法華経 真の自己に目覚めよ

2024年05月13日 12時31分36秒 | その気になる言葉

第2回 真の自己に目覚めよ

【アンコール放送】NHK
2019年11月11日(月)午後10:25~10:50/Eテレ
【アンコール再放送】
2019年11月13日(水)午前5:30~5:55/Eテレ
2019年11月13日(水)午後0:00~0:25/Eテレ
【放送時間】
2018年4月9日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2018年4月11日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2018年4月11日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
植木雅俊(仏教思想研究家)
【朗読】
余貴美子(俳優)
【語り】
三宅民夫

法華経が最も優れた経典とされる理由は「全ての人間が平等に成仏できる」と説いたこと。

では「成仏する」とはどういうことか? 

それは現代の言葉でいえば「真の自己に目覚めること」「人格を完成させること」だと植木さんはいう。

当時は釈迦が神格化され、釈迦の骨をおさめた塔「ストゥーパ」を拝む信仰が隆盛を極めていた。

しかし、法華経では、釈迦はあくまで覚りを得たひとりの人間なのだから、偶像を信仰するのではなく釈迦が説いた「法」や「経典」の方をこそ重視せよと説く。それこそが人格を完成していく方途なのだ。

第二回は、様々なたとえをもって語られる「真の自己に目覚めること」の大事さを解き明かす。

 
第3回 「永遠のブッダ」が示すもの
【アンコール放送】
2019年11月18日(月)午後10:25~10:50/Eテレ
【アンコール再放送】
2019年11月20日(水)午前5:30~5:55/Eテレ
2019年11月20日(水)午後0:00~0:25/Eテレ
【放送時間】
2018年4月16日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2018年4月18日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2018年4月18日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
植木雅俊(仏教思想研究家)
【朗読】
余貴美子(俳優)
【語り】
三宅民夫

その場でたちどころに覚りを得る女性や悪人、大地の底から湧き出してくる菩薩たち……劇的なドラマが繰り広げられる法華経の中盤。

神話的ともいえるこれらの表現は、これまでの常識的な価値観をゆさぶり、全く新しい価値観を受け容れる地ならしをしようとした表現だという。

その上で明かされるのは、釈迦が四十年数前にブッダガヤで成仏したのではなく、気の遠くなるようなはるかな過去にすでに成仏していたという驚愕すべき事実。

そこに込められているのは、様々な形で説かれてきた無数の仏たちを一つに統合し、釈迦という存在の中に位置づけることで、これまでの仏典全てを包摂しようという意図だという。

第三回は、法華経に説かれた「永遠のブッダ」が示す奥深い意味を明らかにしていく。

第4回 「人間の尊厳」への讃歌
【アンコール放送】
2019年11月25日(月)午後10:25~10:50/Eテレ
【アンコール再放送】
2019年11月27日(水)午前5:30~5:55/Eテレ
2019年11月27日(水)午後0:00~0:25/Eテレ
【放送時間】
2018年4月23日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2018年4月25日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2018年4月25日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
2018年4月30日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
2018年5月2日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2018年5月2日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
植木雅俊(仏教思想研究家)
【朗読】
余貴美子(俳優)
【ゲスト】
安部龍太郎(作家)
【語り】
三宅民夫

法華経後半で最も大事な章と考えられている「常不軽菩薩品」。

どんな暴力や迫害にあおうとも、ひたすら他者に内在する仏性を尊重し礼拝し続ける常不軽菩薩が、経文などを全く読めずともやがて覚りを得ていくという姿を描いている。

ここには、法華経の修行の根幹が凝縮しているという。

すべての人間に秘められた可能性を信じ尊ぶ行為こそが、自らの可能性を開いていく鍵を握っているというのが法華経の思想なのだ。

第四回は、歴史小説「等伯」を書いた直木賞作家の安部龍太郎さんとともに法華経を読み解き、理想の人間の生き方に迫っていく。

NHKテレビテキスト「100分 de 名著」はこちら
○NHKテレビテキスト「100分 de 名著」
法華経 2019年11月
2019年10月25日発売

こぼれ話。

思想書として「法華経」を読む

今回、番組で「法華経」に取り組んでみたいと思ったきっかけは、一冊の書物との出会いからでした。

「思想としての法華経」。「法華経」というと多くの宗派や教団の人たちが聖典として仰ぐ経典ですし、私たちもお葬式や法事といった場で読経を耳にすることも多いと思いますが、その「法華経」を「思想」として読むという視点にとても新鮮さを感じて手にとりました。

