編集委員・大久保真紀 2019年3月25日朝日新聞社
虐待による死亡事件が後を絶ちません。児童相談所で働く児童福祉司の数が不足し、その質も問われています。児相の専門性を向上させるために、子どもと家庭福祉に特化した新しい国家資格「子ども家庭福祉士」(仮称)を創設するべきだとの意見が専門家から出ています。どんな専門性が必要で、なぜ国家資格が必要なのか。みなさんと考えます。
「子どもへの知見 不可欠」
父親から虐待を受けていた千葉県野田市の栗原心愛(みあ)さん(10)が亡くなってから約2カ月がたちます。
こうした虐待死事件が起きるたびに児童相談所の専門性が問題にされます。今回も、千葉県柏児相が強圧的な父親の要求に屈して心愛さんの一時保護を解除して自宅に帰し、その後は家庭訪問もしていなかったことが明らかになっています。その対応は、問題があったと言わざるを得ません。
ただ、千葉県では虐待の対応にあたる児相の児童福祉司は全員が福祉職など専門職として採用されています。全国では約24%が一般行政職からです。
また、柏児相にいる児童福祉司43人のうち半数以上の22人が、国家資格である社会福祉士資格をもっています。社会福祉士資格をもつ児童福祉司の割合は全国では約4割なので、柏児相の態勢は比較的整っていたと言えます。児童福祉司1人当たりの担当ケースも平均約44件で、20件前後の欧米の2倍以上ではありますが、他の児相と比べて特段多いわけではありません。ですが、心愛さんを守ることはできませんでした。
こうした状況に、専門家からはいまの児童福祉司の養成システムを抜本的に変える必要があるとの声が上がっています。鈴木秀洋・日本大危機管理学部准教授(行政法、児童福祉行政)もそのひとりです。
東京都文京区子ども家庭支援センター所長の経験もある鈴木さんは「野田市の事件を見ると、自分の仕事が子どもを守る仕事だという意識がどれだけあったのかと疑問に思う。子どもの心の声を拾おうともせずに親元に帰すなど、プロ意識に欠ける」と指摘します。「悲劇を繰り返さないためには、発達やDV理解など子どもに向き合う専門的知見を有する職員配置は不可欠だ。過渡期の手当ては必要だが、国家資格化の道が求められる」と主張しています。
保護と親支援 相反する機能
そもそも児相の虐待対応とは、どのようなものなのでしょうか。
虐待通告があれば、48時間以内に児童福祉司らが子どもに会って安全を確認し、危険だと判断した場合は、親の意に反しても子どもを保護します。原則として一時保護は2カ月までで、その間に、子どもや親との面会を重ね、子どもの心身の状況、生活環境、家族内の人間関係、親の成育歴などさまざまなことを調べ、親によっては指導や支援をしながら、子どもの生活環境を整えます。その上で、親元に帰せるのか、施設などに入所させて親子を分離するかを決めます。親が施設などへの入所に反対した場合には、家庭裁判所に申し立てます。
また、保護までは必要ないケースや一時保護を解除したケースについても、地域や学校などと連携して家庭訪問をするなど、子どもが心身ともに安全に安心して生活できているかを確認しなければなりません。
児相は、子どもを守るためには親と対立しても一時保護をする一方で、親の抱える問題を理解し、支援もしなくてはなりません。その相反する機能を果たすには、高度な専門性が必要なのです。
しかし、児童福祉司の任用要件は必ずしも高い専門性を求める内容にはなっていません。児童福祉法によって①知事の指定する養成学校を卒業または指定講習を修了②大学で心理学か教育学もしくは社会学を専攻し、保健所や児相などの指定施設で1年以上の相談援助業務に従事③医師④社会福祉士⑤大学で社会福祉関連の3科目以上を履修するなどすればなれる社会福祉主事として2年以上児童福祉事業に従事し、指定講習会を修了⑥前各号と同等以上の能力を有すると認められる者――などとなっています。全国に約3200人いる児童福祉司の内訳は①8%②32%③0%④41%⑤8%⑥11%です。
現行の任用要件は不十分として、児童福祉司のあり方を抜本的に見直し、子どもと家庭福祉についての専門職を児童福祉司に任用するべきだという意見が、専門家たちから出ています。
虐待に特化 国家資格を
これに対して、日本社会福祉士会や日本医療社会福祉協会など関連5団体は新たな国家資格創設に反対を表明しています。日本社会福祉士会の西島善久会長は「児童福祉司(の任用要件)について、いまある国家資格の社会福祉士か精神保健福祉士を必須にすれば対応できる。その方が効果的・効率的で、即効性がある」と話し、専門的知識や技術の向上に必要な研修の充実を訴えています。
一方、長年虐待問題に取り組んできた西澤哲・山梨県立大教授(臨床福祉)は「この10年で社会福祉士が児童福祉司に占める割合は増えてきたが、児相の機能が改善したという話は聞いたことがない。研修の上乗せで本当に専門職が育つのか」と疑問を呈します。現行のカリキュラムでは、社会福祉士の国家試験受験に必要な22科目1200時間のうち、子どもや家庭福祉制度に関するものは1科目30時間だそうです。西澤さんが教える学科では、学生が子どもや家庭についてはその4倍の4科目120時間を学びますが、それでも児童福祉司が務まるレベルにはならないと西澤さんは話します。
