創作欄 鼻血が止まらず救急車で搬送された徹

2019年06月15日 09時29分26秒 | 創作欄

2012年2 月12日 (日曜日)

「大往生したけりゃ医療とかかわるな」

死ぬのは「がん」に限る。
ただし、治療はせずに。
著者の中村仁二さんは医師だ。
医師が医療を否定する。
それは、どのようなことなのか?
徹は新聞広告を見て、本屋へ向かった。
1昨年のことであるが、真夏にボランティアである施設へ行き、庭の草むしりをした。
炎天下、1時間ほど雑草と格闘した。
流れる汗とともに、鼻水も垂れてきたと思って、ハンカチで鼻を拭ったら、紺色のハンカチが黒く変色した。
それは鼻水ではなく、血であった。
その日の前日も、夜中に目覚めたら枕に髪が絡み着いた感じがした。
部屋の蛍光灯をつけて確認したら、枕に血溜まりができていて髪の毛に固まった血がベッタリと付着していた。
1週間ほど鼻血が出ていて、深酒をした日にはドクドクと鼻血は喉に流れ込む。
吐き出しても口に鼻血はたちまち溢れてきた。
「これでは出血多量で死ぬな」と徹は慌てた。
徹は妻子と離婚して5年余、一人身である。
救急車を呼ぼうかと思ったが、午前3時である。
マンションの住民たちに迷惑になると思い、我慢した。
死の恐怖を感じながら、何とか鼻血を止めようとした。
初めはティッシュペーパで対応したが、見る見る血で染まってきて、それではらちがあかない。
そこで脱脂綿を鼻奥に詰め込んだ。
しばらくして、鼻血は止まった。
徹の母親は56歳の時、早朝に鼻血が止まらなく、救急車を呼んだ。
国立相模原病院に搬送されたが、血圧が200以上あった。
徹は自分の現在の状況と重ねて、20代の頃を思い浮かべた。
結局、母親は生涯、血圧降下剤を飲み続ける。
母子は遺伝子的に同じ宿命を辿ると徹は思い込んでいた。
宿命は変えられない。
だが、意志で運命は変えられる。
徹はそのように考えた。
炎天下の草むしりのあと、昼食を食べに松戸駅前のラーメン店へ行く。
「ビールでも飲むか」とボランティア仲間の渥美さんが言う。
徹は日本酒にした。
3本目を飲みだしたら、また、鼻血が出てきた。
口と鼻を押さえながら、慌てふためいてトイレに駆け込む。
鼻血でたちまち便器は染まっていく。
「これは、尋常ではない」と覚悟を決めた。
結局、乗りたくはない救急車を呼んでもらった。
5分もかからず、救急車のサイレンが聞こえてきた。
近くに病院もあり、7分くらいで病院に搬送されたが、血圧を測定したら210もあった。
救急車で血圧を測定した時は180であった。
注射をして様子をみることになる。
10分後に血圧を測定したら、まだ、200を超えていた。
「まだ、ダメね」と看護師は首をひねる。
そこで、胸に貼り薬を試した。
「動き回らず、寝ているのよ」と看護師にたしなめられた。
徹は携帯電話を持たないので、心配しているボランティア仲間の渥美幸吉に待合室の公衆電話で、様子を伝えたのだ。
「あんたは、鉄の肝臓を持っている男だ。鼻血くらいでは死なないよ」とボランティア仲間の渥美さんは笑った。
徹の血圧は、胸に貼り薬のおかげで、140にまでいっきょに低下していた。
「月曜日、来て下さい。鼻の粘膜の切れやすい箇所をレーザーで焼きますから、耳鼻咽喉科へ必ず来て下さい」と看護師が言う。
徹はあれから1年6か月余経過したが、その病院へ2度と行っていない。
血圧降下剤も飲んでいない。
鼻の粘膜は、レーザーで焼かなくともその後、破れていない。


創作欄 詩は音読するもの

2019年06月15日 09時23分32秒 | 創作欄

 20122 1 (水曜日)

