国家機密と良心

2019年07月08日 14時06分55秒 | 社会・文化・政治・経済

私はなぜペンタゴン情報を暴露したか 


明智光秀・秀満

2019年07月08日 13時34分07秒 | 社会・文化・政治・経済

小和田哲男 (著)

「本能寺の変」のナゾに迫る

 

光秀はナゾの多い人物だ。
前半生は不明なことが多く、出生地も父親も諸説ある。
本能寺の変を起こした年齢。
55歳、67歳、43歳説もあり、全否定できない。
最も信長に信頼を得ていた男が、主人を裏切ったのはなぜか。
日本史最大のミステリーに迫る「第六章 本能寺の変の謎を解く」本書のクライマックス。
著者は「信長非道阻止説」をとる。
「悪い政治をやめさせる下剋上だった。この時代下剋上は悪くなく<世直し>だった」
でも、勝者が作った歴史のなかで、光秀はすっかり悪人にされてしまった。

商品の説明

日本史上最大の謎である本能寺の変の背景とは!?

2020年大河ドラマ「 麒麟がくる 」の時代考証者・小和田哲男先生最新刊!!

最新の研究成果から、謎に包まれた明智光秀とその娘婿秀満の前半生を描き、本能寺の変に至った動機と背景を解明する!

大河ドラマを観る前にぜひとも読んでおきたい1冊!!

内容紹介

明智光秀(1528から1582年)・秀満(1536から1582年) 戦国武将。
織田家重臣として活躍しながらも、主君信長への謀反を起こした明智光秀とその女婿秀満。

本書では、謎に包まれた二人の前半生、そして行動と人となり、さらには本能寺の変に至った動機と背景を解明する。 

[目次]

はじめに 

第一章 明智光秀とはそもそも何者か 
1 謎だらけの前半生 
2 出身地はどこか 
3 明智苗字の地明智荘とは 
4 土岐氏から分かれた明智氏 
5 明智氏の始祖は頼重か頼基か 
6 光秀は誰の子か 
7 「美濃国住人ときの随分衆」 
8 奉公衆となった土岐一族と明智氏 

第二章 織田信長に仕えるまでの光秀 
1 斎藤道三と光秀の関係を探る 
2 長良川の戦いと光秀 
3 光秀の越前在住時代 
4 転機となった足利義昭の越前入国 
5 義昭の側近細川藤孝との出会い 

第三章 織田信長に仕える光秀 
1 信長が義昭を擁して入京 
2 京都本圀寺の戦いと光秀 
3 義昭と信長に両属する光秀 
4 義昭・信長の対立と光秀の立場 
5 「金ヶ崎退き口」での活躍 

第四章 信長家臣として頭角を現す光秀 
1 「一国一城の主」第一号は光秀か 
2 信長の義昭追放と光秀 
3 光秀の家臣団と一族 

第五章 光秀の丹波経略と丹波の領国経営 
1 丹波経略をまかされる光秀 
2 荒木村重の謀反と光秀 
3 第二次黒井城の戦い 
4 光秀による丹波の領国経営 

第六章 本能寺の変の謎を解く 
1 本能寺の変までの信長と光秀 
2 天正十年(一五八二)六月二日 
3 光秀謀反をめぐる諸説 
4 黒幕はいなかった⁉ 
5 浮上してきた四国問題説 
6 「父子の悪逆は天下の妨げ」をどう解釈するか 

第七章 本能寺の変後の光秀と山崎の戦い 
1 安土城に入る光秀 
2 山崎の戦いの敗北と光秀の死 
3 坂本城の戦いと明智秀満 

第八章 光秀の人となり 
1 光秀の人柄をさぐる 
2 領民に慕われる光秀と秀満 
3 文化人としての光秀 

参考文献 
おわりに 
明智光秀・秀満年譜 
事項索引 
人名索引 

内容(「BOOK」データベースより)

明智光秀(一五二八?~八二)・秀満(?~一五八二)戦国武将。織田家重臣として活躍しながらも、主君信長への謀反を起こした明智光秀とその女婿秀満。本書では、謎に包まれた二人の前半生、そして行動と人となり、さらには本能寺の変に至った動機と背景を解明する。