西澤さんは、児童相談所の中で監督・指導する立場のスーパーバイザーと呼ばれる児童福祉司の研修を2年間担当した経験からこう言います。「研修は否定しないが、研修以前の問題がある。たとえば県立病院の医師は、『公務員』より『医師』という意識をもっていると思うが、児童福祉司の場合は多くが『公務員』意識の方が強く、専門職としての意識が低い。これは研修では変えられない」と話します。
さらに、いまの社会福祉士は、制度運用についての専門家であって、子どもや家庭福祉の専門家ではないと言います。米国の児相などでは虐待に特化したソーシャルワーカーが働いています。
西澤さんは「精神の問題に特化した精神保健福祉士の国家資格があるように、虐待の問題も、子どもや家庭福祉に特化した資格をもつ、専門性のある人材が必要だ。大学などでの教育カリキュラムから変え、児童福祉司の質のスタートラインを上げる必要がある」と国家資格化の必要性を唱えています。「時間がかかるとの意見はあるが、いま始めなければ、第2、第3の心愛さんが出てくることを手をこまぬいて見ていることになる。社会として腹をくくる時だと思う」と語っています。
相次ぐ死亡事案、構造的問題(才村純・東京通信大教授)
私はもともとは大阪府児相の児童福祉司で、旧厚生省の専門官を経て研究者になりました。
自分の経験を言うと、万引きを繰り返す小学生がいて、警察から山のような通告書が送られてきたことがありました。超こわもての父親は児相の呼び出しに全く応じません。家庭訪問すると「何しに来たんや」と反発するだけでした。他の職員から大丈夫かと心配されながらも、2週間に1回訪問を続けると、父親は少しずつ心を開き、1年後には子どもを心理判定に連れて来てくれました。
一時保護もそうですが、児童福祉司の揺るぎのない姿勢に、親は諦めとともに信頼感を抱くようになることが往々にして起こります。児童福祉司に必要なのは「専門的人格」とも言うべきもので、単なる知識や技術ではなく、経験の中で人格を磨いていかなくてはなりません。研修で身につくものではありません。
児童福祉司は最低でも社会福祉士資格をもっているべきだと考えますが、それでは不十分です。社会福祉士の専門性をなす原理は、当事者との信頼関係を基盤として、彼らの自己決定を側面支援することです。しかし、虐待対応は全く異なります。
虐待は、当事者の意図とは無関係に通告などをきっかけに介入しなくてはなりません。時には、保護者の意に反しての調査や一時保護などの強制的介入が必要になります。さらに、虐待のリスクなど客観的なアセスメント力が必要です。こうしたことは社会福祉士の包括的なソーシャルワークにはない要素です。
しかも、そのような対応をしつつも、常に子どもや保護者の悩みを理解し、それに寄り添おうとする姿勢と態度が極めて重要になります。
豊かな専門性をもつ児童福祉司は介入をしつつも、結局保護者の心をつかみ、信頼関係を築ける人が多い。やみくもに強制的に介入したり親子分離したりすることは結局親の反発を買うだけです。「最近、児童相談所は福祉警察化しつつある」と言われますが、これは児相の専門性のなさを物語るもので、憂慮すべきことです。強制的介入機能と受容的な支援機能の統合が虐待ソーシャルワークの専門性の本質であり、それは社会福祉士の専門性とは異なる高度なものです。
さらに、保護者は争う手段をもちますが、子どもは重大な権利侵害にあっても自らを救済することはできません。子どもの最善の利益を保証するには、子どもとの信頼関係を築き、意見を十分にくみ取り、代弁する高度な専門性も求められます。従前の社会福祉士以上の子どもに特化された専門性が必要なことは言うまでもありません。
今回の柏児相のケースも含め、関係機関の連携不足や見立ての悪さなど、同じような原因での死亡事案が全国で続いています。構造的な問題としてとらえるべきです。国家資格の創設が必要です。
◇
子ども虐待の問題を取材し始めて20年以上になります。当初から児相の専門性は課題だと感じ、「所長と児童福祉司を社会福祉士の国家資格をもった人にするだけでも対応が相当違ってくる」という専門家の意見を紹介して指摘してきました。
その後、2000年の児童虐待防止法制定にともなって児童福祉法が改正され、社会福祉士は児童福祉司の任用要件のひとつになりました。現在は4割がその資格をもつまでになりましたが、虐待相談は増え続け、虐待死事件も後を絶ちません。政府は22年度までに児童福祉司を約2千人増やすとしています。人数を増やしたからといって専門性が向上するわけではありません。
