冷やかに成り行きを見ていたが,結局何だったんだろうなぁということが結構ある.
目を通さないけど相乗りだけするとか,理念なき名前貸しとか.
私らも,やるべきことをやらなければ,子ども達を利用したただのブローカーになり下がる.
努力も大事だが,機会がなければ息すらできない.
なんだか現在の派遣問題を理解のしようもない人達が大勢いるのとよく似た感じだ.
学生時代に利用されない大量のコンピュータを管理していた教員に宣戦布告に等しい発言をした.
「ここのコンピュータ達は実に残酷な使われ方をされている」と.
普段は冷酷なほど冷静と思われていた人がブチ切れて,いきなり大ゲンカ.
しかし,プライドを賭ける対象をレベルアップさせるべきだという真意を理解してもらって,その後はオープン化が一気に進んだ.
さて今は何が残酷に扱われているのか―――そんなのわざわざ口に出したくないものだ.
ただ言えるのは,蔑みに哀れみと優しさのうわべを整えることは,問題の解決にはなりえない,ということだろうか.
敬意はまず何に払うべきかが重要.
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