難治性精神疾患に対する DBS 療法─世界の現状とわが国の課題
東京女子医科大学脳機能外科 平 孝臣(臨床教授)
パーキンソン病をはじめとする不随意運動の原因となる疾患に対して、原因の精査を行うとともに内科的な治療での治療困難な場合などによっては標的となる神経核に対して、定位的脳手術(ステレオタクティックサージャリー)による治療を行っております。
:精神疾患に対する脳神経外科治療(neurosurgery for psychiatric disorders:NPD)を行う脳神経外科医の大半が属する国際定位機能神経外科学会(WSSFN)の会長として,WSSFNでのNPDへのコンセンサス,スタンス,課題,および国際的現状を紹介する。
WSSFNでは少なくとも現時点ではすべての NPD を「研究段階の治療」とみなしている。FDA や CE の承認を背景に企業などの関与があり,純粋な医学的見地からは疑問視する声もある。
したがってこれらの承認をもって一般医療とはみなしていない。
「研究段階の治療」ではある一定のstudy protocolのもと,各国,各施設でのIRB
などの承認が必須で,患者や社会も「研究的,実験的」治療と認識しておく必要がある。多くの倫理規定やガイドラインがあるが,精神科医,脳外科医を含む複数の専門分野の十分経験のある医師の関与が必須である。
このような条件下の研究は,難治性強迫神経症(OCD),難治性うつ病(TRD)が代表的であるが,アルコールを含む薬物依存,神経性食思不振,アルツハイマー病などもにも拡大している。
一方WSSFNの原則に則らず,十分な情報開示もないまま,統合失調症,薬物依存,衝動的
な攻撃性などに対して凝固術を行っている国もある。
しかしこれらにはLevel 1のエビデンスはなく,安全性と有効性がLevel 2の段階で,今後さらに科学的検証が必要である。
DBSが可逆的で盲検可能で科学的アプローチが可能ということで注目を浴びているが,北米では現在も NPDに関与する脳神経外科医の半数が凝固術を行っている。
薬物治療などの既存の治療の効果を評価する尺度で,同様に重度の OCD や TRD に対する DBS の効果を検討した場合,未だに完全ではないが,十分有望な効果が認められており,今後本邦でも看過できない領域である。
日本生物学的精神医学会誌 24(1): 11-21, 2013
脳内の特定の部位に電極を留置し植込み型電気刺激装置を用いて慢性的に電気刺激を行うという脳深部刺激術(deep brain stimulation:DBS)は,1970年代から難治性疼痛の治療として51,65),1990 年代からは振戦60),パ-キンソン病17,23),ジストニアの
治療37,69)に応用され,現在では本邦でも確立された治療としてその大半が健康保険適応となっている。
DBS の実際については本特集に杉山が詳しく述べているが,刺激を on/off することによってその効果が可逆性であること,刺激による副作用などをほとんど破壊しないことなどの理由で,従来から難治性疼痛や不随意運動に対する治療として行われてきた定位脳手術による視床などの凝固術に大きくとってかわるようになった。
精神疾患に対しては前頭葉切截術や(主として心理学者や精神科医による)極めて非倫理的かつ実験的な手術29)の消退後も,より焦点を絞った内包前脚26,49)や帯状回5,14)に対する限局的破壊術40)がいくつかの国々で脈々と行われ,国際的にも 1980 年代までさかんに討議が続けられてきたてきた43)。
不随意運動の機序解明と新たな治療の進歩が両輪となって,不随意運動には大脳皮質─基底核─視床(Cortico─ Basal ganglia─ Thalamic:CBT)サーキットの機能異常が存在し,手術操作がこの CBT サーキットの機能異常を是正するという考えが一般的になった。
同様に精神疾患もこのような CBT に準じたサーキットの機能異常としてとらえられるという考え 1 8,3 5,4 5)から,DBS を難治性強迫神経症
(treatment resistant obsessive compulsive disorder:TR─
OCD)や難治性うつ病(Treatment resistantmajor depression: TR ─ MD)の治療に応用するということが 2000 年前後から海外で研究されはじめ54,55),現在では数多くの報告が見られるようになった2,16,25,27,33,57)。