著者について

《著者紹介》*本情報は刊行時のものです
小和田哲男(おわだ・てつお)
1944年 静岡県生まれ。
1972年 早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了(文学博士)。
静岡大学講師、助教授、教授を経て、
現 在 静岡大学名誉教授(日本中世史専攻)。

 



現在の憲法は、敗戦が出発点になっている

2019年07月08日 12時28分32秒 | 社会・文化・政治・経済

読売新聞

[参院選]憲法改正 活発な提案で論点掘り下げよ
7 時間前
 新しい時代に対応し、憲法のあるべき姿を考えることが大切だ。各党は自らの見解を積極的に示し、議論を掘り下げなければならない。

 安倍首相は、憲法論議を進めるか、進めないのかを参院選で問う考えを示している。

 昨年来、衆参両院の憲法審査会は機能不全に陥っている。立憲民主党など野党が、安倍内閣での憲法改正に反対し、審査会の開催に応じていないためだ。首相の問題意識は、理解できる。

 最大の論点は、自衛隊に関する9条の扱いである。平和を守り、国民の安全を確保する自衛隊の役割は重要度を増している。違憲論を払拭ふっしょくする意義は大きい。

 自民党案は、戦力不保持を定めた2項を維持した上で、必要な自衛の措置をとるための実力組織として、自衛隊の保持を明記する。現行条文を残すことで、他党の合意を得やすくする狙いがある。

 公明党は、必要な規定を加える「加憲」の立場を取るが、9条改正案について「多くの国民は自衛隊を違憲とは考えていない」として、慎重な姿勢を示す。与党間のすり合わせが欠かせない。

 9条に関し、立民党は、集団的自衛権行使の限定容認を盛り込んだ安全保障関連法が違憲だと断じる。集団的自衛権の行使には、わが国の存立が脅かされる場合など、極めて厳しい要件がある。立民党の指摘は当たらない。

 自衛隊の重要性や厳しい安全保障環境などを踏まえて、冷静に論じることが肝要である。

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毎日新聞 社説
19年参院選 憲法の議論 対決あおる手法なじまぬ
今回の参院選では、憲法改正が大きな焦点になっている。

 安倍晋三首相は「憲法の議論すらしない政党を選ぶのか、議論を進めていく政党を選ぶのか」と言う。首相にとっては自民党総裁に復帰してから6度目の国政選挙だが、憲法改正を従来以上に正面に据えている。

 首相は2年前、憲法9条への自衛隊明記論を打ち上げた。衆院総選挙をはさみ、自民党を督励して改憲4項目の条文案をまとめさせた。

 そして迎えた最初の国政選挙が今回の参院選である。

 安倍首相は野党が審議に応じないと批判する。「憲法審査会はこの1年、衆院では2時間余り、参院では3分しか議論していない。おかしいじゃないか」が決まり文句だ。
衣の下によろい見え
 しかし、論議停滞の理由は野党のせいだろうか。

 昨年の自民党総裁選前、首相は党の憲法改正案を秋の臨時国会に提出できるよう議論を加速させると述べた。首相支持層の求心力を保つための強気発言だが、野党は警戒感を募らせた。

 衆院の憲法審査会の仕切り役に保守色の強い側近を起用して局面打開を図ろうともした。これも野党の警戒感を増幅した。側近の一人が野党を「職場放棄だ」と批判して事態は動かなくなった。

 衣の下のよろいを隠さず、性急に結果を求める安倍首相の姿勢が、結果的に憲法論議の前進を阻んでいる側面は否定できないだろう。

 憲法論議を進めようとするなら、そのための環境整備に心を砕くべきだ。政局の打算や思惑とは一線を画し、与野党が互いの意見にじっくりと耳を傾ける空気を地道に醸成することが必要になる。