19日に閣議決定された児童福祉法等の改正案では、資格のあり方については施行後1年をめどに検討するなどとなっているだけです。人材の育成には時間がかかるからこそ、早急に取り組まなければなりません。あと何年待てば社会は本気で動くのだろうか。そう思わずにはいられません。(編集委員・大久保真紀)
◇
ご意見はasahi_forum@asahi.comか、ファクス03・3545・0201、〒104・8011(所在地不要)朝日新聞社 編集局長室「フォーラム面」へ。
疲弊や心理的負担で50人に1人
毎日新聞2019年11月27日
全国の児童相談所(児相)に勤める児童福祉司のうち、2018年度にうつなどの精神疾患で休職した人が、2・2%にあたる57人にのぼることが毎日新聞の調査で判明した。母数が違い単純比較はできないが、多忙とされる教員の精神疾患の休職率(0・55%、17年度文部科学省調査)の4倍にあたる。子どもを保護する際の保護者対応などに苦慮する心理的負担が背景にあるとみられ、専門家は「児童福祉司の人員増だけでは負担解消にはならない」と指摘する。【青木絵美】
毎日新聞は10月、18年度に児相を設置していた47都道府県、20政令市、2中核市の計69自治体に児…
11/27(水) 5:00配信 朝日新聞社
大阪市住吉区の小学6年の女児(12)が栃木県小山市の交番で保護された誘拐事件で、自称派遣社員の伊藤仁士容疑者(35)が自宅で、茨城県の中学生の少女(15)と女児を引き合わせた際に、少女に本名とは異なる呼び名をつけて紹介していたことが捜査関係者への取材でわかった。伊藤容疑者も偽名を使っていたとされ、女児は2人の素性を知らないまま監禁されていたとみられる。
府警によると、伊藤容疑者は11月10日ごろ、ツイッターのダイレクトメッセージで女児に接触を始め、「半年くらい前からうちに女の子がいる。話し相手になってほしい。うちに来ないか?」と誘った。伊藤容疑者は本名を女児に明かさず、自らを「せつじろう」と名乗っていたとされる。
捜査関係者によると、「女の子」は茨城県の中学生の少女だったが、女児は伊藤容疑者から「千葉から来た『きな』ちゃん」と紹介されたと話しているという。女児は伊藤容疑者がこの呼び名をつけたと教えられ、少女と1階で就寝していたと説明した。
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最終更新:11/27(水) 5:00
朝日新聞デジタル
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…容疑者の卑劣な手口 ツイッターで本名隠し接触、無人駅で下車し自宅で靴奪う
11/27(水) 夕刊フジ
大阪市の小学6年女児(12)が誘拐され栃木県小山(おやま)市で保護された事件で、未成年者誘拐容疑で逮捕された自称派遣社員、伊藤仁士容疑者(35)の卑劣な手口が明らかになってきた。本名を隠してツイッターで女児に接触、無人駅を利用して自宅に連れ込んでいた。自宅からは携帯電話の通信や通話に使うSIMカードが3枚押収されており、同様の行為が繰り返されていた可能性もある。
「親の承諾なしに女児を自宅に連れて行ったが、誘拐
しようとしたのではない」と容疑を否認している伊藤容疑者だが、ツイッターでは本名を隠し、非公開で他のユーザーとやりとりできるダイレクトメッセージ(DM)で女児に接触、女児とのやり取りでは、自宅を「東京の方」とだけ伝えていた。
2人は17日に大阪市住吉区の女児の自宅近くにある公園で待ち合わせた後、在来線を乗り継いだ。下車したのは自宅に近く新幹線や快速電車も止まるJR小山駅ではなく、普通電車しか止まらない無人駅のJR小田林(おたばやし)駅(茨城県結城市)だった。大阪府警は人目を避けるためだった可能性があるとみている。
2人は駅から伊藤容疑者の自宅まで直線距離で約2・3キロを歩いたが、周囲は真っ暗で、女児はどこにいるのか認識できていなかったとみられる。
18日午前0時ごろに自宅に着いた伊藤容疑者は、女児のスマホを取り上げ、SIMカードを抜き取っていた。靴も奪われ、食事は1日1回程度、パンやチャーハンなどを与えられるだけで、風呂も2日に1回ぐらいだったという。伊藤容疑者は銃弾のようなものをチラつかせ、女児は「怖かった」と話している。
伊藤容疑者の心理状態について、精神科医でヒガノクリニック院長の日向野春総氏は、「家という檻(おり)の中で外界と途絶させコントロールし、一緒に生活することが快感になる。悪いと思う意識よりも快感が先行してしまったのではないか」と分析する。
女児は23日午前10時ごろ、伊藤容疑者が寝ているすきに靴下だけで逃げ出したが、直線距離で約700メートルの交番にたどりつくのに約3時間半かかったという。
小山容疑者宅では、女児のほか、茨城県の女子中学生(15)も保護されたが、府警は家宅捜索で、SIMカード3枚を押収しており、過去にも同様に監視下に置かれていた人がいた可能性もある。
