須賀線に乗ったが、横須賀方向の電車は空いていて座ることができた。東京方向は通勤ラッシュで超満員だった。
鎌倉駅に着いたのが8時半。ハイランド行きバスに乗り、浄妙寺前でおりたのが8時45分。
浄妙寺は、開門前だった。
9時に開門。総門をくぐる。
境内は受付近くが工事中だった。以前は梅が植えられていたが、老木で寿命となったということで、改修工事が始まった。水はけが悪かったので、流れをつくる工事も行われるようである。完成時期は未定。
本堂。
本堂から総門を見る。朝の空気が清々しい。やはり、鎌倉はいい。
本堂横に茶室あり。
都会は年がら年中工事中で、昔の光景がどんどん失われていく。お寺は昔のままだ。これがいい。記憶が裏切られることがない。
<御朱印> 「南無釋迦牟尼佛」である。
閻魔寺の圓應寺を出て、鎌倉五山第三位の寿福寺へ向う。鶴岡八幡宮に向って歩くルートが普通だろうが、趣向を変えて、亀ヶ谷坂ルートをとった。
坂道を下りたり登ったりで汗をかいた。鶴岡八幡宮の鳥居横の踏切を渡る方が楽だ。こちらの方が平坦である。
寿福寺は、なんというのか、入りにくい寺である。
山門から参道を歩くまではなんということもないが、本堂に近づけない。柵が置いてある。
本堂は、ここから見るしかない。
この寺には賽銭箱がない。余計に近寄りがたい気がする。
以前、ここで、近くに立っていた人に「ここは賽銭箱がありませんね。」と言ったことがある。「そう、本堂にも賽銭箱はなかったですよ。」という。「ここで結婚式をあげたんです。」と言われ仰天した。とても結婚式を挙げるようなお寺には思えなかったからだ。
御朱印は寺務所だが奥まっている。何も知らなければ足が止まってしまう雰囲気である。
<御朱印> 「南無釋加牟尼佛」である
ちょうど12時になった。体力の限界を感じ、残りの五山第五位の浄妙寺へ行くのは諦めた。
鎌倉五山第一位・建長寺の向かいに圓應寺がある。ただ階段が狭く、建物も見えないので、通り過ぎてしまう人が多い。
閻魔大王を始め、十王像を置いてある。十王は死後に裁きをする王である。閻魔大王が一番知られている。近くで拝観できるが、一言でいえば、気色が悪い。恐いもの見たさの心構えが必要。
境内は狭い。まともに写真を撮れるお寺ではない。
<御朱印> 「十王」である。
鎌倉五山第四位の浄智寺をお参り後、横須賀線の踏切を越え、坂を上がる。左手に鎌倉五山第一位・建長寺が見えてくる。左側が鎌倉学園である。
建長寺は奥が深い。最奥の半僧坊まではかなり歩く。半僧坊からは天園のハイキングコースになっている。
巨大な三門が目立つ。三門とは三解脱門の略。ここを通れば心が清浄になるということになっているが、あいにくと小学生の校外学習団に塞がれていた。
三門の背後に仏殿がある。
仏殿のすぐ後ろが法堂である。写真は横から撮るしかない。
<御朱印> 本尊の「地蔵尊」。
東慶寺から歩き、鎌倉五山第四位の浄智寺に至る。横須賀線の踏切の手前である。
やや奥まっているので見逃す人も出るだろう。浄智寺の左の坂道が源氏山に上るルートであり、源氏山ハイキングコースになっていて、鎌倉大仏の背後におりる。
浄智寺はかっては11の塔頭を持つ大寺だったというが、今ではその面影はない。
総門。2階の花頭窓が珍しい。
参詣者は少なかった。学生の一団がいたので訊いてみると、茨城県の阿見町から来たという。校外学習で鎌倉に来た。日帰りである。
本堂。曇華殿という。曇華とは、三千年に一度花が咲き如来が出現するという伝説上の花である。貴重な御堂という意味でこの名が付いた。
曇華殿の背後に回る。
茅葺きの建物は寺務所である。
一巡する。御朱印所へは、この階段を上がる。
<御朱印> 「曇華殿」である。