当面、1000万円が欲しい。
いや、1億円がほしい。
まだまだ、10億円。
最終的な目的は、そんな小さなものではない100億、さらに1000億円を貯めるぞ!
では、最終的に、何のための1000億円なのか?
死後の墓場まで、いくら持って行きたいのか?
強慾や欲望は、単なる人間の愚かさではないか。
民俗学の旅
自らを「大島の百姓」と称し、生涯にわたり全国をくまなく歩きつづけた宮本常一。その歩みは同時に日本民俗学体系化への確かな歩みでもあった。著書の身体に強く深く刻み込まれた幼少年時代の生活体験や美しい故郷の風光と祖先の人たち、そして柳田国男や渋沢敬三など優れた師友の回想をまじえながら、その体験的実験的踏査を克明かつ感動的に綴る。宮本民俗学をはぐくんだ庶民文化探究の旅の記録。
徹底したフィルドワークの中で、社会の「進歩」と「退歩」を見つめた。
「少なくとも人間一人一人の身のまわりのことについて処理する能力は過去にくらべて著しく劣っているように思う。物を見る眼すら劣っている」
社会の大きな変化の中で人間もかつてない変化を迫られている。
だからこそ、時代に色あせない、人間にとって本当に大切にすべきものは何かを見つめたい。
時代が変わると失わってはならないもの-探究心、創造力、希望を生みだす生命力、人間同士の絆。
一人を励まし、人間の内になる生命の力を引き出すことだ。
目次
- 1 家の歴史
- 2 祖父
- 3 父
- 4 母
- 5 私にとってのふるさと
- 6 郵便局員時代
- 7 小学校教員時代
- 8 柳田、渋沢、沢田先生にあう
- 9 アチック・ミューゼアムに入る
- 10 民俗調査の旅
- 11 戦時中の食料対策
- 12 戦後の農漁村をあるく
- 13 山村と離島
- 14 学位をもらう
- 15 日本一長い食客
- 16 雑文稼業
- 17 若い人たち・未来
何が問題か?と言えば、人が孤立することである。
家庭での孤立、学校での孤立、企業や組織での孤立、地域・社会での孤立。
人間は弱いものである。
孤立すれば、人間は一人で全ての重圧を受け止めることになる。
孤立していることを、意識しないことも、問題。
例えば、特殊詐欺被害、パニックになり孤立する。
いじめにあっているのに、助けを求めずに孤立すること。
労労介護も孤立の典型。
そして、引きこもりも孤立であり、悩みを抱えている親族も孤立。
孤立からの脱却は、組織化であり、連帯。
孤立への対応は?
柔軟で強靭な<生命力>を引き出すのだ
人間的な成長は、画一的で機械的な教育ではなく、人との触れ合いの中でこそ、実現できるものだ。
教師は<教える>立場にあるが、大切なのは、生徒と一緒に成長する謙虚な姿勢。
そして教室の内外で、それぞれの生活状況を聞くなど、生徒を<一人の人間>として気にかけていくことだ。
自己を高めることを促し、どんな人に対しても、限りない可能性を信じ、愛情と尊敬を接する。
人間に根差した目的観が教育に求められている。
国語教育はここがダメ!現役教師が持つ不満
−−「時代に合わせた教育」、とても考えさせられますね。
では、この際、現行の国語教育や指導要領、または現在・過去の勤務校での指導方針などに対して抱えている不満をぶちまけましょうか。
Bさん:指導要領云々というか、指導要領に沿って指導してない場所もあることが不満です。
Aさん:私は指導方針そのものに不満はありませんが、授業準備のリピートが効かないことが多々有るなど、他の教科に比べて国語科独特の仕事という教材が持っている本質的な大変さがあります。
Eさん:うーん、指導要領は言っていることがふわっとしていてよく分かりません。また、指導要領はいわゆる指導する上での「最低基準」の位置付けなので、生徒のレベルに合わせて、より高いレベルの授業もすることも出来ますが、公立校の場合だと、生徒のレベルがばらばらなので正直難しいです。
学年ごと、学年横断の教科会が定期的に開かれていましたが、各クラスの進捗確認やテスト範囲の決定がメインで、指導法や生徒の意欲等についての議論・相談がほとんどなされていませんでした。そこで新任教師は置いていけぼりをくらいます。なので、正直、教育学部卒でないと特に中学教師は厳しいかもしれません。理由としては、教材の難易度が低いので、必然と指導法のウェイトが高まるからです。