日向野氏は「こういったケースでは、一度味を占めると、何度も犯行を試みる場合もある。犯行をしそこなった過去もあるかもしれない」と指摘している。
11/27(水) FNN
幼い女の子ばかりを狙い、わいせつな行為を繰り返していたとみられる男が、警視庁に逮捕された。
男は、旅行先の沖縄で犯行に及んでいた。
石山恭平容疑者(37)は2019年7月、沖縄・石垣市の路上で、小学校低学年の女の子を車に誘い込み、自分の体を無理やり触らせるなどしたうえ、その様子を携帯電話で撮影した疑いが持たれている。
石山容疑者は、石垣島に旅行中で、「くわしく覚えていないが、やったことは間違いない」と容疑を認めている。
石山容疑者は、別の女の子に対するわいせつ事件で逮捕・起訴されていて、パソコンに残っていた動画から今回の事件が発覚したという。
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18歳未満被害12年の1.7倍 大阪女児、容疑者と交流
毎日新聞2019年11月27日 東京朝刊
捜査関係者によると、伊藤容疑者は今月10日ごろ、短文投稿サイト「ツイッター」で女児の書き込みを見て…
ハローワーク、わかものハローワーク、海のハローワーク(船員職業安定窓口)
ハローワーク・わかものハローワークでは、仕事の紹介をはじめ、応募書類の作成支援、自己分析のお手伝い、企業への求人内容の確認なども行っています。また、職業スキルを高めたいという方に対しては、ハロートレーニング(職業訓練)へのあっせんも行っています。すべて無料でご利用できます。
船員になろうとする方を対象とした海版のハローワークを全国の港町を中心に57ヶ所設置しており、船員の仕事に詳しいスタッフが就職の相談に応じることにより求職活動を強力にサポートしています。
個別業界での就業に関連する施策
「あふてらす」は、農業・林業・漁業に興味がある方、これから始めたい方向けの情報を発信しています。
- http://www.maff.go.jp/j/aff_terrace/index.html(農林水産省HP)
- 【農業】「体験する」「支援策を探す」などアクション別のスタートアップ情報、先輩農業者の事例などを紹介します。
- http://www.maff.go.jp/j/new_farmer/(農林水産省HP)
- 【林業】林業に関する情報収集や、研修・就業についての相談ができます。
- 【漁業】代表的な漁業の概要や就業相談会の開催情報、求人情報などを紹介します。
- https://ryoushi.jp/(外部リンク)
- 【航空業】航空業界に対する関心を高めるための共通ウェブサイトskyworksでは、 技能証明保持者が再就職した場合のキャリアパスの紹介や整備事業者の募集情報等の情報を紹介しています。
- 空の仕事に関するポータルサイト(skyworks):https://www.skyworks.info/(外部リンク)
- 【自動車整備業】自動車整備業に対する関心を高めるための共有ウェブサイト「自動車整備士になろう!」では、キャリアパスの紹介や養成施設の情報等の情報を紹介しています。
- 自動車整備士になろう!:http://jidoushaseibishi.jp/(外部リンク)
- 【連絡先】
- 就職氷河期世代支援推進室
〒100-8914 東京都千代田区永田町1-6-1 中央合同庁舎第8号館
TEL.03-5253-2111(代表)
関連会議
令和2年度概算要求 就職氷河期世代支援プログラム関連予算について
就職氷河期世代支援プログラム(令和元年6月21日)
- 【連絡先】
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〒100-8914 東京都千代田区永田町1-6-1 中央合同庁舎第8号館
TEL.03-5253-2111(代表)
愛知大学 京角 理恵
日本にとって中国はお隣の国であり、日本が最も影響を受けてきた国である。日本が初めて中国から影響を受けたのは、紀元前3~2世紀ごろに稲作が伝わったというところまでさかのぼる。
中国と日本は二千年にもおよぶ友好往来の歴史がある。しかし、近代百年の歴史はおおむね対立と抗争、侵略という暗い歴史である。
ここでは、日本が現代に入り明治政府が国を動かすようになった頃から1978年の日中平和友好条約を締結するまでと、現在の日中関係についてみていきたい。
1~7(略)
8、民間レベルでの交流の始まり
アメリカの強力な影響下に置かれていた日本の中華人民共和国との関係は民間レベルで突破口を見出す以外になかった。
1952年、高良富・帆足計・宮腰喜助の3人はソ連経由で中国を初めて訪問し、中国国際貿易促進委員会と第1次民間貿易協定を結び、民間レベルでの人的・経済的交流が開始された。
これは、日本人民の中国人民に対する感情がいかなる政治力でも左右できるものではないことを説明している。