「創作品は、しばしば作家より雄弁に作家自身のことを語っている」

大学のサークルである近代文学研究会での大田三郎の指摘に、みんなが肯いた。

だが、徹は実証主義文学論には違和感を持った。

過日、開かれた国文学研究会で、岩城助教授が金田一京助に向かって「石川啄木と芸者の小奴は肉体関係があったと思いますか?」と尋ねたのだ。

「あったとも、なかったとも言えません」

金田一京助は常識的に答えたが、岩城助教授は食い下がるように言い放った。

「先生は、本当のことをご存じなのではありませんか?」

「金田一さんに対して、非礼だな」と大田三郎は呟いた。

「先ほど、お答えした以上のことは言えません」金田一は困惑していた。

「ここは実証主義文学研究会の場ですから、肝心なことを明らかにしたいのです」

岩城助教授は太った腹を突き出しように言った。

会場の人たちは固唾を飲んで、金田一の言葉を待った。

徹は大田三郎の肩に指を突いて、「出よう! 馬鹿馬鹿しい」と席を立った。

「聞きたいが、出るか」 三郎も続いて席を立った。

三郎はロシアの作家・ドストエーフスキイに傾倒していた。

特に「罪と罰」は小学生のころから読んでいたというから早熟なのだ。

一方、徹は高校生になって高校の国語教師の影響で詩を読み始めていたが、小説は数えるほどしか読んでいなかった。

高田守先生は授業でしばしば、詩を読んで聞かせた。

徹はその詩の内容より、高田先生の声に感動した。

徹は自分も詩を書き、高田先生に音読してもらいたいと思うようになったのだ。

同じ詩でも高田先生以外の人が読んでは感動しないのだ。

ラジオ世代の中で育った徹は、多くの声優たちの語りの素晴らしさに想像を膨らませてきた。

野口雨情、三好達治、中原中也、宮沢賢治、石川啄木などの詩を知る。

そして益々、詩は文字で読むより、「聞きたい」と徹は思った。

-------------------------------

 <参考>

野口雨情(のぐち うじょう、1882年(明治15年)529日~1945年(昭和20年)127日)は、日本の詩人、童謡・民謡作詞家。

本名は野口英吉。

茨城県多賀郡磯原町(現・北茨城市)出身。

 


創作欄 「15歳の神話」

2019年06月15日 09時12分29秒 | 創作欄

2012年1 月28日 (土曜日)

ロミオとジュリエットではないが、相思相愛の男女関係はある意味で、運命的な出会いであるかもしれない。

それは相性の問題でもある。

高校生の徹と大学生の浩が空き地でキャッチボールを始めると中学生の少女が赤ちゃんを抱いて路地裏から現れた。

少女はポニテールの髪型をしていた。

いわゆる美少女の類型の整った顔立ちである。

徹は小学生の頃、東京・大田区の田園調布で育ったが、大邸宅に住む少女、少年たちには気品が備わっていた。

そして少女や少年たちの美しい母親たちは、揃って着物姿で授業参観に来てきた。

徹は美しい母親たちの容姿に子どもながら強く心を惹かれて、同級生たちを羨んだ。

徹は中学生の少女を初めて見た時、小学生の頃の記憶が鮮明なまでに蘇った。

少女は徹と浩のキャッチボールが始まると待っていたように、赤ちゃんを抱いて現れた。

「あの子は徹に気があるんじゃないか」

浩は銭湯の湯船に浸かりながら言った。

手拭を頭に乗せている浩は、俳優の石原裕次郎に容貌が似ていた。

「浩さんは女の子にもてるでしょうね?」徹は聞いた。

「まあな、でもな、あの子は徹に気があるよ」

浩は頭に乗せた手拭を湯船に沈めて、顔を拭った。

「そうだろうか?!」徹は半信半疑であった。

「あの子に聞いてみるか?」と浩は八重歯を見せてニヤリと笑った。

「よして下さいよ」徹は慌てた。

少女の一家は半年前に徹の自宅の裏に引っ越してきた。

少女の父親は顎鬚をはやし、精悍そうな大きな目をしていた。

昭和30年代の東京・世田谷の用賀町には畑があり、雑木林もある新興住宅であった。

「おばさん、裏の一家はどんな人たちなの」下宿人である浩が徹の母親に聞いた。

「ここだけの話だけど、訳ありだね」

「訳あり?」浩の大きな目が見開かれた。

徹の母親は声を落として事情を説明した。

「旦那と奥さんは、年が離れているだろう。再婚で中学生の娘さんと小学生の娘さんが先妻の子、赤ちゃんは今の奥さんの子なの」

「なるほど」浩はうなずきながらタバコを口にくわえた。

少女の40代の父親と20代と思われる継母は手をつないで、二子多摩川の河原を散歩していた。

徹と浩は多摩川で魚釣りをしていて、二人の姿を見かけたのだ。

それから半年が過ぎて、画家である少女の父親が、娘をモデルに描いた絵が評判となった。

少女の裸体の油絵であり、「15歳の神話」と題されていた。

 