Cさん:そうですね。また、受験用の学習と作品そのものの面白さを知る学習が必ずしもイコールではなく、難しさを感じます。
Dさん:私は特にないですが、強いて言うなら、書写の授業の前に鉛筆の持ち方を直すべき。
指導要領に載っている、「生きる力」とは
−−いろいろとご意見を頂きましたが、国語教育の指導要領にも含まれている「生きる力」とは一体何のことだとお考えでしょうか。
Eさん:「生きる力」。言っていることはわかりますが、やっぱり抽象的。主体的に行動し、他者の声に耳を傾け協調する力。国語においてはそのために必要な、コミュニケーション能力を醸成することが求められているのではないでしょうか。
Aさん:「生きる力」とは自分で課題を発見し、その課題の解決に取り組む能力のことであると理解しています。確かに抽象的であるとは重いますが、抽象的「すぎる」とは思いません。抽象的であるがゆえに幅も広がるし、各教員の創意工夫の余地も広がるのではないでしょうか。
03772
Bさん:学ぶ楽しさ、生涯学ぼうとする意欲や態度。国語、伝統的文化が大切であることです。
−−先ほども、国語授業の枠を超える話が出ましたね。
Cさん:そうですね。「生きる力」はコミュニケーションを取る力だと思っています。自分の考えを持ったり、相手の意見に耳を傾けたりできるようになるのは国語の学習を通して培っていくものだと思います。
Dさん:国語の生きる力を育むことは紛れもなく、読む力、書く力、話す力、聞く力を付けること。ただ最近は、話す力、聞く力に力点が置かれすぎだと感じています。
国語教育の可能性と限界
−−ご自身が企図している国語の指導法のなかで、現行の国語科教育の枠組みの中で可能なこと、不可能なことは何でしょうか。
Aさん:いわゆるアクティブ・ラーニングをもっと行いたいですが、時間的な制約が大きくあるので、なかなか出来ていません。つい、座学に偏ってしまいます。
Dさん:ディベートや表現活動、PCを使ったプレゼンテーションは可能なので実践すべきだと考えています。不可能なのは、灘校の橋本武先生がされていた、銀の匙の授業(※)のようなもの。1冊の本を読み解いていく授業をするのは、多忙な教師にとってかなり難しいですし、批判も多いと思います。
(※)中勘助の小説「銀の匙」一冊を、3年間かけて読むこむ国語の授業
03778
−−アウトプットの積極性を促したい一方で、教師の裁量の問題もあるということでしょうか。
Cさん:もう少し、授業の中で作品の面白みに重点を置ければと思っています。
Eさん:皮肉ですが、漢字の読み書き、相手の意図通りの答えを出させる能力をつけることは出来ると思いますよ。不可能なのは、自由に発想し、感じ、それを間違っていないと言える自信を付けること。
前者についてですが、現行の国語教育は誘導尋問的に解答を導き出します。なので、国語が得意な人間は「空気を読む」ことが得意な人間なのではないかと思っています。特に鑑賞においては自由に感じるべきであって、正解は存在しない。
評価上、正解を設けなければいけないのはわかります。しかし、それによって生徒の自信や意欲喪失につながっているのも否めません。
国語を通して身につけてほしい力
−−では最後に、「国語」を通じて生徒に本当に身につけさせたい力とは何でしょうか。
Eさん:読む・聞くといったインプット能力、話す・書くといったアウトプット能力ですね。この能力によって人生を豊かにしてほしいです。
Dさん:想像力。
Aさん:自分とは異なる思考や感情や価値観を、言葉を介して理解する力。
03751
Cさん:自分で考え、自分の意見を言葉にできる力と、相手の意見を言葉にできる力と、相手の意見を理解し、共感する力。
Bさん:言語能力を育成することで社会で生きていく力を養ってほしいと思っています。
−−学校の授業では習わなかった、国語授業の新たな一面を見せていただき、どうもありがとうございました!
