コメント
 
 
 
失礼いたします。 (tenjin95)
2006-06-16 13:44:32
> 管理人様



伝道標語の威力は、意外とあるもので、ウチの寺でも先代の住職が筆まめでしたので大量に作っては貼っていたようです。



そうして代替わりし、ちょっと放っておいたら、それに対するクレームが付きまして、その時「なるほど、これ見ている人かなり居たんだ」と痛感した次第です。



或る意味で、毎日更新しているブログは、そういった先代の住職である先師に倣ったものであるとも言えます。誰とは分からないけど、誰かに届いているかもしれない、そう思うとなかなかに楽しいものでございます。
 
 
 
お互い・・・ (某子)
2006-06-16 13:57:30
とてもいいお話ですね。

きっと、teraさんとマッサージ師の方が見えない糸で引っ張り合った結果だと思います。

そのときに合うべくして合った・・・。



そういうこと、ありますよね。

いつも自分では意識するようにしていて、それを「発見」するとうれしくなります。
 
 
 
→tenjin95さん (tera)
2006-06-16 15:22:16
伝道標語の威力、確かに計り知れないものがあります。けれども、更新することも大変なのですよね。

tenjin95さんのブログ発信も、これはお師匠様の発信の相承を形を変えてされているとも言えるのですね。すばらしいことです。時代とともに形態は変わっても、法布施としての功徳の心は一つなのだと思います。

法布施としてのブログ発信の力は、未知数だと思いますが、影響が大きい事は確かですね。これからもよろしくお願いします。
 
 
 
→某子さん (tera)
2006-06-16 15:28:58
ほんとうに不思議な出会いだったのです。

始まって1~2分でこの話になったのです。宗派も、私の当地訪問の役割も何も知らないでいきなり「この言葉知ってますか?」ですから・・・。

不思議な事ってあるものですね。

大切なのは、某子さんのように、常に感度のいいアンテナを張っているかということなのですね。
 
 
 
縁・・・円 (あゆぼん)
2006-06-16 21:33:10
マッサージ師さんのお話。

まるで小説の1シーンのような出会い。

読ませていただいているだけで、胸が熱くなりました。

ご縁があったのですね。



挨拶を交わすこと、これも人とのつながりで先生の心の中に大きく刻まれたのですよね。

彼らにとって日常であり普通のことが、先生の心に残るような出来事になっているということが、わたしには衝撃的。

そういえば、こちらからご挨拶をしてもただ頷いてお声すら聞えないことが、わたしの日常のような気がいたします。

普段ある他の場面でも、「なぜに返ってこない???」と不思議に思うことが多々ある世の中になってしまったような気もいたします。



「おはようございます。」は気持ち良い言葉ですよね。



素敵なエピソードをありがとうございます。

 
 
 
→あゆぼんさん (tera)
2006-06-17 08:29:00
おはようございます。

ほんとうに不思議な出会いでした。いきなりマニアックな道元さまの言葉が出てきたのでびっくりしました。私のことを聞いていたのかと思いきや、予備知識もなしだったのです。



挨拶のことって確かにありますよね。礼儀正しいあゆぼんさんのことですから、日頃、歯がゆい思いをされることも多いでしょう。広島の子達の挨拶は、全く習慣化され、教育や躾けが行き届いているといった感じでした。都会も見習う必要がありますね。
 
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