「ポニーテールの...」の画像検索結果

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


創作欄 緘黙症の天使が行進の先頭に居た

2019年06月15日 08時59分56秒 | 創作欄

2012年1 月22日 (日曜日)

我々は、知っていることより、知らないことの方が多い。

緘黙症(かんもくしょう)については、作家の一色真理(まこと)さんが記していたので知った。

思えば、彼女は「話さない」のではなく、何らかの心理的理由から「話せない」病気の緘黙症であったのかもしれない。

美登里は、話せなくとも字が書けたので成績は優秀であった。

だが、ある時突然、しゃべったので、みんなが唖然とした。

「トルストイは、大衆、大衆と繰り返し記しているけど、自分も大衆でしょ」

「美登里さんが、口を開いた」と敏子が目を見開いたが、徹は美登里がトルストイを批判したことにむしろ驚いた。

徹は、「この人は思い描いていた人ではないのでは?」と美登里伏し目の横顔を注視した。

心優しく、何時も静かに微笑んでいる美登里の別の面を知らされた思いがした。

彼女は周囲への違和感から、自ら言葉を発することを止めていたのかもしれない。

彼女は母親を小学生6年生の時に亡くしていた。

そして、中学2年生の時には父親を亡くしていた。

徹は高校の入学式の日、一際美顔の美登里に心惹かれた。

「世の中には、こんなに綺麗な人がいるのか!」

美登里の祖父は画家で、祖母はフランス人であった。

美登里は美しい祖母似であったのだ。

昭和30年代、まだ珍しかったバトンガールの先頭に立って銀座を行進する美登里さんは、天使の化身のようにも映じた。

 

ルノアールの「カーンダンベルス嬢の肖像」を見ると徹は、フランスに行ってしまった美登里のことを想った。

翌年、東京オリンピックが開かれ、東京・代々木の体操競技の会場で美登里を見かけたと友達が言っていたが、その日徹は風邪で寝込んでいた。


29歳の徹は酒場へ足を向ける

2019年06月15日 08時51分33秒 | 創作欄

2012年1 月21日 (土曜日)

韓国料理の店で酒を飲む。

徹は、いつものとおり招待された。

若い人たちの中で、話を聞きながら雰囲気を楽しむ。

そして昔の職場を思い出した。

あの頃は何かと酒の席が多かった。

月に2、3回は社員全員で酒を飲んでいた。

段々と記憶が遠くなるが、鮮明に覚えていることもある。

それは、ほんの同僚の一言であったりする。

思えば些細なことであるが、棘のように胸に刺さっていたことも。

東京・神田の駅界隈で、酒を飲んでいたのは10年間くらいで、その後は、水道橋が多くなる。

何故、神田から離れたのか、と記憶を辿ってみた。

「昨夜、友だちとあの店に行ったら、1万円だったの」

同僚の内田峰子が怪訝な顔で言う。

「1万円ですか? 私のボトルを飲んだのでしょ?」

「そうなの」

徹は直観した。

「2度と来ないでね」と言う意思表示をママの綾がしたのだと。

徹は峰子をその晩、寿司屋に誘った。

「あのママさん、徹さんに惚れているのね」

「そうかな?」

「女の直観よ」

徹は6月になれば30歳になろうとしていた。

「29歳にもなって、結婚をしていないのは、お前だけだよ!」

母親から言われていた。

確かに、近所に住んでいる中学の同級生で未婚なのは、徹だけであった。

徹は何度も見合いをしていたが、結婚には至らない。

「会社には相手は居ないのかい」と母親が言うが、同僚の彼女たちには既に交際相手がいた。

先輩で社内結婚をした人たちが3組。

徹が良いなと思った新入社員の女性も、既に結婚相手が決まっていたり、同僚の誰かが逸早く手を出したりしていた。

徹は面白くない気分を抱いて酒場へ足を向ける。


2人とも、30代なのにがんで逝く

2019年06月15日 08時44分35秒 | 創作欄

2012年1 月12日 (木曜日)

