観光バスが「そこのけ、そこのけ」とばかりに、やってきました。
あわてて、はじっこに寄りました。
なのに、端っこによったはずのわたしの元に、またやってきます。
さらにあわて横にずれましたが、プンプンです。
なんでわたしを追いかけてくるんですかね。
まあ真相はと言えば、どうやらわたしが逃げた場所が悪かったようです。
駐車スペースなんですね。
でも表示はなかった気がするんですが。
歩き疲れているわたしに鞭をうつようなこんな仕打ち、恨んでやるう! なんてね。
こんな年寄りをいじめてなにが楽しいか! ですよ。
へへへ、こういうときだけ、年寄りあつかいして欲しいんですよ。
さあそんなことより、中に入りますよ。
良い天気です、ほんとに。
汗ばむ陽気ですわ、ほんとに(「マジで」などと若者ことばは使いません)。
でもですね、ほんとのところを言って、「マジ」と言うことばは、われわれ世代も若いころに頻繁に使っていたんです。
「マジっ、スか」とか「マジにぃ」なんて使い方はしませんでしたが「マジなところ」とか「マジな話」と言った風に。
どちらかというと、悪ぶっていた若者たちのあいだで多く使っていたような気がします。
[血の池地獄]と称されるゆえんは、言わずもがなですが池の色にありました。
おっと! 後ろから大勢の人たちが……。
さっきの観光バスから降りたのでしょうが、うわあ! ○○人だらけ……。
海外からの観光客が激増しているとはニュースで聞きますが、なるほどですなあ。
かつての日本と同様に高度経済成長の真っただなかだということですから、いっきに海外旅行熱が高まったと言うことですか。
日本においては、1955年からの19年間だとか。
わたしでいえば、10歳から29歳までですか。
いやあ、ぜんぜん実感がないです。
12歳のおりに九州をはなれて岐阜の地にやって来ました。
赤貧時代です、まったくの。
中学を卒業後に就職しまして、定時制高校に通いましたからねえ。
この頃がいちばん荒れていました、わたしは。
といって不良グループに入ったということではなく、ひとり、孤独地獄に落ちこんでいました。
もっとも、このあとすぐに、ふんけいとまではいきませんが、無二の親友ふたりに出逢いました。
じつに幸運でしたね。
彼らとの付き合いがなければ、うーん……、どうなっていたことか。
想像するのも恐ろしいです。
――・――・――
(二十六)の2
ここでちょっとお話ししておきたいことがあります。
「鉄輪地区」なんですが、どう読むのか分かります?
わたしね、「てつりん」と読んでたわけです。
そうしたら、大目玉を食らいました。
「この、たわけ者が! かんなわと読むのじゃ、すこしは勉強してこんかい」
でですね、なぜ鉄輪地区なのか、と思ったわけです。
その前に、この地に伝わる一遍上人さまのことをすこしお話ししたいと思います。
鎌倉時代のことです。
念仏行脚の途次に、この鉄輪地区で猛り狂う地獄地帯をしずめて、湯治場を開かれたということです。
僧侶が行脚されるときには錫杖をお持ちになっていますよね。
上部に輪が付いている杖ですよ。
でね、一遍上人さまが「シャリーン」とふられて鎮められたのです。
村人たちはその杖が、錫杖=しゃくじょうという名称だとは知らないわけです。
鉄の輪だということは分かったのでしょう。
そこでこの地を鉄輪と呼ぶことにした、ということでどうでしょう。
「たわけ者! かんなわ、と称する意味をどう考えるんじゃ」
そうでした、そうなんです、なんで「かんなわ」なんでしょう。
まあ、諸説あるみたいでして。
そこは、郷土史家さんやら学者さんたちにお任せしますわ。
そんなことよりも、血の池地獄の色ですよ。
赤色というよりは、橙色に近いんですがね。
毒々しい色にも見えはしますよ。でもどうして?
「酸化鉄やら酸化マグネシウムを含んで……」。
ストップ、ストップ! 科学的見地は結構ですから。
言い伝えとか昔話を聞きたいわけですが。
たとえば、一遍上人さまに退治された鬼たちの流した、なみだだとかなんだとか、そういったことをお聞きしたいわけですが。
ということで、「ものごとには表とウラというものがあるもの。
では、そのウラの話でもさせてもらいましょうか」ということばを頂きましたよ。
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