コメント
失礼いたします。
(
tenjin95
)
2010-08-30 17:29:47
> 管理人様
ご報告ありがとうございます。大変に興味深く拝見しました。
> 特定の有力者や統治者によって建立されたのではなく、地域の人々によって維持され、縁のある僧侶を招き入れるという信仰の形態
これですが、『沙石集』などで採り上げる時代、まだ「大名」などの地域領主が発達していなかった頃の近畿地方では、まさにこの形態の信仰であったと聞いています。説教師や、法要の上手い人がいると、一年から数年に一度、地域のみんなで財産を出し合って、そういう人を招き、先祖供養をして貰ったそうです。当然に、常住ではありませんでした。
→tenjin95さん
(
tera
)
2010-09-03 10:47:57
『沙石集』の情報、有難うございます。まさにその通りの信仰が遺っているように思います。
勉強になりました。
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ご報告ありがとうございます。大変に興味深く拝見しました。
> 特定の有力者や統治者によって建立されたのではなく、地域の人々によって維持され、縁のある僧侶を招き入れるという信仰の形態
これですが、『沙石集』などで採り上げる時代、まだ「大名」などの地域領主が発達していなかった頃の近畿地方では、まさにこの形態の信仰であったと聞いています。説教師や、法要の上手い人がいると、一年から数年に一度、地域のみんなで財産を出し合って、そういう人を招き、先祖供養をして貰ったそうです。当然に、常住ではありませんでした。
勉強になりました。