その後も民間の交流はたえず拡大し、友好往来の発展は日中国交正常化への国民運動の発展につながった。注7
9、日中関係の危機
民間・人民の交流はさらに拡大発展していくように思われたが、1957年に岸信介内閣が成立し、日中関係は危機を迎えることとなる。
岸は反ソ反共・親米派の策謀家で、日本をアジアにおける反ソ反共の防波堤にしたいというアメリカの期待を一身に担って行動した。
一例をあげてみると、台湾・アメリカ・インド訪問の際の「中共非難」や「長崎国旗事件」注8である。陳毅副総理は「岸内閣の中国敵視はもはや我慢できない。
この結果についての責任はすべて日本政府にある。」と宣言し、この声明が合図となって、貿易関係機関はいっせいに日本側との契約を破棄し、ここ数年来民間方式によって積み重ねられてきた諸交流は、基本的に中断される事態となってしまった。注9
10、日中交流の再開
1959年から石橋湛山・松村謙三らの人々の絶えざる努力で、日中の友好は次第に回復した。
石橋・松村らが中国を訪問している間、日本国内は日米安保条約改定に反対する安保闘争が激化していた。
結果的に岸内閣は総辞職に追いこまれ、次いで池田勇人内閣が1960年に成立した。 池田政権のもとで、日中関係は順調に進んだ。
友好商社は増加し、取り引き物資を積んだ船の出港入港のたびに相互理解は深まり、「日中国交正常化せよ」という声は高まるばかりだった。
1962年には松村謙三と周恩来首相の会談が行われ、これを受けて高碕達之助の訪中と廖承志との間の協定によってLT貿易(両者のイニシャルをとってLT)が発足することになった。
LT貿易の発足は日中貿易の拡大のみならず、日中関係正常化にとっても大きな斬新であった。
これに対してアメリカは、「中国は膨張主義的好戦的共産主義権力である」と罵り、「これを封じこめるための日米の合作が必要である」と日本側の協力を求め、LT貿易などもってのほかであると内政干渉してきた。
しかし池田内閣は「倉敷」ビニロンプラント輸出に輸出入銀行の資金を使い、中国が日本からの輸入する最初のプラントとなることを正式に諒承し、アメリカの干渉にうちかってLT貿易は順調に発足した。注10
11、2度目の危機
LT貿易も発足し、日中国交回復も今度こそ遠からずと思われていた矢先、池田首相が病気で倒れ、次いで1964年佐藤栄作内閣が成立し事態は一変した。
佐藤は岸信介の実弟であり、日米安全保障条約に兄とともに狂奔した大の反ソ反中国のやり手だった。
佐藤首相は1965年に訪米し、米大統領ジョンソンと会談の際、日本が台湾の蒋介石グループを支持することを求められると、佐藤首相は即座に応じて、蒋介石と“正規の外交関係”を保持し、「中共に対しては政経分離の政策をとる」ことを言明した。
さらに2月には、池田内閣がせっかく開いたLT貿易への輸出入銀行融資による延べ払いの道を閉ざしてしまった。「LT貿易なぞつぶしても構わぬ」と佐藤首相は公言して憚らず、中国敵視政策を明確にした。
1967年に入ると、佐藤首相の中国敵視の言動はさらにエスカレートした。9月佐藤は人民の強い反対を顧みず、岸に倣って台湾を訪問した。
このことは、さらに日中関係を悪化させた。
1969年、ニクソン米大統領と佐藤首相との日米共同声明が華々しく「沖縄返還」をうたいあげた反面には、日本がアメリカから背負い込まれた重い荷物が隠されていた。それは、70年代において、日本がアメリカの核のカサの下で、米帝国主義の忠実な助手として、そのアジア支配の軍事的・経済的肩代わりを義務づけるものであった。注11
12、米中接近
佐藤内閣が「沖縄返還」を錦の御旗に軍備拡張、アジアにおけるアメリカの肩代わりと中国敵視政策でせっせとアメリカの点数稼ぎに懸命であった時、アメリカは密かに中国との接近を進めていた。
1968年アメリカ大統領に当選したニクソンは、大統領補佐官に任命したキッシンジャーと図って、新たな世界戦略をうち建てて、ベトナム戦争の泥沼から抜け出す道を求めていた。
中ソ対立を利用して、米中接近を図り、ベトナム戦争の解決に有利な条件を作りたいと考えていたのである。
1971年4月中国はピンポン外交を展開し、アメリカのピンポン・チームの訪中を歓迎した。これが米中接近のきっかけとなり、7月にはニクソン大統領の意を受けてキッシンジャー補佐官が極秘訪中した。
11月には中華人民共和国は台湾の国民政府に代わって、国連における合法的地位を回復した。
中国が国連の合法的地位を回復したことは、中国の平和共存の外交政策が世界のますます多くの国々の支持を得ていることを示すものであった。
1972年2月には、ニクソン大統領が中国を訪問し、共同声明を発表した。
ニクソン訪中と共同声明の発表は、日本政府に大きな衝撃を与えた。
佐藤首相らが忠実にアメリカに追随して、中国敵視政策をとってきたにもかかわらず、アメリカ政府が日本政府を親しいパートナーと見なさず、“頭越し外交”によって、日本と事前協議することなく、突然中米関係改善の行動をとったことは日本にとってショックだった。ア