 憲法は国家の基本原則を定めたものだ。国家としての連続性を保証するものでもある。時代を超えて、変えてはならないものがある。

 現在の憲法は、敗戦が出発点になっている。

戦前、日本は軍国主義の道をひた走った。国民から自由を奪い、思想を統制し、戦争で多大な犠牲を強いた。


改憲論議 国民は求めているのか

2019年07月08日 11時23分58秒 | 社会・文化・政治・経済

信濃毎日社説 

参院選が公示され、各党や候補者は17日間の選挙戦に入った。争点の一つに挙げられるのが、改憲に対する考え方である。

 「国会議員としての責任を果たして議論する政党を選ぶのか、責任を果たさず審議を全くしない政党を選ぶのか」。自民党総裁の安倍晋三首相は第一声で改憲の審議に応じない野党を批判した。

 選挙が終わったら、結果を都合よく解釈して議論を加速させる考えなのだろう。

 改憲は国民の意思に沿うものなのか。国や社会の在り方に関わる問題である。自衛隊明記を掲げる自民をはじめ、各党の訴えに耳を澄まし、吟味したい。

<首相の悲願に向け>

 自民の公約は新しい時代の憲法を目指し、取り組みをさらに強めるとしている。条文イメージとして▽自衛隊の明記▽緊急事態対応▽合区解消・地方公共団体▽教育充実―の4項目を記した。

 今の自民案の発端となったのは2017年5月3日に首相が党総裁として語ったビデオメッセージだ。戦争放棄や戦力不保持を定める9条を維持したまま自衛隊を書き込むとの案を突然示し、東京五輪・パラリンピックの20年に施行したい考えを表明した。

 首相の悲願である改憲の実現に向け、慌ただしく取りまとめたのが条文イメージである。

 具体的な項目を提示することで議論の活性化を狙ったものの、思うように進んでいない。6月下旬に閉幕した通常国会で衆参両院の憲法審査会は実質的な論議を5月に衆院で1度行っただけだ。

 憲法審への党改憲案提示を目指していた自民は次の国会に持ち越さざるを得なかった。参院選で争点に据えるのは、行き詰まった状況の打開を図るためである。

<世論調査とのずれ>
憲法審の議論が停滞しているのは、なぜなのか。原因はむしろ安倍政権の側にある。

 まず、改憲項目に説得力が乏しい。例えば、自衛隊明記で「違憲論争に終止符を打つ」という。これには連立を組む公明党も「多くの国民は自衛隊の活動を理解、支持しており、違憲の存在とは考えていない」と慎重な姿勢だ。

 教育の充実は政府として取り組めば済む。憲法を改めるまでもない。教育無償化を提案している日本維新の会を取り込む狙いは明白である。

 進め方にも問題がある。与野党の幅広い合意を丁寧につくる意識に欠ける。首相は18年の党役員人事で党憲法改正推進本部長に側近を据えた。野党との協調を重視した憲法審のメンバーも交代させている。強引に議論を進めようとする姿勢を印象付けた。

 国民の認識との隔たりも見過ごせない。本紙の参院選に関する世論調査で重視する政策には「医療・福祉・介護」「景気・雇用などの経済政策」が多く挙がった。有権者は改憲よりも暮らしに関わる課題への対応を求めている。

 共同通信社の全国電話世論調査では、安倍首相の下での改憲に反対が多数を占める。

 憲法改正は主権者である国民の要求が出発点であるべきだ。首相の信条に基づく「上からの改憲論議」にそもそも無理がある。

 立憲民主党の公約は、衆院の解散権制約や知る権利の尊重など国民の権利拡大の観点から憲法論議を進めるとしている。9条の改悪や解釈改憲への明確な反対も記した。国民民主党も同様に解散権や知る権利を論点に挙げる。

 首相は消費税増税延期などを理由に「大義なき解散」を繰り返した。知る権利を侵害する恐れがある特定秘密保護法を強引に定めてもいる。国会議員の責任を果たすというのなら、野党の提起を受け止めて議論すべきではないか。