「日本医学協会は存在することに意義がある」

日本医学協会の立場について、吉田富三会長が述べた後、同協会の副会長で武蔵野日赤病院院長の神崎三益さんは、「私が吉田先生の過去の足跡に大きな傷を付けてしまったのです」と謝罪した。

話は徹が医療界に入る以前のことであった。

女医の京子は、徹に身を寄せながら、「吉田先生に何があったの?」と声を落として聞く。

「よく解りません」と徹は、京子の顔を見ないで檀上に目を注いでいた。

徹は後で、日本私立病院協会の近藤六郎会長に経緯を聞いてみた。

医療界のドンであった日本医師会の武見太郎会長に対して、当時の日医常任理事で中央社会保険医療協議会の委員であった神崎さんは、盾を突いたのだ。

昭和39年(1964) 日本医師会会長選挙に 「医師の本来あるべき姿、理想を示す」 として 出馬した。

昭和36年9月に日本医師会 の一斉スト宣言があった。

そして日赤を中心とした病院ストなどがあり、医療界そのものが大きく 揺れ動いていた。

吉田富三さんを担ぎ出したのは神崎さんであった。

日本医師会会長選挙は、下馬評どおり武見太郎さんが再選されるだろうと誰しも思っていた。

そして、予想をはるかに覆して吉田さんは大差で敗れた。

選挙の結果は武見太郎157票,吉田富21 票という圧倒的大差で武見太郎が日本医師会長に再選されたのだ。

「徹ちゃん、吉田富三さんは、私が思っていた人と違っていたの」

京子はお茶の水の駅に近い音楽喫茶の席に座った時に、唐突な感じで言った。

それは、どのような意味であったのか?

徹はその場で確かめることをしなかった。

徹が崇拝している吉田富三さんが、他人の目にどのように映ろうが関係のないことと思われたからだ。

「これから、どうするの?」

京子は煙草のピースをバックから取り出しながら徹を見詰めた。

徹はその時、モーツアルトのヴァイオリン協奏曲に耳を傾けていた。

聞いていると、ヴァイオリンの音色は眠りに誘われように心地のよい響きであった。

実は金曜日に中央社会保険医療協議会の徹夜審議が行われた。

「日曜日に夜勤なんて、因果な仕事ね」

京子は眉をひそめた。

結局、その日は銀座で食事をして、虎ノ門病院へ向かう京子と銀座線の中で別れた。

当時、徹は酒を控えていた。

「酒を飲んでいる徹ちゃんには、会いたくないの」

「なぜ?」

「何だか図太い感じがして、普段の徹ちゃんの感じでないから」

徹は言われると苦笑するほかなかった。

結局、新宿で降りて歌声喫茶 「山小屋」へ顔を出した。

大学時代の後輩の大崎みどりが働いていた。

徹はみどりと半年であったが、吉祥寺の神田川に面していたアパートで同棲していた。

後年、「神田川」の曲が流れると徹はみどりのことを思い出した。

そして、モーツアルトのヴァイオリン協奏曲を聞くと女医の京子を思い出した。

2人とも、30代なのにがんで逝く。

京子は肺がんで1人娘を遺して、みどりは乳がんで男の子を遺して。

 

 


香港デモ、参加者は「デジタル断ち」 当局の追跡警戒

2019年06月15日 07時46分23秒 | 社会・文化・政治・経済

 「新疆化」恐れる声も

【AFP=時事】携帯電話の位置情報はオフに、列車の切符を買うのは現金で、ソーシャルメディアでのやりとりはすぐに消去──。中国本土への容疑者引き渡しを可能にする香港の「逃亡犯条例」改正案をめぐる大規模デモでは、当局の監視や将来訴追される危険を回避しようと、テクノロジー通の若者たちが「デジタル断ち」している。
香港の大規模デモ、警察と衝突

