第234回の演歌ライブへ行く

2024年10月30日 19時23分51秒 | 社会・文化・政治・経済

東京演歌ライブ かつしか Vol.234
テイチクアワー~メンズ歌謡決戦!イケオジvsイケメン~

リリオホール 10月30日(水)13:30開演

家人のカラオケ仲間と行く。

昨年も行ったが、この日は早めに行き、亀有の街を散策した。

 

 

東京演歌ライブかつしか 234回2024年10月30日亀有リリオホール終了後の半田浩二 浜博也 松原健之たちの握手会

公演内容

ベテランの渋さvs新星の爽やかさがぶつかる!魅惑の歌声対決


出 演

半田浩二/浜 博也/松原健之/東京力車/新☆ハッピー&ブルー


主 催:東京演歌ライブ実行委員会

全席指定


仏法とは何か?

2024年10月30日 09時40分32秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

法華経の万人成仏に基づき、人々の尊厳性・尊極性・平等性を開花する思想である。

その主役を担うのは、人間から離れた超越者ではなく、現実の世界の中で、社会の中で、地域の中で実践を繰り広げる師弟である。

弟子も、師と同じ実践を共有し、目覚めた民衆を一人でも多く誕生させていく。それが「民衆仏法」である。

使命を自覚した民衆自身が主役となり、民衆の勝利を開いていく「人間の宗教」なのだ。

一人一人が主体者となって「人間革命」に挑み、世界の各地に「仏法の思想」を広げていくことなのである。


学ぶこととは「人生を楽しむ」ため

2024年10月30日 08時47分25秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力
今、本を読むということ―本を読む意味を改めて考える
 
変動性、不確実性、複雑性、曖昧性の時代と言われている。
価値観が多様化し、目まぐるしく変化していく社会で<信じるに足るものは何か>を模索する。
本を読むことは、人生の「模範」を得ることでもある。
 
<真の大学とは、書物が集まっている場所である>思想家・カーライル
 
建物も資格でもなく、書物を読み偉大な思想に触れることで、学問は成り立つ。
「読書は、人生にとって最大の趣味の一つである」
 
「推し」を推すことは、自分自身の生きる力を推進すること―南海子「推し」の科学
 
「好き」言語化が溜まってゆく。
それに気づけば、丸ごと自分の価値観や人生になっている―三宅香帆「好き」を言語化する技術
 
読書は「趣味」ばかりではなく「生き方」「人生」そのものではないだろうか。
 
私たちは今、どこにローモデル(規範)を見いだすことができるのか。
さまざまな書物にその可能性がる。
何かに夢中になるそれは「衝動」でもある。
自分自身の「衝動」を認識していれば、学び、教養は長続きできる。
そして深堀もできる。
それが、世界の見え方を変えるキーワードともある。
 
「学ぶ」ことの意味は、次のようなものがあります。
  • 知識や技芸を身につけること
     
  • 経験を通して知る
     
     
    自分自身を開発するための手段
     
    異なる分野やスキルを身につけ、将来の選択肢を広げること
     
    言語能力・計算能力・思考力・理解力・発想力・表現力などの能力を身につけること
    「学ぶ」の語源は古語の「マナ(真似)」で、「まねる」という意味です。手本をまねする意味を含む点で、「勉強する」とは微妙に異なると言えます。
「学ぶ」ことの価値としては、次のようなものがあります。
  • 「学んでよかった」という満足感
  • 「学んだことが役に立った」「問題解決する力が付いた」という達成感、成就感
  • 「学びが社会のニーズにつながった」「自己の成長の確認になった」などの有用感
     
    勉強する意味とは? 人生における学びの重要性と効果を解説
2024/08/07 — 学ぶことは、私たちが成長し、自分自身を開発するための貴重な手段です。 たとえば勉強を通じて異なる分野...
 
 
学ぶ(まなぶ) とは? 意味・読み方・使い方 
学ぶ(まなぶ)とは。意味や使い方、類語をわかりやすく解説。《「まねぶ」と同語源》[動バ五(四)]1 勉強する。学問をする...
 
 
 
「勉強」の意味とは? なぜ勉強するのか深堀りしてみた
2021/10/15 — しかし『語源海』によると、「学ぶ」の語源は古語の「マナ(真似)」。 聞いたことがあるかもしれませんが...
 
 
 
 

占領下から日本独立回復

2024年10月30日 08時41分17秒 | 社会・文化・政治・経済
日本は、1952年(昭和27年)4月28日にサンフランシスコ平和条約が発効したことにより、約7年間の占領下から独立を回復しました。
 
サンフランシスコ平和条約は、1951年9月8日にアメリカなど連合国48か国との間で調印されました。この条約により、日本は国家主権が承認され、国際社会に復帰しました。
 
条約の内容は次のとおりです。
  • 日本が朝鮮の独立を承認する
  • 台湾・澎湖島、千島列島・南樺太を放棄する
  • アメリカには、沖縄・小笠原諸島における施政権が認められる
     