メリカにべったり追随していても、日中国交正常化には何の利益も無く、かえって自分自身が孤立してしまうと認識したのであった。一刻も早い国交正常化にむけて努力することを日本は強く決心したのであった。注12
13、日中国交正常化
日中国交樹立の客観的条件が熟してきたその時に、日中友好を主張する田中角栄内閣が佐藤内閣の総辞職後登場したことは、日中両国の国交正常化に重要な促進材料となった。
1972年田中首相は大平正芳外相とともに北京を訪れ、周恩来首相ら中国側と話し合った。
この会談の中で中国が主張する「戦争状態」と日本が主張する「戦争は日華平和条約で終結した」という認識のズレは日中共同声明第1項の「日本国と中華人民共和国との間のこれまでの不正常な状態は終了する」という表現に落ち着いた。
ここに、日中国交正常化という歴史的意味が付加されたのである。
そして、中華人民共和国政府を唯一の合法政府とし、台湾が領土不可分の一部であるという中華人民共和国政府の表明を日本政府は理解し、尊重するということになった。
日中両国政府は共同声明により、戦争状態の終結を宣言した後、一連の協定を結んで、国交正常化を実現したが、法的手続きからいえば、声明や協定は条約にとって代わることはできない。
共同声明では、「日中双方が平和友好条約の締結を目的として、交渉を行うことに合意した。」とあり、共同声明のこの精神に基づき、両国政府は締結に向けた交渉に着手した。注13
14、日中平和友好条約
スムーズにいくかと思われた交渉だが、交渉は難航した。中国側は共同声明第7項の「反覇権条項」を条約草案に盛り込むことを主張したが、日本側はこれに異議を唱えた。以後、「反覇権条項」の取扱いが双方の交渉の対立点となった。
中国政府は、平和友好条約が共同声明の基礎から後退するなら、締結の意義を失うと考えた。
本来、覇権主義反対の原則から言って、共同声明第7項をそのまま条約の成文に書き込むべきものであった。
日本は共同声明の第7項では覇権主義反対を書くことに同意しておきながら、なぜ平和友好条約では反覇権条項を入れることに躊躇するのか。
それはソ連が日本に圧力をかけ、牽制していることと関係していた。
中ソ対立が激しい当時、ソ連は日本が中国と友好関係になるのを恐れた。
ソ連は日中両国が反覇権を明記した条約を締結するならば、これに対応する措置として、ソ連は「対日政策を見直すことになろう」と述べたり、海軍を日本近海に出動させて武力威嚇を行ったりしてきた。日本は「日本が中ソ対立に巻き込まれれば、アジアの不安定化と緊張をもたらす」と考え、条約交渉を中断させた。
1978年、ようやく転機が訪れた。福田赳夫が三木武夫に代わり首相となった。福田が首相に就任後、日本国内では条約締結を求める呼び声が高まった。
アメリカ政府が友好条約に賛同したことがさらに拍車をかけ、ようやく再開にこぎつけ、合意に向かい日中平和友好条約が締結した。
日中平和友好条約の締結により、正式に法律上から1世紀もの二国間の不正常な状態を終結し、日中間の前途に輝かしい展望が切り開かれた。注14
15、現在の日中関係
日中国交回復から28年になるが、相互不信はかつてなく深刻な状況にある。経済関係の目覚しい発展にもかかわらず、政治面では摩擦が絶えず、最近は、両国民の間に相互嫌悪の感情さえ募っている。
<江沢民の歴史認識発言>
その最大要因の1つは歴史問題である。1998年11月、江沢民は日本政府の招きに応じて中国の元首として初めて日本を公式訪問した。
この時江沢民は、中国国内の世論を意識して歴史問題で日本の反省を迫り、圧力をかけた。
これに対し日本国内では、中国はまだ歴史問題を外交カードに使うのかと言う声が高まり、中国への政府開発援助(ODA)の見直し論が高まった。
以下略
感想
日中二千年の交流史中の最も悲惨なところである日中戦争のところを私がペンを進めていた時、自分が日本人であることが嫌になりそうなくらいの憤りを感じた。
日本は中国に対して、つぐなっても、つぐないきれないほどのことを中国にしたと思う。「日中共同声明」締結時に、周総理は「中国人民は賠償の苦しみを深く味わったことから、日本人民が同じ苦しみにあうことを希望しない。また中国は莫大な損失をこうむったが、これは日本軍国主義者が責めを負うべきであり、日本人民もまた被害者であり、両国人民永遠の友好のため戦争賠償要求を放棄する。」と明らかにした。
私は賠償請求しなかったことは知っていたが、周総理がどういう思いで賠償請求しなかったのか初めて知った。
このことを知った時、周総理の温かさ寛大さに大変驚いた。
そして、日本は周総理の寛大さにその後答えることができているのだろうかと考えさせられた。
日本は自国本位のところがあり、ご都合主義のところがあると思う。
もちろん自国は大切だが、歴史を踏まえつつさらに友好的になれたらいいと思う。
私は去年の夏、中国の北京へ旅行に行った。