 共産党は自衛隊を明記する案への反対や憲法の全条項を守ることを盛り、社民党は平和憲法に基づく安全保障政策の実現を掲げる。

<尊重擁護の姿勢は>

 自民案に反対する各党は、参院選後の国会で憲法審にどう臨むのか、明確にする必要がある。

 憲法を論じる前提として押さえておかなくてはならない点が、もう一つある。第2次安倍政権の発足以降、憲法を軽んじる振る舞いが繰り返されてきたことだ。

 14年の閣議決定は、歴代政権が許されないとしてきた集団的自衛権の行使に道を開いた。国会論議を通じて積み上げてきた政府の憲法解釈を一内閣の判断で捨て去るものだった。反対を押し切って成立させた安全保障関連法は違憲性を抱えたままである。

 憲法に基づく臨時国会召集の要求に応じなかったり、放置した揚げ句に冒頭解散に踏み切ったりした経緯もある。国会は政府の方針を追認するばかりで機能不全が著しい。国権の最高機関と呼ぶには程遠い状況が続いている。

 参院選は政権への中間評価と位置付けられる。憲法軽視の姿勢も問われるべき点である。

(7月5日)


公園で暮らした2000人の孤児

2019年07月08日 11時23分42秒 | 社会・文化・政治・経済

厚生省(当時)は1948年、全国一斉の孤児調査を行った。それによれば孤児は12万3511人。内訳は①戦争孤児が2万8247人、②引揚孤児が1万1351人、③棄迷児が2647人、③一般孤児が8万1266人である。

①は空襲等で保護者を失った子ども。②は中国大陸などからの引き揚げ途中で孤児になった者。③は戦乱で親とはぐれたままの子どもで、④は①~③以外、保護者が病没した子どもなどだ(『終わりなき悲しみ』金田茉莉著、浅見洋子監修・コールサック社、2013年)』)。

①~③はいずれも戦争による孤児で、④も食糧難や医療の不備などで親が亡くなったケースが多いと見られ、戦災孤児と言っていい。

ただ、厚労省の調査結果は実情を反映しているとは言い難い。たとえば凄惨な地上戦で20万人が亡くなった沖縄では、この調査はなされていない。実際は12万人の数倍に及ぶと思われる。

敗戦から1年がたった1946年7月16日。毎日新聞朝刊が、東京都内における戦災孤児の様子を伝えている。

約2000人が上野や浅草、新宿、銀座などの駅や公園で暮らしていたという。「その3割近くは先輩の教唆で窃盗、スリと悪の道へ踏み込」んでいた。6月、警視庁は大規模な「狩込み」(取り締まりのこと)で417人を拘束した。都内各地の施設などに収容された。7~10歳が7割近くを占めていた。引き取りを申し出てきたのは、2割に満たない67人だった。

毎日新聞には、「浮浪児」を撮影した写真が残っている。

46年7月に撮影されたとみられるもので、子どもたちが檻(おり)の中に入れられている。鉄格子の中に10人以上。泣き出しそうな子。叫んでいるのか大きく口を開けている子もいる。写真説明には「少年保護所の子供たち東京品川沖の第4台場」とある(『写真昭和30年史』毎日新聞社・1955年)。みな上半身はだか。他の収容施設でもそうだった。逃亡を防ぐためだった。「保護所」というより刑務所のようだ。

戦後、今の港区沿岸には孤児らが集まった。そこに集積していた、進駐軍の食料などが目当てだった。『新修港区史』(79年)には「全国でその数およそ

四〇〇〇といわれた浮浪児は、ここ港区にも芝浦の倉庫を中心に、当時つねに八十余名がたむろしていた。(中略)靴磨きや、あるいはかっぱらいなどをしては生活していた」とある。

この区の正史には、なにがしか子どもへの嫌悪感がにじむ。敗戦から24年、四半世紀近くが過ぎたころでさえ、だ。敗戦直後、「浮浪児」が社会からどのように見られ、扱われたか想像がつく。

Photo by Gettyimages

 

 


 
 
 
 

救済求め闘う孤児たち(その1) 戦争は終わっていない

2019年07月08日 11時10分12秒 | 社会・文化・政治・経済

ストーリー

毎日新聞2019年7月7日

梅雨の晴れ間、東京・永田町の国会前。「戦争の後始末は済んでいない!」と書かれた横断幕を持ち、河合節子さん(80)=千葉市=が訴えた。

「空襲被害者が放置されたままです。救済法を求めています」

 1945年の東京大空襲で肉親を奪われた河合さんは、今年4月上旬から6月下旬まで計10回、仲間とともに訴えた。行き交う人たちに全国の空襲被害が書かれたリーフレットを渡そうと手を伸ばすが、足を止める人はまばらだ。