     
また、日本とソビエト連邦の交戦状態は、1956年(昭和31年)10月19日に調印された日ソ共同宣言により解消されました。

朝鮮戦争と特需

2024年10月30日 08時31分43秒 | 社会・文化・政治・経済
 
戦災によって壊滅的な打撃を受けた日本の経済は、平和の到来とともに復興への道を歩み始めたが、それは平坦なものではなかった。
昭和二十四年(一九四九)のドッジラインの強行は金づまり不況をもたらし、市民生活を脅(おびや)かした。
 豊橋市では、税収が落ち込み、中小企業の倒産、閉鎖が続出した。操業を続けた企業でも、労働者への賃金の遅配は一般化している状況であった。失業した人たちは職を求めてさまよった。職業安定所では求職者の二割程度しか斡旋(あっせん)できない状態が続いた。
ドッジ・ラインとは、戦後日本の悪性インフレを鎮静化させるために、GHQ経済顧問のジョセフ・ドッジによって立案・実施された財政金融引き締め政策です。
 

3/7は昭和24年に「ドッジ・ラインが発表された日」。

映像は同政策の下、失業者の増加に悩む昭和25年の日本。職業安定所には人々が大殺到。職にあぶれ、思わず窓口で泣き出してしまう人も…

ドッジ・ラインは、GHQの経済顧問となったデトロイト銀行頭取ドッジが立案した、戦後日本の悪性インフレを鎮静化させるための財政金融引き締め政策。緊縮・均衡予算と1ドル=360円の単一為替レート設定などにより、財政の立て直しと、国際通貨体制へのリンクを図った。結果、それまでのインフレは収束したが、代わりに深刻なデフレ不況が発生し、失業者が増大し、企業の倒産も相次いだ。

 
ドッジ・ラインの主な政策は次のとおりです。

緊縮・均衡予算の実施

1ドル=360円の単一為替レートの設定
 
このような経済情勢のもとで昭和二十五年(一九五〇)六月、朝鮮戦争が北緯三八度線で勃発した。
日本は国連軍の出動部隊の基地となった。
軍需物資を中心とする特需(とくじゅ)は、低迷していた日本経済に活気を与え、とくに大企業はその恩恵を受けた。
中小企業が多い豊橋でも特需景気の影響を少しずつ受け、工場操業率が四七%増となり、立ち直りの兆しを見せてきた。そのなかでも、機械・金属工業の立ち直りは顕著であった。
 豊橋商工会議所は戦争特需にわくこの年、産業の振興を円滑にはかるために、工業委員会や金融委員会、貿易委員会などの委員会活動を活発に繰り広げた。
翌二十六年には、将来の豊橋経済界を担う青年経済人を結集して豊橋青年会議所を設立した。
また、戦後の豊橋の新産業としてめざましく躍進した菓子業界は「豊橋菓子祭り」を企画し、販路の拡大をはかった。
 このように、豊橋の経済界も徐々にではあるが、活気を取り戻しつつあった。しかし、昭和二十六年七月、朝鮮半島での戦いも休戦の気運が高まり、開城で休戦会談が開かれた。
この和平への動きのなかで繊維相場は大暴落し、豊橋の中心産業である紡績工業の痛手は大きかった。企業は合理化や製品の品質向上に努め、商工会議所は商品見本市の開催やPRに懸命の努力を払った。また、二十七年には、中小企業の金融難打開のために、商工会議所を中心に豊橋商工信用組合を設立した。
 昭和二十八年(一九五三)七月、ついに板門店で休戦協定が調印され、三年間にわたる朝鮮戦争は終わりを告げた。この休戦協定調印にともない、不況は繊維工業だけにとどまらず、鉄鋼や機械工業にも及んだ。
大企業は政府の援助のもとに生産規模を拡大していったが、中小企業は大企業に圧倒され、あい次いで倒産に追い込まれた。豊橋の有力企業のなかにも、大企業の傘下(さんか)に入ることによって経営の立て直しをはかるものもあった。

冷戦時代

2024年10月30日 08時20分54秒 | その気になる言葉

冷戦時代とは、1947年から1991年にかけて、アメリカ合衆国とソビエト連邦を中心とした東西陣営の対立が続いた時代のことを指します。この時代は核兵器を保有する両国の軍事的な緊張や政治的な対立が続き、世界中を覆う影響を与えました。

冷戦時代の始まりは第二次世界大戦後の東西陣営の対立から始まります。

アメリカ合衆国とソビエト連邦は、戦後の世界の覇権を巡って争い、両国のイデオロギーの違いや軍事力の拡大などが対立を深めました。冷戦時代は、経済や文化、宗教などの面でも東西の対立が続き、世界中に影響を及ぼしました。

冷戦時代は、核兵器の開発や軍拡競争など、両陣営が互いに牽制し合う状況が続きました。核兵器を保有することで相互に威嚇し合い、世界中に緊張感を広げました。また、冷戦時代は、スパイ活動やプロパガンダなど、様々な手段が使われた時代でもありました。

冷戦時代の終焉は、1985年にミハイル・ゴルバチョフがソビエト連邦の指導者に就任し、ペレストロイカやグラスノスチによる政治改革が行われたことがきっかけとなりました。ソビエト連邦の崩壊や東欧革命などが起き、冷戦時代は1991年に終結しました。この時代の影響は現代にも続き、国際政治や安全保障の分野においてその影響が色濃く残っています。