編集後記
国語教育は本当に情緒を育てるのか。指導要領に含まれる「生きる力」とは。国語を学ぶことで身につく力とはいったい何か。今回の座談会ではこのようなテーマを5人の教育者に投げかけましたが、同じ教材を使い、同じ指導要領に従っていても、その答えは千差万別。時には真っ向から対立することも。
この結果からは人を教えるということの難しさ、そして何よりも「国語」という教科が持つ多義性を思い知らされるようです。
文部科学省が発表している資料によると、9年間の義務教育の授業時数8,307時間中、国語の授業時数は1,727時間。全体の5分の1以上という長い時間を使って、私たちが作文を書き、評論を読み解き、小説の世界に潜り込むのはなぜか。
その問いに、あなた自身の答えを出してみてもいいかもしれません。
国語教育はここがダメ!現役教師が持つ不満
−−「時代に合わせた教育」、とても考えさせられますね。
では、この際、現行の国語教育や指導要領、または現在・過去の勤務校での指導方針などに対して抱えている不満をぶちまけましょうか。
Bさん:指導要領云々というか、指導要領に沿って指導してない場所もあることが不満です。
Aさん:私は指導方針そのものに不満はありませんが、授業準備のリピートが効かないことが多々有るなど、他の教科に比べて国語科独特の仕事という教材が持っている本質的な大変さがあります。
Eさん:うーん、指導要領は言っていることがふわっとしていてよく分かりません。また、指導要領はいわゆる指導する上での「最低基準」の位置付けなので、生徒のレベルに合わせて、より高いレベルの授業もすることも出来ますが、公立校の場合だと、生徒のレベルがばらばらなので正直難しいです。
学年ごと、学年横断の教科会が定期的に開かれていましたが、各クラスの進捗確認やテスト範囲の決定がメインで、指導法や生徒の意欲等についての議論・相談がほとんどなされていませんでした。そこで新任教師は置いていけぼりをくらいます。なので、正直、教育学部卒でないと特に中学教師は厳しいかもしれません。理由としては、教材の難易度が低いので、必然と指導法のウェイトが高まるからです。
Cさん:そうですね。また、受験用の学習と作品そのものの面白さを知る学習が必ずしもイコールではなく、難しさを感じます。
Dさん:私は特にないですが、強いて言うなら、書写の授業の前に鉛筆の持ち方を直すべき。
指導要領に載っている、「生きる力」とは
−−いろいろとご意見を頂きましたが、国語教育の指導要領にも含まれている「生きる力」とは一体何のことだとお考えでしょうか。
Eさん:「生きる力」。言っていることはわかりますが、やっぱり抽象的。主体的に行動し、他者の声に耳を傾け協調する力。国語においてはそのために必要な、コミュニケーション能力を醸成することが求められているのではないでしょうか。
Aさん:「生きる力」とは自分で課題を発見し、その課題の解決に取り組む能力のことであると理解しています。確かに抽象的であるとは重いますが、抽象的「すぎる」とは思いません。抽象的であるがゆえに幅も広がるし、各教員の創意工夫の余地も広がるのではないでしょうか。
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Bさん:学ぶ楽しさ、生涯学ぼうとする意欲や態度。国語、伝統的文化が大切であることです。
−−先ほども、国語授業の枠を超える話が出ましたね。
Cさん:そうですね。「生きる力」はコミュニケーションを取る力だと思っています。自分の考えを持ったり、相手の意見に耳を傾けたりできるようになるのは国語の学習を通して培っていくものだと思います。
Dさん:国語の生きる力を育むことは紛れもなく、読む力、書く力、話す力、聞く力を付けること。ただ最近は、話す力、聞く力に力点が置かれすぎだと感じています。
国語教育の可能性と限界
−−ご自身が企図している国語の指導法のなかで、現行の国語科教育の枠組みの中で可能なこと、不可能なことは何でしょうか。
Aさん:いわゆるアクティブ・ラーニングをもっと行いたいですが、時間的な制約が大きくあるので、なかなか出来ていません。つい、座学に偏ってしまいます。
Dさん:ディベートや表現活動、PCを使ったプレゼンテーションは可能なので実践すべきだと考えています。不可能なのは、灘校の橋本武先生がされていた、銀の匙の授業(※)のようなもの。1冊の本を読み解いていく授業をするのは、多忙な教師にとってかなり難しいですし、批判も多いと思います。
(※)中勘助の小説「銀の匙」一冊を、3年間かけて読むこむ国語の授業
03778
−−アウトプットの積極性を促したい一方で、教師の裁量の問題もあるということでしょうか。
Cさん:もう少し、授業の中で作品の面白みに重点を置ければと思っています。
Eさん:皮肉ですが、漢字の読み書き、相手の意図通りの答えを出させる能力をつけることは出来ると思いますよ。不可能なのは、自由に発想し、感じ、それを間違っていないと言える自信を付けること。
前者についてですが、現行の国語教育は誘導尋問的に解答を導き出します。なので、国語が得意な人間は「空気を読む」ことが得意な人間なのではないかと思っています。特に鑑賞においては自由に感じるべきであって、正解は存在しない。
評価上、正解を設けなければいけないのはわかります。しかし、それによって生徒の自信や意欲喪失につながっているのも否めません。
国語を通して身につけてほしい力
−−では最後に、「国語」を通じて生徒に本当に身につけさせたい力とは何でしょうか。
Eさん:読む・聞くといったインプット能力、話す・書くといったアウトプット能力ですね。この能力によって人生を豊かにしてほしいです。
Dさん:想像力。
Aさん:自分とは異なる思考や感情や価値観を、言葉を介して理解する力。
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Cさん:自分で考え、自分の意見を言葉にできる力と、相手の意見を言葉にできる力と、相手の意見を理解し、共感する力。
Bさん:言語能力を育成することで社会で生きていく力を養ってほしいと思っています。
−−学校の授業では習わなかった、国語授業の新たな一面を見せていただき、どうもありがとうございました!
