パレスチナ問題とは
世界の難民、5人に1人がパレスチナ難民
1948年、イスラエルの建国宣言を受けて第1次中東戦争が勃発しました。
200以上の村が破壊され、70万人以上のパレスチナ人が故郷と家を失いました。
これを、パレスチナでは「ナクバ」(破局)と呼んでいます。周辺諸国に逃れたパレスチナの人々は、以来「故郷への帰還」を切望しながら、70年にわたり難民として生活してきました。
当初70万人だった難民は、避難先で三世代、四世代目となり、今や約560万人に達して世界で最も大きな難民グループとなっています。UNHCR(国連高等難民弁務官事務所)が発表している世界の難民総数およそ2,590万人に照らすと、実に5人に1人がパレスチナ難民です。
国連とパレスチナ難民
パレスチナ難民は、1947年の「国連パレスチナ分割決議」に端を発して生まれました。
一般的に世界の難民はUNHCRの管理下にありますが、パレスチナ難民の発生はUNHCRができるよりも前になるため、UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)の管理下におかれています。
また「国連難民条約」の適用も受けられないため「保護」されることが少なく、軍事的な脅威にもさらされやすいと言えます。
国連総会は1948年に、「故郷に帰還を希望する難民は可能な限り速やかに帰還を許す、そう望まない難民は損失に対する補償を行う」とする決議194号を可決しています。
しかしイスラエル側は社会的・政治的不安定を招くとして、一貫してこれを否認しており、これまでに故郷に戻れたパレスチナ難民はほとんどいません。
各国での生活
周辺国に逃れたパレスチナ難民の多くは、無国籍の状態で、難民キャンプで暮らしています。
当初、一時的なものとして造られた簡易な難民キャンプの住まいは、無理な建て増しと老朽化で劣悪な環境になっています。また、人口密度が高く、電気や上下水道などのインフラも不十分です。
国によって異なりますが、難民は貧困や差別だけでなく、市民権を得られなかったり就業制限を課されるなど、様々な規制を受けながら生活しています。義務教育と一次医療は国連が提供していますが、予算は年々縮小し、支援が行き届かない状況になっています。
レバノンのパレスチナ難民
(左:電線と配水管が絡み合う難民キャンプ内の通り
右:かろうじて日光が届く場所で物干し)
レバノンのパレスチナ難民キャンプは、70年前に作られた当時にタイムスリップしたような、陽も差さず密集した場所です。頭上には盗電の電線が蜘蛛の糸のようにめぐらされ、足元には下水が流れ、毎年多くの感電死亡事故が起こっています。キャンプの出入りには軍隊の許可が必要です。
レバノンに逃れたパレスチナ難民は、他国に比べても特に過酷な生活を強いられてきました。
貧困や差別だけでなく、市民権を持てないため教育や保健へのアクセスもなく、厳しい就労制限が課せられています。パスポートも持てず、不動産の所有も認められていません。レバノンに帰化することも、第三国に移住することも難しいのです。また、たび重なる戦火と虐殺事件にも見舞われています。
瓦礫となった難民キャンプ
1975年から15年続いたレバノンの内戦も、パレスチナ難民に大きな災禍をもたらしました。内戦に巻き込まれた犠牲者の他、1982年にはイスラエル軍のレバノン侵攻があり、ベイルートの難民キャンプでパレスチナ人・レバノン人千人以上が殺害されるなど、合計2万人以上の犠牲者が出ました。その後も難民キャンプの包囲などが起き、"パレスチナ人"というだけで多くの市民が殺害されました。
2007年には、北部のナハルエルバレド難民キャンプに住み着いたイスラム武装グループが、レバノン軍と3か月間にわたる戦闘を行いました。キャンプは瓦礫となり、4万人の住民が家財、仕事、思い出など一切を失いました。
レバノン国内ではこれまでに3ヵ所の難民キャンプが廃墟となり、1ヵ所が居住できない状態となって放棄されています。
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"二重難民"となったシリアのパレスチナ難民
(シリアからレバノンに避難し、二重難民となったパレスチナ人家族。奥の老人はパレスチナ生まれ)
2011年以降、内戦状態のシリアから隣国レバノンに多数の難民が流入しています。その中には、かつてパレスチナからシリアに逃れ、再びシリアの戦火からレバノンに逃れた多数のパレスチナ人がいます。
「二重難民」となったパレスチナ人は、同じシリアからの難民であっても、シリア人とは扱いが異なり、国境の通過を制限されて家族が離散したり、滞在許可が取れないなど、更なる苦境に立たされています。
国連の調査によると、シリアから逃れてきたパレスチナ難民世帯の45%が1日1食で暮らし、91%の子どもが必要な栄養を摂取できていない状態にあります。
シリア難民支援の活動を見る
ホーム > 私たちの取り組み > シリア難民支援(レバノン)
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シリアでは国内人口の約半数近くの620万人(内250万人は子ども)が避難を余儀なくされ、670万人に上る人々が国外に逃れ難民になっています。
また難民となった人々の中には、シリアで生活していたパレスチナ難民も含まれています。