 デモ参加者は大多数が若いデジタル世代。だが、当局による監視や、インターネット上に痕跡を残す危険性については、誰もが嫌というほど知っている。

 今週行われたデモでは、マスクやゴーグル、ヘルメット、帽子などを着用した参加者の姿が目立った。催涙ガスや唐辛子スプレー、ゴム弾から身を守ると同時に、身元を特定されにくくするためだ。

 デモに参加する前には携帯電話の位置情報をオフにし、オンライン上のプライバシー設定を強化。デモの後には、ソーシャルメディアやメッセージアプリから会話や写真を削除したとの証言がたくさんある。

 地下鉄駅の券売機前には珍しく、長い行列ができている。香港市民が日常的に使う交通系ICカード「オクトパスカード(Octopus Card、八達通)」は利用者の足取りが容易に追跡できてしまうため、現金で切符を購入しているのだ。

 メッセージアプリも、市民に圧倒的な人気を誇る「ワッツアップ(WhatsApp)」ではなく、暗号化が可能な「テレグラム(Telegram)」が活用されている。テレグラムのほうがサイバーセキュリティー面で優れ、より大きなグループを組んで抗議行動を連携できるからだ。

 デモ参加者の不安を象徴しているのが、「逃亡犯条例」改正案に反対する多くの人々がソーシャルメディアのプロフィル写真に採用している画像だ。しおれかけた「香港の花」バウヒニアの白黒画像。──しかし、この画像をネット上で使えばかえって当局の注意を引いてしまうのではないかと神経質になり、使用をやめるデモ参加者も増えている。

 取材内容のデリケートさを反映して、デモの最中にAFP記者と話した人々は皆、少なくともマスクを着けるなど顔を隠し、名字か名前の一方しか明かさなかった。

 香港では近年、複数の書店関係者が行方不明になった後、中国本土で姿を現し刑事罰を問われる事例が相次いでいるほか、2017年には富豪の肖建華(Xiao Jianhua)氏が本土に引き渡されたとみられる。「逃亡犯条例」改正案が可決されれば、こうしたことが公然かつ合法的に行われるのではないかと懸念されている。

 デモに参加していた会社員の男性は、「1か月前には香港はまだ穏やかだったのに、あっという間にこうなった」とコメント。中国政府の厳しい統制下にある新疆ウイグル自治区(Xinjiang Uighur Autonomous Region)に言及し、「こんなにも早く状況が変わってしまうなら、香港もあさってには新疆のようになってしまうかもしれない」と語った。【翻訳編集】 AFPBB News


香港デモ、参加者は「デジタル断ち」 当局の追跡警戒

2019年06月15日 07時46分23秒 | 社会・文化・政治・経済

 「新疆化」恐れる声も

【AFP=時事】携帯電話の位置情報はオフに、列車の切符を買うのは現金で、ソーシャルメディアでのやりとりはすぐに消去──。中国本土への容疑者引き渡しを可能にする香港の「逃亡犯条例」改正案をめぐる大規模デモでは、当局の監視や将来訴追される危険を回避しようと、テクノロジー通の若者たちが「デジタル断ち」している。
香港の大規模デモ、警察と衝突

 デモ参加者は大多数が若いデジタル世代。だが、当局による監視や、インターネット上に痕跡を残す危険性については、誰もが嫌というほど知っている。

 今週行われたデモでは、マスクやゴーグル、ヘルメット、帽子などを着用した参加者の姿が目立った。催涙ガスや唐辛子スプレー、ゴム弾から身を守ると同時に、身元を特定されにくくするためだ。

 デモに参加する前には携帯電話の位置情報をオフにし、オンライン上のプライバシー設定を強化。デモの後には、ソーシャルメディアやメッセージアプリから会話や写真を削除したとの証言がたくさんある。

 地下鉄駅の券売機前には珍しく、長い行列ができている。香港市民が日常的に使う交通系ICカード「オクトパスカード(Octopus Card、八達通)」は利用者の足取りが容易に追跡できてしまうため、現金で切符を購入しているのだ。

 メッセージアプリも、市民に圧倒的な人気を誇る「ワッツアップ(WhatsApp)」ではなく、暗号化が可能な「テレグラム(Telegram)」が活用されている。テレグラムのほうがサイバーセキュリティー面で優れ、より大きなグループを組んで抗議行動を連携できるからだ。

