棚田部の除草二日目。 一般的に「除草」と言えば「抜き取る」とか「刈り払う」とか、最近では「除草剤を撒く」のが多くなったけれど生物生産緑地ではこのような始末は出来難い。除草剤も使うが今の処はワルナスビの根絶のためにスポット散布だけであって「抜き取り」もオオカナダモのように特定の草本木本になる。
今回の棚田の除草は猛暑の夏と豪雨の気象が相まって作業日数が大幅に減少した結果、フイールドは荒れるがままだった。水域には陸地からランナーで進入した植物体の全盛期になってしまい「除草」とは言うものの「鍬を打ち込んで曳き上げる」除草なのである。座布団1枚程度の面積の抜去除草でも渾身の力を込め陸まで運ばねばならない。長靴は泥の中で足場は悪く「踏ん張る」必要があるから膝には通常の除草なんかより多大の負荷が掛かっているだろう。湿布とサポーターが欠かせなくなった。冬季に常用していた保温サポーターがいくら探しても見つからず古いのを仮に使っているけれど、ここはやはり新しいサポーターを購入するのが膝を保つ事になるのだろう。
さて棚田部の最終日「本日中に決着をつける!」との意気込みで田に入ってはみたものの、意気が上がらず息が上がる。正直言って「詰まんない作業」なのである。既に日陰になった水域にはトンボの飛翔も無くツチガエルやヌマガエルも姿が無くなった。ニホンアカガエルは11月中も姿を見せるけれど顔はシャープなので、小生がファンになったとは言えないレベルなのだが隣国の女優のオタマジャクシ顔を思い出せないから寂しい。以前にも触れたがあの「オタマジャクシ顔風」の顔が何とも可愛いのだが、こういう表現は適切では無いと思いつつ「やっぱりそう見えるから可愛い」のである。しかしKポップで人気だった頃のブロマイドやポートレートは均一すぎて魅力が無い。
まあこういう事は、いつもの耄碌言動のひとつだけれど孤爺にとっては初体験の「押し」なのである。でもまあ「沼」に嵌る熱中さはなくともシリーズのドラマは消去していない。そんな日常で沼に嵌らずとも泥に嵌った日々が続いて、ともかく棚田部はすっきりした。水域の植物体を上げる事でヤゴの最適越冬場所を撤去してしまう事と相成ったけれど、だからと言って水域に侵出させたままでは来季の作業が倍増する。少しでも増えない様に日々微力を注入せねばならない。我が身体髪膚はアフリカ出の始祖から始まって両親により生まれ出でたのだが、このフイールドは我が困難辛苦の汗と痛みで出来上がっておって、それに支えられた生物生産緑地なのである。