一方本邦ではこのような治療に対して実際面や倫理面からの検討24,34,53,66)はわずかながら行われているものの,実際の臨床研究はいまだ皆無である。
筆者は 2009 年から以上のような手術治療を専門筆者は 2009 年から以上のような手術治療を専門的に討議する国際定位機能神経外科学会(The World Society for Stereotactic and Functional
Neurosurgery,www.wssfn.org)の会長を務めている。
本会は人での定位脳手術を確立した Spiegel とWycis によって 1961 年に創設され,脳神経外科のsubspecialty としては最も古い歴史を持っている。
WSSFN では過去の歴史的背景を踏まえた上で,今後の精神疾患に関する外科治療のあり方や研究の進め方を,国際的に討議し方針を出していくことを重要視している。
このため 2009 年にベルギーの Bart Nuttinを委員長とする精神疾患に対する外科治療に
関する委員会を結成し,精神科医や倫理学者も交えて,精神疾患に対する脳神経外科治療について,歴史29,57),手術手技,適応や効果,倫理面の問題点10,20,41,63)など多くの観点から検討を重ねてきた。
難治性うつ病に対する効果
難治性うつ病(Treatment resistant depression:TRD)に対しては OCD と同様に様々な脳内ターゲットに関する研究がある。
すなわちSubgenual cingulate gyrus(Area 25),VC/VS,NA,ITP,外側手綱核である。
この中で,NA の DBS の効果はやや劣るものの,症状の改善率は43~68%,寛解率は9~100%とばらつきがある。
対象症例が,うつ病が2年以上継続している,あるいは,これまでに4回以上の発症歴を持つ,電気けいれん療法を含む他の治療がすべて無効,異なる4種類のうつ病治療を使っても,効果がみられないという難治例65)における結果として,このような効果を有望視するか不十分とするかは意見が分かれるところである。
OCDでもTRDでも,どの刺激ターゲットが最も有効かということについてコンセンサスは得られておらず,混沌とした状況である。
しかしこれらは medial forebrain bundleに関係した領域で,もっとも重要な構造はこのmedial forebrain bundleではないかという考えもある12,13)。
パ-キンソン病に対する定位脳手術のターゲットも 1970 年代には各施設がそれぞれ独自のターゲットを用いていた38)が,現在のように視床 Vim 核,視床下核,淡蒼球内節の3ヵ所にしぼられ,それぞれの利点欠点が明確にされるのに 20 ~ 30 年かかったという経緯がある。
現在尾状核や VS がより OCD に有効で,NA はより TRD に有効であるというような所見3)も報告されつつあり,少しずつではあるがターゲットが定まっていく方向に研究が進められてくと考えられる。
その他の研究対象
OCDとTRD以外の実際に行われている臨床研究
には Tourette’s 症候群50,58,59,67),薬物中毒44,62,68),タバコ依存47,71),アルコール中毒36,52),神経性食思不振4,72),アルツハイマー病39,61)などがあげられる。
これらの中にはTourette’s症候群のように科学的アプローチがなされているものもあるが,時期尚早あるいは不適切という考えも根強くある9,61)。
アルツハイマー病に関しては北米ですでに 60 例を対象と
した脳弓近傍の DBS で多施設ランダム比較対照試
験が開始されており,今後の結果が注目される。
倫理的側面
精神疾患の外科的治療は過去に暗い歴史を持っており,その反省から現代的な倫理面での配慮が特に的確になされることが基本である。
ただしこれは現在のすべての医学研究に共通している問題でもある。
国内外でもこのことは当然広く議論されている。
現在ほぼ全ての研究では各施設でのIRB承認にあたり,本人の同意が必要であること,本人が同意に関する諸条件を理解できる能力があること,第三者による専門グループが個々の例について 1 例ごとに検討して外科治療の inclusion criteria に合致するかを検討することなどが最低限必須とされている6)。
すなわち OCD や TRD などを包括的対象ととらえて認可するのでないという点が重要である。