 デモ参加者の不安を象徴しているのが、「逃亡犯条例」改正案に反対する多くの人々がソーシャルメディアのプロフィル写真に採用している画像だ。しおれかけた「香港の花」バウヒニアの白黒画像。──しかし、この画像をネット上で使えばかえって当局の注意を引いてしまうのではないかと神経質になり、使用をやめるデモ参加者も増えている。

 取材内容のデリケートさを反映して、デモの最中にAFP記者と話した人々は皆、少なくともマスクを着けるなど顔を隠し、名字か名前の一方しか明かさなかった。

 香港では近年、複数の書店関係者が行方不明になった後、中国本土で姿を現し刑事罰を問われる事例が相次いでいるほか、2017年には富豪の肖建華(Xiao Jianhua)氏が本土に引き渡されたとみられる。「逃亡犯条例」改正案が可決されれば、こうしたことが公然かつ合法的に行われるのではないかと懸念されている。

 デモに参加していた会社員の男性は、「1か月前には香港はまだ穏やかだったのに、あっという間にこうなった」とコメント。中国政府の厳しい統制下にある新疆ウイグル自治区(Xinjiang Uighur Autonomous Region)に言及し、「こんなにも早く状況が変わってしまうなら、香港もあさってには新疆のようになってしまうかもしれない」と語った。【翻訳編集】 AFPBB News


12歳女児を待つ残酷な運命…金正恩「拷問部隊」が仕掛けるワナ

2019年06月15日 07時10分57秒 | 社会・文化・政治・経済

高英起 | デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト
6/14(金) 6:03

金正恩氏(朝鮮中央通信)
韓国または第三国を目指して脱北して中国にたどり着いたものの、現地公安当局に逮捕される人が急増している。その背景には、国際社会の対北朝鮮制裁があると思われる。

韓国・朝鮮日報系のTV朝鮮は9日、12歳の女児を含む20人の脱北者が中国公安当局に逮捕されたと報じた。

中国は脱北者を難民ではなく不法入国した経済移民とみなしており、摘発し次第北朝鮮に強制送還している。また、北朝鮮は国家保衛省の要員を中国に送り込み、公安当局と協力させている。同省は拷問や公開処刑、政治犯収容所の運営などを担当する、泣く子も黙る秘密警察である。

送還された脱北者を待ち受けているのは、過酷な刑罰と虐待だ。

(参考記事:北朝鮮、脱北者拘禁施設の過酷な実態…「女性収監者は裸で調査」「性暴行」「強制堕胎」も)

脱北に失敗したことを悲観して自ら命を絶つ脱北者も後を絶たない。

(参考記事:金正恩氏に追い詰められ死を選んだ、ある一家の悲劇)

5年前に脱北し、現在は韓国に住むキムさんの70歳の母親、18歳の息子、12歳の娘は、国境の川を越えて18日に中国の瀋陽に到着した。病気の母親は、鎮痛剤の注射を打ちながらの脱北だった。しかしその後、中国公安当局に逮捕され、現在は鞍山の拘置所に入れられている。

それ以外にも4月27日には瀋陽で7人が、先月25日には吉林省白山で7人が逮捕、収監されるなど、逮捕者は20人にのぼっているとTV朝鮮は伝えている。

一方、デイリーNKの情報筋によると、先月29日には場所は不明ながら3人が、先月15日には瀋陽で3人、21日には広西チワン族自治区南寧で13歳、18歳の青少年を含めた4人、同日に瀋陽で2人、吉林省通化で2人の脱北者が逮捕された。また、先月25日には瀋陽で男性2人、女性2人がアジトにいたところを公安に踏み込まれ逮捕された。

情報の重複もありうるが、総合するとこの2ヶ月で少なくとも38人の脱北者が逮捕された計算になる。

摘発される脱北者が急増していることについて情報筋は、「温かくなって山に身を隠すのが楽になったため、脱北が増えるのはいつものこと」と気候を第一の理由に挙げた。次いで「3月10日の最高人民会議代議員選挙で身動きの取れなかった人々が一気に動き出して、4~5月に川を渡る人が急増した」という分析を示した。

北朝鮮当局は選挙に際し、住民が登録した場所に住んでいるかどうかをチェックする。もし住んでいないことがわかれば、面倒が生じる。また、移動も制限されるなど国中に厳戒態勢が敷かれるため、選挙が終わるまではおとなしくしているというわけだ。