編集後記
国語教育は本当に情緒を育てるのか。指導要領に含まれる「生きる力」とは。
国語を学ぶことで身につく力とはいったい何か。今回の座談会ではこのようなテーマを5人の教育者に投げかけましたが、同じ教材を使い、同じ指導要領に従っていても、その答えは千差万別。時には真っ向から対立することも。
この結果からは人を教えるということの難しさ、そして何よりも「国語」という教科が持つ多義性を思い知らされるようです。
文部科学省が発表している資料によると、9年間の義務教育の授業時数8,307時間中、国語の授業時数は1,727時間。全体の5分の1以上という長い時間を使って、私たちが作文を書き、評論を読み解き、小説の世界に潜り込むのはなぜか。
その問いに、あなた自身の答えを出してみてもいいかもしれません。
小学館オンライン
情報があふれる現代。
民衆を愚弄するような詭弁や、誹謗・中傷を目的とした情報も少なくない。
そうした根拠なき言説には明確な「事実」を突き付ける。
情報に惑う人に「真実」を伝えることをためらわないことだ。
言葉は<精神の顔>である-セネカ
私たちは命の短さを嘆くわりには、たいしたことに命を使っていません。
人間のすべての愚かな行動は、恐怖心から生み出されるものなのです
人生より難しい芸術はない。
仕事というものは人間にとって、心の栄養みたいなものです。
自分をいくら良く見せたところで、周りの人は、ちゃんと見抜いているものです。
大切なのは、量ではなくて、質です。
セネカ(Lucius Annaeus Seneca/紀元前1年頃-紀元後65年)は、ユリウス・クラウディウス朝時代に活躍した古代ローマの政治家・哲学者・思想家・詩人。
ストア派の哲学者として知られ、数々の悲劇や著作を残し、ラテン文学の白銀期を代表する人物の一人。
また、第5代ローマ皇帝「ネロ」の幼少期の家庭教師も務め、治世初期にはブレーンとしても皇帝を支えたとのこと。(参考文献:ウィキペディア+Amazon.co.jp)
作品
主な悲劇作品に「パエドラ」「トロイアの女たち」「狂えるヘルクレス」「フェニキアの女たち」「メデア」「オエディプス」「テュエステス」「アガメムノン」「オクタウィア(偽作)」など。主な随筆・書簡に「怒りについて」「賢者の不動心について」「寛容について」「人生の短さについて」「心の平静について」「幸福な人生について」「善行について」「神慮について」などがある。
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特定非営利活動法人・ホームレス支援全国ネットワーク(以下、「主催者」と表記)が認定する民間資格である。
概要
従来の路上生活者支援が「すぐ目の前にあって危機に瀕している人命」をどうにかしようという認識の下で行われ、 個々の支援者の経験と情熱に頼る部分が多く、具体的な方法論について法令も体系も整っていない状況が続いていたことに鑑み、幅広い知識を有する支援者を育成することを目的とし、2012年3月より講習会の開催と資格認定が行われるようになった。
当初は資格の名称を「ホームレス支援士」としていたが、生活困窮者の支援にはその人の人生に伴走するかたちで地域内での自立した生活の実現まで継続的にサポートを行うが重要であるとし、主催者内部での議論の結果、名称が現在のものに改められた。
現在では、支援活動に携わって間もない者を対象とした2級、及びある程度長期間支援活動の経験を持つ者を対象とする1級の認定が実施されており、広域活動・支援団体の経営・政策提言活動も行える人材を対象とした「マネジメント(仮称)」の認定は2015年度以降になる予定。
資格取得の方法
主催者が行う講習会に参加する必要がある。
講習会の開催回数が現在は少ないため、期日に関しては主催者への確認を要する。
現時点で開催された、または開催予定の講習会および開催場所は以下のとおりである。 また、1級の受講資格は、「2級の認定を現に受けている者」に限られる。
