Nikon D200 TAMRON 17-50□□
山形県遊佐町吹浦□□
遊佐町立吹浦小学校の旧校舎の桜です。
学校には必ずと言っていいほど桜が植えてありますが、この小学校の桜は校庭の真ん中に植えてあるのがとても素敵です。
当時としてはモダンなツートンカラーの校舎、そして校庭の真ん中に咲く桜。
どれだけ多くのこの地区の子供達が、この桜の花に迎えられ、桜の木と遊び育ち、そして桜に見送られて巣立っていったことでしょう。(私の母もその一人です。ここは母の母校でもあるのです。)
吹浦小学校は、現在はこの校舎が古くなって昨年別の場所に新築移転されましたが、願わくばこの校舎と桜の木を無くさないで、何らかのかたちで保存されることを切に願っています。
( 小野寺遊佐町長さん、よろしくお願いします。(^^)/ )
きっと、卒業生ひとりひとりの心の真ん中にこの桜は咲いています。
別れた同級生たちといつか再会できる場所として、あの日の自分に会える場所として、いつまでもここに桜が咲いていてほしいと願っていると思うのです。
さくら、さくら、いざ舞い上がれ
永遠にさんざめく光を浴びて
さらば友よ、またこの場所で会おう
さくら舞い散る道の上で
『 さくら 』より
詩 : 森山直太朗さん
母が子供の頃は、校庭にはこの二本の他に数十本の桜が二列に植えてあり、子供達はその桜の花びらの絨毯の上でお弁当を食べたそうです。
なんと贅沢で素敵な風景ではありませんか。
そんな風景が最近どんどん無くなっていくような気がして、寂しい限りです。
地図左下の(新)吹浦小学校ではなくて、地図中央(『+』位置)が(旧)吹浦小学校です。↑
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相撲の土俵
古い校舎(?)に桜
運動場に桜
のどかな
昔の学校の風景ですね
小学校のとき
気象委員をやっていて
百葉箱を毎日のぞいていました
小さかったので
椅子を使って
百葉箱、本当に懐かしいですよね。
子供の頃、私も何かの当番になっていて、百葉箱を毎日覗いた記憶があります。気象委員?だったのかな?
それに、相撲の土俵。
最近の小学校では見られなくなったものの一つですね。
この小学校はいまだに相撲大会があって、私のいとこの子供は6年生で横綱だそうです。(^o^)
いやぁ~、美しいですね、桜も風景も♪
このような木造校舎がまだ残っているんですね、それに桜も年輪を重ねているようで実に見事な枝ぶりです。
そういえば竹内敏信氏が以前、桜の撮影場所といえば、学校・墓場・変電所と言っていたのを思い出しました。僕も感化されてよくあちこちの学校を撮影にいったものです。(笑)
古くなった木造校舎も少なくなりましたね。今の学校は鉄筋コンクリートで桜が咲いても何だか少し味気ないような気もします。取り壊しとともに切り倒される桜も少なくないのでしょうか・・沢山の思い出の詰まったものがなくなる・・そう考えると本当に寂しい気持ちになりますね。
遊佐町には6つの小学校があるのですが、この吹浦小学校が最後の木造校舎でした。幸いこの町の教育関係者は子供達のことを考えてくれていて、新築される校舎は出来るだけ木造に近づけて木をふんだんに使うようにしているそうです。木のぬくもりの中で育つ子は心がやさしいのだそうです。
それでもやはり、こんなに素晴らしいものが無くなると思うと寂しいですね。
学校・墓場・変電所。なるほどなるほど、納得できます。しかし、どれも撮影を躊躇われる場所ですよね。(^^;)昨今は学校でカメラ持ってウロウロしていると変質者通報されますし、墓場だと写した写真に何かが写っていそうで・・・・。
ふうまさんは、大丈夫でしたか?
(^^)/
私も、37年前に在籍していました。
当時、図書館が出来たり、プールの工事が始まった時はものすごくうれしく良く本を読みに行ったりしましたね。プールが完成したのは私が転校してからだった為、泳いではいませんが。
おおっ♪ 吹浦小OBですね、コメントありがとうございます。とても嬉しいです。
37年前に小学生だったってことは、私と大体同じ世代ですね。
私は西遊佐小でしたが、母親の実家が吹浦でしたので、従兄弟が吹浦小でした。重ならない運動会の日に遊びに行ったことがありますが、西小と比べてとても大きな小学校でビックリしたのを憶えています。
最近、従兄弟から、あの大きかった吹浦小も今では1学年20人ぐらいしかいないと聞きました。
移転新築した吹浦小は、新しくて素晴らしいのですが、やはりこの校舎よりはずっと小さいのです。
k・hさんや卒業生の思い出が染み込んだこの桜の風景、いつまでも残っていて欲しいと願っています。
(^^)/
現在はこの校舎も取り壊され、桜の木だけが残っています。とても寂しく残念です。
ここのページの写真が欲しいのですが購入は可能でしょうか?
またまた吹浦小OBの方ですね。いらっしゃるもんですね~。うれしいです。
この写真を販売はしておりませんが、OBの方であれば特別に無料でお送りいたしますよ。(私の母親の後輩でしょうから(^o^))
(プリンタの写真印刷ですので最大A4まででよろしければ、ですが・・・。)
下記アドレスまで送付先をお知らせ下さい。
→ torukin.itou@nifty.com
但し、長期出張中ですので、多少お時間をいただきますが・・・。
(^^)/
無沙汰しておりま。以前、鳥海昭子の短歌
《少年兵のままに還らぬ人が顕ち染井吉野は今年も咲きぬ》
を紹介された際に書き込んだ者です。
この吹浦の街ですが、遥か高みから望見した)記憶があります。24年前の夏に鳥海山へ登頂した際、「奇観・影鳥海」に覆われた山麓の端っこに、早朝より日陰となり真っ暗の漁港を山頂から発見。
其処だけ、堤防が日本海へ突き出して港を形成しており、登山地図から「あれが吹浦漁港だ」と知れたのです。
漁港の周囲には人家がこじんまりと連なり、人々が和気藹藹と暮らす気配が山頂まで漂って来ます。「何だか住み易そうな家並だ」と感じ入ったものでした。
その際には勿論、こうした木造小学校の味わい深い建物なぞ知る由もありませんでしたが、住民の知恵と善意が結実したような学校が、地域の象徴として伝えられて来た事実に感嘆しました。
貴重な写真の掲示、有難う御座いました。お元気で。
先月末に書き込んだ者です。記憶違いがありましたので、訂正しておきます。
2006年4月22日に、鳥海明子の短歌
《少年兵のままに還らぬ人が顕ち 染井吉野は今年も咲きぬ》
を引用された記事 《さくら咲く》 は、何回も熟読しましたが、そちらには書き込んでは居りません。
多分、貴ブログと他のブログとを取り違えていたのでしょう。訂正しておきます。失礼しました。