この著作を書いたのが、今回の講師、植木雅俊さんです。

とりわけ印象に残ったのは、植木さんがこの本の中で、若き日に「法華経」に出会ったことが鬱病から立ち直る大きなきっかけとなったと書かれている箇所でした。

なんとなく抹香くさいイメージのあった「法華経」ですが、そこに込められた思想が、人間に秘められた大きな可能性に光を当てるものであり、一人の人間の心をこんなにも揺さぶり勇気づけるものなのか、と大いに驚きました。

「法華経」は西暦紀元1世紀末から3世紀始めに成立したと推定されています。

当時のインドは、厳しい修行や哲学的な思索を出家者が中心になって行う「部派仏教」と呼ばれる教団が栄え、仏教が庶民の暮らしから遠い存在になっていました。

そこに、広く民衆を救済しようという新たな潮流「大乗仏教」が登場しましたが、今度は、厳しい批判をしようとするあまり、部派仏教の修行者だけは成仏できないという差別思想を宿すことになりました。

こうした流れの中で、大乗仏教と部派仏教との間で激しい対立が生じてしまいました。

植木さんによれば、この対立を乗り越え、これまでのさまざまな仏教をより大きな視点から統合しようとしたのが「法華経」だといいます。このような視点から、当時の思想状況や社会状況に照らし合わせて「法華経」を読み解いていくと、当時の常識では到底受け容れられないような新しい考え方や価値観を、象徴的な出来事や巧みなたとえに託してなんとか表現しようとする編纂者たちの意図が明らかになってきます。

そして、その一つひとつを解読すると、その中核には、「釈迦がもともと説こうとしていた仏教の原点にたちかえれ」という力強いメッセージがこめられていることがわかります。それは、さまざまな因習に縛られ見失われそうになっていた「人間自体を尊重する人間主義の思想」だと、植木さんはいいます。

なぜ「法華経」が大乗仏典の中でも「諸経の王」と呼ばれ、広くアジア諸国で最も信奉されてきたのか。

そして、日本でも、聖徳太子、最澄、道元、日蓮、宮沢賢治ら多くの人々に巨大な影響を与え、「今昔物語」「源氏物語」「枕草子」といった文学や日本文化の底流に脈々とその精神が流れ続けているのはなぜなのか? 

植木さんの解説によって経典の本質が紐解かれていく中で、その大きな要因の一つが、この力強い「人間主義」にあったのではないかということが少しずつ見えきたのでした。

もう一つ、大きなことを学びました。

釈尊がもともと説いた、人類初ともいうべき普遍的な平等思想でさえ、権威主義や組織防衛のために歪められ、歴史の中でその内容が改竄されていったという事実です。

「法華経」を読むことは、そうした改竄の恐ろしさや原点を取り戻すことの大切さを学ぶことにもつながっていきます。

排外主義の横行、頻発するテロや紛争など、憎しみや対立の連鎖からなかなか抜け出せない現代、「法華経」を読み直すことで、「差異を認め合い、共存・融和を目指していく知恵」「自己に眠る大きな可能性を開いていくには何が必要か」などをもう一度学び直したいと、あらためて痛感しています。

 


水墨の詩  傅益瑶 (著)