その時はパスポートとビザで中国に出入国できることはあたりまえだと思っていたし、当然の権利であると思っていた。
しかし、出入国できなかった時代があり、今こうして当然と思えるようになるまでの日中国交回復には幾度もの波乱があり、なみなみならぬ努力のおかげでできることと知った。
これからはさらに日中がお互いの国を思い合って、相互信頼を築き上げ、発展していくことができたらすばらしいと思う。
ライフワーク完結、持統天皇の悪女イメージ覆す
女性も歴史を動かした――。マンガ家生活50周年を2014年に迎えた里中満智子さん(66)は、ライフワークである作品「天上の虹」で持統天皇の生きざまを描いてきた。
現代の働く女性にも通じる苦悩や様々な愛の形を描き続け15年3月、完結する。自身も病気を乗り越え仕事と向き合ってきた里中さんに、万葉の時代から続く日本女性の強さを聞いた。
古代を舞台にしようと思ったきっかけは万葉集だった
中学生の時、図書館で出合った万葉集の面白さに病みつきになった。
初恋の時期でもあり、自分の思いにぴったり合った恋の歌がたくさんあって、しかも男女どちらの歌なのか見分けがつかなかった。
男性の命懸けの恋もあり、日本男児は「寡黙で強い」というイメージと大きく違って驚いた。
日本の歴史は武家社会を指すことが多く、男性が歴史を動かしてきたと習った。
でも万葉集では皇族の男性を身分の低い女性がじらすなどしていて、「どんな人たちだったのだろう」と興味を持った。
古代の女性は生き生きしていたと感じた。いつかこの時代を描きたいと中高生のときから思っていた。
真のリーダーは先を考えながら行動する。持統天皇は天武天皇とともに、国際的に通用する当時の近代国家を作り上げようとしてやり遂げた
「女だから中継ぎ」「夫から愛されなかった女」という烙印(らくいん)を押されてきた持統天皇だが、律令制の整備や藤原京の建設など大きな働きをした。
壬申の乱後、権力を一手に握った天武天皇が志半ばで崩御した後、彼女が権力を握り、他の勢力を抑えて国を治めた。
彼女以外にも皇女はいたが、政治的に何もしていない。持統の後を継いだ元明や元正などの女性天皇も、みんなそれぞれがしっかり仕事をした。
これまで仕事に生きてきた自らの思いを、作品の中で持統天皇に語らせている
人は立場によって選択を迫られ、決断を迫られることで強くなる。
働く女性はいつまでも少女のままではいられない。強くありたいと思って強くなる。
16歳でデビューした時、「一生漫画を描きたい」と思った。
当時は女性漫画家は結婚や出産でやめていく、と思われていた。
「絶対に泣かない」と誓い、「描きたいものを描くには力をつけて信用してもらわないと」と奮い立った。プレッシャーを越えたら、ちょっとやそっとでは引かない。
プレッシャーがあることで、80の力が120出せることもある。
人気のピークだった30歳前後で病気に。ワークライフバランスを重視するようになった
信用を得るために仕事は断らなかった。仕事をもらえるとうれしくて、連載を8本抱えたこともあった。
睡眠は1日おきに2時間。食事は野菜をどろどろに煮込んで口に流し込んだ。自分の体の限界もわからなかった。
29歳のときに卵巣嚢腫で入院した。「やっと眠れる」とほっとしたのを覚えている。
31歳で子宮がんを宣告された。早期発見だったので大事には至らなかったが、仕事を減らし睡眠をとるように心がけるようになった。
シンデレラより人魚姫が好き。人は何かを得るためには、何かを手放さないといけない
女の子はシンデレラに憧れる。だが私は初めて読んだとき、違和感があった。
美しいだけで王子に一目ぼれされて幸せになる。「女は美しければいい、男は地位と権力があればいい」というメッセージを感じた。「継母だから意地悪」という設定も気にくわなかった。
かたや人魚姫はすてきだと思った。何かを捨てて、何かを得る。人魚姫がどれだけ王子を愛しても、王子は知らない。
暗い話だから人気はないが、世の中の仕組みにも通じるものがあると子どもながらに思った。
新人賞受賞からマンガ家として生きて半世紀。親や学校の猛反対を乗り越え、選んだ道に後悔はない
教育熱心な親に育てられ、勉強もできた方だったので、マンガ家になると言ったときは激怒された。
大人の本当の役割は選択肢とその道の可能性を教えることだと思う。仕事か学校を選べということで、仕事を選んだ。当初は連載が途切れたこともあった。
17~18歳で出版社に売り込みもした。それでも、一生の仕事にするという覚悟で歯を食いしばってきた。司馬遼太郎さんが坂本竜馬を人気者にしたように、物語の力は大きい。物語の力を信じて、まだ描きたいものはたくさんある。
◇
飛鳥・奈良時代は在位期間の半分近くが女帝
「女帝の古代日本」などの著書がある明治大文学部の吉村武彦教授の話
飛鳥・奈良時代は天皇の在位期間の半分近くが女帝だった。
法制度である律令で官人(役人)になれるのは男性だけだが、天皇は女性も可能。