 第二次世界大戦で死亡した日本人は、民間人と軍人を合わせておよそ310万人。日本政府は戦後、元軍人・軍属に対して累計60兆円を援護する一方で、「国と雇用関係がなかった」として民間人への援護を拒否してきた。


浮浪児1945‐: 戦争が生んだ子供たち

2019年07月08日 10時56分56秒 | 社会・文化・政治・経済

石井 光太  (著)

商品の説明

内容紹介

終戦直後、焼け跡に取り残された多くの戦災孤児たちは、どこへ消えのか? 1945年の終戦直後、焼け跡となった東京は、身寄りのない子供たちで溢れていた――全国では、12万人以上。復興と共に街が浄化され、居場所を失い歴史から〝消え去った〞彼らを、残された資料と当事者の証言から上野を中心に現在まで追う。戦後裏面史に切り込む問題作にして、戦争が生み出したものを見つめなおす必読の書。

内容(「BOOK」データベースより)

終戦直後、12万人以上の戦災孤児が生まれた日本。その中心、焼け跡の東京に生きた子供たちは、どこへ“消えた”のか?本書は、五年の歳月をかけて元浮浪児の方々の証言を集め、あの時代から現在までを結ぶ歴史に光を当てたものです。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

石井/光太
1977(昭和52)年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件など幅広いテーマで執筆。アジアの障害者や物乞いを追った『物乞う仏陀』でデビュー(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


 


参議院選兵庫選挙区(定数3)、壮絶な大激戦

2019年07月08日 09時01分18秒 | 社会・文化・政治・経済

公明党は参院選で、7選挙区の完勝、比例区6議席以上の獲得をめざしている。

中でも兵庫選挙区(定数3)に挑む新人の高橋みつお党国際局次長(自民党推薦)の情勢は極めて厳しく、現状では議席獲得は困難となっている。
逆転勝利へ連日、兵庫県内を駆け巡る高橋氏。

【情勢】定数3に対し公明新人・高橋みつお、自民新、立憲新、共産新、維新現の有力5氏が激突。自民、維新、立憲に大きく先行され、公明・高橋氏は現状、次点の危機的状況。

自民は高い内閣支持率と分厚い支持層に乗りトップ当選は確実。
維新は大阪府知事、大阪市長の“ダブル選挙”直後の勢いのまま、手堅く支持を拡大。

残り1へ立憲は党幹部が相次ぎ兵庫入り。
連合や労組の支持を取り付ける一方、無党派にも食い込み浮上する。
共産は政権批判票を狙い活発。

公明・高橋氏は支持を伸ばすも、保守・無党派層、男性層への浸透が弱く、依然、差をあけられ4番手の“当選圏外”。
崖っぷちの高橋氏の逆転勝利には、全人脈に総当たりする執念の猛拡大、大攻勢が急務


阪神4番・大山の意地!「悔しい」バント2度失敗取り返したV二塁打

2019年07月08日 08時01分24秒 | 野球

7/8(月) サンケイスポーツ

セ・リーグ、阪神1-0広島、15回戦、阪神8勝7敗、7日、甲子園)主砲として味わう全てが糧となることをわかっていても、拳を掲げられるはずがなかった。先制の絶好機で出た大山に出たサインは、バント-。結果的に決勝打を放っても表情が緩めないことが、意地だった。

 「バント(のサイン)が出た瞬間は悔しいというか…。でも個人競技ではないし、チームとして点を取らないと勝てないので」

 0-0の七回、先頭の糸井が中前打で出塁。大山がバットを寝かせると、甲子園がどよめいた。ファウル、ファウルで追い込まれると、ヒッティングに切り替え、フルカウントに。131キロのツーシームを捕まえると、白球は左中間を真っ二つ。スタートを切っていた糸井が一気に生還し、勝負ありだ。