2024年05月13日 11時20分10秒 | 社会・文化・政治・経済

あなたはまだ傅益瑶を知らない⁈

――水墨画家・傅益瑶(ふ・えきよう)の初の作品エッセー集。

父は中国画壇の巨匠・傅抱石。

幾多の風雪を越えて日本に留学。

平山郁夫氏、塩出英雄氏といった名だたる画家に薫陶を受け、中国伝統文化を礎に、水墨画の新境地を拓いてきた。

比叡山延暦寺、鶴岡八幡宮をはじめ各地の寺社に絵を多数奉納するほか、松尾芭蕉シリーズ、日本の祭りシリーズ、小林一茶シリーズなど、独自の世界観を築いている。

「老」の喜びを知る人は終わらない青春を生きる。

人生の円熟の美と中国の伝統文化の神髄に触れる一冊。

世界を平和に導く「芸術」と「祈り」

著者について

傅益瑶(ふ・えきよう) 水墨画家。1947年、中国・江蘇省南京市に、傅抱石の第五子として誕生。
79年、中国教育部の国費留学第一期生として来日。
創価大学で日本語を学ぶ。
81年には武蔵野美術大学大学院で塩出英雄氏に師事。
83年、東京藝術大学平山郁夫研究室に入り、研究生として敦煌壁画の研究と日本画を学ぶ。
ニューヨークの国連本部や 中国美術館をはじめ、国内外で個展を数多く開催し、テレビ番組にも出演。
中国国務院から「第5回中華之光賞」、日本政府から令和3年度「文化庁長官表彰」が授与されている。
 
 

この<仏教東漸図>をはじめ、大原三千院に奉納された<三千院四季図>、曹洞宗の大本山・永平寺に収められている道元禅師の生涯をモチーフに描いた<祖道傳東そどうでんどう>などの制作当時を振り返ったエッセーも収録されています。

「日本の祭り」シリーズでは、水墨画家としての筆が面目躍如するとともに、傅さんの日本文化に対するユニークな眼差しが光ります。

日本人にとっては日常の中に溶け込んでいる祭りですが、そこには土着性と世界性が常に調和してきた日本文化の特徴が息づいていると傅さんは語ります。

 歴史上、日本が大きな転換点を迎えた時でも、日本人が決して自分たちの伝統を極端な形で捨て去ることをしなかったのは、こうした日本文化の特徴が精神の地下深くに脈打っているからではないでしょうか。そして、これこそが今の世界で強く必要とされている文化であるはずです。(本書「神々との戯れ」より)

 

ブックデザインの楽しみも

 本書には、紙の本ならではの工夫や装丁家の〝技〟が随所にちりばめられています。装丁を担当したのは、あの矢萩やはぎ多聞たもんさん。学術書から絵本まで、さまざまなジャンルの本を手がけてこられた装丁家です。

 カバー絵の<仏教東漸図>の上に踊る本書のタイトルは、矢萩さん独自のフォントによって書かれたもの。著者の傅さんは、斬新なフォントを用いつつも見事に絵と調和させる矢萩さんの〝技〟を大変に気に入っておられました。

 本書を開くと<仏教東漸図>を観音開きにして鑑賞できるようになっており、巻末には傅さんが愛用する落款印を一部紹介しています。そのほか、略年譜、仏画の主な奉納先も収録されています。

 30代で来日し、70代を迎えた今もなお、ほとばしる生命力と飽くなき探求心で、創造への意欲を燃やし続ける傅さん。

文化・芸術への貢献に自身の使命を見出した、終わらない青春を生きる画家・傅益瑶の生き方は、世代を問わず、多くの人の心を強く揺さぶるはずです。

傅さんは「仏教徒ではない自分がどのような姿勢で仏教画を描けばいいのだろうか」趙 樸初会長に尋ねた。

これに対して、「あなたは自分と一緒に他人を苦難から救い出したいという祈願の心があるかどうかです」と教え諭した。

これが<大乗>の精神性を示すものであった。

確かに中国では宗教を持たない人が圧倒的に多いかもしれない。

しかし、中国の人々の心の奥深いところに宗教的なものはあるはずだ。

何といってもインドから伝わった仏教は中国で大きく開花し、それが日本に伝えれてわけである。

宗教的DNAのようなものは、中国の人々の心の深い部分に流れているだろう。

趙 樸初(ちょう ぼくしょ、1907年11月5日 - 2000年5月21日)は、中国の政治家、書道家、仏学家、作家、社会活動家

 

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傅益瑶(ふ・えきよう)

『水墨の詩』傅益瑶 著
発行:鳳書院
定価: 2,700円+税
〈内容〉
はじめに/1章 中国で過ごした日々/2章 留学生として日本へ/3章 水墨画の可能性を拓く/付録(傅益瑶用印・略年譜・主な奉納先)/おわりに