女帝は従来、男性天皇の間の中継ぎ説が主流だったが、最近は否定的な説もある。推古や斉明天皇も実権を持っており、無能な女性がお飾りとして祭り上げられていたとは思えない。
そのなかでも近代国家成立のために大きな役割を果たしたのが持統天皇だ。
中国にはなかった独自の太上天皇制度を作り、自分の孫へ引き継ぐ仕組みを整えた。日本で初めてといわれる碁盤目の効率的な都市、藤原京を築き、律令制を完成させたのも持統天皇だ。
日本書紀は持統から文武天皇に位を譲るところで終わっており、彼女の血統が正統であることを強調した。その後、独身の女性天皇も出現する。
庶民の生活でも法的には男性中心だったが、女性も力を持っていた。家などの財産権も持っていたとみられ、共同体の首長にも女性がいたことが確認されている。
農業中心の社会では女性による田植えや機織りなど、重要な労働力でもあった。
地方の国司を中心とするサロンでも『遊行女婦』といわれる才能ある歌詠みがいて、女性が様々な場で活躍していた。
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女性リーダー少ない現代 「管理職増へ意識改革を」
――現在の日本社会では女性リーダーはまだ少ない。
歴史から学べるところはあるのか。リクルートワークス研究所の石原直子主任研究員に聞いた。
「歴史を変える女性は今後もきっと出るが、社会全体のありようとは別。
歴史に名を残す突出した存在を望んでいるのではなく、問題はなぜ男性と同じように管理職になれないのかだ。大学進学率も高い女性が社会でリーダーとして活躍しないのは不自然。女性リーダーを増やすのは、やったことのない新しいことだ」
――女性リーダーが少ない背景と打開策は。
「誕生を一層難しくしているのが、外で働く男性、家を守る女性という社会制度だ。
女性だけが、子どもを育てて余力があるならリーダーになってもいいというのは偏った見方だ。女性にもそうした見方があり、男女ともに意識が変わらなければならない。
夜まで働ける人が戦力とみなされる中では、働く母親は活躍しにくい。最近、働き方の問題に着目するようになったのはいいことだ。
労働慣行や柔軟でない労働市場も変わる必要がある」
「米国では、成果をあげれば評価につながる仕事を割り当てられる機会が男性に偏っているのを、意識的に女性に割り当て、女性役員を増やそうとしている」
(文=高橋里奈、女性面編集長 橋本圭子 写真=湯澤華織)
▼国交も、その本義は人間の交流であり、民衆の交流にある。
友情と信頼の絆で、人間同士が結ばれることだ。
国家といっても、それを動かすのは人間であるからだ。
▼女性の幸福なくして、人類の平和はない。
女性が輝けば、家庭も、地域も、社会も輝く。
ゆえに21世紀は、女性が主役となる「女性の世紀」に、しなくてはならない。
▼人材には、力がなくてはならない。
力がないというのでは、民衆の幸福、平和を築くことはできない。
これだけは誰にも負けないというものをもつもとが必要だ。
▼リーダーの社会性ある、常識豊な振る舞いが大事である。
…男を再逮捕
11/27(水) 読売新聞オンライン
ツイッターで知り合った兵庫県の女子中学生を約2か月間、借家に住まわせるなどして誘拐したとして、埼玉県警は27日、同県本庄市東台、不動産業阪上裕明被告(37)を未成年者誘拐容疑で再逮捕した。阪上被告は別の埼玉県の女子中学生を9月中旬から約40日間、同市内の同じ借家に誘拐したとして、10月30日に同県警に同容疑で逮捕され、その後起訴されていた。
発表によると、阪上被告は8月28日~10月29日、ツイッターで兵庫県の女子中学生が家出を望んでいることを知り、借家に住まわせて誘拐した疑い。調べに「将来、自分が経営する会社の従業員にしたかった」などと話しているという。女子中学生にけがはなかった。
県警によると、ツイッターで女子中学生が8月、家出したいなどと投稿したのに対し、阪上被告が「埼玉においで、勉強するなら養ってあげる」とメッセージを送っていた。群馬県藤岡市のJR北藤岡駅で待ち合わせ、阪上被告が車で本庄市内の借家に連れて行った。女子中学生に1日3食出し、入浴もさせていたという。
その後、9月中旬に埼玉県の女子中学生を誘い出す際には「同じ年の子が居候しているから相談に乗る」などとツイッターで呼び寄せていた。
同県警は10月29日、この借家で女子中学生2人を発見していた。
▼人道的(ヒューマン)とは、「人間らしさ」「人間らしさの徹底」「人間を価値の中心に置く」ことだ。
▼ベルリンの壁の崩壊、東西冷戦の終結を宣言した米ソ首脳のマルタ会議から30年。
ポピュリズム(大衆迎合主義)が台頭して対立と分断が進む中で、世界は一段と混迷の度を加えている。
▼人間を手段としてしか位置づけない対立と分断の政治か。
人間を価値の中心に置く対話と合意の政治か。
時代は今、人間主義の政治を希求している。
▼「生命・生活・生存」を最大限に尊重する人間主義。
「人間の安全保障」の理念が期待されている。