ホームレス支援の本質論
ホームレス問題の近年の傾向や、ホームレス自立支援法の基礎的な内容を理解する。
ホームレス支援の技術論
現場での支援活動に関して必要な知識や、生活支援の全体的な流れを理解する。
ホームレスのための就労支援
支援対象者が就労し自立するために必要なポイントのほか、訓練型労働などの多様な労働形態を理解する。
ホームレスのための居住支援
支援における居住施設の役割、及びそれにまつわる問題点を理解する。
ホームレス支援と社会保障論
現在の日本国内での社会保障制度・生活保護制度に関する知識を習得し、支援の実務における制度の活用法を理解する。
ホームレス支援とアフターケア
地域生活に移行した後、再び路上生活に戻ることを防ぎ安定して生活を送るために必要な支援の方法論を理解する。
ホームレス支援のための社会福祉
各種の障害(精神障害・身体障害・知的障害・発達障害)に関する基本的知識や、社会生活に支障をきたしうる様々な依存症の特徴を理解する。
ホームレス支援のための更生保護
支援対象者のうち刑余者にポイントを置き、支援活動に必要な更生保護制度に関する知識を理解する。
ケアプラン方式によるホームレス支援
事例を元に、地域生活への移行とその後の支援についてのサポートプランを、グループ討論方式で作成する。
詩人・吉野弘さん「奈々子に」を毎日新聞1面の「余録」2019年6月5日で知る。
このような詩があったのか・・・と。
吉野弘の世界を彼が作った家族を通じて味わうことができる。平易で飾り気のない言葉で表現されている吉野弘の世界は、毎日疲れ気味の多くの人に癒しをもたらすと思う。多くの慌ただしい人生を送る方々に読んでいただきたい、そんな詩集です。
自分が自分でいられることの幸せを教える「奈々子へ」、穏やかな幸せのいとおしさを伝える「祝婚歌」など、自分らしく生を満喫することの素晴らしさを教えてくれる吉野弘。妻と娘が選んだということでも、衒いのある選出にはなっておらず、自然体で、ぬくもりのある詩が並ぶ。
今の時代だからこそ、気軽に頁をたぐって、心に沁みてくる爽やかで暖かい詩集だ。
命へのいとおしさを再確認する時間があっていい、多忙な毎日の中にも。
祝婚歌、奈々子に、夕焼け、i was bornなどの詩がすばらしい。
作品に感動した後、あとがきでも「奈々子に」のご本人として
奈々子さんが,その詩にまつわるエピソードを書いておられますが、そこもほほえましく感動しました。
-------------------------------------
-
奈々子に <吉野弘>
赤い林檎の頬をして
眠っている奈々子。
お前のお母さんの頬の赤さは
そくっり
奈々子の頬にいってしまって
ひところのお母さんの
つややかな頬は少し青ざめた
お父さんにも ちょっと
酸っぱい思いがふえた。
唐突だが
奈々子
お父さんは お前に
多くを期待しないだろう。
ひとが
ほかからの期待に応えようとして
どんなに
自分を駄目にしてしまうか
お父さんは はっきり
知ってしまったから。
お父さんが
お前にあげたいものは
健康と
自分を愛する心だ。
ひとが
ひとでなくなるのは
自分を愛することをやめるときだ。
自分を愛することをやめるとき
ひとは
他人を愛することをやめ
世界を見失ってしまう。
自分があるとき
他人があり
世界がある
お父さんにも
お母さんにも
酸っぱい苦労がふえた
苦労は
今は
お前にあげられない。
お前にあげたいものは。
香りのよい健康と
かちとるにむづかしく
はぐくむにむづかしい
自分を愛する心だ。
阪 矢野監督「感動せえへん?」
6/6(木) スポニチアネックス
<ロ・神> 決勝打の糸井(右)は矢野監督と笑顔でハイタッチをかわす
◇交流戦 阪神4―3ロッテ(2019年6月6日 ZOZOマリン)
阪神が交流戦最初のカード勝ち越しを決めた。3―2の9回に守護神・ドリスが清田に右前適時打を許し同点に追いつかれるも、直後の延長10回に勝ち越しに成功した。