 「(ガッツポーズしなかったのは)中押しやダメ押しなら感情も出たと思うんですけど。まだ1点で、無死でしたし、次のプレーに集中していました」

 シビれる投手戦を制した。サインを送った矢野監督は「点を取らないと勝てないし、(高橋)遥人にも勝ちをつけたいし」と意図を説明。サインを通して送ったメッセージに「悠輔自身がどう感じるのもあるし。悔しいのか、失敗したから何とかしてやろうという気持ちで出たのか。これからもそういう場面があれば、そういうこともある」と尻を叩いた。大山の成長こそ、虎の成長。味わった悔しさが、主砲をまた少し大きくさせた。

 「ミスをした後に取り返すというのは大事ですし、その気持ちを忘れちゃいけないと思います」

 リーグでただひとり、全試合4番を務める若き主砲。前だけを見て進み、ここからまた成長する。


歌謡最前線 公開収録

2019年07月08日 03時16分33秒 | 投稿欄

2019/7/25.26上野不忍池水上音楽堂

開場15:00 開演15:30~20:00
お問合せ:㈱オフィスYアンドM
TEL:03-5563-1545

 浜博也 TANABATA LIVE
2019/7/7sun七夕LIVE in 「王華」
トミコシ会館(板橋区)開場12:30~
詳細は問合せ先までご連絡ください
お問合せ:浜博也オフィシャルファンクラブ
TEL:03-5822-6510(平日10時~17時)

7月26日(木)TV公開録画「歌謡最前線」(上野)詳細

真田ナオキの出演は7月26日(木)です


矢野監督が勝利のタクト 4番バントに先発非情交代

2019年07月08日 03時07分17秒 | 社会・文化・政治・経済

<阪神1-0広島>◇7日◇甲子園

矢野阪神の代名詞とも言えるガッツポーズは出なかった。7回無死一塁。阪神大山悠輔内野手(24)が左中間を破る決勝のタイムリー二塁打を放った。ベース上で、厳しい表情を見せた。

勝利投手となった高橋を出迎える矢野監督

「本来は、しっかりバントを決めなければいけない場面。ミスを取り返す気持ちで、なんとか食らいついて打ち返しました」。4番が見せた意地の一打だった。

決勝打の直前、甲子園にどよめきが起きていた。先頭打者の糸井が中前打で出塁。続く大山の初球だ。バットを寝かせて、バントを試みた。ファウルで失敗。2球目も同様だ。矢野監督が今季初めて4番大山に送りバントの指示を出した。「4番やから打たせたい。でも遥人にも勝ちをつける。チームにも勝ちをつけるためにはバントで送るということが大事だと思った。これからもそういう場面があれば、そういうこともある」。指揮官は平然と言い切った。6日には先発青柳を4回途中で非情交代。前半戦の最終盤で、勝利にこだわるタクトを連発した。

大山は2度、送りバントに失敗した。しかしフルカウントから快音を響かせる。そこに4番の悔しさと意地が交錯していた。「バントが出た瞬間は悔しい気持ちもあった。サインが出たときは、しっかり決めないといけない。ミスは減らさないと…」。そして二塁ベース上で、厳しい表情を崩さなかったことを問われると、「次のプレーに集中していたので…。(ミスを)取り返せたのはプラスになる。その気持ちを忘れてはいけない」と心中を語った。

ロースコアの接戦を制し、8日から首位巨人との3連戦。矢野監督は言った。「2勝1敗と3連勝じゃ全然違う。ジャイアンツも突っ走っているんで。うちらしい戦いをするだけですし、3つ全部勝つつもりで、明日から頑張っていきたい」。若き左腕が好投し、4番が決めた。広島に3連勝し、最高の形で球宴前最後のカードに臨む。【真柴健】

▼阪神の先発4番打者が送りバントを記録していれば、17年6月15日西武戦10回の福留以来だった。もっとも福留はセーフティーバントを試みて結果が犠打に。サインによる犠打となると、12年8月23日中日戦8回に新井良が決めて以来となるところだった。