昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

ボク、みつけたよ! (六)

2021-10-09 08:00:27 | 物語り
 どうせ九州の生まれ故郷に帰るのなら住んだ町すべてを回ってみよう、そう思い立って記憶の限りの小学校を書き出しました。
生まれ故郷である佐賀県伊万里市立伊万里小、福岡県柳川市立昭代第一小、福岡県久留米市立篠山小、そして福岡県中間市立中間小学校です。
卒業したのは岐阜市立木之本小学校です。
 ただ残念なことに、最初に入学したはずの大分市の小学校時代が思い出せないのです。
もう一つ言えば、大分市には幼稚園児の折に引っ越したはずです。
そして幼稚園に通うことになったはずなのですが、慣れずに通わなかったと記憶しています。
小学校入学前の年次だったと思います。
ですが、まるで記憶がないのです。すっぽりと抜け落ちています。
ただ覚えていることが、ひとつだけあります。

 大分駅を降り立ったのは夜でした。
見上げればたくさんの星が瞬いていたことを、おぼろげながらに覚えています。
そして駅舎を出てから、すぐ傍の屋台でラーメンをすすった記憶が、鮮明に思い出されます。
平たい中華の模様が入った丼の中で、白く濁ったスープの中に麺があり、その上にメンマがすこしと薄っぺらいかまぼこが一枚と、そして黒々と光る味付けのりが2枚乗っかっています。
……。なぜなんでしょうかねえ、このことだけはしっかりと鮮明に記憶されているのですが。
まだ5歳児だったのに、食い意地が張っていたせいでしょうか。

 ということで小学校については、廃校になっていない限り、簡単に調べられるでしょう。
問題は住み処ですね。
戸籍謄本を調べれば住所が分かるんじゃないか? そう思い、支所に行ってみました。
畑がまだ残っている郊外にあります。国道から4、50mほど離れたところです。
車の駐車スペースは10台以上はあり、十分な感じですよ。
建物は、そうですねえ狭くもなく広くもなく、ごめんなさい、はっきりとは分かりませんわ。
建物は横長平屋造りーわかりにくいですか?ーで、カウンター席は6ぐらいでしたか。
L字型になっていて、奥に1席設けてありました。
窓際に5人掛けぐらいの長椅子がありましたが、待っている人は居ませんでした。
多分、ほとんど使われていないと思います。取り扱う事務数は限られていますしね。

「あなたの戸籍では、岐阜市がスタートになりますね。ご結婚時に、戸籍が新しく作られますから」
 えっ! そ、そんな。それじゃ、ぼくの一生はどうなる。
「お父さんの生前時ならすべて記録として残っていたのですが、亡くなられてはねえ。
もう二十年も以上前のことですか。今となっては、ちょっともう……」
 残念ながら、住所が分かりません。
生家のあった伊万里市は覚えています。
駅に向かって大通りがあり、100mだったか、200mだったかの位置に紅屋というお店を構えていました。
そして店の隣に食堂だったかがあり、真向かいには洋菓子屋さんがありました。
何とか分からないかと、インターネットの地図サイトで探してみたのですが、六十年以上も前のことです。
大きく街並みは変わっていました。他の場所についても、断片的な地区の記憶しかありません。

 残念です、ほんとに。「死亡届を出して折りに、戸籍謄本を取っておけば……」と、後悔しています。
悔やんでも悔やみきれません。
 それでは、終活の意味もこめて、わたしという人間のルーツを探す旅への出発です。


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