一方で情報筋は、最近になって脱北者の傾向に変化が生じていることも指摘した。

「かつては、先に脱北して韓国に暮らす人が、北朝鮮に残してきた家族を脱北させるケースが多かったが、最近は韓国に家族や知人がいなくとも、1人で脱北するケースが多い」

国際社会の制裁で商売も農業も振るわず、このまま北朝鮮にいては餓死してしまうと考えた国境地域に住民たちが、生きるために脱北するケースが増えているのだという。

1990年代後半の大飢饉「苦難の行軍」やその後の混乱、2009年に行われ経済に大混乱をもたらした「貨幣改革」(デノミネーション)で、生きていけなくなった人々が脱北を選んだのと状況が似ている。

脱北者の救出活動を行っているカレブ宣教会のキム・ソンウン牧師は、中朝国境から遠く離れた南寧で逮捕者が出たケースについて尾行された可能性を指摘し、携帯電話の位置情報を追跡して逮捕作戦が行われることが増えていると述べた。

また、上述の情報筋も公安当局が脱北者のアジトを正確に掴んでいることを挙げ、携帯電話で位置がバレている可能性を示唆した。最近の脱北者逮捕6件のうち、4件がこのようなケースに当たるという。

また、脱北ブローカー同士が足の引っ張り合いで、他のブローカーが連れてきた脱北者を公安に密告した可能性もあるとも指摘した。

(参考記事:中国奥地で売られた「少女A」の前に現れた救世主)

一方、米政府系のボイス・オブ・アメリカ(VOA)は5月2日、複数の消息筋の話に基づき、北朝鮮当局の指図を受けた北朝鮮人が、国境を越える人々のグループに浸透して脱北者とブローカーのネットワークを把握し、中国当局が一網打尽にする事例が増えていると伝えた。

北朝鮮でこうした作戦を担当するのは、前述したとおり国家保衛省である。同省は近年、中国に潜伏する脱北者を摘発したリ、韓国に逃れた脱北者を強制的に帰国させたりするオペレーションに血道を上げてきた。それはもちろん、金正恩党委員長の命を受けたものである。

高英起
デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト
北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。関西大学経済学部卒業。98年から99年まで中国吉林省延辺大学に留学し、北朝鮮難民「脱北者」の現状や、北朝鮮内部情報を発信するが、北朝鮮当局の逆鱗に触れ、二度の指名手配を受ける。雑誌、週刊誌への執筆、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に『コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記―』(新潮社)『金正恩核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』(宝島社)『北朝鮮ポップスの世界』(共著)(花伝社)など。近著に『脱北者が明かす北朝鮮』(宝島社)。


阪神 8回一挙4失点で逆転負け 

2019年06月15日 06時58分58秒 | 社会・文化・政治・経済

矢野監督「俺が一個遅れた。継投が遅れた」
6/14(金) スポニチアネックス
阪神 8回一挙4失点で逆転負け 矢野監督「俺が一個遅れた。継投が遅れた」
<オ・神>8回1死、降板となった西勇輝(16番)を出迎える矢野監督(中央奥)ら
 ◇交流戦 阪神4―6オリックス(2019年6月14日 京セラD)

 阪神が逆転負け。終盤まで2点リードと優位に試合を運んでいたが、8回に一挙4点を奪われた。

矢野監督は「みんな一生懸命やってくれた結果やし」と選手を称えたあと、「「俺が一個遅れたぐらいかな。継投が遅れたかな、というのは俺の反省の中ではあるけど」と責任を口にした。

 その場面が他でもない8回だった。先発の西が3―4と1点差に迫られ、なおも1死二、三塁のところで降板。あとを受けた藤川が、暴投と西野の適時三塁打で失点し、この回一挙4失点で逆転されてしまった。

 7回までは投打が噛み合い、理想的な試合運びだった。西は初回に2失点して以降立ち直り、テンポ良くスコアボードに「0」を並べていた。一方の打線は梅野、マルテ、高山に適時打が飛び出すなどコンスタントに得点を重ねていた。また、「5番・DH」で出場した原口が得点のきっかけとなる2本の安打を記録するなど各選手役割を全うしていただけに、悔しい逆転負けとなった。連敗で、貯金は4に減った。