使命感を突き詰めた行動

2016年10月07日 21時37分47秒 | 日記・断片
★毎日が日曜日なのだから、時間はたっぷりとある。
だが、1日の終わり、床のなかで振り返る。
今日は何をしただろうか?
★テレビを見て、新聞や雑誌などを読むのは後回わしにする。
では、何のテレビを観たのか?
グルメ関連が大半であった。
家人が観ているのでただ何となく一緒に観ているのだ。
★野球が終わり、楽しみが減ったような日々である。
あれほど熱く阪神に肩入れをし、「金本・超変革」に期待したのだが・・・
東京ドーム、横浜、神宮、そして幕張メッセなどへ出向いたが・・・
★使命感を突き詰めた行動こそ、求められていたのだが・・・・

「人間は分かり合える」という希望の萌芽

2016年10月07日 21時19分57秒 | 社会・文化・政治・経済
★庶民の悩み・不安を希望・安心に変える。
これこそ政治の一番の仕事だ。
★研究とは本当は地味で目立たない研究のなかにこそ新しい発見や独創性がある。
評価はあちから付いてくるものなのだ。
★逆境や試練に打ち勝って、生命は強くなり、光り輝いていく。
★誰も置き去りにしない社会の構築。
目の前の一人に徹して寄り添い自他共の幸福のために行動する。
★「人間は分かり合える」という希望の萌芽。
1990年代のユーゴ紛争。
「和解プロジェクト」が実施され、それなりの効果があった。
★勇気の極限は危機にあっても大胆であること。

「聞き上手になれる」「

2016年10月07日 11時42分53秒 | 社会・文化・政治・経済
★意欲旺盛に学ぶ人の姿には、骨太で若々しい息吹が感じられる。
★「(人は)内面の『渇き』みたいなものを覚えて初めて、それを満たしてくれるものを求めます」
切実に言葉を欲しがる時」に、「活字は大きなヒントを与えてくれる」作家・後藤正治さん。
★渇仰―それは人生に誠実たろうとする者にこそ生ずる。
むしろ今の自分に活字をむさぼる渇きがるか否かを問いたい。
今、読書しているか。
何を読んでいるか。
それは、現在の向上心をはかる尺度となる。
★では、何のために学ぶのか。
多くの人々と対話し、結び合うためである。
自他共に、わが生命の可能性を大いに開くのだ。
★文学を読む想像力が養われ「聞き上手になれる」「身の周りの人の気持ちに気付いてあげられる」俳人・ドイツ文学者の田中亜美さん

人のためになるようなことができれば最高

2016年10月07日 11時28分14秒 | 日記・断片
今日は午後2時からの第9回老人会総会で「体験談」を報告する。
当方を買いかぶっている地元の会長の大森さんが推薦したのだ。
大した体験でもなく、心が引けるが原稿を用意した。
先日、責任者の小和田さんに原稿をチェックしてもらったが「これでいいのですが、決意を入れてください」と指摘された。
確かに決意が欠落していた。
すでに引用したが、お茶の水女子大学名誉教授の外山滋比古(とやましげひこ)さんは92歳の今もなお、評論家として精力的に執筆や講演活動をしている。
「忙しく生きること」だと述べている。
毎日「予定」を書き出す。
とりわけ「自分のためだけでなく、周りのものや、人のためになるようなことができれば最高」と前向きである。
刺激される。

中道とは、「それ自体の独立した価値」を持つ理念

2016年10月07日 11時07分41秒 | 社会・文化・政治・経済
★公明党は結党(1964年、昭和39年)以来、中道政治を掲げてきた。
中道とは何か。
生命、生活、生存を最大に尊重する人間主義、これが中道の理念であり、この理念に基づく政治の実践こそ中道である。
中道政治とは、「国民の常識に適った政治の決定」を行うことを基本とする考え方である。
中道とは、左右を足して2で割ったものではない。
折半でも、折中、中間でも、真ん中でもない。
バランスは政治判断において大事だが、バランスがそのままイコール中道を意味するものではない。
中道とは、「それ自体の独立した価値」を持つ理念であり、実践の規範となるものである。