しかし各施設の独自のIRBのみの判断でよいのかというということも社会的に議論されな
ければならないであろう。
また一方で,人間の精神状態を,たとえ病的状態であろうとも,外科的手段
によってコントロールするということが許されるのかという根源的疑問や批判もあることを忘れてはならない。
薬物治療に抵抗する難治性不随意運動を外科的に治療することとどこが違うのか,精神疾患の薬物治療や ECT などと根本的に何が異なるのか,という議論にもつながる。
たとえば,美容外科手術について,親からもらった身体にメスを入れるのはとんでもないという価値観の人もいれば,本人の納得と希望があればかまわないのではないかという考
えの人もおり,これらの意見のどちらが絶対的に正しいかという結論を得ることは困難である。
同様に,精神疾患であっても外科的な方策で一縷の期待を託して苦しみから逃れたい,たとえ研究段階でも研究に協力しこのような領域の発展に貢献したいと真摯に考える患者もいれば,自分は決して外科的な治療を受けたくない,ましてや研究の対象とされたくな
いと考える患者もいるであろう。
重要なのはこのような個々人それぞれの考えや希望を十分尊重することであろう。
第三者が自分独自の画一的な考えをおしつけ包括的に否定することは,病気をかかえる患者個人の自己選択権を剥奪しているようなものではなかろうか。
患者個人の意思という観点から,精神疾患ではこのような判断能力が十分備わっているか
どうかの検討も重要な課題である。
このように現在の精神疾患に対する外科治療の研究はすべて「病気による苦悩」を抱えている患者のみを対象にしている。
それを拡大解釈して健常者の気分不調や精神状態の改善,あるいは,いわえる政治的,社会的な目的でのmind controlに用いてはならないことは当然である。
過去の暴走
精神疾患に対する DBS のような新しい治療が出現してきた場合に,それを推進する立場の者への批判としてよくあるのは,単なる科学的興味・好奇心のため推進している,アカデミズムの中での功名心や論文・学術発表のためのインセンティブのため推進している,というものである。
日本ではたとえOCDやTRDに対して海外のこれまでの例に従って
DBS を行ったとしても,国際的アカデミズムの中での価値はほとんどない。
これはかつての本邦の心臓移植と同様である。「目の前にいる患者を自分の持つ技術で救いたい」という医の根源的・本能的な純粋な気持ちが伝わりにくく,受け入れてもらえにくいのは,過去に多くの誤った暴走があったからであろう。
脳内の様々な部位を植込み電極で刺激して「幸福をもたらす」「同性愛者を矯正する」「遠隔操作のmind control」などの実験目的で脳外科医の関与なしに心理学・神経生理学者や精神科医が独自に人体実験とも言えることを行っていた時代がある1,29)。
ロボトミーを数多く行ったFreemanや広瀬も脳神経外科医ではなく,精神神経科医であった53)。
現在 WSSFN では NPD を議論する場合に必ず精神科医や倫理学者などに加わってもらっている。
しかし逆に,精神科医のみの判断で DBS のガイドラインを作成するような動きもあり,多専門分野の専門家の関与という原則が守られていない56)ことも監視していく必要がある。
まとめ
精神疾患に対する DBS を含む外科治療はその技まとめ術的進歩と精神疾患を生物学的にとらえるという考え方によって,国際的にはこの 10 余年で様々な新たな知見を生み,将来への展望がさらに開かれようとしている。
また,このような進歩にともない倫理的,社会的な側面からもさらに冷静な判断を迫られ
る状況となっている。
本邦では 2012 年 9 月の日本生物学的精神医学会でこの数十年来はじめて精神科医が主導してこの問題に取り組む場が持たれ,もはや日本でも精神疾患に対する外科治療について「見ざる,言わざる,聞かざる」ということでは済まされない時代に入ったものと思う。
筆者は 1990 年に「精神外科を再び考える」という拙文を著わした64)。
この中で,「正しい知識にもとづいて議論がなされ,責任ある判断のもとに社会的な合意を得ることがもっとも重要」と記した。
このことは 20 余年経過した現在でも何ら変わっていない。科学的アプローチと社会のコンセンサスという場合に,科学的とは何か,コンセンサスとは何か,そして疾患とは,病的とは何か,というような内容にまで踏み込んだ深く冷静な議論を今後期待したい。