決勝のタイムリーを放つ糸井
1死からルーキー近本、糸原の連打で一、二塁のチャンスを作り、益田を攻め立てると、3番糸井が一、二塁間を鋭く破った。二塁走者の近本が俊足を飛ばして勝ち越しのホームに生還。最後は島本が3人で締めてプロ初セーブを記録した。
矢野監督は「感動せえへん? みんな(感動)してくれてる? あの1イニングどんなんかわかる? ホンマ」と興奮気味に勝利を振り返った。
論点
「首相の解散権」再考
毎日新聞2019年6月5日
オピニオン
解説
衆参同日選の臆測が政界に広がっている。夏の参院選に合わせて安倍晋三首相(自民党総裁)が衆院を解散すれば、参院選との相乗効果で優位な戦いが期待できる、との声もある。行政府の長たる首相が立法府である衆院の解散時期を自由に決めることは、どこまで許されるのか。改めて「首相の解散権」を考える。
政治に対する信頼低下 河野洋平・元衆院議長
首相による解散権の行使とは、国民が選挙で直接選んだ議員に対し、憲法に明記された4年の任期を首相の一存で打ち切ることであり、よほどのことがない限りあってはならないことだ。
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独裁政権に近づいている。
2017年の解散では、森友・加計問題で強い批判を浴びていた。
安部晋三首相はこうした状況をリセットして、再び政権を浮揚させようとした。
選挙に勝って「国民の信任を得た」と乗り切る。
(社説)首相の解散権 「伝家の宝刀」再考の時
2017年9月22日
安倍首相が解散に踏み切ろうとするいま、首相がすべての衆院議員をクビにできる解散権のあり方に疑問が募る。
「首相の専権事項」「伝家の宝刀」などと言われるが、憲法にそんな文言はない。
内閣不信任案が衆院で可決された時の対抗策である解散(69条)と、内閣の助言と承認による天皇の国事行為としての解散(7条)があるだけだ。
これまでの解散は7条を根拠とした例が多い。ただ憲法は、首相はどんな解散でもできるとも、逆に恣意(しい)的な解散はできないとも書いていない。
選挙で民意を問うことの意義は大きい。しかし、首相が自らの判断でいつでも解散できる現状は弊害も生んでいる。
日本では3年ごとの参院選の合間に、不定期に衆院の解散・総選挙が行われ、国政選挙のサイクルが短い。その結果、バラマキ予算が幅を利かす半面、与野党とも国民に負担を求める政策には二の足を踏みがちだ。
議員たちは「解散風」のたびに浮足立ち、長期的な政策立案がおろそかになる傾向もある。
与野党がもっと腰を落ち着けて政策論争に臨むためには、衆院議員がなるべく任期をまっとうする原則を確立する必要がある。各党は任期中に実現をめざす公約を掲げ、有権者は4年間の実績を見定め、次の選挙の判断材料にする。そんなサイクルを確かなものにしたい。
内閣不信任案が可決された場合を除き、首相の解散権を抑制することはその有力な手段だ。
内閣の一方的な解散は憲法の精神に反するとして、故保利茂衆院議長が約40年前、次のような見解を残している。
「(解散は)内閣の恣意によるものではなく、あくまで国会が混乱し、国政に重大な支障を与えるような場合に、立法府と行政府の関係を正常化するためのものでなければならない」
いまも通じる議論である。
衆院憲法審査会では、解散手続きを法律で定める方法や、憲法に解散の条件を明記する方法が議論された。主要政党が申し合わせる手法もありえよう。
日本と同じ議院内閣制の英国では2011年、議会が内閣を不信任した時と、与野党が事実上合意した時以外の解散をほぼ禁じる法律が成立した。与党の都合で選挙を行うために、自由に議会を解散できる国は世界の民主主義国で珍しい。
野党の混乱のすきをつき、疑惑に対する追及をかわすための「大義なき解散」。それは、立ちすくむ日本の民主主義の現状を映しているようにも見える。
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