100年前 タゴールの日本への警告

2016年10月07日 10時37分17秒 | 社会・文化・政治・経済
★東洋人として初めてノーベル賞を受賞したインドの詩人タゴールが、初めて来日してから今年で100年。
1916年(大正5年)、実業家渋沢」栄一、大隈首相をはじめ各界の名士が上野寛永寺での歓迎会に参列した。
タゴールは東京帝国大学で「日本へ寄せるインドのメッセージ」を講演した。
翌日の国民新聞は「目覚めよアジア-偉大な日本の使命」として報じた。
また、慶応大学での講演「日本の精神」で、タゴールは自然の秘密を日常生活の中に取り入れてきた日本人とその「人間関係の文明」を称えながらも、西洋の毒を取りいれた日本の軍国主義と「他民族への侮辱」を批判した。
「生きとして生ける人間は自己の尊さのためにも叫ばなければなりません」
タゴールの日本への警告を、残念ながら当時の日本人は受けとめなかった。
わたしたちは今、どのような日本をつくろうとしているのだろうか。
詩人・女性史研究家・高良留美子さん

自転車競技、西洋人はなぜ強いのか?

2016年10月07日 00時05分20秒 | 社会・文化・政治・経済
ロードレースでヨーロッパ勢が強いのは何故ですか?

練習環境がいいんでしょうか?
アルプスの山岳を毎日走り抜けているのかな?

三大ツールの選手リストを見ると、確かに大部分がヨーロッパ人です。
ヨーロッパがロードレースの本場であり競技人口も集中していますから
そうなるのは当然です。

もし日本人に比べてヨーロッパが強いのは何故かということでしたら、
既に書かれていますが、ロードレーサーを志す人が置かれている
環境の違いが最大の要因だと思います。間違いなくそうだと思います。

しかし、世界で通用する日本人選手が中々現れない要因として
日本人の身体的特徴を挙げるのは間違っていると思いますね。
胴長短足の日本人の体形が空力等様々な面で不利だとするのなら、
競泳競技において日本人選手が世界記録を出すことなどは
あり得ないことになりますが、実際にはいくつもの世界記録を出してきています。

脚の筋肉量の違いで日本人は不利であるとするなら、
では冬季五輪のスピードスケートでいくつものメダルを取ってきているのは
どうなのか、となります。

サッカーキチガイでもある私はよくサッカーのカテに顔を出しますが、
「日本人はなぜフィジカルが弱い?」という質問が繰り返し現れ、そのたびに
「日本人は農耕民族で、狩猟民族の欧米人にスポーツでかなわないのは当然」
などという何とも妙竹林な回答が出てきますが、
まぁここのカテにはそんなヘンテコリンな頭の持ち主はいないと信じてます。

いろんなスポーツを見ていて、これは確かに日本人には不利だと思える競技は、
アメフトのような極めてラフな肉弾戦などごく一部の競技だけです。
同じ肉弾戦でも緻密な競技であるラグビーは、日本はまだまだ改善の余地があり、
ニュージーランドやウェールズのレベルに持って行くのは不可能ではないと思ってます。

今年のツール・ド・フランスでは二人の日本人が大活躍しましたが、
特に新城選手は小柄で、決して脚が長いとは言えない体形です。
日本人でも鍛えればこうなるという実例になってくれたわけです。
しかもロードレースは作戦やかけ引きが勝負の行方に大きく影響する競技ですから、
一人一人の記録では劣りながらも技術で五輪の表彰台に立った
陸上短距離リレーチームのように、作戦やチームワークに優れた日本人のチームがツールの表彰台に立つ日がいつかきっと来ると信じたいです。

日本人が工夫と努力で困難に立ち向かうことを美徳とする限り、
それはいつか実現すると思います。


----------------------------

一番の違いは練習環境というか、ロードレースを取り巻く全ての環境が違うって事じゃないでしょうか。
子供時代からの育成プログラムがしっかりしています。
例えば、地域にサイクリングチームがあって、そこでは、子供の年齢に合わせて練習プログラムが作られています。
20年くらい前に、長野の藤森さんという人が、ヨーロッパ式の育成プログラムを作ろうと尽力されましたが、残念ながら全国的に定着せずに終わってしまいました。

そして、レースの数も多いです。
アマチュアレベルでも毎週小さなレースがある状態。
プロになれば、年間に100レース以上も走ったりする訳です。
日本国内にいたら、どう頑張っても年間100レースなんて無理な話です。
レースは最大のトレーニングとも言えますから、この差は大きいですね。

あと、荒らしのwanwanantoが言っている、体の問題も昔から言われています。
日本人と欧米人では、同じ身長でも脚の長さが違うので、その分、体に占める脚の筋肉の割合が大きいので、ロードには有利だという説です。