かつてパレスチナの故郷を追われ、今またシリアから逃れて"二重難民"となったパレスチナ人は、シリア人と扱いが異なり、滞在許可が取れない、緊急支援が少ないなど更なる苦境に立たされています。
シリア難民の概況をもっと詳しく見る
レバノンでの活動概要
時期 2012年10月~実施中
地域 レバノン(2013年4月~実施中)、ヨルダン(2013年3月まで)
Map
(2013年以降、ヨルダンから、難民の流入数が多いレバノンに活動拠点を移しました。)
レバノンは、今や国内の3人に1人が難民という状態になっています。シリアから避難してきた人々は、安い住居を求めてパレスチナ難民キャンプとその周辺に集まっています。建設から70年近く経過して劣悪な環境下にあった難民キャンプは、新たな難民の流入で飽和状態を越え、人々の生活環境は更に悪化の一途を辿っています。
元から難民キャンプに住んでいた人々と新たに流入してきた人々の間であつれきが起こらないよう配慮しながら、シリア人・パレスチナ人を問わず、緊急支援から中期的な支援まで、以下のような幅広い分野で活動を行っています。
- 生活物資や食糧の配布と、継続した家庭訪問によるセイフティネットの提供
- 幼稚園・学童クラブ・補習クラスへの子どもたちの受け入れ~安全な居場所の提供と心理サポート
- 幼稚園・補習クラスでの給食提供
- 子ども歯科、精神科・臨床心理、産婦人科などの医療支援
- 母親・女性向けのワークショップ、育児支援・おむつなど育児用品の配布
- 暖房用の燃料、防寒着の配布
- 地元NGO等の受入れコミュニティの強化
シリア難民の少女シードラちゃん
6歳半のシードラちゃんは、出会った時、シリアで負った大けがでまっすぐ歩く事ができませんでした。友達もなく、満足な治療も受けられないまま家にこもっていました。
あるシリア人の体験
ヨルダンで現地スタッフとして働いてくれたアハメドさんは、地中海を渡る「死の船」に乗り、壮絶な数日間を過ごしました。
現地の声
「シリアのアレッポから3人の子どもを連れてレバノンに逃げてきました、夫はその5日後にシリアで爆撃を受けて亡くなりました。それ以来どこにも出かけていません。年老いた母と全盲の父もいます。収入を得るすべがないため支援がなければ生活できません」(アマルさん、33歳/バダウィ)
「夫はシリアで殺されました。9人の子どもを連れて、1年2ヵ月前にアイネヘルウェキャンプにやってきました。トラウマがひどいこの子の状況がカウンセリングで良くなることを願っています」(カウンセリングを受診した子ども(6歳)の母親)
「1月にシリアから逃げてきたの。家族は入国できなくてシリアに残ったままです。お父さんは行方がわかりません。シリアでは毎週末にピクニックを楽しみました。学童クラブの遠足ではシリアの時みたいに川で遊べて本当に嬉しかった。早く家族に会いたい」(リアファさん、14歳/ブルジシェマリ)
教育・心理サポート、子ども歯科
パレスチナ難民支援として従来からレバノンで行っていました。今はシリア人の子どもたちも一緒に支援しています。
教育・心理サポート、子ども歯科を詳しく見る
シリア難民支援
ヨルダンでの活動
子どもの居場所作りと女性の出産・育児支援を中心に行いました。帝王切開で100人の赤ちゃんが生まれました。
ヨルダンでの活動
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2012年10月~2013年3月まで、シリア難民の支援をヨルダンで行いました。2013年4月以降は、シリア難民の流入数が圧倒的に多いレバノンに拠点を移し活動を継続しています。
活動概要
物資配布
シリア国境に近いKAPキャンプと首都アンマンで、約1,700世帯(約1万人)に、防寒着、靴、ストーブ、毛布、生理用品や紙おむつなどを配布しました。
子ども支援
KAPキャンプ、ラムサ市(国境から5km)、アンマンで3,000人の子どもに居場所を提供、遊びやスポーツ、遠足などを通じた心理サポートを実施しました。
女性支援
500人の母親を対象にKAPキャンプでワークショップを開催しました。その結果、ストレスの軽減や家族関係の改善が見られました。
医療支援
アンマン市内にある産科病院に医薬品を提供しました。また、100人のシリア難民の赤ちゃんが帝王切開手術により無事誕生しました。
安全な居場所で遊ぶ子供たち
(仮設テント内に設けた安全な居場所で遊ぶ子どもたち)
現地報告
シリア避難民支援事業 [サラーム No.96 2013.6.8] (PDF 2.91MB)
「ありがとう」の言葉から子どもたちの行動が劇的に変わっていきました。
シリア避難民支援活動 [サラーム No.95 2013.3.9] (PDF 0.93MB)
国境周辺の難民キャンプ、アンマン市内で、物資配布、医療支援、子どもクラブなどの支援を行いました。
特定非営利活動法人(認定NPO)パレスチナ子どものキャンペーン(CCP Japan)
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沿革
1986年 団体設立
1999年 特定非営利活動法人(東京都認証)
2010年 認定NPO法人取得(国税庁認定)
2014年 認定NPO法人取得(東京都認定)
役員
代表理事:北林 岳彦
事務局長:田中 好子